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35.ラウェルの想い ①

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 オリーがいなくなってしまったらどうしよう。
 僕の頭の中には、それしかなかった。不安が一気に押し寄せてくる。

 アナンに必死で縋りつくと、彼は目を見張った。明らかに動揺していたが、僕が体を起こしていられるようにと幾つも枕を背に置いてくれる。

「し、心配しなくていい。あいつなら隣の部屋にいる。ちょっと揉めているだけだ」
「揉めてる?」
「そうだ。お前はとりあえず、この花の蜜を飲め。この屋敷で育てている花の中で、一番いいものを持ってきた。お前は弱っていて、その⋯⋯、急に成長したから栄養がたくさん必要なんだそうだ」

 いつもてきぱきしたアナンの歯切れが悪い。どうしてだろうと不思議に思いながら、僕は言われた通り花に手を伸ばす。

 僕の顔を見て、アナンはぼそぼそと話し始めた。

「こうして話をしていても、まだ信じられない⋯⋯。物置部屋でお前を見た時は大変だったんだ。監察官たちには手間取るし、焦って部屋に行けば、あの化け物がいる。あいつの腕の中にはお前が⋯⋯、でも、明らかに大きさが違うのがいたんだぞ。そりゃあ、驚くってもんだろう? なのに、シオンがあれはラウェルだって言うんだ。おまけに、いきなりあいつに飛びかかるから」
「オリーに? シオンが!?」
「そうだ。二人を止めるのに、酷い目に遭った」

 アナンが服の袖を肘までまくった。左手首のすぐ下が、ひどく腫れあがって変色している。手の甲には爪で裂かれたような痕もある。目を丸くしている僕に、アナンは悪戯っぽく笑った。

「でもな、『おい、いい加減にしろ! そいつは生きてんのか?』って言ったら、二人ともぴたりと止まったよ」



 僕が大量の花の蜜を吸い終えた時、アナンと入れ替わりに顔を見せたのは、長身の青年だった。
 黒髪を肩で揃え、凛々しい眉と穏やかな瞳を持っている。この黒く澄んだ瞳を、確かに見たことがあった。地下牢での毛むくじゃらな面影はどこにもない。華やかな顔立ちはアナンとよく似ていて、ああ、兄弟だなと思う。彼は目を細めて、眩しそうに僕を見た。

「シオン?」
「ア⋯⋯ウェ⋯⋯。 ラ、ウェ⋯⋯」
「うん、僕だよ。びっくりさせてごめんね」

 シオンはゆっくりと頷いた。じっと僕を見て、大きな手が僕の頭を何度も撫でる。僕はそっと目をつむった。ああ、これはシオンだ。たくさんの細かな光が揺れている。驚きと喜びと、たくさんの感情が真っ直ぐに僕に向かう。

 この館に来た時、僕には何もなかった。僕が持っていたのは唯一つ、オリーの上着だけ。何も目に映らず、シオンの人影に宿る光だけが僕の世界にある色だった。色が失われた世界はとても静かで、ゆっくりと時間だけが過ぎていく。シオンとアナンと3人の世界は、寄り添って暮らす小さな箱庭のようだった。

「ふふ。僕、ちゃんとシオンの顔見たの初めてだ。最初は真っ黒な獣で、次は人だったけど⋯⋯。こんなに綺麗な人だったんだ」

 眉を下げてシオンが微笑んだ。何か言いたげな表情に、ああ、そうかと思った。

「僕も、すっかり変わっちゃったのかな? 自分ではよくわからないんだけど」

 シオンは頷いて僕の手を握る。大丈夫だ、と言われているようだった。いつも温かく注がれた心が、死にかけていたミツドリを救った。

「⋯⋯ありがとう。シオンが⋯⋯、シオンとアナンの二人がいてくれたから、僕は生きてこられたんだ」

 寝台から下がっている厚手の布が揺れた。向こうに立っているのはアナンだろう。彼の動揺が伝わってきて、僕とシオンは顔を見合わせて笑った。アナンは意地っ張りで素直じゃないけど、とても愛情深い人だと思う。

 僕がオリーの顔を再び見ることが出来たのは、半日以上後だった。

「オリーに会いたい」と言うと、優しいシオンの眉が曇る。なかなかうんと言ってもらえない。元々、シオンとオリーの出会いは最悪だったのだ。
 アナンの屋敷を壊したオリーは、僕を救い出すと共にシオンを殺そうとした。ダートが止めなかったら、シオンの命はなかっただろう。同時に、オリーの憎悪に当てられた僕の命も。
 オリーは、シオンたちにとって危険人物以外の何物でもなかった。


 屋敷が宵闇に包まれる頃、アナンとシオンはそれぞれの部屋に引き取った。今夜はゆっくりお休み、と言われて優しく頭を撫でられる。
 一人きりで寝台に横になると何だか目がさえてしまった。明かりのない部屋はこれまでと変わらないはずなのに、酷く寂しい。寝台から下がる布の影がぼうっと浮かび上がって怖い。
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