愛夫弁当はサンドイッチ─甘党憲兵と変態紳士な文官さん─

蔵持ひろ

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「ひ、暇だ……」
 
 警護の仕事を引き受けてからと言うもの、時間を持て余すことが多くなった。
 朝はキアランが憲兵舎の前に馬車が乗り入れキアランの職場である王宮にある文官舎へ。二人きりの部屋で時折訪ねてくる他の貴族や文官を警戒しながら警備。就業時間の最後の方で本日の業務報告書の記入。その時は流石に文官室にある机と椅子をかりる。
 キアランに接触するもの全てに警戒するため精神的に緊張する瞬間が多いのだが、なんにせよ時間があり余る。最初の頃はため込んでいた書類仕事を片付けることで時間を潰していた。だがその後はひたすら警備という名の待機。時折資料を探しに図書館へ移動。
 憲兵であった時はパトロールとして街中を動き回ったり訓練を受けたりしていた。仕事でやることがないのは辛いものだと初めて知った。
 キアランが進めている仕事について細かいことは知らされていなかったが、何やら法律関係だという。
 その法律が施行されたら不利となる貴族達がキアランのことを狙っているらしい。
 貴族達が表立って反対をすれば王の意見に反対しているととられ心象が悪くなる。そのため誰の仕業がわからないように隠れて嫌がらせを。食物に毒を入れられたりと命に関わることは無いからと言われたが、今後も相手が手加減する可能性はあるとは限らないだろう。生活がかかっている貴族なら尚更。
 そうしていると昼の鐘がなった。アレックス唯一の癒しの時間だ。持ってきた弁当を部屋中央の机で広げていると、書類や事務用品を片付けたキアランが何やら重量のあるものをデスクに乗せた。気のせいか、それをおいた途端に書類が揺れた気がするのだが。
 
「バゲット……?」
 
 表面のパリッとした30センチほどのバゲット一本、別の容器には薄切りにされたハム、ちぎられたレタス、小さなピクルスが詰められている。いつもは小さく切られたサンドイッチに揚げ物やサラダなどバランスの良いものがちまちまとのっているランチボックスを食べているのだが、今日はなんだかワイルドな昼食だ。
 
「ああ……お恥ずかしい。今朝は時間がなくてあるものを持ってきただけなんですよ」
 
 アレックスの視線に気がついたのか、照れ笑いしながらこうなった説明をする。
 
「コックとかメイドとか……作ってくれるんじゃないんですか?」
 
 アレックスは疑問に思ったことをそのまま口にすると、キアランは不快そうに見えずその質問に答えた。
 
「一人暮らしでしてね。家事は自分で賄っているんです」
 
 驚いた。貴族というからてっきり面倒なことは人を雇って自分は仕事だけ、という形をとっているのかと思っていた。平民のように身の回りの事は自分でできるのか。まあ目の前のサンドイッチは豪快だが。
 
「おかげで一族の中では変わり者と言われる始末でして。結婚が遠のくなんて言われています」
 
 アレックスの中では大人になったら自立して暮らしているのは当たり前ではあるが、貴族は違うらしい。結婚するまで実家の世話になって婚姻後二人の屋敷を手に入れたり、相手の実家に住み始めたりすると聞いた事がある。
 仕事をして家のことをして時折休む。そういった日々の生活の仕方はアレックスと同じかもしれないと思い始めた。
 
「アレックスさん、これから行きたいところがあるのですがついて来てくださいますか?」
 
 気晴らしにと頭の中で今度の休日に行くカフェをどこにしようか考えていた時だった。美しい顔が間近に覗き込んでくる。
 命令すれば簡単だろうに、雇い主はこうして些細なことでも頼んでくるのだ。
 
「ええ……まぁ警備ですし」
「でしたら、これから資料を取りに図書館へ行きたくて。アレックスさんもよろしければ本を借りましょう」
 
 最近は警備の時間が苦痛に感じ始めていたので、ありがたい申し出だった。それに王宮の図書館は仕事で王宮に来るものや王族しか利用できないので、平民の街中で働くであるアレックスには縁遠いものだった。
 街中に貸本屋はあるにはあるのだが、質も量も比べ物にならないものだった。
 
「……ありがとうございます」
 
 それにしてもキアランは貴族の文官の中でも珍しい。アレックスなどの平民上がりの憲兵に対しても敬語を使うのである。普通の貴族はアレックスのような平民に対して丁寧な態度はとらない。まるで自分が尊重されて当然のような態度を取ることが多い。
 キアランが他の貴族のように威張り散らすこともなく、常に紳士的な態度で他者に対応している方が珍しいのだ。そのことがアレックスのキアランという貴族に対する態度の軟化につながっていった。
 小さな声のお礼に目元を柔らかくして微笑まれる。それを見ているとなんだか少し耳が熱くなる。美しい人がさらに美しくなる瞬間だからだろうか。
 部屋を出て図書館へと向かう。文官以外にも小間使いや仕事に来ている貴族などとすれ違う。警備と言うが、広い王宮は勝手がわからずキアランに先導して案内してもらう。
 
「おやおやおや、フィンレー公爵ではございませんか」
「ヨハンソン公爵……」
 
 目の前に痩せぎすでクマが目立つ陰湿そうな男がやってきた。対して共にいる騎士らしき男は日焼けした肌はそのままに暑苦しく肩をいからせていた。ガリガリの男はアレックスを見るとフンと鼻息を出す。
 
「わざわざ憲兵に警備を頼むとは、よっぽどお金に困窮してらっしゃるようで……その美しいかんばせで騎士に頼めばころっと落ちてくれそうなものですのに」
「私のような一介の文官が騎士の方に迷惑をかけるわけにはいきませんから。王宮の人材を使うのは公私混同ですから。それに、彼は私が見込んだ男性ですよ」
「彼が、ですか。へえ?ずいぶん大きく仕事熱心なお方だ」

 ヨハンソンが護衛について言及した時、アレックスは自分の身なりに気がついた。砂のついた靴や警棒、シワのある制服。途端に恥ずかしくなった。憲兵の時は気にならなかったのに。そうだここは王宮なのだ。その場にふさわしい格好も必要だと言うことを失念していた。

「ですがフィンレー家の家柄を考えれば……ねぇ?そもそもあなた様の程の方が文官などと言う職務についているのが不相応なのですよ……」
 
 公爵はねちねちとキアランの行動一つ一つをあげつらう。この男、非常に面倒臭い男だとすぐにわかった。おおかた法律が施行されて損をする貴族の一人なのだろう。
 
「ああっ……!」
 
 アレックスが突然出した大声に周囲の人間は皆目を見開いたり体を揺らして驚きを表す。
 
「フィンレー様!この後大事な用事があると今朝からしつこく仰っていたではありませんか!」
 
 白々しい。あまりにも棒演技だと我ながら思う。貴族同士が話している場で直接二人に声をかけるのは不敬に当たるので、主であるキアランの用事を思い出したかのように振る舞う。相手ではなく雇い主を咎めるのだから失礼には当たらないだろう。それを聞いたキアランがどう思うかはわからないが……
 
「……そうでした。では、ヨハンソン公爵申し訳ありませんがこれで失礼致します」
「ほら、遅れたら怖いですよ!急いで!」
「……小癪な……」
 
 ヨハンソン公爵の絞り出したようなつぶやきが聞こえたのは気のせいだろう。気のせいだと思いたい。
 この場をすぐに去るよう促して、公爵が見えなくなるまで早歩きで図書館に向かう。そうしてゆっくりと歩く速さを緩めた。
 
「……これくらいならもうあの公爵もいませんね」
 
 これくらいの早歩きはアレックスにとってどうってことはないが、キアランは少し息が乱れていた。立ち止まって呼吸落ち着くのを待つ。
 
「助かりました」
「いえ……むしろあなたの名誉を傷つけたんじゃないかと……」
「気にしませんよ。ありがとうございます」
 
 キアランが普段働く文官室と図書館は真反対の方向にある。到着するのにはもう少しかかった。二人は再びゆっくりと歩き出す。案内する男はつまらない話ですが、と前置いて言葉を紡いだ。
 
「実家は一応公爵の出ですが、三男なので家を継ぐ必要もありませんし、領地をおさめる力量はないと言われまして。兄たちの方が威厳があってり指導者らしいんです」
 
 ほら、私ナヨナヨしているでしょう?明るい表情を作って自分を卑下するキアランにアレックスは何故だか胸に引っ掛かるものができる。
 フィンレーの後頭部の方が目に入るため表情は見えない。いつも清廉な態度で何事も動じないように見えた男にも、コンプレックスというものがあったのか。
 
「せめて文官になって国の人々の役に立ちたいと思ったのですが……難しいですね」
「できてるんじゃないですか? 見えないだけで」
 
 少しの期間だけど、キアランの仕事ぶりを見ているとわかる。彼は国民のために夜遅くまで仕事をしているし、彼が施行を助けた法律は国民のためになったと言ってもいい。それにアレックスが想像もできない部分で動いていることもあるだろう。成果が見えにくいから本人は取るに足りないことと言ってはいるが、アレックスは尊敬に値する仕事だと思う。
 キアランが足を止め、こちらを振り向く。翠色の目が合った。
 
「俺も何かを生み出すような仕事をしているわけではないですけど、少なくともあなたを守ることで将来の子供たちとか俺たち平民が幸せになるのなら、それはそれでいいなって。仕事って目に見えるものだけじゃないから」
「目の前にあるものだけじゃなくて、未来を整える仕事、と言うことですか」
「ええまぁ……」
 
 励ますことには慣れてなくて、最後には照れ隠しで目線を逸らす。
 
「ふふ。そうですね……アレックスさんのように考えたらいいかもしれませんね」
 
 その柔らかな声の調子から少しでも気が楽になったのだと察することができた。
 正式な警備ならもっと綺麗にいなしたかもしれない。さっさと本物雇えばいいのにと思うのになぜだかそれが惜しくてキアランに言えずにいる。働くキアランを見るのが好きなのかもしれない。もちろん、人として。

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