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 ──40代ともなれば、人生の楽しみ方と諦めるべき事柄がわかってくる。力の抜き方がわかってくるとでも言えば良いのだろうか。「自分の人生、本当にこれでいいのか?」「間違っていないか」なんていう迷いには蓋をして、目の前のことに集中するフリにも慣れてきた。
 このまま変化もなく定年まで憲兵の仕事をして、時々息抜きをして……それで一人ひっそりとした余生を送るのだ。そう思っていた。
 
「──今日は新しい店でも開拓してみるか!」
 
 アレックスは浮かれていた。独り言を呟くくらいには。毎日毎日護衛対象や犯罪者に対して精神が削られるので、久しぶり休日でご褒美に自分を甘やかしたい。
 アレックスの趣味はカフェに行くことだ。正しくは、カフェにある甘味を注文することと言ってもいい。生まれた時から甘いものが好きで王都に来てからは地元でよくあったドライフルーツや焼き菓子などの素朴なもの以外に華やかなデザートも手を出すようになっていった。
 雲ひとつない晴天で、時折ふく風も心地いい。今日は絶好の甘味日和だ。下調べしていた店へと向かう。

「うへぇ……結構並んでいるものなんだな」

 居住地よりだいぶ離れたところ、都市の中心である王宮の近くへ徒歩で向かう。憲兵にとって長時間の歩きは造作もない。
 店に到着したところは新店舗で物珍しさもあるのか長蛇の列ができていた。女の客や男はいてもカップルの組み合わせだったり、アレックスみたいに男のみでの来店はいないようだった。物珍しさからかチラチラと見られるが本人は至って気にしていない。
 この国ではよくある茶髪の髪は日焼けで色素が薄くなり、日光にさらされている肌はあまり焼けない体質なのか外での仕事が多くても褐色の肌まではいっていない。顔面の一つ一つのパーツは濃くはっきりと主張している。仕事で鍛えられた体は腹が少し脂肪があるにせよ、そこら辺によくいる成人男性よりは背丈も筋肉量も多い。そんな屈強な男がこぢんまりとしたカフェに並んでいるのは視線がひかれるのだろう。
 しばらく並んでレモン色を基調とした可愛らしい店の入口に入ることができた。アレックスには幾分小さめの椅子にゆっくりと座る。肩や太ももの筋肉が少しはみ出してはみ出しているが大丈夫そうだ。以前他のカフェで椅子に座った途端に限界を迎え折れてしまったことがあるのだ。小柄な女性向けに作られていたのか耐久度が甘かったらしい。それを戒めにアレックスは椅子に座る時は細心の注意を払っている。
 ウェイターにメニューを渡されピンときたものを注文した。
 
「お待たせしました。いちごパフェです」
 
 店員が去った後、アレックスはまずパフェを観察した。いちごが生クリームの椅子に乗っかって、いちごのソルベとミルクのアイスが丸く形どられている。その下にはクリーム、スポンジ、いちごソース、コーンフレークが層となって底にはまたいちごのソルベ。様々な食感が楽しめそうだ。
 アレックスは薄切りにされパフェグラスに付けられたいちごをスプーンですくう。次に甘味と酸味が絶妙なそれを味わいつつクリームを口に入れた。自然と顔がほころんでしまう。
 行列に並んだ時と同じように視線が時折流れていく。しかしやっぱりアレックスは気にならなかった。気にしていては目の前の甘味を楽しめないからだ。
 上部のソルベとアイスを食べ切って中央部に差し掛かろうという時、邪魔が入った。
 
「お客様、申し訳ありませんがお席の方譲っていただけませんでしょうか?」
 
 ウェイターは申し訳なさそうにアレックスに謝罪するが露骨にちらちらと後ろを見る。その視線を辿るとゴテゴテとした豪奢な衣装に身を包んで両手に目が見張るほど大きな宝石のついた指輪をはめた男がいた。全てを見下すような視線を周りに流す偉そうな態度の人物と静かにかしずく骨ぎすの男。
 格好的に貴族と従者だろうか。評判の店と聞いてやってきたのだろう。店前の行列を見て並ぶことにうんざりしたのか、順番を待てばいいのに我慢がならず店に命令したのだと容易に予想ができる。
 ここで嫌だと拒否することもできるが、貴族に逆らうとろくなことがない。アレックスはため息をついて飲むように残りを食べた。そして椅子の悲鳴をたてながら立ち上がった。
 
