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第三部 父と子
第48話 君と①
しおりを挟むイルマは、シェンバーに会った嬉しさに、自然に笑顔になる。シェンバーは微笑んで、跳ねたイルマの髪を優しく撫でた。
「離宮に行く前に市場に来たかったんだ。前に来た時、水晶を売ってくれた店主の言葉が気になってたから。でも、もういなくなってた。ねえ、シェン、ガゥイに孤児院を作るんだって?」
「誰からその話を聞いたんだ?」
イルマが振り返ると、少し離れた場所で若い夫婦が慌てて跪く。
「あれは、商会長の息子」
「広場で偶然会ったんだ。二人から話を聞いたよ。大金を町に寄付した露天商がいて、そのお金のことで礼を言われた。水晶の店主のことだと思うんだけど」
「ま⋯⋯あ、そうだ」
なぜかシェンバーは歯切れが悪かった。イルマは不思議な気持ちでシェンバーを見た。
「シェン?」
「ああ、もう⋯⋯。私はいつだって、その目に弱いんだ」
シェンバーとイルマは神殿の前の石段の端に腰かけた。
セツとサフィードが、職人や近衛たちに市場でもらった食べ物を配っている。若い夫婦も手伝って、いつのまにか木陰で昼食の準備が始まっていた。
「王宮まで、ガゥイの長の遣いが来た」
──露天商の一人から大金を預かっている。殿下方から頂戴した金を町の為に使ってくれと言っているが、目玉が飛び出るような金額だ。年老いた露天商はすぐに姿を消したが、事の真偽を確かめたい。
「水晶の売り主だとすぐにわかった。書状にあった金額が、あの水晶に払ったのと同じだったから」
あの時、老婆から水晶の金額を聞いたのは自分だけだ、とシェンバーは言った。
「なんで店主は、折角手に入れた金を町に寄付したのかな」
「女神のご意志だと言ったそうだ。石は想いを果たしたから、自分の役目は済んだと言って去ったらしい」
「女神の⋯⋯」
「晴れ晴れとした顔だったと聞いた。渡した金には一切手を付けていなかった」
⋯⋯愛情深い女神は、時に人に使命や試練を授ける。
イルマたちの近くを通り過ぎて、神殿に祈りや花を捧げに来る人々の姿は絶えることが無い。老婆の受けた神託にイルマは思いを馳せた。
「シェンは、どうして孤児院を?」
「⋯⋯フィスタでゴートの孤児院に何度も足を運んだ。つつましくても皆で力を合わせて命が大事にされていた。ところが、強大なはずのスターディアでは誰も子どもの命に目を向けない。果たして我が国は豊かだと言えるだろうか。⋯⋯それに」
「それに?」
「どんな親にも、子に対する思いはあるのだろう。人の多いガゥイに我が子を捨てるのは、誰かに拾われて少しでも生き延びてほしいと思ったからかもしれない。そんなことを、考えるようになった」
「シェン⋯⋯」
シェンバーの中に、親と子を想う気持ちがある。それが堪らなくイルマには嬉しい。
イルマは、シェンバーにぎゅっと抱きついた。
「シェン、すごく素敵だ。ゴートやシアたちを支えてくれてありがとう。何故そんなに恥ずかしそうなの?」
「⋯⋯シアたちのことは、自分が好きでしていたんだから構わない。それよりも、この年になってようやく親の愛情に思い至るなんて。さすがに恥ずかしいだろう?」
きょとんとしたイルマの顔を見て、シェンバーは思わず呻いた。
⋯⋯家族愛に満ちた中で育った者には、こんな感情はわからないのかもしれない。
「少しも恥ずかしくなんかないよ。王妃様や陛下にお伝えしたら、すごく喜んでくださると思うけど⋯⋯?」
「イルマ! ⋯⋯待って、イルマ」
シェンバーは思わず、イルマの体を引き離して真剣に目を合わせた。
「父や母には黙っていてほしい。あ、イルマの気持ちが嫌なわけじゃない。気を悪くしないでほしい」
シェンバーは焦っていた。
⋯⋯どう言ったら、うまく伝わるのだろうか。愛の言葉を囁くよりも余程、難しい。
「わかったよ、シェン。ぼくからは言わない。お二人とも、シェンから直接気持ちを聞いた方が嬉しいよね?」
笑顔のイルマに、シェンバーは大きく頷いた。しかし、次の瞬間に、はっとした。
⋯⋯待て、自分は今、何かとんでもない約束をしなかったか?
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