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Ⅳ.道行き

第14話 真実②

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 ◇◆




「これでも私は、貴方がスターディアにいらっしゃるのを楽しみにしていたんですよ。散々用心していたのに、前日に薬を盛られました。スターディアとフィスタの結びつきを快く思わない者の仕業でしょう」
「⋯⋯フィスタが、小国だからですか」
「ええ。第二王子は、もっと使があるはずだ。名門とはいえ、小国との結びつきだけではもったいない。そう主張する者たちがおります」

 女神の国であるフィスタの名は、各国に知れわたっている。
 しかし、信仰の対象ではあっても、直接的な利益は少ない。
 スターディアほどの国力があれば、さらに国益が増す国と結びつきたいのは当然だろう。

「正気に戻った時には、貴方から婚約解消を告げられていた。貴方と話をしようにも断られるばかりで、仕方なく部屋に押し入りました」

 ⋯⋯ああ、覚えている。王子と扉の引っ張り合いをしたんだ。

「記憶の中でおぼろげになっていた瞳の色は、確かに、昔見た色だと思った。ところが、貴方には部屋から追い出され、さらには城からも逃げられた。培ってきた自尊心は粉々に砕け、心底憎いと思いました」

 ⋯⋯可愛さ余って、憎さ百倍ってやつだろうか?
 こんな時にどうかと思うが、そんな言葉が浮かんだ。

「私は、いつの間にか死の淵から救ってくれた幼い子どもに希望を抱いていた。貴方に勝手に面影を重ねていたのです。⋯⋯だから一層、逃げる貴方が許せなかった」

 自嘲するような言葉が続く。
 窓辺を覆った布がはためいて、部屋の中を風が通り抜けた。
 美しい顔は、寂しげに歪んでいた。

「それで、フィスタに留学を⋯⋯」
「あまりに見事に逃げられたので、追いかけてやろうと思って。一緒に過ごしてみたら、貴方は予想以上に面白かった」

 ぼくはもう、何を言っていいのかわからなかった。

「ぼくはてっきり、王子は噂通りの方だとばかり思っていました。言ってくだされば⋯⋯」
「初対面から、婚約者を出迎えもせずに女とベッドにいたんですよ。そんな男の言い分を、殿下は聞いてくださったのですか?」

 シェンバー王子は、くすりと笑った。


 ⋯⋯返す言葉もない。
 王子の話に頭から聞く耳を持たなかったのは、ぼくだ。


 ルチアの言葉が、よみがえる。

 よろしいですか、イルマ様。
 人は、見かけによらぬもの。噂だけで判断してはいけません。
 自分の目ほど曇りやすいものはないのです。

 本当に、ぼくは馬鹿だった。
 何もわかっちゃいなかったんだ。



「貴方には、嫌な思いをさせました。⋯⋯申し訳なかった。父とフィスタの国王陛下には、私から婚約解消を申し出ます」

 王子は、見えない瞳で、まるで眩しいものを見るようにぼくを見た。

「貴方が戻られて本当によかった。生きてください、殿下。これからは、自分のために」


 自分の、ために?


「⋯⋯王子だって」
「殿下?」
「貴方だって、自分のために生きていいはずだ」

 ぼくは、シェンバー王子の前に跪いた。
 膝に置かれた手に触れる。
 毎日、稽古を繰り返してきた手だ。繊細な美貌に似合わぬ、武骨な手。
 湖畔屋敷でも決して、鍛練をおこたらなかった。

