凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ

文字の大きさ
上 下
20 / 154
4.追憶

しおりを挟む
 
 幼い日の夢から覚めた時には、日は既に暮れかけていた。吹雪は止んだのか、何も聞こえはしない。

 部屋の中はしんと静まり返り、私はずっと眠っていたのだと侍従が教えてくれる。彼は私の言葉を守り、二人の宮中伯の取り次ぎを一切拒んでいた。

 心にはもう、何も残ってなかった。幼い日の温かな思い出も、明日を信じて励んだ日々も。
 雪と氷に囲まれて暮らす今、全てが心の奥に沈んでいく。
 見るともなしに見た小卓の上には、何もない。薔薇の残り香すらも、感じられはしなかった。



「ヴァンテルと二人だけで、話がしたい」

 侍従に言付ことづけを頼んだ。夜のとばりが下りようとしていた。

 ヴァンテルは所領にある屋敷に向かわず、凍宮に滞在したままだった。応接室で待っていると、私の顔を見るなり、眉をひそめる。

「……今日は、何か少しでもお召し上がりになりましたか」
「ずっと寝ていたから、特に空腹を感じなかった。最近はしっかり食べていたから問題ない」
「お待ちください。マルクに、すぐに何か用意させます」
「……いらぬ。必要ない」

 侍従を呼ぼうとするのを引き止めた。

 ヴァンテルが急に立ち上がって、つかつかと目の前まで歩いてくる。
 いきなり私の手首をつかみ、吐き捨てるように言った。

「こんな細い腕で、何を仰るのです! 確かにここに到着された時よりは、多少ましになっている。ですが、これではまたすぐに、お倒れになるでしょう。レーフェルトの冬は、これからますます厳しくなるのです」

「……このままでは、耐えられないと?」
「そうです。無理をされてでも召し上がらなければ、体に力をつけることはできません」
「……意味がないではないか」
「意味?」
「そうまでして、この命を繋いで何になる? 誰にも、何も求められてはいないのに」

 ヴァンテルの瞳が大きく見開かれた。


 心に轟轟ごうごうと風が吹く。
 一面の白に埋まる世界だ。広大な大地に上も下もわからぬほどに、雪が降り積もる。

「小宮殿にいた時と何も変わらない。籠を移ったところで、飛べない鳥は飛べないままだ。息も絶え絶えの鳥を、いつまでも飼っていて何になる」

 ヴァンテルが何か言おうとしたが、その言葉を遮った。

「お前は確かに言った。今までと変わりない生活を与えると。お前の言うに、私が王太子だった日々はない」

 凍宮での日々は、幼い子どもの時と同じ。与えられ受けとるばかりの日々。

「……期待など、見せなければよかったのに」

 堤から溢れる水のように、押し殺した想いが声になる。

「人に求められ、応える喜びなど、教えなければよかったのに」


 兄が亡くなって東の宮殿に移された時。
 応接室で待っていたのは、お前とライエンだった。

「私たちがお助けします。どんなお気持ちも迷わずお話しください。殿下の御為に身命を尽くしましょう」

 兄の死を受け止めるだけで精一杯だった。王太子という言葉が、虚ろに耳に響く。所在なく項垂れる私の手を取って、お前は言った。

「貴方なら、お出来になります、アルベルト殿下。どうぞ私たちを信じて、共に歩むことをお許しください」


 生まれて初めて、人に求められることがあるのだと知った。
 共に歩いてくれる者がいるのだと思った。

 それは瞬く間に、生きるための灯火になった。


「知っていたか、ヴァンテル。東の宮殿で、お前たちに王太子として迎えられるまで。私は人に何かを求められたことなど、なかったのだ」

 深い青の瞳の中に、激しい動揺が浮かぶ。

 ただ息をしているだけの私に。
 お前の差し出した期待と信頼は、劇薬だった。

 ──さびしい。
 ──寂しい。
 ──さびしい。

 ごうごうと、ただ雪の舞う大地に立ち尽くす。
 胸の中に吹く風は、子どもの時よりも激しくなり、世界を白く塗りつぶす。

 この気持ちの名前など、知らなければよかった。
 
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る

112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。 ★本編で出てこない世界観  男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜

N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。 表紙絵 ⇨元素 様 X(@10loveeeyy) ※独自設定、ご都合主義です。 ※ハーレム要素を予定しています。

処理中です...