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ポメガのやきもち
しおりを挟む甲高い吠え声がエントランスに響く。休日であるからか、早朝を少し過ぎた頃でも人通りは多い。マンションの住人はその大きな声にちらりと振り向くも何も言わず去っていく。近くに雪隆がいるため飼い主だと思われたのだろう。
吠える声の主は言わずもがな、ポメラニアン化した佐々木だ。雪隆に向かって吠えている。こうも佐々木が不服の態度を示した理由は数分前に遡る。
雪隆は弟の手伝いに行こうとマンションの自動ドアを出ていた。すぐさま黒い毛玉がお腹に向かって突進してきた。ポメラニアンという小型犬であったし、雪隆自身も学生時代に鍛えた筋肉のおかげで容易に受け止めることができた。これが大型犬であったのなら尻もちをついていたかもしれない。それくらいの不意打ちだった。
「だから、今日は弟の手伝いがあるので家に入れませんって。留守番しておきますか?」
「うーーきゃんっきゃん」
「弟だって今日は特に忙しいから来てくれって言ってるんですよ。今一人でお店を回してるんですから」
「うーーーー……」
話す言語は違えど、意味はなんとなく伝わる。雪隆に家にいて欲しいのだろう。そしてまた膝枕を御所望か。それともなでなでして欲しいのか。
ポメラニアンの可愛さだけみるとずっとそのままでいて欲しいのだが、彼も社会人だ。どうしても戻りたいとこちらに催促する気持ちがわかる気がした。
一応ポメガバースのための休業制度が整ってきているとはいえ、仕事に穴を開けたくないのだろう。
「……では俺についてきます?」
苦肉の策で同行する事を提案すると、吠え唸る声をおさめた。ちょこんと座り込む。
雪隆が歩き始めると大人しくついてくる。あまりに歩幅が小さくて抱っこしようとしたら全力の前足で蹴られたので断念した。歩いてついてくる気か。仕方がないので隣に並んでゆっくりと歩いた。
さて、営業中は店のどこで待ってもらおうか。一階の店舗では今日のお客様の数では落ち着いて待てないだろうし他のわんことトラブルになっても困るので、店の二階の物置スペースで待ってもらうことにしよう。確かポメラニアンが歩き回るくらいの広さはあるはずだ。そう決めるとエントランスを出た。
夏樹の店へは車で向かった。自動車を持っていて助かったと今日は特に思う。徒歩で行くにも遠すぎるしタクシーで行くには料金がかかりすぎる。電車で行くにもポメラニアンを入れるケージを雪隆は持っていなかった。
そもそもポメガバースのポメラニアンを首輪をつけてリードで繋ぐことは合法かどうかという問題があった。未だ国内で議論されている事柄である。外見のわんこ部分を見るか、内面の人間部分を見るか。ポメガバース本人達の意見も分かれているのである。
幸い車内にはわんこを乗せるためのグッズが置いてある。飛び出し防止用のリードをつけたドライブボックスである。撥水素材のカゴの形をしたそれに黒いポメラニアンを乗せる。事故を防ぐためにはどうしてもリードは外せない。唸る佐々木を宥めすかせて乗せた。
以前、弟が持つ送迎車にわんこ達が定員いっぱいになってしまった時に送迎車に乗せていたグッズを雪隆の車に移動させたものだ(店舗には置くスペースがなかった)。それが積まれたままだったのである。
弟にもメッセージアプリで佐々木を連れてくることを連絡しておいた。
「行きますよ」
後ろを振り返りきちんと乗っている事を確認すると、エンジンをかけた。
車は順調に走り出し、目的の場所へと向かっていった。
「二人ともいらっしゃい。今日は待合室も埋まってるし、二階で待っててもらえるかな?」
「悪いな、夏樹」
「いいって。こっちがいつもお手伝いを頼んでるんだし」
夏樹はお客様のわんこが二階に侵入しないよう取り付けられた突っ張りタイプの柵を開け、一人と一匹を通す。階段はわんこの足腰の負担になるからと雪隆は黒毛の毛玉を抱っこした。今度は意図したことを察してくれたのか大人しく抱かれてくれた。真っ直ぐに続く階段は、柵の間から階下の様子がわかるようになっている。
二階に上がると一階には収まりきらなかったケージなどのペット用品、トリミング用品が整理されしまわれている。生活するスペースというよりは物置に近い。キッチンやトイレなどの場所は利便さから一階に集中しているからだ、毎日換気をしているらしいので埃っぽさは感じない。
部屋の半分を占めるペット用品から、中央にクッションが敷かれている円形の寝床をフローリングの床に置く。また出来るだけ食器に見えるような白い陶器の水入れに飲料水を入れた。自分で水分補給をしやすいようにだ。
「昼休みにまた見にくるので大人しくしてくださいね。一緒にお昼ご飯を食べましょう。あ!あとトイレ行きたかったら思い切り吠えてもいいですから教えてくださいね」
ペット用の使い捨てシートはあったが使用しないことにした。体はポメラニアンといえど、心は人間だ。そこらへんで漏らしてしまうなど人としての尊厳に関わる。トイレでの用足しは小さい体だから手助けの必要はあると思うが、その時はその時だ。
黒毛の毛玉は寝床にくるくるまわったかと思うと良い位置を見つけたのかくるりと体全体を丸めた。そうして早く行けとでもいうように片目で雪隆をちらりと見上げた。気になる。小さな子供を留守番させるようなちりちりと不安な気持ち。相手はおそらく成人男性なのだが。
雪隆は後ろ髪を引かれながらも二階側の柵を閉めた。
「佐々木さん。お昼ご飯ができたけど食べる?」
午前中の仕事を終え、佐々木の下へ向かう。階段を登って二階に着くとポメラニアンが立ち上がってこちらをじっと見つめていた。予備動作もなしにじっとしている様を見ると、ずっと立って待ち構えていたようだった。水入れを覗くと半分くらい減っていた。雪隆は安堵する。
小さな佐々木を胸に抱え込んで一階へと降りる。抱っこには大人しくしてくれていて助かる。トイレに誘うと一人でできるらしい。着いてこようとすると威嚇された。やはりするところを見られたくないのは当然か。
用事を終え、三人は小さなテーブルで簡単な食事をとる。机は椅子の必要な高さであるため、ポメラニアンはわんこ専用の食器台に乗せてご飯を食べる事になった。テーブルの上で同じ高さでご飯を食べるのは、佐々木がそこから落下して怪我をする可能性があるからだ。
「兄さん!?」
夏樹の戸惑う声がした。雪隆はおもむろに昼食の皿を持つと佐々木の隣に腰掛けたのだ。こまめに清掃されているクッションフロアであるから汚いことはないが。
雪隆はあぐらをかいた足の間に皿をのせてご飯を咀嚼し始める。黒いポメラニアンはチラリとそんな彼を一瞬見上げたが、食事を止めることはなかった。
一足先に食事が終わった黒い毛玉は、ぺろりと口周りを舐めると伏せの姿勢をする。雪隆が食べ終わるまで待っていてくれるらしい。
少しずつ歩み寄ってくれるのが嬉しい。人に親切にしてお礼を言われたのとはまた違ったものだ。
「兄さん、ちょっといい?」
使った食器を洗っていると、夏樹に声をかけられる。佐々木に聞こえないようにかひそひそ声でこちらに訴える。ちなみにポメラニアンは二階へと戻っていった。お腹も満ちて昼寝でもするのだろう。人間に戻るのは申し訳ないがもう少し待ってもらおう。
「あの子……ごめんあの人か……についてなんだけど。兄さんがわんこ達を洗ってるところ、何回も見にきてたよ。構って欲しいけど言い出せなかったんじゃないかな?」
階段は一直線で作られており、T字状に廊下へ繋がっている。二階からは洗ったわんこを弟に引き渡す雪隆が見えるのだ。弟が言うには、二階を覗くたびに佐々木がこちらの方を伺っていたと言うことだった。
「だからさ、今日はもう大丈夫だからあの人のそばにいてあげて?わんちゃんの姿であんな健気な姿を見せられたら申し訳ないよ」
やはり夏樹は犬が好きなのだろう。彼が一番望むだろうことを勧めてくる。しかし雪隆にはそうは思えなかった。
あんなふわふわななりをしているが中身は目つきの悪い(おそらく)成人男性だぞと心の中でつっこむ。生活するのに不便だから早く戻りたがっているのだと思う。
結局雪隆は弟の勧めに従うことにした。弟に服をかりて(佐々木が人型に戻った時に全裸のままでは帰れないだろうから)、二階への階段を登る。その際に上をちらりとみたが入口で待っている姿はない。弟の言ったことは本当だったのか疑わしい。
黒い毛玉は寝床の中心に伏せて欠伸をしていた。そうしてこちらをじっと見ると、ゆっくりと瞬きをした。
雪隆にはそれが待ちくたびれた、早く来いとでも言っているように聞こえてきた。
「今から佐々木さんに触れてもいいかな?」
ちやほやの合図もぎこちない。今から「はい、構い倒します」というのはテストや仕事ではないのだから。
