109 / 202
第三部 父と子
第9話 面影①
しおりを挟む重厚な扉が音もなく開かれ、旅姿の一人の男がするりと中に入っていく。
部屋の奥にある机の前で、胸に勲章をつけた壮年の騎士が深く椅子に座り、南の離宮からの報告を待ちかねていた。
彫りの深い顔立ちに厚みのある鍛えられた体。太い眉の下の眼光は鋭く、気の弱い者なら逃げ出してしまいそうだった。
男は騎士の前に跪き、報告の為に口を開いた。
「シェンバー殿下の目が治ったと!? 真実か?」
「間違いございません。次の宮中舞踏会への出席もお決めになられました」
「陛下が主催なさる夜会か! 久々だとは思っていたが、もしや、あれは⋯⋯。第二王子の快復披露の為でいらしたのか?」
「本日の陛下からの急なお呼び出しも、その為でしょうか?」
騎士の後ろに控えていた副官が口を開いた。
「第二王子が快復されて夜会においでとなれば、参加者が膨れ上がる。その可能性は十分にあるだろう」
部屋の中に俄かに緊張が走り、騎士は続けた。
「陛下からお話を賜り次第、騎士団長たちを呼ばねばならぬ。当日の警備は倍に、夜会が滞りなく進むよう手配が必要だ」
シェンバー殿下が失明されたと聞いた時は耳を疑った。殿下は何ひとつ釈明されず、フィスタで何があったのかも一言も話されなかった。
そういえば、共に離宮に行かれたフィスタの王子はどうされたのか。
瞬時に考え込む騎士に、旅姿の男はさらなる情報を知らせた。
「フィスタの王子殿下も夜会に同行されるそうにございます」
「ご婚約者もご同行となれば、ますます話題には事欠かぬな」
敢えて、仕事が増えるな⋯⋯とは言わなかった。慶事であるのに余計なことを言うべきではない。
自分たちに大切なのは、己の役割を果たすことだけだ。
王子たちを安全にお守りすることこそが全てなのだ。
──そして。
「シェンバー殿下の代わりを務めて、何とか今日まで来た。とうとうお戻りになる日が来る⋯⋯」
王宮の一室で、感慨を籠めて深いため息がつかれた頃。
南の離宮では、安堵と感謝の声が溢れていた。
「⋯⋯サウル殿、本当にお疲れ様でした。素晴らしい働きぶりでした」
輝く碧青の瞳には心からの労りがあり、口からは優しい言葉が紡がれる。
「セツ様から、そんなお言葉が聞ける日が来ようとは」
商人は、思わず浮かびそうになる涙を堪えた。
御用聞きに伺いながら、美しい侍従にどこか冷たい態度を取られ続けてきた日々が懐かしい。
この一か月、自分と兄弟たちは国中を駆けまわり、数年分の仕事をやりとげた。
だが、まだ大事は終わっていない。
夜会を無事に終え、殿下たちの喜びのお声を聞いた時にはじめて、此度の責務が完了したと言えるのだ。
「ありがとうございます、セツ様。僭越ながら、これは私どもからセツ様への気持ちにございます」
商人が傍らに置いた箱の中から包みを出す。
セツの柳眉がピクリと跳ねた。
「前にも言ったけれど、私には何も必要ありません」
「⋯⋯大事な時に身に着ける護りと言うものがございます。殿下方には十分力のあるものをご用意させていただきました。王宮にご同行されるセツ様にもぜひ」
「護り⋯⋯」
セツは、商人の手から包みを受け取った。
「ご無事でのお帰りをお待ちしております」
サウルの笑顔に、セツはありがとう、と小さく呟いた。
「こんなにたくさん、持っていけるんだろうか⋯⋯」
イルマの口から、思わず唸り声が漏れる。
目の前には、山ほどの荷が積まれている。
夜会のために用意されたものだけでなく、王宮滞在中に必要なものをとシェンバーが言ったために、予想以上の品が用意されていた。
「一日で帰ってくるわけにはいきませんからね。それに、陛下からは、しばらく滞在するようにとのお話なんですよね?」
「うん。半月位は王宮にいることになりそうなんだ」
父から特に申し添えられてきている、とシェンバーは言った。
「考えてみればさ。ぼくたち、スターディアに来てすぐ、部屋に引きこもったじゃない?」
「ええ、さっさとフィスタに帰るのを決めて、帰国の準備に没頭しましたよね」
王宮にいた数日間、イルマたちはほぼ、誰にも会わなかった。しかも、その後はサフィードも含めて3人で夜逃げだ。
「あの時はまさか、シェンと結婚するなんて思いもしなかったな」
「王宮に行ったら、まずはご挨拶からですね⋯⋯」
セツの言葉が重い。
国王陛下にすらろくに挨拶をしていない現実が押し寄せる。
「⋯⋯案ずるより産むが易し」
ルチアがよく口にしていた言葉を、イルマは呟いた。
43
お気に入りに追加
1,055
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした
たっこ
BL
【加筆修正済】
7話完結の短編です。
中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。
二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。
「優、迎えに来たぞ」
でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。
【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜
倉橋 玲
BL
**完結!**
スパダリ国王陛下×訳あり不幸体質少年。剣と魔法の世界で繰り広げられる、一風変わった厨二全開王道ファンタジーBL。
金の国の若き刺青師、天ヶ谷鏡哉は、ある事件をきっかけに、グランデル王国の国王陛下に見初められてしまう。愛情に臆病な少年が国王陛下に溺愛される様子と、様々な国家を巻き込んだ世界の存亡に関わる陰謀とをミックスした、本格ファンタジー×BL。
従来のBL小説の枠を越え、ストーリーに重きを置いた新しいBLです。がっつりとしたBLが読みたい方には不向きですが、緻密に練られた(※当社比)ストーリーの中に垣間見えるBL要素がお好きな方には、自信を持ってオススメできます。
宣伝動画を制作いたしました。なかなかの出来ですので、よろしければご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=IYNZQmQJ0bE&feature=youtu.be
※この作品は他サイトでも公開されています。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる