136 / 202
第三部 父と子
第36話 愛を①
しおりを挟むイルマとシェンバーは、本宮殿の庭園でお茶を飲んでいた。
うららかな陽射しの中、木陰では今日の日の為の茶が用意され、空気中に芳しい香りを漂わせている。
目の前に差し出された一杯のお茶に、イルマは興奮していた。口に含んだ瞬間に世界が変わる。夕陽を映した水色も、華やかに立ち上る香りも申し分ない。甘味の中にわずかに混じる苦みが絶妙だった。
シェンバーは感動にぷるぷる震えるイルマを見ながら、小動物を連想していた。幻の尻尾が揺れる。早速二杯目を所望する姿に、緊張していた心が和らいでいく。確かに美味しい茶だった。苦味は舌に残らず、爽やかさだけが口中に留まる。どこの茶なのかを確認して、早々に取り寄せようと決めた。
午後のひと時のお茶を一緒に、と言ってきたのは王妃だ。
宮中舞踏会から半月が過ぎ、シェンバーとイルマの周りは騒がしい。
シュタイン侯爵とグローデル伯爵の事件を皮切りに、シェンバーは騎士団の内部に巣くう貴族たちとの癒着を徹底的に調べ上げていた。イルマを二度と危険な目に遭わせるわけにはいかない。これを機に新たな組織作りを始めようと決めたのだ。
それだけでも慌ただしいのに、舞踏会が終わって1週間が過ぎた頃には、貴族たちから山ほどの招待状や手紙が二人の元に届いた。
「お披露目の後は大変って聞いてたけど、これ、どうしたらいいのかな」
途方に暮れる二人を気遣って、王妃は自ら相談に乗ってくれた。社交界に関心のないシェンバーと知識のないイルマではどうにもならないと踏んだのだろう。新たに従者が増やされ、即座に要、不要を分けていく。それでも判断に困った時には、いつも王妃が助けとなってくれていた。
「もうじき陛下もお見えになると思うの」
王妃の隣には王太子夫妻が座り、仲良く菓子を摘まんでいる。シェンバーとイルマの隣にはミケリアスが座っていた。イルマにつられたのか、ミケリアスも真剣に茶を吟味している。
「これは⋯⋯。滅多に手に入らない品だと思います。以前、神殿に東の大商人が一度だけ寄進してきたことがある」
「えっ! じゃあ、二度と飲めないかもしれないってこと?」
二人が頷き合って三杯目を頼んだ時に、待ち人が現れた。
「すまない。待たせたね」
国王はわずかに眉を寄せて、その場に集まった者たちに謝った。
王妃が少しも、と言いながら穏やかな微笑を浮かべる。国王一家が全員顔を合わせる機会は滅多になく、王妃の心遣いが偲ばれた。
王が視線を向けた先では、イルマとミケリアスが嬉しそうに茶を受け取っている。二人が目を輝かせるのを見て、王も目を細めた。渡された茶を一口飲めば驚きが隠せない。
「珍しいものを」
「ええ、今日の為にと少々無理を聞いてもらいました。陛下、今日が何の日かご存知?」
「恥ずかしながら、少し前に知ったばかりだ。自分では特に考えもしなかったが、民には大切な日だろう?」
王妃は長い睫毛を何度か瞬かせた後に王に告げた。
「⋯⋯大事なのは民だけではありませんわ」
国王が不思議そうに視線を向けると、王子たちが何とも言えない表情をしている。誰も口火を切ろうとしないので、不自然な沈黙が落ちた。
「あ、あの⋯⋯。フィスタの話で恐縮ですが」
イルマに一斉に視線が集まる。
「私の国では年に一度、感謝の日というものがあって、子どもから父母に日頃の感謝を伝えます。そして、何でもいいのですが自分の心を込めたものを贈るのです」
「そうなのか。女神の国はまことに愛情深い」
頷いて微笑む国王こそ慈愛に満ちている。だが、肝心なことは何も伝わっていない。シェンバーやミケリアスが目を伏せたのを見て、イルマはもう一押しすることに決めた。
「私は五人兄弟ですが、毎年、年長の者から順に父母に感謝を捧げる決まりでした」
その場の視線が、一斉に長兄の王太子に向かった。エルダシオンは危うく茶を噴き出しそうになったが、何とか堪えた。
隣を見れば妃が期待を込めて頷き、逆からは弟たちの刺すような視線を感じる。ここでしくじれば、夫として、また兄としての面目は粉々になるだろう。下手な外交より緊張が走る。
エルダシオンは咳払いをして立ち上がり、父を真っ直ぐに見つめた。
33
お気に入りに追加
1,052
あなたにおすすめの小説
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
トップアイドルα様は平凡βを運命にする
新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。
ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。
翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。
運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。
【完結】もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。
本編完結しました!
おまけをちょこちょこ更新しています。
第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
本日のディナーは勇者さんです。
木樫
BL
〈12/8 完結〉
純情ツンデレ溺愛魔王✕素直な鈍感天然勇者で、魔王に負けたら飼われた話。
【あらすじ】
異世界に強制召喚され酷使される日々に辟易していた社畜勇者の勝流は、魔王を殺ってこいと城を追い出され、単身、魔王城へ乗り込んだ……が、あっさり敗北。
死を覚悟した勝流が目を覚ますと、鉄の檻に閉じ込められ、やたら豪奢なベッドに檻ごとのせられていた。
「なにも怪我人檻に入れるこたねぇだろ!? うっかり最終形態になっちまった俺が悪いんだ……ッ!」
「いけません魔王様! 勇者というのは魔物をサーチアンドデストロイするデンジャラスバーサーカーなんです! 噛みつかれたらどうするのですか!」
「か、噛むのか!?」
※ただいまレイアウト修正中!
途中からレイアウトが変わっていて読みにくいかもしれません。申し訳ねぇ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる