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第三部 父と子

第46話 ガゥイ①

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「確か、この辺りだったと思うんだけど?」

 正午前のひと時に、イルマは荒く息をついていた。
 溢れるばかりの陽射しの元、見事な青空が続く。 
 イルマは、セツとサフィードを連れてガゥイの市場を訪れていた。

 久々に訪れたガゥイは、変わらぬ賑わいを見せている。唯一つ、老婆の姿が見つからないことを除いて。
 元々が露店だ。しかも一度来ただけなので、ずっとここで商売をしているのかもわからない。

「ちょっと聞いてみましょうか?」
 セツが周りに次々に声をかけた。愛想よく答えた若い男が、老婆は一か月ほど前に店を畳んだと言った。行き先はわからないと。
「年も年だから皆、隠居だろうと思ってね」
「言われた通りに来たのに⋯⋯」
 思わずイルマが呟けば、男がじっとイルマの瞳を見て言った。

「そういえば、黄金の瞳の若者が来たら伝えてほしい、と言われたんだが」
「え?」
「店を畳む時に、店主が周りに言ったんだよ。いつになるかはわからないが、必ず来るからと。ばあさんの言ったことは、本当によく当たる」

 ──時の鐘を知らせる場所に行け。

 イルマたちは、外れにあった市場から、大きな鐘のある町の中心まで戻ることにした。
 以前来た時と同じように、あちこちから声がかかる。
 セツとサフィードは、うっかり店先で目が合うと食べ物を差し出されるので、避けるのに必死だ。それでもあっという間に、二人の周りに人だかりができていく。

 イルマはその隙に、目に付いた屋台で焼き菓子をちゃっかり買い込んでいた。木の実がたっぷり使われて鼻先に甘い香りが漂う。
「それ、みっつお願い!」
「あいよ!」
 恰幅のいい店主が渡してくれた葉の皿には買ったのと同じ数が余分に入っていた。
「あれ、これ⋯⋯」
「⋯⋯二の殿下にも、お渡しください」
 笑顔の店主が小声で言った。

「えっ?」
「この町の者は皆、感謝してるんですよ」
「感謝って⋯⋯」
 次々に客が来るので、それ以上は聞けなかった。

 イルマが店の前から歩き出すと、必死で人込みを抜けた二人が走ってきた。セツもサフィードも、両手に十分な食料を持っている。
「⋯⋯昼だから、ちょうどいいね」
 思わず漏らした言葉に恨めし気な視線を向けられて、イルマはごめんと呟いた。

 ガゥイの町の中心には、時を告げる鐘がある。1日6回鳴り響く鐘は、人々の日々の指針だ。
 鐘を備えた塔の前の広場からは歓声が響いていた。たくさんの子どもたちが行儀よく並び、手に手に何かを受け取っている。
 辺りは芳ばしい香りが漂い、一組の若い男女が大きな籠の中から取り出したものを笑顔で配っていた。

 イルマは邪魔にならないように近づいた。子どもたちに渡されているのは焼きたてのパンだ。子どもの手には余るような大きな丸いパンを抱えて、どの子も頬が紅潮している。
 子どもたちがイルマの脇を通り過ぎていく。
「母さんの分も、もらえた。これで、もう少し元気になる」
「おれのも、わけてやるから」

 子どもが皆去っていくと、男女は大きく息をついた。女性が振り返り、イルマと目が合った。はっとしたように目を瞠る。
「⋯⋯イルマ殿下?」
 美しいはしばみ色の瞳と茶色の髪の若い娘に、全く見覚えが無い。
 イルマが目を瞬いていると、近寄ってきた娘は美しく礼をした。平民が身に付けているものではなかった。
「御無礼をお許しください。御目の色を拝見して、もしやと思いまして」

 娘は、自分は王妃の侍女だったと語った。ガゥイの商人の息子に嫁ぐ為に、二か月前に王宮を下がったのだと言う。
「王妃様の⋯⋯」
「はい、先日、お手紙をいただきました。殿下方のおかげで良き事が続いていると、大変嬉しそうなご様子が伝わって参りました」
「良き事⋯⋯」
「ええ。奥庭が作り直され、陛下が大事にしてらした御品も見つかったとありました」

 イルマはごくりと唾を飲み込んだ。
 娘は二か月前に王宮を下がったと言った。幻影水晶が王宮から姿を消したのも、たしか二か月前だ。
『買わせたり、盗ませたり。⋯⋯堪ったものではありませんね』
 サウルの言葉が耳に蘇る。あの幻影水晶なら、⋯⋯もしかして。王妃の侍女に自分を盗ませることぐらい出来るのかもしれない。
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