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第三部 父と子
第27話 憎悪②
しおりを挟むヘルムートの体が小刻みに震え、握りしめた手が白くなる。
「⋯⋯ならば、ご覧に入れたきものがございます。⋯⋯入れ! お連れせよ!!」
広間の扉が開かれ、一斉に第一騎士団の騎士たちが入ってきた。
騎士たちの乱入に貴族たちからは悲鳴と怒号が上がる。
「何故、第一騎士団が!」
「退け! ここをどこと心得る!!」
騎士たちに囲まれた中に、サフィードの姿があった。
ヘルムートの瞳が細められ、守護騎士が抱いているはずの姿が無いことに気づく。
「王子はどこにいった? 早く本物の王子を連れてくるのだ!」
ヘルムートの言葉に、騎士たちは答えなかった。それどころか誰一人動こうともしない。
怒りに燃えたヘルムートは真っ直ぐに走り、セツの腕を掴んだ。
「ひっ!!」
「セツっ!」
セツが剥がされかけたヴェールを必死に手で押さえる。
シェンバーがヘルムートを取り押さえようとすれば、ヘルムートはセツを羽交い絞めにした。
広間の貴族たちの中から、恰幅のいい男が転がるようにして前に出た。
「やめろ、ヘルムート!」
「叔父上⋯⋯」
「何と恐れ多い真似を! 陛下、殿下。どうぞ無礼の数々をお許しください。甥は我が兄を亡くした哀しみのあまり心の病にかかっております。一族を代表してお詫び申し上げます」
「グローデル伯爵」
「はい、陛下。まだ若い甥には悲しみが深く、当主の荷が重すぎたのでしょう。これからは私が侯爵家を支えて参ります。どうぞご厚情をもってお許しいただければと⋯⋯」
広間の中に、不意に花の香りがした。
夜更けにもかかわらず、窓の外に陽光が煌めく。
そして、軽やかなリュートの音が響き渡った。
「この音色は⋯⋯」
国王の瞳が驚愕に見開かれた。
扉が開く音がする。王族だけが通ることのできる獅子の扉から入ってきたのは、リュートを手にした青年だった。
人々の目に映ったのは、細身で小柄な青年の姿だった。
立ち襟の上衣と足首を覆う長めの下衣は、一際まばゆく輝く白絹。腰に金の飾り紐を結んだ青年が大広間を見渡すと、人々は息を呑んだ。
穏やかな雰囲気とは裏腹に、青年の姿は異様だった。この国では神殿で女神に仕える者たち以外に、白絹を身に着ける者はいない。
⋯⋯ただひとつ、女神の元に旅立つ時を除いては。
さらに、青年の衣装には剣を咥えた金獅子。──王家の紋が縫い取られていた。
誰も動くことが出来なかった。
名だたる将も、誉れ高い騎士たちも、暗夜を駆ける影でさえも。
シェンバーは名を呼ぼうとして、既のところで止めた。
⋯⋯イルマ?いや、違う。
青年は臆すことなく緋の絨毯の上を歩き、求める唯一人の前に立つ。
「ようやくお会いすることができました」
伸びやかな少し高い声は、青年の年齢に見合ったものではない。
「⋯⋯こんなことが」
国王は眉を寄せ、必死に目を見開いた。
自分の前に立つ者はイルマ王子の姿をしている。だが、この声は彼のものではなく、纏う輝きも全くの別人だった。
「長の年月、私の声にお耳を傾けていただくことができませんでした。女神の愛し子のおかげで、ようやく願いが叶います」
青年は一礼して、ゆっくりとリュートを爪弾いた。
大広間に、春の風のように優しい音が流れた。うららかな陽射しの中で風が吹き抜け、満開の花が散ってゆく。小鳥たちがさえずり、空はどこまでも広く澄んでいる。
⋯⋯怒りに満ちた日も、憂いに沈んだ日も、涙にくれた日も。
⋯⋯貴方の心が少しでも穏やかでありますように。貴方の眠りが心地よいものでありますように。
美しい音色の中に込められた祈りは、流れる水のように人々の心に沁みていく。
「⋯⋯ルーウィック」
国王の瞳からはとうの昔に涸れ果てたはずの涙が、幾つも零れ落ちた。
「⋯⋯愚かな私を、其方は責めないのか? ただ許すと言うのか?」
青年は跪いて微笑んだ。
「陛下。どうかもう、御自分を責めるのをおやめください。誰の罪でもありません」
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