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絡むわんこ
しおりを挟むパソコンに向かっていた雪隆はあくびを噛み殺した。窓を見ると日はとっぷりと暮れ、他のビルから残業だろう明かりがちかちかと瞬いている。室内とはいえ日中よりも冷えてきたのか厚めのカーディガンを羽織っている女性社員もいる。
かたくなった肩を回す。ここ最近、二週間に一回は弟の手伝いをしている。それに加えて黒毛のポメラニアンの強襲。いくら元々体力があったといっても、疲れは溜まるものだ。今日は早めに帰ってすぐに寝たい。
「お疲れさん。おーおーまだ弟くんとこの店手伝ってんだって?」
「ありがとう」
隣の席の新垣が机の上にブラックのコーヒーを置いた。雪隆はありがたく受け取る。疲れにはカフェインが効く。
同僚の新垣は時折こうやって雪隆が疲れた姿を見せると、飲み物を奢ってくれたりする。雪隆ももちろん相応のお礼をして同僚としての仲は良好であった。
ちなみに彼は犬猫アレルギーであるのに大の犬好きであるので、雪隆の副業も羨望の目で見られている。直接犬に触れられない彼のために、許可を得たお客様のみわんこ達の写真を撮って同僚に見せている。
「体力自慢の斎藤が珍しいな」
「はは……まあな。最近、気になる子がいて……」
「お!どんな子?」
マイクがわりにコーヒーの空き缶をこちらに向けられる。
「まず黒くてふわふわしていて」
「なるほど黒髪癒し系」
「かまってくれって絡んでくると思ったら拗ねてそっぽむかれて」
「ツンデレか」
「こんな小さいのに尻尾が感情豊かで可愛い」
「小柄かーーって犬かよ!」
こんなと言いながら両手で黒毛のポメラニアンの大きさを示したら、察した新垣に飽きられてしまった。
「いやー俺らくらいの年齢なら恋愛しないと
損だぞ。三十過ぎたら四十なんてあっという間!いい人見つけろよ?」
いい人なんていない。そもそも大人になって全員が恋愛しなければいけない訳ではないと思う。そこは雪隆の価値観と合わなかった。新垣のアドバイスは余計なお世話だ。反論はせずはいはいと適当な相槌を打つ。
この心の中に占めている気持ちは決して恋愛感情じゃないと思う。犬好きとして彼の動向が気になるのであって、人としての彼が気になっているのではない、と心の中で否定した。
またもやいた。
雪隆は自宅への帰り道、冬の風にかじかんだ手を擦り合わせた。もうそろそろ手袋を用意した方が良いのかもしれない。寒いからだろうか、鋭いようなしんとした空気が外に広がっている。あたりはすっかり暗くなっていた。
いつもの公園を横切ろうと広場を通っていると、生垣がガサガサと騒がしい。聞き覚えのある音に、もしやと覗こうとすると。
「きゃんきゃん!!」
「佐々木さん!」
「きゃん」
黒いポメラニアンは珍しい。ふわふわの前足にうもれた足輪の色ですぐに彼だと分かった。ポメラニアンになったということは、またストレスを溜めてしまったのか。
「全く……うちにきますか?」
「きゃん」
ポメラニアン特有の笑ったような口元ではなく、むすりと硬くしまった口元。それでも瞳はうるうると溢れるように大きい。淡褐色のそれを見て、目だけは人型の時と変わらないのだなと思った。なぜ自分を頼るのかはわからないが、やっぱり断れない。
雪隆は片腕に鞄を持ちもう片方はわんこを胸元に抱えながら、帰宅する。冬の特に夜のアスファルトは冷える。柔らかな肉球に触れさせたくなかった。
帰宅後の準備をしながら、佐々木に食事や風呂は済ませているか尋ねた。どうやら両方とも大丈夫らしい。
「一緒に遊びます?」
ちやほやされたいのかと思ってボールがわりにタオルを丸めて投げたり、柔らかクッションを振って引っ張り合いっこをしようとするも本人はベッドの上に乗って自身のふわふわの毛に顔をうずめている。どうやら雪隆の声にこたえる気はないらしい。
「おーい……佐々木さーん、くん?」
そういえば、雪隆はこのポメラニアンが年上か年下かさえもわからないのだ。なぜ深く知らない他人に入れ込まれているのか。休日も彼のために時間を使ってポメガのちやほや屋へ行かなければならなかったのか。
段々と腹が立ってきた。疲れているからこそ感情に余裕がなかったのかもしれない。
「そちらがその気なら……好きにしていてください」
雪隆はベッドから離れると、リビングの机を隅に片付け始めた。そちらがロクな反応をくれないのだから、こちらだって好きに過ごしてもいいだろう。
「1.2.3……」
うつ伏せになって腕の力だけで体を上にあげる。モヤモヤした時は筋トレが一番だ。疲労に疲労を重ねるのはどうかと思うが、雪隆の心のリセット方法なのだから仕方ない。
それに雪隆はこまめに運動をしていないとすぐに肉がついてしまうので習慣として筋トレを行っていた。床はキシキシと音を立てて、ゆっくりと腕の筋肉に負荷をかける。数回繰り返していると、突如背中がずしりと重くなった。驚いて筋トレの姿勢を解きゆっくりと体を回転させる。仰向けに寝転んだ雪隆の胸の上に黒いポメラニアンが乗っていた。
「きゃんきゃん!」
「佐々木さん……」
自分からは積極的に絡みに行かないけれど、構われなかったら構われなかったでちょっと寂しいのか。なんだかちょっと可愛い。
「寂しかったんですか?そうなんでしょう?」
短い手足をばたつかせ抵抗するわんこに構わず、寝っ転がったまま高い高いをする。他人に対する遠慮などは薄れていっていた。そっちがその気ならこっちだってやりたいようにやる。ずっと我慢していたのだ。この可愛い毛玉をもふもふするのを。
お腹に顔を埋めて思いきり息を吸う。仕事のストレスも一気に吹き飛んでいく心地がした。わんこであるからか香ばしい匂いがする。唸り声ひとつあげないのに気をよくして、わしゃわしゃと背中を撫でる。可愛い。可愛い可愛い。
ダメ押しで胸に抱いて潰さないように抱きしめる。
「癒される……」
「へぇ……俺が?」
雪隆がぽつりと呟いた後、胸から下が重くなった。低い声が耳に入り視線を下に向けると、衣服を何も身につけていない佐藤がいた。
黒い毛玉を愛でていて雪隆はすっかり忘れていた。目の前のポメラニアンだった彼は、立派な成人男性なのだと。
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