「ささ、お座りください。おいそこの、早速パフェをもってこい……全く……あんなやつのせいで景観が悪くなるんだ」
 
 従者らしき男が貴族の権力の傘を着て偉そうに注文するのが背後から聞こえてきた。同時に、アレックスへの悪口も。
 うんざりする。身分が上だというだけで全て物が手に入ると勘違いしているのだ。だが貴族たちが住み、着て、食べているものは彼らが見下している人間が作り整えたものだ。アレックスも都市の平和を保つという意味で市民の平和を守っている。感謝こそはすれ、罵倒する理由にはならないと思う。
 いい年をした大人なのにいらつきが行動に出てしまう。雑に代金を払うと、店を出た。この店のパフェは美味しかったがもう二度と行かないだろう。
 口直しにいつもの店によってコーヒーでも飲もうと歩き始める。
 さっきまで綺麗に晴れていた空は灰色の雲を運んで流れている。それはアレックスの心のようだった。

 ……結局甘いものも頼んでしまった。行きつけの喫茶店を出て、アレックスは二種類の甘味が混ざり合って膨らんだ腹を撫でる。ここのプリンはいつ食べても美味い。
 役人や国の中枢を担うもの達に平民が増えてきたとしても、この国はまだ身分の差があった。貴族が道路の中心を通れば平民は端へ。生まれた時から叩き込まれる常識。自分にはどうしようもなくて従うしかないのが歯痒い。それらと妥協を合わせたのが今のアレックスだ。考えるのはやめよう。
 さて、甘味を食べ過ぎてしまったし夕飯は軽めのサンドイッチを買っていこう。アレックスはここから近い行きつけのパン屋へと向かっていく。
 店主とおすすめの具や街で変わったことなどを聞きながら商品を購入する。最近見ない顔がうろついている事が多いと聞いた。やはりこの辺りを生活圏としている住人の方が街の事情に詳しい事が多い。アレックスはそういった情報を仕事の頼りにする事が多かった。
 アレックスの仕事は平民街のパトロール、犯罪者を近衛兵に受け渡すこと、時々夜勤や祭りの際の警備だ。街のこと、人々の流れを知っていなければ街は守れない。

「泥棒っ……!」
 
 突然、耳をつんざくような男の叫び声が聞こえてきた。遠くの店員や客はそちらを気にしたようにちらちらと見ていたが、泥棒らしき男の姿は見られずどうしたらいいか戸惑っているように見える。人通りがそんなに多くない通路のため、犯人はスムーズに逃げてしまっているのだ。
 だが泥棒にとって運の悪いことに、向かったのはアレックスのいる方向だった。大きなカバンを抱え、時折後ろを気にして走っている男。カバンは目立った飾りはないにせよ上質な革がなめされたもので、お世辞にも綺麗とは言い難い衣服の男には無相応に見えた。遠くでは転んで床に倒れ込んでいる細い男性がいる。おそらく盗られた被害者か。
 憲兵として体が自然に動いた。片手に持っていたサンドイッチを手放して全力で泥棒の進行方向を遮る。
 
「止まれっ……!」
 
 狭い通路で腰を低くし両手を広げ逃げ場をなくす。泥棒は止まって逃げ道を探すかと思えたが、そのまま突破しようとしている。逃げなかった理由は犯人の手にきらりと光るものがあるからだった。
 瞬間的に察する。ナイフだ。相手は刃物の扱いに慣れていないのか、がむしゃらに振り回す。当然隙も生まれる。その刃先の合間を縫って相手の懐へ。鳩尾を容赦なく肘で打った。あっけなく捕まる。
 
