42 / 202
Ⅲ.祝福の子
第14話 湖②
しおりを挟む「ぼくは驚いているんです。貴方がフィスタに来て、もうじき2ヶ月になる。スターディアとフィスタでの貴方は、違いすぎる」
仮面をつけたシェンバー王子の表情は読めない。
「⋯⋯女神の坐す地は、居心地が良すぎます。私が必死で付けた仮面も、日に日に意味がなくなっていきます」
王子は自嘲したように笑う。
「これも、『祝福の子』がいるからですか?」
「なぜ、それを」
「山間の村でも、湖の村でも、民が噂している。女神に愛された王子がいて、その子がいるから気候がよく、恵みが多いのだと。ただの迷信にしては、確かに空気が違う。貴方が祝福の子なのですね」
「⋯⋯そう呼ばれています」
王子の瑠璃色の瞳が、静かにぼくを見つめる。ぼくは黙って視線を返した。王子は手に持っていた竪琴を長い指で爪弾き、夜の静寂に美しい旋律が流れていく。
「殿下、今宵は特別な夜です。女神に感謝を捧げましょう。⋯⋯神子の舞を、踊れますか?」
それは、耳に馴染んだ音楽だった。
シェンバー王子が奏でたのは、女神に奉納する舞の楽曲だ。四年に一度の湖上祭では、その年に選ばれた神女たちが女神に舞を捧げる。幼い頃、神女たちに交じって一度だけ共に踊ったことがあった。
ぼくは頷いて立ち上がり、羽織っていた上掛けを脱ぐ。
シェンバー王子は微笑んだ。
「貴方の舞なら、女神は喜んでお受け取りになることでしょう」
月明かりに水面が煌めいている。わずかに湖面が波立つ。
ぼくは、女神の湖に向かって一礼した。シェンバー王子が竪琴を奏で、湖に向かってゆっくりと音が流れていく。
水の精霊の衣装は軽い。軽やかな音に合わせて一歩踏み出せば、白銀の衣装がふわりとひらめく。
湖面にさざ波が立ち、宙の星々の輝きを映したかのように輝いた。
──ああ、なんて気持ちがいいのだろう。
空気の冷たさは少しも感じなかった。
いつのまにか、世界には、ぼくと王子と竪琴の音だけだ。
舞い終わった瞬間、湖の真ん中で大きな波が起こった。湖面の光が細やかに宙に舞い上がる。
ぼくはその時、確かに女神の歓喜の声を聞いた。
「⋯⋯殿下には驚かされてばかりです」
「それは、ぼくも同じだけど」
乱れた息を整えていると、ふわりと肩に上掛けをかけられた。
「あ、ありがとう⋯⋯」
思わず上ずった声が出て、何を戸惑っているんだと自分に問いかける。
「⋯⋯山賊たちをね、探していたんです」
王子がぽつりと漏らす。
「山賊?」
「湖畔屋敷に来る前に、馬車を襲った者たちです。フィスタの騎士団に捕まった者もいますが、逃げた者もいる。彼らがどうしているのか。ずっと気になって行方を追っていました」
「全然、知らなかった⋯⋯」
ふふ、と王子は微笑んだ。
「⋯⋯今日、彼らの頭を務める者と話すことができました。わずかな時間でしたが」
「もしかして、昼間、屋敷にいなかったのは⋯⋯」
シェンバー王子は頷き、ぼくの瞳を真っ直ぐに見た。
山賊たちは、元はスターディアの下級騎士たちだ。国を追われ、他国に身を潜めた者たちの成れの果て。
「彼らは二度と故国には戻れない。フィスタでこれ以上罪を重ねない代わりに、スターディアから追っ手をかけることを止めさせると約束しました。山に潜まずにすめば、他で生計をたてることもできましょう。甘いとお思いになるでしょうが。⋯⋯殿下には、どうかそれでお許しいただけないでしょうか」
王子の瞳には、真摯な色があった。
「どうして、ぼくに赦しを?」
「思いがけず、殿下を危険な目に遭わせてしまいました。これは私の落ち度です。つらい思いをさせてしまって、ずっと申し訳なく思っています」
山賊たちのことを山間の村の長に聞いた時、王子の瞳は揺れていた。
「もう済んだことだと思っていたし、王子は助けに来てくれた。許すも何もないよ。それに、つらいのは⋯⋯ぼくじゃない」
「殿下?」
「王子はずっと、彼らを救いたかったんでしょう? だから⋯⋯もう、いいんだ」
シェンバー王子は目を瞠り、睫毛を震わせた。そして、そっと目を伏せた。
「⋯⋯感謝します、殿下」
人は、簡単には人を救えない。騎士団の中で、及ばぬ力に何度も歯噛みをしたことだろう。
ぼくたちは、それ以上は何も話さなかった。ただ黙って、銀色に輝く湖面を見つめていた。
数日後。
湖畔屋敷での日々を終え、ぼくたちは城に帰ることになった。
屋敷の人々にも、村の人々にも、十分よくしてもらった。あと一刻ほどで出発する。
「皆さん、お支度は出来ましたか?」
シヴィルの確認する声が聞こえる。
「ねえ、シヴィル。最後に、湖で祈りを捧げてきてもいい?」
