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第Ⅳ章 天国へ至る迷宮
二度目の別れ
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「幻覚……だよな」
俺はこれでも、幻覚を見せる術についてそれなりに詳しい。
幻術は大きく分ければ2つ。
相手にとって最も辛い記憶を見せ、心を破壊してしまうもの。
もう一つは……。
「随分、甘く見られたみたいだな……」
一面に花畑が広がり、頭上からは日差しが雲間から差し込んでいる。近くには綺麗な小川もあった。
(居心地の良い幻覚を見せることで、ずっとそこに囚われるようにする方法か……)
地獄を見せる幻覚はそれ一撃で決めることができる。
反面、天国を見せる幻覚は、相手を行動不能に陥らせるだけだ。
ふいに、俺に向かって不可視の攻撃が飛んできた。
おそらく蹴りだ。
俺はそれを躱す。幻術にかかった状態でもある程度対応できるように訓練を積んでいた。
(そっか……幻術に手心を加えたわけじゃなく……)
きっと自らの手でフウマを討ちたいのだ。
だが、そのフウマが俺個人を指しているのか、それとも〈最上位職〉の名を指しているのかまではわからない。
(俺、ジッチャン……あと曾祖父か)
俺の知る〈最上位職〉はその三人のみ。トウチャンはシノビの時に亡くなってしまったのだ。フウマになる才能がなかったのか、まだなれていなかっただけなのか、それはわからない。
この幻覚で見せられている花畑は、あの『天涯』最深部に似ていた。
花畑の花も白いものが多い。ただ、よく似ているが、別の花だ。
(幻術は……記憶や思い出、妄想などを見せるもの……)
おそらく俺が「天国」という言葉から連想したのが、この場所だったのだろう。もしくは、最も天国に相応しい美しい場所としてここを無意識に選んだか。
俺がもっとあちこち旅をするようなタイプだったら別だったんだろうがな。
幻覚でさえもどこか殺風景ということに苦笑する。
不可視の攻撃がまた飛んできたので、俺は反撃した。
俺の頬にはかすり傷。
さすがにまったく見えない上に、気配まで殺しているとなると、こっちも読みづらい。まして相手はあの元シノビで間違いない苔の化け物だ。
本来なら、目の前に見える光景と実際の光景が違うので、たいていの奴はすぐにやられてしまう。
けど、俺は相手のわずかな殺気などに反応する訓練を十分に積んでいた。
「……っ!」
気合いを入れて、どうにか抜けられないか試してみたが……意外なことに駄目だった。
「こりゃ、〈過去見幻想〉だけじゃない……おそらくあの苔自体も、何か強力な幻覚作用をもたらすものだったんだな……」
そしてそれをシノビスキル〈調合〉によって混ぜ合わせたのだろう。しかも体内で。
そんなことが可能なのか、そもそもそんな真似をすれば自分自身も幻覚にかかるのではないか、それとも苔を寄生させることで耐性でも得ていたのだろうか。
次々に湧き起こる疑問は、突然目の前に現れた三人によってかき消された。
数メートル先に現れたのは、アレクサンダーとフェルノ、エリーゼだったのだ。
さらに別の記憶が呼び覚まされたということは、おそらく幻術の段階が一段階深くなったということだ。
天国に見える空間を幻術で見せるのとは訳が違う。アレクサンダーたちのことは、俺が心の奥深くに封じようとしている記憶だ。
(深層意識まで入られたか……)
思ったより事態は深刻だ。
ここまでになると、通常、自らの意志では抜け出せなくなる。
周囲に誰かいれば、呼びかけてもらってそれを足がかりにすることもできるが……。
「よう」
アレクサンダーが声をかけてきた。
ぶっきらぼうで威圧的。
あの勇者だった頃のアレクサンダーだ。
なんだか懐かしい。
「ちっ。なに笑ってんだよ、クソ野郎」
アレクサンダーが罵倒してきた。
俺は頬に手を当てる。
言われて気づいたが、わずかに口角が上がっている。かすかに微笑んでいたらしい。
「ほんと、わかってんのかねー、このバカ盗賊は! バカ盗賊は!」
フェルノもアレクサンダーの罵倒に乗っかる。
エリーゼは冷ややかな視線を投げかけてくるだけだ。ただ、目は口ほどに物を言う。エリーゼの場合は目が非常に饒舌だった。
「はは……は……」
思わず懐かしさに笑ってしまう。
「ふぅ……信じられないな、自分が……」
この幻術の傾向から考えて、呼び覚まされた人物の記憶は「最も親しい相手」だろう。
そこでこの三人が出るのは異常だった。
普通に考えればリノ……百歩譲ってオゥバァやセーレア辺りだろう。あとはジッチャンとか。
そうではなく「初めての友達」が呼び出されたのだ。
「おい。黒髪野郎」
俺のそんな動揺を気遣う様子もなく、アレクサンダーは言った。
「てめえ、こんなところで終わる気か……?」
俺は頬のぬめりをなでた。
いつの間にか涙が……? と不審に思ったが、それは血だった。紛れもなく現実世界で俺はあの苔の化け物に攻撃を受けたのだろう。
「元勇者パーティーの一員なんだから、負けないでよ! 元は元だけど!」
元と強調しつつもフェルノがそんなことを言う。
「余裕ぶってあっさり敵の術中にハマるなんて……ほんと愚かですね」
蔑むエリーゼ。
まったく反論が浮かばない。
その通りだ。
フウマに勝った、とあの苔の化け物は言ったようだったが、まさにその通り。
奴は自分の命を削り、身を滅ぼす覚悟で、俺と刺し違えようとしたのだろう。
そして――成功した。
「最後に幻覚とはいえアレクサンダーたちに出会えてよかったよ」
「ちっ。何ぬるいこと抜かしてやがる! さっさと目覚めろ! 戦え! 抗えよ! 醜くみっともなく、その薄汚ぇ黒髪に相応しくよう!」
ちょっと聞くに絶えない罵倒だったので、俺は眉をひそめる。
「そうそう! あんたさ、自分のことどう思ってるわけ?」
「えっ」
フェルノの問いに、俺は首をかしげる。
「あんたみたいなアタシや愛する女を殺したクズ野郎が、こんな天国みたいな場所に行けるわけないじゃん」
ずきずきと心が痛い。
フェルノのせいで、名前さえもできる限り思い出さないようにしていたアイリーンの記憶が蘇る。
正直、この場にアイリーンまで現れたら、自分がどうなるかわからない。記憶からつくられるアイリーンがどのアイリーンかというのもわからないし、最悪、幼少期、村にいた頃、女王になった時の三人が同時に現れても不思議ではない。
「わたくしたちが出会うのは地獄でしょう? 違いますか? こんな天国のような場所のはずがありません」
エリーゼが心をえぐってくる。
その後も、アレクサンダーとフェルノ、エリーゼは俺の心をえぐりまくる罵倒を繰り返してきた。
俺が「耐えられない! もうやめてくれ!」と懇願するほどに。
気づけば、俺は幻覚から目覚めていた。
幻術が解けたのは、片目が血によって塞がれていることからもわかった。
左目だけで見下ろすと、俺の全身は血だらけになっていた。
「ばかな……」
苔の化け物が声を上げた。
奴も無傷ではない。
俺に攻撃を仕掛けたのはいいが、俺の反撃を受けたようだ。俺が訓練通り無意識のうちに体を動かしていたためだ。
苔の化け物はボロボロになっていた。
お互い満身創痍。
だが、苔の化け物の驚きようは凄かった。
「千を超える人体実験で、儂の幻術は完璧な制御だったはず……! 他の大陸から手に入れた苔も〈過去見幻草〉と混ぜ合わせて使い〈調合〉を……」
どうやら俺の推測は正しかったらしい。
「悪い。さすがのアンタも予想外だったろうな。相手を捕らえるための優しい世界を創り出したはずが、元のベースが悪すぎて、どうにも改変できなかったなんて……幻術の失敗パターンとしても稀すぎて俺も驚きだ。――〈手刀〉」
俺は、苔の化け物の首を刎ねた。
化け物の見た目と能力になっても、元が人間ならこれで死ぬ。
「ばかな……この……ナラクが……」
(ナラク?)
それが苔の化け物の名か。
聞いたことがある。
ジッチャンの……いや、もういいか。
どさりとナラクが仰向けに倒れる。息を引き取っていた。
――もう終わったことだ。
ただ、俺は頬を拭った。
いつの間にか血だけでなく、涙も頬を濡らしていた。
「ふぅー……っ」
大きくため息を吐き、上を向く。
「ありがとう、アレクたち」
初めてアレクサンダーをあだ名で呼んだ。
俺を救ったのは、確かにアレクサンダー達だったのだ。
本人達の意志ではない、ただの幻覚だったとしても。
(あの彼らのウザさがなかったら、俺は死んでたろうな……)
俺の気が緩んだせいだろうか、目の前にまたアレクサンダーたち三人が現れた。今度はにこやかに笑っている。そして手招きした。
ちらりと足元を見ると、死んだはずの苔の化け物――ナラクの口から白い煙がまだ出いていた。イタチの最後っ屁といったところだろうか。最後の最後まで凄い執念だな。
「〈手刀〉――」
俺はアレクサンダー達の幻影を切った。
胴から真っ二つになったアレクサンダー達の幻覚を見た瞬間、
(……ああ。終わったな……)
と確信した。
戦いの終わりではない。
アレクサンダー達の白昼夢をもう見ないと確信したのだ。
(人は二度死ぬと曾祖父は言ってたらしいけど、ほんとそうかもな)
一度目の死は言うまでもなく肉体の死。
そしてもう一つは……。
「アレク。フェル。エリー。……もうお前達のことは思い出さない。いや、思い出すかもしれないが……それはすべて過去のことだと思おう。今の俺には関係ない」
自分にしては珍しく、声を荒げた。
まだ、冷静にそう思えるようになるには時間がかかりそうだ。
最難関ダンジョン『天涯』を出る時。その滝越しに差し込む薄い日差しを見て、俺はある日の冒険を思い出した。
あれはまだ、アレクサンダー達と出会ってすぐの頃。
アレクサンダーは勇者で、フェルノは赤魔道士、エリーゼは癒し手。そういう肩書きこそ同じだったが、実は三人とも――いいや、俺を含めてダンジョン攻略は初めてだったのだ。
向かったのは最下級ダンジョン「ゴブリンの巣穴」。
そういう名称のダンジョンがあるのではなく、ゴブリンやコボルトなどの雑魚モンスターの巣穴を最下級ダンジョンと呼ぶのだ。
本来なら楽勝だったはずが、フェルノが火系統の魔法を使い、それがゴブリンたちが食べた動物の残り滓だの、薪の残りだのに燃え移り大変なことになったのだ。
全員慌てて外に逃げたものの、煤だらけになった。
真っ黒になった顔のアレクサンダーは、白い歯を見せて、俺やフェルノ、エリーゼを指差して大笑いした。
「おい! てめえら、なんだよ、その顔は! 真っ黒だぜ、ハハハハ!」
「そう言うアレクだって! ぷっ……アハハハ!」
フェルノが唇を尖らせかけたが、アレクサンダーのあまりの姿に笑い出した。
エリーゼも珍しく微笑み、俺を見て冗談を言った。
「灰をかぶった白い髪の方が似合いますよ、黒髪より……うふふふ」
俺の視界が揺れていた。それで自分が声を上げて笑っていると気づいた。
シノビノサト村の村人たちとこんなふうに笑い合うことはなかった。年がうんと離れていたし、アイリーンも声を上げて笑うタイプじゃなかった。俺もアイリーンには良いところを見せたくて馬鹿笑いなどしたことはない。
だからこの時、笑ったのが初めてだったんだ。
「ほんと、灰をかぶった白い髪の方が似合ってるよねー。ねー、アレク?」
「んじゃ、今日から白髪野郎だな!」
フェルノとアレクサンダーも俺を指差して笑う。
ふいに視界が滲み、涙を拭うと、そんな幻覚は消えた。
自分がなぜ彼らを「天国」を見せる幻術で見たのか気づいた。
改めて滝越しに日差しを見上げたが、あの時煙越しに見た日差しと重なることはなかった。
滝に手を伸ばし、顔を何度か洗った俺は、「よし!」と呟き、小道を戻り始めた。そして自分に言い聞かせる。
「ダンジョン攻略は報告までが仕事だ」
俺はこれでも、幻覚を見せる術についてそれなりに詳しい。
幻術は大きく分ければ2つ。
相手にとって最も辛い記憶を見せ、心を破壊してしまうもの。
もう一つは……。
「随分、甘く見られたみたいだな……」
一面に花畑が広がり、頭上からは日差しが雲間から差し込んでいる。近くには綺麗な小川もあった。
(居心地の良い幻覚を見せることで、ずっとそこに囚われるようにする方法か……)
地獄を見せる幻覚はそれ一撃で決めることができる。
反面、天国を見せる幻覚は、相手を行動不能に陥らせるだけだ。
ふいに、俺に向かって不可視の攻撃が飛んできた。
おそらく蹴りだ。
俺はそれを躱す。幻術にかかった状態でもある程度対応できるように訓練を積んでいた。
(そっか……幻術に手心を加えたわけじゃなく……)
きっと自らの手でフウマを討ちたいのだ。
だが、そのフウマが俺個人を指しているのか、それとも〈最上位職〉の名を指しているのかまではわからない。
(俺、ジッチャン……あと曾祖父か)
俺の知る〈最上位職〉はその三人のみ。トウチャンはシノビの時に亡くなってしまったのだ。フウマになる才能がなかったのか、まだなれていなかっただけなのか、それはわからない。
この幻覚で見せられている花畑は、あの『天涯』最深部に似ていた。
花畑の花も白いものが多い。ただ、よく似ているが、別の花だ。
(幻術は……記憶や思い出、妄想などを見せるもの……)
おそらく俺が「天国」という言葉から連想したのが、この場所だったのだろう。もしくは、最も天国に相応しい美しい場所としてここを無意識に選んだか。
俺がもっとあちこち旅をするようなタイプだったら別だったんだろうがな。
幻覚でさえもどこか殺風景ということに苦笑する。
不可視の攻撃がまた飛んできたので、俺は反撃した。
俺の頬にはかすり傷。
さすがにまったく見えない上に、気配まで殺しているとなると、こっちも読みづらい。まして相手はあの元シノビで間違いない苔の化け物だ。
本来なら、目の前に見える光景と実際の光景が違うので、たいていの奴はすぐにやられてしまう。
けど、俺は相手のわずかな殺気などに反応する訓練を十分に積んでいた。
「……っ!」
気合いを入れて、どうにか抜けられないか試してみたが……意外なことに駄目だった。
「こりゃ、〈過去見幻想〉だけじゃない……おそらくあの苔自体も、何か強力な幻覚作用をもたらすものだったんだな……」
そしてそれをシノビスキル〈調合〉によって混ぜ合わせたのだろう。しかも体内で。
そんなことが可能なのか、そもそもそんな真似をすれば自分自身も幻覚にかかるのではないか、それとも苔を寄生させることで耐性でも得ていたのだろうか。
次々に湧き起こる疑問は、突然目の前に現れた三人によってかき消された。
数メートル先に現れたのは、アレクサンダーとフェルノ、エリーゼだったのだ。
さらに別の記憶が呼び覚まされたということは、おそらく幻術の段階が一段階深くなったということだ。
天国に見える空間を幻術で見せるのとは訳が違う。アレクサンダーたちのことは、俺が心の奥深くに封じようとしている記憶だ。
(深層意識まで入られたか……)
思ったより事態は深刻だ。
ここまでになると、通常、自らの意志では抜け出せなくなる。
周囲に誰かいれば、呼びかけてもらってそれを足がかりにすることもできるが……。
「よう」
アレクサンダーが声をかけてきた。
ぶっきらぼうで威圧的。
あの勇者だった頃のアレクサンダーだ。
なんだか懐かしい。
「ちっ。なに笑ってんだよ、クソ野郎」
アレクサンダーが罵倒してきた。
俺は頬に手を当てる。
言われて気づいたが、わずかに口角が上がっている。かすかに微笑んでいたらしい。
「ほんと、わかってんのかねー、このバカ盗賊は! バカ盗賊は!」
フェルノもアレクサンダーの罵倒に乗っかる。
エリーゼは冷ややかな視線を投げかけてくるだけだ。ただ、目は口ほどに物を言う。エリーゼの場合は目が非常に饒舌だった。
「はは……は……」
思わず懐かしさに笑ってしまう。
「ふぅ……信じられないな、自分が……」
この幻術の傾向から考えて、呼び覚まされた人物の記憶は「最も親しい相手」だろう。
そこでこの三人が出るのは異常だった。
普通に考えればリノ……百歩譲ってオゥバァやセーレア辺りだろう。あとはジッチャンとか。
そうではなく「初めての友達」が呼び出されたのだ。
「おい。黒髪野郎」
俺のそんな動揺を気遣う様子もなく、アレクサンダーは言った。
「てめえ、こんなところで終わる気か……?」
俺は頬のぬめりをなでた。
いつの間にか涙が……? と不審に思ったが、それは血だった。紛れもなく現実世界で俺はあの苔の化け物に攻撃を受けたのだろう。
「元勇者パーティーの一員なんだから、負けないでよ! 元は元だけど!」
元と強調しつつもフェルノがそんなことを言う。
「余裕ぶってあっさり敵の術中にハマるなんて……ほんと愚かですね」
蔑むエリーゼ。
まったく反論が浮かばない。
その通りだ。
フウマに勝った、とあの苔の化け物は言ったようだったが、まさにその通り。
奴は自分の命を削り、身を滅ぼす覚悟で、俺と刺し違えようとしたのだろう。
そして――成功した。
「最後に幻覚とはいえアレクサンダーたちに出会えてよかったよ」
「ちっ。何ぬるいこと抜かしてやがる! さっさと目覚めろ! 戦え! 抗えよ! 醜くみっともなく、その薄汚ぇ黒髪に相応しくよう!」
ちょっと聞くに絶えない罵倒だったので、俺は眉をひそめる。
「そうそう! あんたさ、自分のことどう思ってるわけ?」
「えっ」
フェルノの問いに、俺は首をかしげる。
「あんたみたいなアタシや愛する女を殺したクズ野郎が、こんな天国みたいな場所に行けるわけないじゃん」
ずきずきと心が痛い。
フェルノのせいで、名前さえもできる限り思い出さないようにしていたアイリーンの記憶が蘇る。
正直、この場にアイリーンまで現れたら、自分がどうなるかわからない。記憶からつくられるアイリーンがどのアイリーンかというのもわからないし、最悪、幼少期、村にいた頃、女王になった時の三人が同時に現れても不思議ではない。
「わたくしたちが出会うのは地獄でしょう? 違いますか? こんな天国のような場所のはずがありません」
エリーゼが心をえぐってくる。
その後も、アレクサンダーとフェルノ、エリーゼは俺の心をえぐりまくる罵倒を繰り返してきた。
俺が「耐えられない! もうやめてくれ!」と懇願するほどに。
気づけば、俺は幻覚から目覚めていた。
幻術が解けたのは、片目が血によって塞がれていることからもわかった。
左目だけで見下ろすと、俺の全身は血だらけになっていた。
「ばかな……」
苔の化け物が声を上げた。
奴も無傷ではない。
俺に攻撃を仕掛けたのはいいが、俺の反撃を受けたようだ。俺が訓練通り無意識のうちに体を動かしていたためだ。
苔の化け物はボロボロになっていた。
お互い満身創痍。
だが、苔の化け物の驚きようは凄かった。
「千を超える人体実験で、儂の幻術は完璧な制御だったはず……! 他の大陸から手に入れた苔も〈過去見幻草〉と混ぜ合わせて使い〈調合〉を……」
どうやら俺の推測は正しかったらしい。
「悪い。さすがのアンタも予想外だったろうな。相手を捕らえるための優しい世界を創り出したはずが、元のベースが悪すぎて、どうにも改変できなかったなんて……幻術の失敗パターンとしても稀すぎて俺も驚きだ。――〈手刀〉」
俺は、苔の化け物の首を刎ねた。
化け物の見た目と能力になっても、元が人間ならこれで死ぬ。
「ばかな……この……ナラクが……」
(ナラク?)
それが苔の化け物の名か。
聞いたことがある。
ジッチャンの……いや、もういいか。
どさりとナラクが仰向けに倒れる。息を引き取っていた。
――もう終わったことだ。
ただ、俺は頬を拭った。
いつの間にか血だけでなく、涙も頬を濡らしていた。
「ふぅー……っ」
大きくため息を吐き、上を向く。
「ありがとう、アレクたち」
初めてアレクサンダーをあだ名で呼んだ。
俺を救ったのは、確かにアレクサンダー達だったのだ。
本人達の意志ではない、ただの幻覚だったとしても。
(あの彼らのウザさがなかったら、俺は死んでたろうな……)
俺の気が緩んだせいだろうか、目の前にまたアレクサンダーたち三人が現れた。今度はにこやかに笑っている。そして手招きした。
ちらりと足元を見ると、死んだはずの苔の化け物――ナラクの口から白い煙がまだ出いていた。イタチの最後っ屁といったところだろうか。最後の最後まで凄い執念だな。
「〈手刀〉――」
俺はアレクサンダー達の幻影を切った。
胴から真っ二つになったアレクサンダー達の幻覚を見た瞬間、
(……ああ。終わったな……)
と確信した。
戦いの終わりではない。
アレクサンダー達の白昼夢をもう見ないと確信したのだ。
(人は二度死ぬと曾祖父は言ってたらしいけど、ほんとそうかもな)
一度目の死は言うまでもなく肉体の死。
そしてもう一つは……。
「アレク。フェル。エリー。……もうお前達のことは思い出さない。いや、思い出すかもしれないが……それはすべて過去のことだと思おう。今の俺には関係ない」
自分にしては珍しく、声を荒げた。
まだ、冷静にそう思えるようになるには時間がかかりそうだ。
最難関ダンジョン『天涯』を出る時。その滝越しに差し込む薄い日差しを見て、俺はある日の冒険を思い出した。
あれはまだ、アレクサンダー達と出会ってすぐの頃。
アレクサンダーは勇者で、フェルノは赤魔道士、エリーゼは癒し手。そういう肩書きこそ同じだったが、実は三人とも――いいや、俺を含めてダンジョン攻略は初めてだったのだ。
向かったのは最下級ダンジョン「ゴブリンの巣穴」。
そういう名称のダンジョンがあるのではなく、ゴブリンやコボルトなどの雑魚モンスターの巣穴を最下級ダンジョンと呼ぶのだ。
本来なら楽勝だったはずが、フェルノが火系統の魔法を使い、それがゴブリンたちが食べた動物の残り滓だの、薪の残りだのに燃え移り大変なことになったのだ。
全員慌てて外に逃げたものの、煤だらけになった。
真っ黒になった顔のアレクサンダーは、白い歯を見せて、俺やフェルノ、エリーゼを指差して大笑いした。
「おい! てめえら、なんだよ、その顔は! 真っ黒だぜ、ハハハハ!」
「そう言うアレクだって! ぷっ……アハハハ!」
フェルノが唇を尖らせかけたが、アレクサンダーのあまりの姿に笑い出した。
エリーゼも珍しく微笑み、俺を見て冗談を言った。
「灰をかぶった白い髪の方が似合いますよ、黒髪より……うふふふ」
俺の視界が揺れていた。それで自分が声を上げて笑っていると気づいた。
シノビノサト村の村人たちとこんなふうに笑い合うことはなかった。年がうんと離れていたし、アイリーンも声を上げて笑うタイプじゃなかった。俺もアイリーンには良いところを見せたくて馬鹿笑いなどしたことはない。
だからこの時、笑ったのが初めてだったんだ。
「ほんと、灰をかぶった白い髪の方が似合ってるよねー。ねー、アレク?」
「んじゃ、今日から白髪野郎だな!」
フェルノとアレクサンダーも俺を指差して笑う。
ふいに視界が滲み、涙を拭うと、そんな幻覚は消えた。
自分がなぜ彼らを「天国」を見せる幻術で見たのか気づいた。
改めて滝越しに日差しを見上げたが、あの時煙越しに見た日差しと重なることはなかった。
滝に手を伸ばし、顔を何度か洗った俺は、「よし!」と呟き、小道を戻り始めた。そして自分に言い聞かせる。
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そこから更に8年――。
18歳になったグリムは何故か辺境の森で最強の『双剣士』となっていた。
「やべ、また力込め過ぎた……。双剣じゃやっぱ強すぎるな。こりゃ1本は飾りで十分だ」
最強となったグリムの所へ、ある日1体の珍しいモンスターが現れた。
そして、このモンスターとの出会いがグレイの運命を大きく動かす事となる――。
超時空スキルを貰って、幼馴染の女の子と一緒に冒険者します。
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クリスは、孤児院で同い年のララと、院長のシスター メリジェーンと祝福の儀に臨んだ。
その瞬間クリスは、真っ白な空間に召喚されていた。
「クリス、あなたに超時空スキルを授けます。
あなたの思うように過ごしていいのよ」
真っ白なベールを纏って後光に包まれたその人は、それだけ言って消えていった。
その日クリスに司祭から告げられたスキルは「マジックポーチ」だった。
追放された回復術師は、なんでも『回復』できて万能でした
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死闘の末、強敵の討伐クエストを達成した回復術師ヨシュアを待っていたのは、称賛の言葉ではなく、解雇通告だった。
「ヨシュア……てめえはクビだ」
ポーションを湯水のように使える最高位冒険者になった彼らは、今まで散々ポーションの代用品としてヨシュアを利用してきたのに、回復術師は不要だと考えて切り捨てることにしたのだ。
「ポーションの下位互換」とまで罵られて気落ちしていたヨシュアだったが、ブラックな労働をしいるあのパーティーから解放されて喜んでいる自分に気づく。
危機から救った辺境の地方領主の娘との出会いをきっかけに、彼の世界はどんどん広がっていく……。
一方、Sランク冒険者パーティーはクエストの未達成でどんどんランクを落としていく。
彼らは知らなかったのだ、ヨシュアが彼らの傷だけでなく、状態異常や武器の破損など、なんでも『回復』していたことを……。
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