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2巻
2-3
しおりを挟む「ああーアレか」
「アレよ」
オゥバァの問いにセーレアが短く答える。
二人の視線の先には、アイリーンとオージ・デンカが話し込んでいる姿があった。
今、村は過渡期にある。
一気に人口が増え、様々な技術や知識を持つ者が増えたのだ。
そのためあちこちで、話し合いやら口論やらが始まるのは日常の光景になっていた。そして仲の良い男女の姿も……。
「ははーん」
オゥバァは、いやらしい笑みを浮かべて俺を見る。
彼女にしても、俺にしても、いろいろあって吹っ切れたり、成長したりしたためだろう。結構あけすけにものを言い合えるようになっていた。
(だが……それがいいことばかりとは限らないけどな!)
「安心しなさいよ。私たちダークエルフを含め、エルフと人間はそういうことしちゃいけない決まりだから」
オゥバァのセリフに、意外と物知りなセーレアも頷いた。
一方、俺は箱入り息子とバカにされるほど世間の常識を知らない。
なにせ、ついこの間までこの人口百人程度のシノビノサト村から外に出たことがなかったのだ。
世間知らずだった。
(……しっかし、ここでも掟か……)
シノビの掟。
獣人の掟。
エルフの掟。
掟。掟。掟。
(ジッチャンにしょっちゅうなになにしてはならぬ!って叱られたことがあるせいか、どうも掟ってのを毛嫌いしちまうな……)
ナラクがシノビの掟を破って始末された、っていう話が子供の頃から引っかかっているせいかもしれない。
(だいたいジッチャンがあまり村長らしく振る舞ったり、村のあれこれに関わったりしないのは、ナラク――自分の兄ちゃんみたいな存在を……殺しちまったせいなんじゃないかなあ……)
もし俺なら――俺には兄貴と呼べるような存在はいないから、例えば幼馴染みのアイリーンが大きな罪を犯して、殺せと言われたとして……。
(やっぱ「はい、そうですか」って頷いて、掟だから、なんて理由じゃ殺せないよな)
もし、そうするなら、きっとそれは自分の意志。きちんと事情を理解した上で、どうしようもない、そうするしかないと判断した時だけだ。
(いや。そもそも俺に人殺しなんか、できないだろうなあ……)
あの〈天雷の塔〉を倒した大脱走の時でさえ、俺は人を傷つけないように、殺さないように注意をしていた。
「どうしたの、フウマ?」
「大丈夫?」
黙り込んでいると、セーレアとオゥバァが心配してくれた。
さすがに殺すだの、殺さないだのについて相談することはできず、俺の目が泳ぐ。
そして、たまたま魔族、獣人、エルフ、人間の四種族が揃った集団を見かけた。畑で取れた野菜を運んでいる。その姿にふとある疑問が湧き、二人に聞いてみた。
「なあ、どう思う?」
「何が?」
とオゥバァ。
「その……例えばさ、さっきの話だけど、本人同士が望むなら、種族が違っても結婚を認めるようにした方がいいのかな?」
「うーん……」
オゥバァだけでなく、セーレアも悩み出した。
人口四百人にまで膨れ上がったシノビノサト村だが、思った以上に平穏で安心できる。だからこそ、さらに気持ちよく過ごせるようにしていきたかった。
「人間と獣人、エルフと獣人なんかの組み合わせじゃ、子供を作れないだろうけど、本人同士が望むならさ、結婚くらいは認めるべきなんじゃないかな……?」
「まだ早いんじゃない? まあ、新村長兼元奴隷たちの神様であるあなたが言うなら、彼らはそれを掟として受け入れるでしょうけど」
セーレアの何気ないセリフ。
それが俺の心に響いた。
(掟、か……。そうか)
そうなのだ。
俺が今、何かを言えば。
それが新たな掟となる。
もしかしたら、それが誰かを縛ったり、不幸にしたりすることもあるかもしれない。
「まだ早い」というセーレアの言葉には含蓄がある。
俺は村長になったばかりで、人間としても経験が少なすぎる。新たな掟を作ったとして、それがどう転ぶのかまったく読めない。
それを見かねてか、オゥバァが言った。
「あのね、考え込んでるみたいだから参考程度に話すけど、掟ってなにも悪いものばっかではないし、縛りつけるものばかりでもないのよ」
「そうなのか?」
「そうよ」
「……なんとなく、掟っていえば、いろいろな意思や自由なんかを縛りつけるイメージがあったな。俺なんか、子供の頃は外の世界には出るな、ってしょっちゅう注意されてた」
俺の答えに、オゥバァは首を捻る。
「そうなの? ちょっと意外かも」
「子供は好奇心旺盛だしさ。それに……」
「それに?」
「アイリーンのこともあったから……」
俺が冒険者になるために村を出たのは、外の世界から来たアイリーンという人間と触れ合った影響だ。以前、アイリーンはどうして俺が旅立つのかわからないと言っていたが、その理由は彼女本人だった。彼女が持つ外の価値観に、外の世界に触れたくなったのだ。
案外、アイリーンは自分自身のことはよく見えていないのかもしれない。
いや。誰だってそういうものか……。
オゥバァは話を続ける。
「フウマを外に出さなかったのは、正解だったと思うけど。村にいる中途半端に強い人たちについても同様にね」
「どういうことだ?」
「もうこの場にいるメンツは、ある程度知ってるから話すけど、『職の位階』ってわかるでしょ?」
「ああ。俺が〈最上位職〉フウマ。オゥバァが〈上位職〉で、セーレアが〈最下位職〉だ」
ダンジョンを出てすぐに出会った時に、オゥバァが教えてくれたことだ。
「『職の位階』は、一般人には秘匿されている大きな秘密なの」
「どうして?」
俺は首を傾げた。
「考えてもみてよ。一般に知られている職とは比較にならない、上の職が存在すると知られたら……」
位階の高い者を利用して、悪用もし放題。
世界の勢力図は塗り変えられ、戦争はより激しくなるだろう。
「確かに〈最下位職〉より上の職は強いけど絶対じゃない。トラップに嵌められたり、複数に不意打ちを仕掛けられたりしたら、万が一もありうる。特に子供や〈下位職〉程度じゃね」
「で、もしシノビノサト村の住民でも捕まって、シノビになるための方法なんかを吐かされたら、大きな災いに繋がるかも、ってことか……」
「わかってんじゃない」
オゥバァの言う通りだ。
「それで話を戻すけど、エルフが人間との間に子供を作らないのは、ちゃんと理由があるの。かつて……ずっとずっと昔はそうでもなかったらしいんだけど、エルフと人間の間にできる子供――ハーフエルフは、人間社会でも、エルフの里でも、差別される存在なのよ」
「そうなのか?」
人間社会でのハーフエルフの立場か……。
奴隷の一番人気はエルフだ。
宗教都市ロウなどの大都市の人間たちは、エルフ=奴隷という認識がある。
そんな人間が、奴隷と人間の間にできた子供を見て……どう思うか。
(考えるまでもないな……)
差別されるに決まっている。
(けど、シノビノサト村だけなら、別にエルフと人間がくっついても、ハーフエルフが生まれても差別するような人はいないし問題ないんじゃないか? ……いや、そうとも言い切れないか。ずっと村にいれば安全かもしれない。けど、俺みたいに外に興味を持つこともあるだろう。外の世界で差別されるとわかっていて、エルフと人間が子供を作るのを認めるのはいいことなんだろうか……。きっと、こういうことで、様々な掟を作った者たちも悩んだんだろうな)
俺はとりあえず思考を中断して、「ありがと」と相談に乗ってくれた二人に感謝した。
「どういたしまして」
オゥバァはちょっと照れたらしい。長い耳をぽりぽりとかいている。
「掟にも、理由があるんだな」
俺は少しだけ掟に対する認識を改めた。
4
「そうそう、話を戻して、私がすぐに帰ってきた理由だけどね……」
オゥバァが言った。
俺とセーレアは顔を見合わせた。
「すぐに」という言葉に互いにもう突っ込まないぞ、と意思疎通を図る。
「なんかさ、水産都市エレフィンの辺りが怪しいのよ」
「怪しい? どういうことだ?」
俺の疑問に、オゥバァは答えた。
「まだほとんど噂になってないけど、水産都市エレフィンの近くに『天涯』っていうダンジョンがあるの」
「『天涯』……」
俺も冒険者としてそれなりに活動してきたから、最難関ダンジョンや難関ダンジョンなどの有名所はだいたい押さえているはずだったが、その名前に聞き覚えはなかった。
大したダンジョンじゃないのかもしれないな。
けど、それだとオゥバァがわざわざ告げてきた理由がわからない。
「私もたまたま旅から戻ってきたダークエルフから聞いただけだから、詳しくは知らないけど、『天涯』には『天国』って呼ばれる財宝があるとかなんとか……。それに『天涯』は滝の裏にあるダンジョンで、うちの長老も知ってたのよ」
「へー」
話がどこにどう繋がるのかわからないが、ただならぬ雰囲気だけは感じた。
三百年以上生きるダークエルフの記憶に残るダンジョン。
『天国』などという怪しげな名前の財宝。
しかしいくら辺境である水産都市エレフィンの近くとはいえ、俺の記憶にはまったく残っていない。
(……なんか情報がちぐはぐだな)
誰かが意図的に操作でもしたのかもしれない。
そうなると、裏には相当大規模な何か、大きな意志が潜んでいる可能性がある。
「今、その『天涯』に難民が流れ込んでるの」
「は? なんで?」
「財宝『天国』。……それが本当の天国なんじゃないか、って考える難民がいたのよ。そういうまことしやかな噂があちこちで流れてるみたい」
ますますきな臭くなってきた。
(さっきの俺の想像が当たりかもな)
誰かが噂を意図的に流している可能性が高い。
(だとしたら、何が目的だ?)
さすがにここで考え込んでいても、何もわからない。もっと情報が必要だった。
オゥバァは言いにくそうにこちらを見る。
「これはフウマを悪く言うわけじゃないけど……」
「うん」
「宗教都市ロウで大事件があったでしょ? あれ絡みで、難民が増えたらしいの。それが難民が大勢流れ込んでいる遠因の一つかな」
「そう、か…………」
俺のせいじゃないというニュアンスで言ってくれたものの、胸に突き刺さる。
被害を出さないようにはしたが、事件の余波にまでは、本当の神でない自分にはどうすることもできない。
ふと、頭上に気配を感じて、空を見上げた。
見慣れた一羽の鳩が俺たちの上を通り過ぎていく。
「伝書鳩か……」
来た方角、そして鳩の特徴からすると、間違いなく宗教都市ロウからのものだろう。
「何かあったのかもしれないな」
俺のそんなつぶやきは、やがて真実だとわかった。
イヌガミに乗ったリノが俺を呼びに来たのだ。
「フウマ! お手紙が来たよ!」
リノはイヌガミから下りて、俺に小さな紙を渡してくれた。
「ありがとう、リノ」
リノにだけお礼を言ったら、イヌガミが俺の前でお座りした。
「ありがとう、イヌガミも」
「はっ! 情報伝達は戦場での最重要事項! 我が行うのは当然であります!」
「ああ……」
イヌガミの言葉に生返事をし、早速、手紙を開いた。
宛先は村長。
つまり……。
(今は、俺のことだな)
手紙の送り主は、宗教都市ロウの冒険者ギルド組合長。彼はまだ俺が村長になったことを知らないだろう。新村長としての初の依頼となりそうだ。
伝書鳩という通信手段と暗号化のせいで文字数は少なく、依頼内容の詳細はわからない。
しかし、それでも俺が行くべきだと決心させるには十分だった。
ここにいるみんなには伏せる必要はない。
俺は声に出して依頼内容を読み上げた。
「依頼内容は、偽勇者パーティーの調査。そして調査先は、水産都市エレフィンのダンジョン『天涯』か――」
先程話していた場所だ。
俺はオゥバァと顔を見合わせて、頷き合った。
「もう関係者のみんなはフウマの家に集まり始めてるよ」
リノが教えてくれたので、俺は自分の家――村長宅に急いだ。
第2章 偽勇者パーティーと『天涯』の調査依頼
1
村長宅。
俺とジッチャンが住んでいる家だ。
この村の家にしては珍しく、複数の客間があるほど広い。
その家のもっとも広い部屋に、獣人の代表者であるヒメサマーやエイユードノ、エルフや魔族、そしてリノやオゥバァ、セーレアなどといういつものメンツが集まっていた。
俺は上座だ。ジッチャンはいない。
上座どころか、この部屋にいないのだ。
(俺に任せる……って意味なのかな)
それとも新村長として立派に務めを果たせるように、いきなり実践させようとしているのかもしれない。だとしたらジッチャンらしい厳しい指導方針だ。
(もしくは……この一件に何か感じたのだろうか……)
かなり不可解な一件だ。
ジッチャンも、珍しく顔がちょっとだけ強張っていたような気がする。
「遅くなってすみません」
最後に入室したのはアイリーンとオージ・デンカと彼の取り巻きのエルフたちだ。
オージ・デンカも短く謝罪して、座敷に座る。
「さて」
俺は口を開いた。
「宗教都市ロウの冒険者ギルド組合長から、シノビノサト村の村長宛に依頼が来た。内容は偽勇者パーティーの調査だ。場所は水産都市エレフィンの近くにあるというダンジョン『天涯』」
俺の説明に、誰も口を挟まない。
(どうにも……話しづらいな……)
大勢を前に話すことには、いまだに慣れない。
幸いそういう経験を積む場は、この一ヶ月間にたくさんあったので、つっかえたりはしなくなった。
けど、みんなシーンと静まり返って、ただただ俺の話を聞くだけ、というのはどうもやりづらい。
元奴隷たちは、俺を解放神だの、全知全能だのと崇めているせいで、疑問や口出しをほとんどしないのだ。
例外的なのは、各種族の代表者クラスだが、そんな彼らも、こういう場ではまず発言しない。
「あのさ……もっと気楽に、っていうのはちょっと違うけど……」
俺は宙に視線をそらし、ちょっと考え込む。
「……もう少し砕けた感じのほうがいいと思うんだ。もっと活発に意見を言い合えた方が……」
例えば、今俺が、各種族ごとに住む区画を分けよう!みたいな意味不明な命令を出しても、すぐさま「はい!」と元気のよい答えが返ってきそうな雰囲気なのだ。
それではちょっと心配だ。
「はいっ!」
いきなりイヌガミが挙手した。
物は試しと、前足を上げたイヌガミを当ててみる。
「多少長旅になると思われます。兵糧はいかほど運びましょう?」
「…………」
「水産都市エレフィンというと魚介類が豊富で有名! きっとご飯が進むでしょう! 米は多めに運んだ方がよろしいかと思います!」
うむ。質問とかしてほしいと思ったが、内容にもよるな。
こんな事件が起きたっぽい話なのに、なんでいきなり食料の話になるのか。
「他に質問とか意見とかあるかな?」
がっくり来たが、イヌガミ効果は意外なところであったらしい。
イヌガミが質問してくれたおかげで、幾人かが恐る恐るという感じで挙手したのだ。
ちらりとイヌガミを見る。
(まさか、この展開を予想して……!?)
驚きと期待を込めて見たところ、イヌガミは前足でいじいじと畳の縫い目をいじっていた。
いじけていた。しょんぼりしていた。うん。どうやら違ったようだ。ただ、イヌガミがムードメーカーなのは事実だ。
とりあえずあまり話したことのない魔族の一人を指差した。特に理由はない。
彼は、魔族としての血が濃いのか、肌が結構紫がかっている。そんな肌なのにはっきりとわかるほど紅潮していた。
「はっ! ご指名いただきありがたく存じます。解放神フウマ様におかれましては……」
「いや。そういう前置きはいいよ。今は忙しいところを集まってもらってるし」
「はっ! ……では、失礼して。……なぜ冒険者ギルド組合長……の依頼を受けなくてはならないのでしょうか?」
「一つ訂正させてもらうと、受けなくてはいけない、ってわけじゃない。受けようかどうしようか判断するためにも、まずは一度宗教都市ロウにある冒険者ギルドに行って、話を聞くことにする。伝書鳩で送れる情報量には制限があるし、詳しい内容や疑問点なんかは直接会って話した方がいいからね」
「はっ!」
さっき、この魔族君が「冒険者ギルド組合長」と言った後に間を置いたのは、たぶん「冒険者ギルド組合長ごとき」とか言いそうになっちゃったためだろう。
(……たぶん、いい感情抱いてないんだろうなあ……)
冒険者ギルド組合長個人が悪いというわけではない。
だが、冒険者ギルド自体は、王国の法のもとに運営されている組織だ。そして王国法は奴隷を完全に認めている。国は大きな産業のようにさえ認識しているかもしれない。
だが、奴隷にされる当の魔族にとってみれば業腹だろう。家畜に比べればマシとはいえ、その扱いはおよそ、対等な存在にするものではないためだ。
そして冒険者ギルドは、奴隷産業にも結構深く関わっている。
「冒険者ギルドが……まあ、信用できるか否かは、正直俺にもよくわからない。ただ、宗教都市ロウの組合長だけは、ちょっと特別なんだ」
「特別……ですか?」
そういえばこの話は、まだほとんど誰にもしてなかったな。
そもそもシノビノサト村にいる者なら知っている話だから、わざわざする必要がなかったのだ。
「組合長は、俺の祖父――前の村長であるジッチャンの知り合いなんだ。ナラクっていうジッチャンの兄貴分とジッチャン、そして組合長。もう何十年も前になるけど、三人は冒険者として何度か一緒に冒険したらしい。詳しいことは俺も知らない」
「つまり……ご友人ということでしょうか」
「まあ、そういうこと。それにこのシノビノサト村は宗教都市ロウに結構近い。だから、そこの冒険者ギルドの長と良好な関係を築いておくってのは悪いことじゃないんだよ」
魔族は納得がいったらしく、大きく頷いた。また大仰なお礼の言葉を述べそうだったので、慌てて止める。
……そういや、まだ何人か手を挙げてたな。
視線を合わせると、彼らは目を伏せた。
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