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第三部 父と子
第18話 指輪①
しおりを挟むイルマの胸に懐かしい思いが込み上げる。女神の湖を臨む白亜の屋敷で半月を過ごした。
「それ、村の収穫祭の日⋯⋯だよね?」
「そうだ。あの朝、誰もが湖から白銀の鳥が羽ばたく姿を見た」
細かな波が一羽の鳥の姿を取り、大気の中に舞い上がる姿を。
水の粒が光を受けて煌めき、人々に吉兆を告げた。
「あの時、ぼくは湖で祈りを捧げて、女神の息吹を感じていた」
「私は湖畔屋敷からレイたちと湖を見ていた。あんな、戦場でもないのに背筋が総毛立つような思いをしたのは初めてだ」
あの光景がずっと忘れられなくて、とシェンバーは言った。
「本当は中身だけで良かったんだけれど、サウルが大切なものを入れるものにも力が宿る。護りになると言うんだ。まだ若い職人たちが離宮にやってきて、話を聞いていた。先日、ようやく出来上がったとサウルがここまで届けに来たんだ。⋯⋯イルマ、開けてみて」
イルマは頷き、美しい箱を静かに開く。
箱の中には真紅の布が敷かれ、二つの輝きがあった。
「シェン、これ⋯⋯」
シェンバーは、真剣にイルマの瞳を見た。
「スターディアには、伴侶に自分と同じ色を宿したものを贈る習慣がある。受け取ってもらえるだろうか」
イルマは言葉もなく、ただ頷いた。
箱の中から取り出されたのは、黄金の地に瑠璃色の宝石が嵌めこまれた細身の指輪だった。
シェンバーはイルマの指を取った。
剣を取る手は、どこも美しい男の体の中では驚くほど武骨だ。その手が、わずかに震えている。
イルマが目を上げれば真剣な表情がある。指に黄金の輝きが全て収まった時、安心したような吐息が聞こえた。
──まるで幼い子が何かをやり遂げた時みたいだ。
イルマがふふ、と笑うと、シェンバーも微笑んだ。
シェンバーは、イルマの手を取って、指先に口づける。まるで神聖なものに触れるような仕草だった。
「よかった。よく似合っている」
「ありがとう、シェン。とても綺麗だ」
輝く黄金の髪にスターディアの王家の瞳。美しい人を映した指輪は、細かく繊細な意匠がぐるりと施されている。嵌められた瑠璃色の宝石は、送り主と同様に、一際深い輝きを放つ。
箱の中には、もうひとつ。きらめく太陽の光があった。
「ごめんね、シェン。本当は、これはぼくからシェンに贈らなきゃいけないものだね」
「そんなことは気にしないでほしい。これは、スターディアの習慣だし。⋯⋯それに」
「それに?」
シェンバーは眉根を寄せて、声を落とした。
「贈りたかったのは、私だから。イルマは宝飾品をずっと受け取ってくれなかったから、この指輪までいらないと言われたら、どうしようかと思っていた⋯⋯」
──そんなことを思っていたなんて知らなかった。贈り物を返しても、いつも、わかったとしか言わなかったのに。
イルマは思わず噴き出した。
「この指輪は、婚姻の贈り物でしょう? いくら何でもそれを断ったりしないよ。他のものとは違う」
「うん。良かった、本当に⋯⋯」
心から安心した微笑を浮かべる姿に、シェンバーが本気で心配していたことがわかる。
真紅の布の上にある指輪は、金地にイルマのものと同じ意匠が施され、透き通った金色の宝石が輝いていた。
「黄玉は、太陽の輝きを集めた石だと言われていて、『希望』を現す。そう聞いた時、イルマにぴったりだと思った。⋯⋯イルマはずっと、私の希望だったから」
──暗闇を照らす明かりのように。いつだって君のことを想っていた。
小さな呟きに、イルマは幼いシェンバーの姿を記憶の中に探した。どことも知れぬ闇の中で出会った人は、まだ少年だった。
イルマはシェンバーの手を取った。どんな時も鍛練を欠かさない手は節くれだっている。
『6歳で剣を持ち、初陣は14歳。このクァランだった』
以前、広大な砂漠を眺めて言った姿を思い出す。
「ずっと、戦ってきたんだね」
「それが、当たり前だった」
シェンバーの手を取ったまま、イルマの瞳からは、ぽろりと涙が零れた。それがまるで光の欠片のようで、シェンバーは見惚れた。
「泣かないで、イルマ」
「うん、⋯⋯うん」
シェンバーは手を伸ばして、イルマの頬の涙を拭った。
イルマは、真紅の布の上からそっと、輝く指輪を取り上げる。少しずつシェンバーの指に嵌めながら胸がいっぱいになっていた。
付け根まですっかり収まった時、黄玉の指輪は静かで厳かな光を放つ。
シェンバーはしみじみと言った。
「これを着けていると、ずっとイルマと一緒にいるみたいだ」
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