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Ⅳ.道行き

第8話 湖上祭②

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 湖上祭。
 四年に一度、女神への感謝を捧げる祭り。

 王家と神殿が力を合わせて行う祭事の為、文武の官僚たちだけでなくフィスタの多くの貴族が参加する。
 女神への感謝と敬愛を捧げるとあって、信仰を持つ者たちが遠方からも多く集まるものだ。
 今年は時期がずれたこともあり、例年のように大規模な開催は見送られることになった。王族に神官たち、一部の官僚の参加のみと勅旨が下った。

 祝福の子を得た女神が再び湖に降り立つのか、誰も知らない。

 常ならば、祭りは秋の始まりに行われる。一年で月が最も美しく輝く時期に。
 はるか遠くから行商人たちが集い、屋台が立ち並び、数日前から湖の周囲は熱気にあふれかえる。
 当日は人々が女神と王家への敬愛を口にして、花々が湖に撒かれる。楽の音と踊りは絶えることがない。

 今年は全く様子が違っていた。湖の周囲は静まり返っている。
 王族と神官と官僚たち。それに、わずかな村人たちが祈りを捧げながら岸辺に集う。
 華やかな雰囲気はどこにもなかった。



 祭りの二日前。
 シェンバー王子に付いて、セツとレイも女神の湖に到着した。

「ここで⋯⋯村の祭りがあって、みんな仮装なんかしてたのに⋯⋯」
 セツが湖を前にして、誰にともなく呟く。

「セツ様、思い出探しをなさってる場合じゃないですよ」
「レイだって、あんなに可愛かったのに。こんな生意気な口を聞くようになって⋯⋯」
「子どもは大きくなるのが仕事だってイルマ殿下はいつも仰ってましたからね! さ、セツ様、急いで⋯⋯セツ様?」

 急に黙り込んだセツを見れば、大きな瞳に涙が溢れそうになっていた。レイは、自分の失言に気づいて慌てて謝った。

「セツ様、そんなつもりじゃなかったんです。すみません、泣かないで⋯⋯」

 声もなく泣きだしたセツの涙を布で拭ってやりながら、レイは優しく声をかけた。
 しっかり者で、結構気が強い癖にすぐに泣く。三つも年上なのに全然年上っぽくない。
 レイは、そんなセツに誰よりも寄り添っていた。主を大切に思うセツを見習ってきたのに、自分が迂闊な発言をしたことがたまらなく申し訳なかった。

「ねえ、セツ様。きっと、イルマ殿下はお帰りになりますよ。その時にセツ様が泣いていたら心配なさるでしょう? 笑ってください」
 こくりと頷くセツに、レイはほっとして笑顔になった。



「満月の夜に、女神は降臨される」

 ラウド王子は、居並ぶ者たちにはっきりと言った。

「日を合わせ、時を合わせ、満月が中空に一番高く昇る時。そこで、女神においでいただく。舞と楽と歌を持て。力を合わせて祈りを捧げよ」

 過去に何度か道がかかったことがある。
 宰相の湖畔屋敷には、わずかに記録が残っている。シェンバー王子が調べたものだ。その中で、ラウドが注目したのは歌だ。

 “希代の謳い手の元に、白銀の橋が架かる”

 神官たちの中から、詠唱する者を厳選した。

 そして、国王には別の言葉を告げた。
「女神の道が開いた時に、イルマと女神の名を呼んでください」

 女神の名を呼ぶことは、王族の名を呼ぶよりもさらに不敬とされる。ただ一つの場合を除いて。

 逡巡する父を励ますように息子は言った。
「父上、時をたがえてはなりません。道は儚く、すぐに失われると記録にあります」





 祭りは宵闇が迫る頃に始まった。

 至る所にかがりが焚かれている。
 湖を前に大きなやぐらが組まれ、まず、国王が感謝の言葉を捧げる。

 続いて神官長が女神への祝詞を上げ、神殿で選ばれた神女たちの舞が披露された。
 遥か昔の女神の降臨を模した舞は、白銀の鳥たちが舞う様子を現している。
 舞の最後に、湖に花が次々に投げ込まれる。白い花々は月明かりの中、煌めきながら落ちていく。

 冬の凍てつく星の中、闇の中に輝く月だけがひときわ明るい。

 神官の一人が、女神への詠唱を始めた。
 櫓の上から高く低く、澄んだ声は、まっすぐに湖面に流れていく。

 それぞれの心に祈りが溢れた。

 セツとレイ、サフィードは岸辺で村人たちと共に祈っていた。

「女神様、全ての感謝を捧げます。ですから⋯⋯ですから」

 セツの声は震えていた。レイは隣でセツの手を励ますように握りしめる。
 サフィードの瞳は、湖を一心に見つめていた。

 ユーディトとシヴィルは、王子たちの後ろに控えている。
 シェンバー王子は、王太子の隣で、詠唱を行う神官を見つめていた。





 暗い湖面にわずかにさざ波が立った。
 煌めくのは月明かりなのか、花々なのか。

「あれは⋯⋯」

 闇の中に浮かぶ灯のように、月を映した光が少しずつ大きくなっていく。湖に投げ入れられた花々が、湖面に落ちた星のように輝き出す。
 風もないのにゆっくりと渦を描き、散らばった煌めきが一点に集まった時。

 暗闇に白銀の光が大きく輝き、形をとった。

 サフィードとシェンバー王子の目に、忘れることもできない光景がよみがえった。
 光と水が人形ひとがたを成したあの日。

「女神!!」


「詠唱を続けよ! 決して絶やすな!! ⋯⋯みな、祈れ!!」

 人々の動揺を察したラウド王子の声が、その場に響き渡る。

 神官たちの声が次々に重なる。
 人々は一斉に白銀の女神に額づき、祈りを捧げた。

 女神の体から白い光が溢れる。
 足元の光は、細くおぼろげに岸へ向かおうとしていた。歌い手の立つ櫓の元へ。

 それは確かに、道だった。
 頼りなく、わずかに足元を照らすような淡い光。


「名を! 今です、陛下!! 名を呼んでください!!!」

 ラウド王子の絶叫に、国王は我に返った。

「女神ラスシュタ!! 我らが女神よ!」
 湖に大音声が響く。

「貴女の祝福を⋯⋯イルマを! どうか我等にお返しください!!」


 白銀の光が、人々の目を貫くように辺り一面に輝き、暗闇を切り裂いた。

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