凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ

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21.薔薇

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「……何の真似だ?」
「花がお好きだと耳にしましたので」

 美丈夫がにっこりと笑う。その手には、惚れ惚れするほど見事な冬薔薇の花束がある。
 朝の入浴を終え、うんざりするほどの手入れをされてトベルクの部屋に呼ばれた。

「……特に好きだと言った覚えはないが」
「部屋に花を飾っていらっしゃるそうですね。貴方の美しさに敵うわけもないが、この地方で咲く薔薇だそうです」

 軽口に唖然としながら受け取ると、トベルクはぽつりと言った。

「……可憐な花の方がお好きでしたか」
「いや、冬薔薇は好きだ。こんなに見事なものは見たことがない。……ありがとう」

 沈黙が訪れたので薔薇から目を上げると、何か言いたげな視線に合った。

「……なにか?」
「いえ、殿下からそのようなお言葉を賜るとは思わず……」
「いくら北方地方で咲く花だとは言っても、こんなに大輪の薔薇を探すのは難しい。この寒さの中、手に入れるのは大変だっただろう。礼を言うのは当たり前だ」
「……私のしたことを、お怒りではないのですか」
「それとこれとは、話が違う。こんなにも美しい花に、罪はない」

 薔薇に顔を近づけて甘い香りを吸い込んだ。香りに酔いながら呟くと、トベルクの手が私の頬を撫でる。

「……私は、美しい花は罪だと思います。次々とよからぬものを引き寄せる」
「よからぬもの?」

 その時、扉を叩く音がした。
 控えていた従卒が取次ぎに出て、すぐに戻ってくる。手には小さな紙片を持っていた。
 トベルクは紙片を見た途端、顔色を変えた。

「殿下、申し訳ありませんがゆっくりと食事をとるわけにはいかなくなりました。これからフロイデンに向かいます」
「フロイデンに?」

 一瞬ためらった後に、私を見て、はっきりと告げる。

「……ロサーナの太陽は沈みました。陛下は天に召されたのです」


 瞬時に、目の前から色がなくなった。

 寝台に横になる父の姿が目に浮かぶ。枯れ木のように痩せ細った体。意志の強い瞳だけが強く輝いていた。足元が揺れて上下が分からなくなる。

「……殿下ッ!!」

 体の揺れがぴたりと収まったのは、トベルクが腕を掴んで花束ごと支えてくれたからだった。
 私はトベルクの胸の中で言った。

「トベルク、ここに私を捨てて行け。私は、私は二度とフロイデンに戻らない。王位争いには関わらない。……この命の終わりはすぐだ。いつか言っていた、お前の望みは叶う」

 ぎり、と奥歯を噛み締める音がした。端正な顔が青ざめ、碧の瞳が燃えている。

「嫌です。……私は貴方を離さない」
「……トベルク!?」

 骨が砕けるかと思うほど強く抱きしめられた。

 唇が重なる。二人の間にある冬薔薇が潰れて、むせかえるように強く香る。
 舌が吸い上げられて唾液が口の端から零れていく。

「ンッ! んうッ……」

 ……どうしてだ。どうして? なぜ、こんなことをする?

 激しく舌を絡められて息が上手くできない。苦しさに涙が浮かぶ。ぼろぼろと零れる涙を見て、トベルクが口を離した。
 碧の瞳がひた、と私を捉えた。その中に理性の輝きはなく、獰猛な獣の欲と狂気しか見つけられはしなかった。

 トベルクが腕の力を緩めたかと思うと、次の瞬間、鋭い痛みが走った。

「ああッ! やっ! 痛いッ!!」

 左の鎖骨が熱い。痛い。

 目の端に映ったのは、血のついた唇を舐めるトベルクの姿だった。真っ白な歯にも赤いものが見えて、私は総毛だった。

 トベルクは、うっとりと目を細めて笑う。

「白い肌に血が滲むのはお可哀想ですが、こんなに鮮やかに痕がつくとは」
「嫌だ! 止めろ!!」
「今は、これひとつでいい。貴方に刻みつけるのは」

 噛まれたばかりの場所にそっと口づけられ、悲鳴を上げた。

「なぜ……こんな」

 体の震えが止まらなかった。トベルクの手が私の背に回り、ゆっくりと撫であげていく。はっはっと息が浅くなり涙が零れ続ける。目の前の男が、たまらなく怖かった。

「なぜでしょうね。こんな気持ちになるなんて思ったこともなかった。……泣かなくていいのですよ、殿下」

 トベルクの口調は、とても甘く優しかった。
 体の力が入らない私を抱き寄せて、もう一度唇が重ねられる。鉄の味が口の中に広がっていく。

 白い花びらが目の端に入ったが、すぐに涙でぼやけていく。
 冬薔薇の花束が床に落ちてばらばらになっていたことに、初めて気がついた。
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