「構いませんよ、殿下。少々お待ちください、サフィード殿をお呼びします」
「いや、いいよ。サフィードは馬と馬車の様子を近衛たちと確認しているだろう? セツたちも荷物をまとめているし、ユーディトやシヴィルには最後の挨拶に来る人々がいるし。暇なのは、ぼくぐらいだ」
あ、もう一人いた。庭に出ると、湖を眺めるシェンバー王子に会った。
「おや、殿下。どちらへ?」
「湖に祈りを捧げに行ってきます」
「⋯⋯では、私もご一緒に」
ぼくは、首を振った。
「いいえ、今日は一人で行きたいのです」
戸惑う王子に微笑んで言う。そう言えば、最近は王子の誘いを断ったことはなかったな。
「ここに来て、貴方とたくさん話せて良かった。フィスタでの貴方は、スターディアにいらっしゃる時より、ずっと素敵でしたよ」
王子の頬がうっすらと赤くなった。こんな顔を見るのは初めてだ。
黙り込む王子に手を振って、湖への道を一人で下る。
湖は変わらず美しかった。『女神の刺繍』と呼ばれた景色を、しみじみと眺める。
ユーディトと見た、あの日の朝のように。日輪が差し込み湖面に光の波が立つ。
「シェンバー王子に伝えられて良かったな」
ぼくは、誰に言うともなく呟いた。そして、昨夜言い損ねたことを思い出した。
スターディアとの婚姻を承諾した理由は、国の為になるからだけじゃなかった。
「節操無しの王子なら、結婚してもいいかなって思ったんだよ。だって、すぐに、次の人を見つけるでしょう」
跪いて湖を見れば、波が大きくうねっている。
「⋯⋯刻限ですね、女神」
女神への詠唱を始める。
湖面に立った光の波は渦を巻き、竜巻のように大きく水の柱を作る。大きく飛沫が舞い上がり、水柱は次の瞬間、人の形をとった。足元までの長く輝く髪に、湖に広がる白銀の衣。
女神の差し出した腕は光の水となって、ぼくに真っ直ぐに向かってくる。
立ち上がったぼくの全身が、まばゆく光る水に包まれた瞬間。
「殿下っっ!!」
最後に、ぼくを呼ぶ声が聞こえた。
50
お気に入りに追加
1,052
あなたにおすすめの小説
トップアイドルα様は平凡βを運命にする
新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。
ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。
翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。
運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。
【完結】もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。
本編完結しました!
おまけをちょこちょこ更新しています。
第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
本日のディナーは勇者さんです。
木樫
BL
〈12/8 完結〉
純情ツンデレ溺愛魔王✕素直な鈍感天然勇者で、魔王に負けたら飼われた話。
【あらすじ】
異世界に強制召喚され酷使される日々に辟易していた社畜勇者の勝流は、魔王を殺ってこいと城を追い出され、単身、魔王城へ乗り込んだ……が、あっさり敗北。
死を覚悟した勝流が目を覚ますと、鉄の檻に閉じ込められ、やたら豪奢なベッドに檻ごとのせられていた。
「なにも怪我人檻に入れるこたねぇだろ!? うっかり最終形態になっちまった俺が悪いんだ……ッ!」
「いけません魔王様! 勇者というのは魔物をサーチアンドデストロイするデンジャラスバーサーカーなんです! 噛みつかれたらどうするのですか!」
「か、噛むのか!?」
※ただいまレイアウト修正中!
途中からレイアウトが変わっていて読みにくいかもしれません。申し訳ねぇ。
兄たちが弟を可愛がりすぎです
クロユキ
BL
俺が風邪で寝ていた目が覚めたら異世界!?
メイド、王子って、俺も王子!?
おっと、俺の自己紹介忘れてた!俺の、名前は坂田春人高校二年、別世界にウィル王子の身体に入っていたんだ!兄王子に振り回されて、俺大丈夫か?!
涙脆く可愛い系に弱い春人の兄王子達に振り回され護衛騎士に迫って慌てていっもハラハラドキドキたまにはバカな事を言ったりとしている主人公春人の話を楽しんでくれたら嬉しいです。
1日の話しが長い物語です。
誤字脱字には気をつけてはいますが、余り気にしないよ~と言う方がいましたら嬉しいです。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる