上 下
108 / 154
26.恋慕 ※

しおりを挟む

「本気なのか?」
「こんなことで冗談は申し上げません。小宮殿でお約束した日から、ずいぶん時が経ってしまいました」

 一点の曇りもない晴れやかな微笑みが向けられる。暮れてゆく小宮殿で、ずっと一緒に居ると約束してくれたことを思い出す。

「でも、クリスがいなくなったら、ロサーナは……」
「私一人いなくなったところで、この国は沈みはしませんよ。それこそライエンやトベルクもいる。彼らは私よりもよほどロサーナを愛しています」

 私は握られた手をゆっくりと解いて、クリスの頬を包んだ。滑らかな輪郭を撫でれば、切れ長の瞳が嬉しそうに瞬いた。

「私の心はずっと、貴方にしか向かない」

 白璧の美貌と讃えられた男が、とろけるような微笑を見せて愛を囁く。
 胸が痛くなるほど嬉しいのに、心の奥底から湧き上がるこの痛みは何だろう。

 この先……早くて数年、長くてもおそらく十年にも満たない。
 そんなわずかな時間の為に、私はこの男に全てを捨てさせるのか。そして、ロサーナは優秀な導き手を失うというのか。
 トベルクから以前投げられた言葉が脳裏に浮かぶ。それは遅効性の毒のように、ゆっくりと体を巡り心を蝕んでいく。

「クリ……」

 名を呼ぼうとすると長い指で顎を取られ、舌を絡められて言葉にならない。体から力が抜けていくところを支えるように、腰にヴァンテルの手が回る。
 声を発することも出来ずに腕の中に抱きとめられ、頬から瞼に優しい口づけを受けた。

「……貴方にそんな顔をさせているものは何です?」
「そんな顔?」
「まるで、たった一人で置き去りにされるような、不安そうな顔をしていらっしゃる」
「置き去り? ……いや、違う。自分のことを考えていたわけじゃない」

 私が居なくなった後に残されるお前とロサーナのことが心配なんだ。
 そう言おうと思った途端、頬を流れ落ちるものがあった。

「……殿下?」

 驚いたままのヴァンテルに何か言葉を返そうと思うのに、何も言うことが出来ない。
 ぽとり、ぽとりと、幾つもの涙が流れていく。

 ……ああ、そうか。

 湧きあがる感情が瞬く間に心を埋め尽くしていく。
 押しつぶされそうなほどに重く、行き場のない想いが。

 目の前のヴァンテルの顔が滲んでよく見えない。
 厚みのある胸の中に強く抱きよせられた。

 想いをうまく言葉に出来ないから、胸の中でじっとしていた。
 ヴァンテルは泣き続ける私を抱きしめて、髪を撫で、何か慰めの言葉を呟いている。涙は少しも止まらず、耳に入ったはずの言葉すら、どこか遠くへ流れていく。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】奇跡の子とその愛の行方

紙志木
BL
キリトには2つの異能があった。傷を癒す力と、夢見の力。養親を亡くしたキリトは夢に導かれて旅に出る。旅の途中で魔狼に襲われこれまでかと覚悟した時、現れたのは美丈夫な傭兵だった。 スパダリ攻め・黒目黒髪華奢受け。 きわどいシーンはタイトルに※を付けています。 2024.3.30 完結しました。 ---------- 本編+書き下ろし後日談2話をKindleにて配信開始しました。 https://amzn.asia/d/8o6UoYH 書き下ろし ・マッサージ(約4984文字) ・張り型(約3298文字) ----------

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

【完結】《BL》溺愛しないで下さい!僕はあなたの弟殿下ではありません!

白雨 音
BL
早くに両親を亡くし、孤児院で育ったテオは、勉強が好きだった為、修道院に入った。 現在二十歳、修道士となり、修道院で静かに暮らしていたが、 ある時、強制的に、第三王子クリストフの影武者にされてしまう。 クリストフは、テオに全てを丸投げし、「世界を見て来る!」と旅に出てしまった。 正体がバレたら、処刑されるかもしれない…必死でクリストフを演じるテオ。 そんなテオに、何かと構って来る、兄殿下の王太子ランベール。 どうやら、兄殿下と弟殿下は、密な関係の様で…??  BL異世界恋愛:短編(全24話) ※魔法要素ありません。※一部18禁(☆印です) 《完結しました》

【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜

MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね? 前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです! 後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛 ※独自のオメガバース設定有り

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

処理中です...