159 / 202
第四部 婚礼
第5話 再会①
しおりを挟む馬車の窓から堅固な城門が見える。
一人の青年が何とか心を落ち着けようとしていた。何日も旅を続けてきた疲れなど、一瞬で吹き飛んでしまう。
心臓は高鳴るばかりだ。何度も深く息を吸っては吐く。まさか、自分がスターディアに足を踏み入れる日が来るとは思わなかった。
左右に広がる長大な城壁はどこまで続いているのか。城門の見事さも、立ち並ぶ兵士の数も、とてもではないが、故国と比べられるはずもない。
婚姻の儀を目前に控え、王都に入る四方の城門はひどく混雑していた。馬車も人も、ずらりと並んで検問を待っている。
「とうとう、ここまで来たんですね。まさか、スターディアに足を踏み入れる日が来るとは」
目の前に座る小柄な男が呟く。それは自分の台詞だと言い返したかったが、青年には出来なかった。平静を装い、頷くのが精一杯だ。
「失礼致します。王宮から出迎えが参っておりますので、すぐに王都に入ります」
馬車の脇に立つ騎士の言葉に、ぐっと奥歯を噛み締める。この門の向こうに、と思うだけで心が締め付けられるようだった。
「イルマ殿下にお会いするのも久々ですねえ。守護騎士殿やセツ殿もお元気でしょうか」
思わず口許を手で覆った。姿を見る前から嗚咽を漏らしてしまいそうだ。心臓に悪いこと、この上ない。故国を出る時に、混乱と不安がない交ぜになって、ひどい顔色になっていた父を思い出す。
『よいか。くれぐれも頼んだぞ。此度の機会は、其方にまたとない経験を与えるだろう。こちらは私が全責任をもって対応する』
父のあんなに憔悴した顔を見たのは初めてだった。宮廷を揺るがした陛下の決断は、予想外だったのだろう。青年は前を向いた。心配そうに自分の顔を見つめる瞳に頷き返す。
「大丈夫だ。ようやくここまで来たのだから」
王都に入れば、華やいだ雰囲気がすぐに伝わってきた。
石畳が縦横に整備され、多くの人々が行き交う。馬車がしばらく走れば、人と家並みが姿を消して、今度は貴族たちの屋敷が現れる。立ち並ぶ屋敷を越えた先に、白く輝く尖塔が見えた。
イルマは立ち上がっては座り、座っては立ち上がるのを繰り返していた。とてもじっとしてはいられない。
城門からは、新たな招待客の到着報告が逐次もたらされている。たくさんいる招待客の中で、イルマが返信を心待ちにしていた存在はわずかだった。
招待客の名簿を作っていた文官は、返信が着いた途端に西の宮殿に馳せ参じた。イルマはその日以来、ずっと先方の到着を楽しみにしていた。
「イルマ様、お茶をどうぞ」
「え? ああ、ありがとう」
「この数日で、その椅子はだめになりそうな勢いですね」
セツは半ば真剣に告げた。イルマはお茶を受け取りながら目を瞬いた。
「えっと⋯⋯、ぼくはそんなに落ち着きがなかったかな?」
「ご自覚が無いのが驚きですが、とりあえずお座りください」
自分が立ったままなのに気がついて、イルマは黙って座った。
どんな時もセツのお茶はイルマの心を静めてくれる。にっこり笑う主の笑顔に、侍従もほっと胸をなでおろす。
扉が叩かれ、セツがすぐに取次ぎに出た。振り返った顔は興奮で、頬が赤くなっている。
「イルマ殿下、フィスタよりご到着にございます」
イルマ愛用の椅子は、がたんとその場に転がった。
応接間の扉が大きく開かれる。
大臣たちに先導された姿を迎えた時、イルマはすぐには声にならなかった。長い間会っていなかったように思う。故国を出てからの実際の年月よりも、自分の環境の変化が大きいのだろう。目の奥が熱くなり、胸に押し寄せる気持ちをなんとか飲み込んだ。
イルマは一歩前に出て跪くと、深々と頭を垂れた。
「父上、お久しゅうございます。はるばるフィスタから足をお運びいただけるとは、この上なき幸せ⋯⋯」
イルマがなんとか言葉を絞り出せば、ぽんと大きな手が頭の上に乗せられた。まるで小さな子どもに戻ったように、優しく頭が撫でられる。
顔を上げると、懐かしい青い瞳が我が子を見て微笑んだ。
64
お気に入りに追加
1,057
あなたにおすすめの小説

婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。


【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み

【旧作】美貌の冒険者は、憧れの騎士の側にいたい
市川パナ
BL
優美な憧れの騎士のようになりたい。けれどいつも魔法が暴走してしまう。
魔法を制御する銀のペンダントを着けてもらったけれど、それでもコントロールできない。
そんな日々の中、勇者と名乗る少年が現れて――。
不器用な美貌の冒険者と、麗しい騎士から始まるお話。
旧タイトル「銀色ペンダントを離さない」です。
第3話から急展開していきます。


【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる