凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ

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10.王宮

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 王宮の一室に、私と叔父はそれぞれ秘密裏に部屋を用意された。
 母が箝口令かんこうれいを敷いたので、誰も部屋には近づかない。ようやくゆっくりと体を伸ばして寝台で眠れるはずなのに、少しも眠くならなかった。

 いつも耳が捉えていた風の音がない。
 寒さの中で窓が軋む音も、木々の間から雪が落ちる音も。
 ふとした隙間から入ってくる、切れるように冷たい空気すら、ここからは遠い。

 凍宮の日々に、懐かしさすら覚えることが不思議だった。
 ……王都で過ごした時間の方がずっと長かったのに。
 うとうとと微睡まどろみながら、雪の中で誰かと赤い実を探す。そんな夢を見た。

 父は、眠ってはわずかに起きる日々を続けていた。私達が到着しても、すぐに目覚める様子はなく、逆に私は部屋で体を休めていた。

 王宮に到着してから5日目。
 母に付いている侍女が、そっとやってきた。今ならば陛下とお話が出来ます、と。

 主廊は静まり返り、誰もいなかった。
 国王の間は、王宮の最も奥にあり、寝室は連なった部屋の中の最奥に在る。紋章が彫られた荘厳な扉を衛兵たちが守っていた。彼らは、侍女の取り次ぎの願いに頷いた。私に視線が走り、頭巾を頭から被っていたものの、射貫いぬくような視線に息を詰める。

 重い扉がゆっくりと開かれ、磨き抜かれた空間を進む。どこも塵一つなく、清涼な空気が漂っていた。そして、不思議なほど、王の居室に華美なものはない。
 ロサーナは古く、富んだ国だ。いくらでも贅を尽くせるはずなのに、王の居室に至るまでの王宮の廊下や部屋の方がよほど、豪奢な装飾で溢れている。

 人払いがされた部屋にいるのは、母だけだった。母は私に微笑むと、侍女と共に続き部屋に姿を消した。

「……そこにいるのは、誰か?」

 細い声がした。布が下がった寝台の奥で、わずかに人が動く気配がする。

「ご無沙汰しております、父上」

 そう言うのが精一杯だった。母に述べたような口上がなぜか少しも出てこない。

「……アルベルトか?」

 遠い日のかすかな記憶が蘇る。優しく名を呼び、手を握ってくれた。
 あの日と同じように、父が自分の名を呼んでいる。静かな喜びが湧き上がった。

「……もっと、近くに」

 私は外套を脱ぎ、父の寝台に近づいた。

「天蓋の布を……取り、顔を見せよ……」

 動悸が止まらず、体が震えた。布を脇によけて膝を折れば、長く離れていた父の姿が目に入った。

 叔父と母が言っていたことがすぐに理解できた。寝台に体を横たえ、こちらを見つめている父は、何十年後かの私の姿だった。銀に近い金の髪も、明るい空色の瞳も。面差しは確かによく似ていた。ただ……、父の瞳には強い意志の光があった。痩せ細り、ひどく老いて衰弱した身体には、似合わないほどの。

「よく……来た。其方に会えるとは……、神は……まだ私をお見捨てではないようだ」

 微笑んだ父は、寝台から手を伸ばし、私に触れようとする。私は力の入らない父の手を取り、自分の頬に触れさせた。
 なぜ、父がこんな姿になるまで、今まで会おうとしてこなかったのか。目の奥に熱いものがこみあげる。

「……長きに渡る不孝をお許しください」
「其方を哀れな立場に置いたのは……我等だ。幼い其方を……遠ざけ、小宮殿に閉じ込めた」

 父の言葉は、哀切に満ちていた。

「……廃嫡の憂き目にあったそうだな、アルベルト」
「ご存知だったのですか、父上」
「宰相が、……知らせにきたのだ。筆頭と共に」

 病床の父が知っていたこと、宰相たちが既に知らせていたことが衝撃だった。だが、そのどれもが、次に聞いた言葉に比べれば何ほどのこともなかった。

「許してやってほしい」
「……え?」
「彼等の罪は……私の罪だ、アルベルト。……つらい思いをさせて、すまなかった」

 混乱していた。

 許せ?

 どうして父がそんなことを言うのかわからない。
 父は知っていたのか。私が、無実のままに廃嫡されたことを。

 ──なぜ? どうしてです、父上? 私は、私はこれまで、必死で……。

 父の手から力が抜けていく。
 私は、はっとして、続き部屋にいた母たちを呼んだ。
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