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Ⅳ.道行き

第2話 贄② 【シェンバー王子視点】

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 どんなに探しても、イルマ王子は見つからなかった。

 屋敷から、村から、領地から、人が集められた。
 誰とは言わず、人が湖にのまれたと伝えた。

 舟が出され、何人も代わる代わる水の中に潜って探す。冬の湖に長時間潜ることは出来ないからだ。
 泳ぎの名人と言われた人々はみな、声を揃えて言った。

「見たこともないほど、穏やかで水が澄んでいます。水もこの時期にしては冷たくない。しかし、何もいません。魚の姿さえ見当たらない」

 冬の湖にのまれたら助からない。その言葉は誰も口にしなかった。





 帰城せよ、との勅使が湖畔屋敷にやってきて、ようやく王宮に戻った。

 セツだけは湖畔屋敷に残ると言って聞かず、ユーディト殿が自ら王に釈明することになった。

 王の間に呼ばれたのは、湖畔屋敷に集った面々だった。
 私にユーディト殿。守護騎士とシヴィル。
 王と宰相以外は、人払いがされている。

「イルマ殿下を目の前でお助けできなかった罪は、万死に値します」
 騎士の命と言われる剣が、玉座の前に捧げられた。

「主を助けられなかった者は、もはや守護騎士ではない。この身をもってあがなえるとは到底思えませんが、死を賜ることが叶うなら幸甚にございます」
 憔悴しきった騎士は跪き、額ずいて王に願った。

「其方の罪ではない。⋯⋯そもそも、女神の思し召しに逆らえる者がいようか」
 国王の言葉は、静かに部屋に響く。

「『祝福の子』の守護騎士は御子がいなくなった後、何人なんびとも罪には問わぬ。それが昔からの王家の習いだ」
 黒髪の騎士の体が震えた。

「陛下。どうかお聞かせください。祝福の子とは何なのです。女神に愛された子、この国に恵みを呼ぶ存在。そう聞いてきました。なのに!」
 悲痛な言葉が響く。

「宰相の子よ。其方は見たのであろう。祭りの日の朝に何が起きたのかを」
 王は騎士の質問には答えず、まっすぐに視線を向ける。


 うつむいていたユーディト殿は、蒼白な顔を上げた。

「陛下⋯⋯」



 ──祭りの朝、確かに自分は見たのだ。
 湖に光が差し込み、波が金の鳥となって舞った時。
 女神への詠唱を行う王子の姿が徐々に透けていくのを。

 足元が、手先が、髪が。
 大気の中に少しずつ溶けていく。
 湖に、女神の元に、光の粒となって吸い寄せられていく。

 引き止めなければ、と思った。
 このままでは消えてしまう。イルマ王子が、この世から。大事な大事なイルマが。
 だから、叫んだ。自分の全てをかけて伝えた。

 好きだから、行かないでくれ、どこにも行かないでくれ。
 ずっと言えなかった言葉に、自分の想いの全てを込めた。

 うっすらとした輪郭の腕を掴む。胸の中に抱きしめれば温もりがあった。
 透けていた体は少しずつ色を取り戻す。気づいた時には、腕の中でイルマは眠っていた。
 体の震えが止まらない。腕の中にいる存在を確かめて、ずっと抱きしめていたかった。


 ユーディト殿が少しずつ語る言葉を、その場にいた者は皆、押し黙って聞いていた。


「⋯⋯これから先の話は、他言無用だ。王家の者と宰相しか知らぬこと。聞いたことを漏らす者は、過去例外なく処分された。それでも其方らは知りたいか?」
 その場にいた者は、全員頷いた。

「シェンバー王子、貴方も同様だ。よろしいか?」
 迷うことなく頷く。

「祝福の子は、フィスタの王族のみに生まれる。この国に恵みをもたらすための、にえだ」

 にえ

 王は、静かに語り始めた。

「いつの時代からか、王族の中に、時折女神の恩寵を受けた子が生まれた。
   彼らは、例外なく黄金色の瞳を持つ。それは、幸福と繁栄を約束する者の証だ。その子が生まれた時、気候は穏やかになり嵐は止む。
   大地は潤い実りは豊かで、家畜はたくさんの子を産む。女神の守護と庇護は、あまねく国の隅々まで行き渡る。

 イルマが生まれた日。
 何日も続いていた嵐がぴたりと止んだ。雲間から陽光が差し込み、枯れた井戸に清水が湧く。北の大地一面に花が咲いた。次々に入る報告を聞きながら、まだ目も開かぬ我が子を抱いて祈った。
 どうか、頼む。
 上の子どもたちと同じ、青い瞳であってくれ、と。
 赤子が目を開けた時、絶望という言葉を知った。自分の指を握る小さな手が、女神の呪いを受けるのかと涙が溢れた」

「呪い?」
 シヴィルがぽつりと零した。

「祝福の子は⋯⋯。ある日突然、この世から消える。前触れもなく、出かけたきり姿が見えなくなる。目撃した者もいる。どれも同じだ。滾々とわく泉や、湖の前で消えると。

 どの祝福の子も二十歳を越えはしない。

 ⋯⋯イルマの前は、私の伯母だったそうだ。父の長姉が姿を消した時、祖父は国中の泉を埋めようとした。人の命の源である水を断つなど出来るわけもなかったが。初めての子を喪った悲しみは深く、長く患って崩御された。

 何を祝福と呼べばいいのかわからない。この国は小さい。女神から受ける恩恵なくして生きていけるのか。ただ、同族を喪って悲しみの中に年月を過ごすのは呪いだろう。祝福の子は贄だ。そう言ったのは父王だった」


「⋯⋯戻った子は、いないのですか」

 話の末に、ようやく、それだけを聞くことが出来た。

「私の知る限りでは、一人もいない」

 王の声だけが、静かに響き渡った。
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