佐々木は頭を低くして撫でられるのを待っている。なぜか若干楽しげなのは、恐る恐る触れようとする自分の態度が面白いからだろうか。目の前にいるのはポメラニアンだ。しかし、中身はあの威圧感のある男性だと思うと、どうしても撫でる手に遠慮が入る。犬のように愛でてもいいのだろうかという葛藤。佐々木の人としての尊厳を奪っていないかという。ポメガバースのことは知っていたが、知っているのと実際に彼らに会うのとでは感じ方が違う。
その緩い触れ方に苛々したのだろう。佐々木は自分の毛玉を撫でている雪隆の手を緩く甘噛みすると、頭をぐりぐりとこちらに押し付けてきた。
雪隆は目を見張った。こうして触れても良いのだろうか。
ゆっくりとポメラニアンの顎をかく。上を向き、もっとかいてくれとでもいうようにされて、雪隆は調子づいた。
雪隆の撫でる手は下がっていき、背中へと渡る。ふわふわと撫で心地の良い毛へ。堪能したら両手でわんこの顔を挟む。わしゃわしゃともみくちゃにする。そこまでしても黒毛の毛玉は唸ることはなかった。それどころか尻尾をせわしなく振っている。
「かわいいね、かわいいねえ」
全力でよしよししていると、突如以前と同じ兆候が見られた。長くすっと整った鼻梁と、少し目つきの悪いだが力強い淡褐色の瞳。つまりは佐々木の顔が雪隆のそれと近いということだ。長いまつ毛が雪隆の顔につくくらいには。
「戻った。サンキュ」
「はあ」
予め用意していた弟の服を渡すとすぐに着替える。そういえばパーカーとジーンズというラフな格好は初めてだと思った。大抵彼の格好は全裸かスーツという二択しかないからだ。私服を着るプライベートにまで彼との付き合いは薄い。佐々木の寝顔まで知っているのに不思議な心地だった。
「待たせてすみませんでした」
何とは無しに謝る。むしろ人型に戻る手伝いをしているのだからお礼を言われたっていいとは思うのだが、彼は絶対に言わない気がする。片手で数えるくらいしか会っていなくてもそれはわかった。
「別に。それはいい……けど」
「けど?」
佐々木は少し言い淀んだのちこちらを噛み付くように睨みつけた。
「あいつらにばっか笑いすぎ。俺の取り分が減るじゃん」
「取り分……減るってなんですか?」
「あと、なんで敬語なの。犬の時はタメ口だったし」
「へ」
「……あんた鈍いな。他の犬にいい顔するなよ。あと敬語もいらない」
そう言って口をへの字にして、そっぽを向かれた。望みをはっきりと言われてはいないが、どうやらお客様のわんこ達に構っていたのが気に食わないらしい。そうはいっても仕事なので仕方がないのだが。
フランクに話せというのなら、快諾することはできる。
「佐々木さん、悪いがわんこ達は大切なお客さんなんだ。俺もあの子達のことは好きだし、我慢して欲しい……こんな感じでいいか?」
「大きいほうが好きなのかよ……いいや。それより送ってくれる?」
「?わかった」
最後ぶつくさと文句を言っていたようだが小声で聞きとれなかった。
送迎の要望については、連れてきたのはこちらだから、当然送るのもセットだ。後部座席のわんこ専用ドライブボックスを片付けて佐々木にすすめたら、すでに助手席に乗っていた。広々とした後ろより狭い雪隆の隣が良いらしい。本人は道案内しやすいからと言っていた。
シートベルトをつけた音がすると、佐々木はどすんと大仰にシートへ座り込んだ。そうして雪隆の許可も取らずにナビを操作すると、ここへ行ってと指示された。横暴な彼らしい。エンジンをかけ、ゆっくりとアクセルを踏む。
佐々木の家は、雪隆の自宅の最寄駅を挟んで反対側にあった。案外生活圏内は被っていたようである。ナビで到着する前に、止めるように指示される。
「ここら辺でいいから」
「でも、家の鍵は持ってないんだろ?」
確か昼間に雪隆の自宅にいた時にはポメラニアンの身一つで吠えかかられた。このままでは自宅前でぼんやりするしかないのではと思う。
「管理人に頼むから平気」
「ならいいけど……」
後ろ髪が引かれる思いでちらちら見ていると、手でめんどくさそうに払われてしまう。仕方なしに車を走らせた。バックミラー越しに見える彼は背筋を綺麗に伸ばしてまっすぐに道路を進んでいく。この分なら大丈夫か。
成人であるのにこうも心配してしまうのはやはりポメラニアンの彼を知ってしまっているからに他ならないのだろうか。それとも、他の理由か。雪隆は首を傾げた。
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