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Ⅳ.道行き

第6話 伝説②

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「⋯⋯月の夜に道なき道を探せ」
「何だ、それは」
「古代ガッザーク語の専門家が研究している伝説の一部ですよ。王子が約束を守って湖に立てば、女神は道を示すはずだった。女神の元に帰る道を」

 ラウド王子は、考え考え、言葉を紡ぎ出す。
「もし、イルマが女神の元にいるのなら」

「いるのなら?」
「道をたどって、奪い返しに行けばよいのです」

 にっこり笑う王子の耳に、兄たちの叫び声が響いた。

「お前は何を言っているんだ!」
「伝説では、人々が王子を取り返した結果、国に災いが起きたのだろう!?」


「乗り越えればよいではありませんか」

 それまで黙って聞いていたシェンバー王子は、瞳に強い光を宿して言った。

「実りも繁栄も必要ない。ただ、王子を返してくれと女神に願い、災いが降りかかろうとも乗り越えればよい」

 唖然とする王子たちに、けろりとした顔で弟王子も言った。

「私もそう思います。それに、女神との約束を違えたことを神々はお怒りになったのでしょう? ならば、そもそも約束しなければいい。女神に『祝福の子』は、もう無しにしてくれと頼みましょうよ」

 玉座から、国王が立ち上がった。

「そんなことが⋯⋯できると思うのか、ラウド」
「やってみなければ、わかりません。ただ、旅の果てに一つの答えが見つかった時、弟が湖で消えたと聞きました。父上、私はここで諦めたくないのです」

 息子は父の瞳をまっすぐに見つめた。

「繁栄も実りも、もう十分ではありませんか。恩寵の果てにどれだけの悲しみがあるのです。たとえイルマが戻らなくても、私は女神に言いたいのです。もう『祝福の子』はいらない、と」

 ラウド王子の言葉に、誰も何も言わなかった。

「私達はもう、自分の足で歩いていくべきです」

 国王は玉座に戻り、両手を組んだ。
「⋯⋯女神への道は、どうやって見つけると言うのだ」

「湖上祭を行いましょう。時期外れかもしれませんが、今年はまだと聞きました。満月の時に女神は湖に降臨される。フィスタの伝説にもありますが、何よりもイルマがいつも言っていました。湖上祭には女神は必ずおいでになると」

「⋯⋯湖に道がかかるかもしれないのか」

 森の湖の女神が、愛する王子を送り出した道が。

「道がかかるかどうかは、賭けのようなもの。そして、道がかかったとしても、渡れるのかどうかもわかりません。それでも神ならぬ我等は、わずかな可能性に賭けるしかないと思うのです」



 王の間を辞したシェンバー王子は、自室に戻る廊下を歩いていた。
 シェンバー王子の脳裏に、懐かしい記憶が浮かぶ。

「女神様は、とても優しい方。そして、寂しい方なのだそうです」
 幼い頃、乳母は言った。

 器用に粉と卵と水を混ぜて折り重ねながら、まるでおとぎ話を語るように。乳母の隣で、ねだった料理が出来る様をわくわくしながら眺めていた。

「なぜ、めがみさまは、さびしいの?」
「誰も一緒にいらっしゃらないからだそうですよ。深く美しい湖にお住まいでも、どなたもお側にいないから」

「めがみさまは、ひとりなの?」
「ええ。だからね、地上の気に入った方を、時々お側に呼んでしまうのですって」

 乳母は、伸ばした生地の上に魚を置き、さらにもう一枚、生地を重ねる。重ねた生地の端をねじるようにして形を整えていく。
 いつもは流れるような動作に見惚れるのに、それどころではない。初めて聞くその話が、ひどく恐ろしかった。

「⋯⋯こわい」
「フィスタに伝わる昔話です。私の母が、一度だけ話してくれました。女神に愛された子が生まれると、国は栄える。ただ、いつのまにか女神の元に行ってしまうと。大丈夫ですよ、シェンバー様。ただのお話ですもの」

 乳母の母は、フィスタの貴族の出身だった。
 あの話は、祝福の子のことだったのか。

 収穫祭から一年がたつ。イルマ王子が消えた湖。

 ⋯⋯ひらりひらりと、掴めそうなのに、いつの間にかすり抜けていく人。
 今度こそ、あなたをつかまえることが出来るだろうか。


「湖上祭」

 その言葉が毎日のように王宮の人々の口にのぼるようになるまで、日にちはかからなかった。
 元々宮中行事の一つなので、官僚たちは粛々と準備に励んでいた。イルマ王子の不在が影を落としたまま延び延びになっていたのだ。
 ラウド王子の進言で人々は動き出す。

 宰相アディ―ロは、湖畔屋敷での準備を含め、ユーディトとシヴィルに当地に一足先に行くよう促した。
「その調子では、気を紛らすために無理を押して働き、揃って倒れるのが目に見えている」
 まるでお見通しだと言うような発言に、二人は顔を見合わせ、深々と頭を下げた。
 
「ユーディト様、一年ぶりですね」
「私は半年ぶりだ」
 それぞれに、湖に思いを馳せる。


 ユーディトは、春に湖畔屋敷を訪れていた。
 遅い春が訪れようとしていた女神の湖は、穏やかな佇まいだった。雪解け水の流れ込む湖に入ることは出来ず、湖畔からいくら叫んでも、返事はなかった。

 黒髪の騎士は、静かに側にいてくれた。
 宰相の息子と騎士は、ただ黙って青い湖を見つめ続けた。








  ゆらゆらゆら。

  たくさんの泡が登る。

  きらきらきら。

  光がはるかな上ではじける。

  たくさんの声があるようにも。

  なにもないようにも思える。

  ただあたたかく、まどろむように。

  やわらかな手のなかに、囚われている。

  水の上を見ようとすれば。

  やわらかな手がそっと、目をふさぐ。

  あの光の上に、なにがあったのか。

  すこしずつ、すこしずつ忘れてゆく。

  だいじなものがあったはずだと。

  この胸が、たしかに、痛むのに。

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