「ぐっふ……お、重い」
「観念しやがれ!おーい縄!誰かなんか結ぶもの持ってきてくれー!」

 諦め静かになった犯人の腹を床に押し付け、全体重をかける。うつ伏せにして両手を拘束する。相手が逃げないよう結ぶもの持ってきて欲しいと誰にでもいいから声をかけた。
 泥棒がやってきた方向を見ていると、ようやく泥棒に遭った男が追いついた。
 
「羨ましい……」
「は?」
「いえすみません、これでよろしいですか?」
「あ、ああ……ありがとうな」
 
 被害者は泥棒と鞄を確認すると落ち着いて露天商から縄を貰いに行った。お願いします、とアレックスに渡す。細く女性らしい優美な手に無骨な縄は不釣り合いに見えた。近い。まつ毛が長いし薄緑色の髪の毛は糸よりも繊細そうで細く艶やかだ。しかも花のような香りと石鹸のような清潔な香りが混ざっていてずっと嗅いでいたくなる。
 なぜだが思い浮かんだ変態的な発想を押し留めて、縄を繰る。
 
「器用なものですね……結び目が綺麗だ」
「まぁな。士官学校で習うんだよ」
 
 アレックスの手際を見て男は感心したように言う。どうやら終わるまで見学しているらしい。被害者だから憲兵に説明するために必要か。
 
「暇なら手伝ってれよ。ほら肩抑えて」
「わかりました。ここをおさえればいいんですね?」
「そうだ」
 
 アレックスは自分よりもひときわ背の高い男性に声をかける。秋口なのに厚手のコートを着て寒がりなのだろうか。おそらく体よりも頭を使う仕事……役人や事務で働いているのだろう。無言で近づいてくる痩身な男は戦闘に慣れていないっぽいが、的確な場所に体重をかける。勘がいい。
 そうこうしているとようやくこの地区の憲兵がやってきた。顔見知りだったのでニ、三やりとりをする。明日の勤務時間に寄って今回の事を証言すると約束を取り付けた。捕まり縄で拘束された男はおとなしく引き渡されていった。やっと終わった。
 せっかくの休日だったのに結局仕事かよと軽くため息をついたら、柔らかい感触。頬にハンカチを当てられた。
 
「怪我をしていますよ」
 
 上質な素材でできているのかとにかく肌に心地がいい。少し押し付けられたかと思ったら自分で押さえるよう頼まれる。
 
「しばらく押さえていたら血は止まるでしょう。では失礼しますね」
「あ、ああ……」
 
 その美しい人を呼び止めようとしたが風のように去っていき、アレックスがハンカチを返さないとと気がついた時には後ろ姿さえ見えなくなっていた。
 

※※※※※

 泥棒を捕まえた時から話が進展したのはそれから一週間後。

「何かしましたかね?」
「いやいやとにかく先方が来てくれと仰ってるんだよ」
「はあ、行きますがね……」

 アレックスは勤務中、上司に応接室へと呼ばれた。何かヘマをしてしまったのではと過去の行いを思い出しては憂鬱になるばかりだ。細かいミスはあるかもしれないがそんなに大きな失敗はしていないとは思うが。とりあえず行けばいいのだろう行けば。
 呼ばれた先にいたのは、憲兵長と見覚えのある背の高い男だった。
 アレックスが一生涯買うことができなさそうなくらい柔らかく、手触りの良いひとり椅子に姿勢よく腰掛けている。
 氷のように硬かった横顔が、アレックスを目にした途端ぱっと華やぐ。
 
「やはり、憲兵だったのですね」
「……ああっ、あんた!」
「先日はありがとうございました」
「いいって別に」
「鞄の中には大事なものが入っていたのであれが盗まれたらと思うと……本当に助かりました。それに。あなたは真っ先に駆けつけてくださいました」

 褒められ照れくさくて頭をかく。態度が粗雑だと憲兵長に睨まれた。客人の男に座るよう勧められ、憲兵長の隣の椅子に座る。

「そんなの憲兵として当たり前だ」
「ですが、それをできる方も今では少ないのです」
 
 長髪の美人は上司をチラリと見て続ける。
 
「そんなあなたに頼みたいことがあるんです」
 
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