「生まれた順番だけで、国に好きに使われて」

 たった一つの我が儘が、ぼくとの結婚だっただなんて。

 目の前が滲む。
 涙が頬をこぼれ落ち、王子の手を濡らした。

「殿下こそ、フィスタのために女神のもとに行かれたくせに」

 幼い時と同じように、シェンバー王子は、ぼくの涙を指で拭う。
 言葉とは裏腹に、とても優しい仕草だった。

 ぼくは、王子の手を握りしめた。

「暗闇の中でも、女神の光の中でも、一緒に帰ってきたのに。なぜ、一人だけで国へ帰ろうとするんです? 見えない瞳のまま国に帰って、誰が貴方を守ってくれるんですか!」

 シェンバー王子は、何も答えようとはしなかった。





「ユーディト」
「イルマ」

 仕事に追われている宰相補佐官を、ぼくは王宮の庭に呼び出した。
「忙しいところ、ごめん。話さなきゃいけないことがあるんだ」

 ユーディトは、静かに言葉を待ってくれる。

「⋯⋯以前、好きだと言ってくれて、ありがとう。本当に嬉しかった。返事もせずに、いなくなってごめん」
「イルマ⋯⋯」
 ユーディトの瞳が、痛みを含んだ色を湛える。

「ぼくは⋯⋯自分が祝福の子だと知ってから、ずっと怖かった」

 祝福の子は、長くは生きられない。

 誰かを好きになっても、一緒に時を重ねることが出来ない。
 そんなぼくのことなんか好きになっても、仕方がないだろう。
 ⋯⋯いなくなるのに。一緒に、明日を夢見ることも、共に歩むことも出来ないのに。ずっと、そう思っていた。

「人を好きになることも、好きになってもらうことも、ずっとずっと怖かったんだ」

 誰にも言えなかった言葉を、一息に吐き出す。
 ユーディトが、慰めるように優しく、ぼくの背中を撫でた。

「⋯⋯俺は、先のことまで考えてなんかいなかった。イルマが笑ってくれたら毎日が楽しくて、自分を見てくれたらもっと嬉しい。ずっと、イルマに自分のことを好きになってほしかった」

 ユーディトが、ぼくを見て微笑んだ。

「イルマがいなくなってから、情けない話だが、仕事もうまくできなかった。自分で自分を痛めつけて、何も見えなくなって、父に怒鳴られた。殿下が戻ってきたら、ずっと泣き暮らしていたと言うつもりかと⋯⋯。それで、目が覚めたんだ。イルマが戻ってきた時に、少しでも恥ずかしくない男になりたかった。
 もう一度と踏み出してみたら、あちこちに、イルマのことを思う者たちがいた。あらためて、この国が好きだと思った。優しい人々、穏やかな空気。小さな国だけど、イルマが必死で守ろうとしたこの国を、俺も守りたいと思ったんだ」

「ユーディト⋯⋯」
「イルマは、俺を友人だとしか思っていないだろう。だが、それでもいい。俺が、イルマのことを好きなだけだから」

 翡翠色の瞳は、昔と変わらず、穏やかな愛情を向けてくれる。

「あのね、ユーディトは、王立学校で初めて出来た友達なんだ。王宮の中での日々しか知らなかったぼくに、ひとつひとつ色々なことを教えてくれたよね。ユーディトがいてくれたからこそ、ぼくは新しい世界で楽しく過ごすことができた。いつでも、真っ先に手を差し伸べてくれて⋯⋯。本当に、感謝してる」

 ぼくは、ユーディトの目を見て、はっきりと告げた。
「⋯⋯ごめん。ユーディトのことは、誰よりも大切な友人だと思っている」

 一瞬、ユーディトの目が揺らぐ。
「⋯⋯そうか。⋯⋯わかった」


「ぼくのことを好きになってくれて、ありがとう。ユーディト」





 ぼくがユーディトの前から去った後、柱の影から現れた者がいた。
 見慣れた姿に、ユーディトがため息をつく。

「⋯⋯見てたのか」
「たまたまです。ちょうど、通りかかったものですから。ユーディト様、頑張りましたね」
 今日までのユーディトの努力を、シヴィルは褒め称えた。

 ──たとえ報われなくても。この誠実な従兄弟いとこは、精一杯、自分の力を尽くしたのだ。

 ユーディトは、大きく息を吐いた。

「⋯⋯シヴィル。今夜は、飲むぞ!」
「もちろん! いくらでも、お付き合いしますよ!!」

 宰相府の役人数名が、一晩中飲み明かしたあげくに、酔いつぶれて仕事に来なかった。その話を聞いた宰相は烈火のごとく怒り、雷を落とした。
 一人息子の勘当騒ぎが起きたと人々が知ったのは、ずいぶん後のことになる。
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