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2巻
2-1
しおりを挟むプロローグ
「それではフウマ・ヨンダイメ様の、シノビノサト村四代目村長就任祝いを行いたいと思います!」
今、俺――フウマ・ヨンダイメがいるのはシノビノサト村にある広場。
普段は、長距離転移を行うシノビスキル〈影走り〉の訓練などを行うその場所に、嬉しそうな声が響き渡る。
声の主は、白い猫だ。人間の娘さんサイズで、二本足で立っている。つまり獣人である。
みんなからヒメサマーと呼ばれるその獣人は、一ヶ月ほどこの村で過ごしたせいか、なかなか堂に入った見事な演説をしていた。
(最初の頃が懐かしいな)
一ヶ月前、村を出て勇者パーティーの一員として働いていた俺は、最難関ダンジョンを攻略した途端に追い出されてしまった。
仕方なく宗教都市ロウに戻れば、大事件に遭遇。絶対的な権力を持つ〈治癒神の御手教会〉の秘密を知ることとなる。
それを〈教会〉に嗅ぎつけられた俺たちは、都市を象徴する兵器・〈天雷の搭〉によって殺されそうになるも、どうにかして逃亡。
その際、俺は三百人もの奴隷たちを助けて村へ戻った。去り際に、〈天雷の搭〉を倒して。
「それでは、フウマ様。そろそろご挨拶をお願いします」
俺は前に出るように促された。
眼下に見える聴衆たちの目は、俺とヒメサマーに釘付けだ。
「えーっと……」
こういう場に慣れていない俺は、何を言おうか考えてあったにもかかわらず、頭が真っ白になった。
(えっとえっと……なんて言うつもりだったんだっけ……?)
頭をひねるが、まったく思い出せない。
(ほんと苦手だな、こういうの……)
ジッチャンもこういう壇上に立ってみんなに向かって何かを言ったことなど、ほとんどなかった気がする。
そういえば、曾祖父も厭世的な性格をしていて、ろくにしゃべらなかったという。血筋のせいかもしれない……。
俺が無言で立っていると、聴衆たちの期待がどんどん膨らんでいくのがわかる。目が爛々と輝いているのだ。
特に獣人たちは猫科の者が多く、その瞳がまん丸になってキラキラしている。
なにか凄いこと言うぞ……! きっと凄いこと言うぞ……!
そんな期待のこもった光線が目から放たれているのを感じる。
しかもそれが百くらいある。
(うわー……嫌な汗かいてきちゃったな……)
シノビの過酷な訓練でも、汗一つかかずにこなす自信があるが……このまま立ち続けていたら、冷や汗で全身の水分が抜け切るかもしれないと、本気で思った。
(それにしても……ほんと人数増えたな)
以前は、たった百人ぽっちの小さな村だった。
俺は十六歳になるまで、この村から一歩も出たことがなかったので、人口が少ないとも多いとも思ったことはなかったが、今思うと、百人って凄く少なかったんだなあ。
今、この村にいるのは四百人。
俺が助けた元奴隷たち三百人が加わったためだ。
種族も様々で、魔族にエルフに獣人もいる。それだけじゃない。竜までいるときた。
(あっ……そうか、そういうことを普通に話せばいいんだ)
ふいに気づいた。
「先程ご紹介いただいたフウマ・ヨンダイメです」
聴衆が一気に騒がしくなった。
「解放神様ー!」と黄色い声を上げているのはエルフの女性たち。俺がパーティーを追放されてすぐの頃に助けた元奴隷たちだ。
「若様ー! 若様若様若様若様、わっかさまーーー!」と連呼しているのは忍犬イヌガミだ。
そのイヌガミを抱っこしてあげているリノの姿も見えた。
イヌガミは俺に従っている上位忍犬。曾祖父の代からの付き合いだ。
リノはダンジョンを出てすぐに出会った魔族の女の子で、色々あって行動を共にしている。頭にツノが生えているが、今は俺のあげたリボンに隠れて見えない。最初の頃に比べて、よく話すようになった。
バタバタバタ!という擬音が聞こえてきそうなほど、前足を引っ掻くように動かしているイヌガミ。ひょっとすると、俺の方に駆けつけようとしたのかもしれない。
ナイスだ、リノ。よく押さえてくれている。
イヌガミはしゃべれるし、俺やリノの言うことは聞くが、基本的にそれ以外の人の話は聞かない。
自称神格を持った霊獣――神獣で、「神のような存在である我が、他人の意見など聞くか!」という態度なのだ。
俺はとりあえず「落ち着け」というように、イヌガミに向かって手の平を、何度か下に下ろすようにして振った。
返事がきた!と思ったのか、イヌガミが前足を一本上げて、左右に振ってきた。
リノは苦笑している。
その笑顔には、以前のようなぎこちなさはない。
(ほんとよく笑うようになったよな……)
それはリノだけじゃない。
眼下にいるエルフも獣人も魔族も、みんな、このシノビノサト村に来た当初よりよく笑うようになった。そして協力し合うようになった。
「こうして、みんなで笑い合って、暮らしていけるようになって俺は嬉しいです。人も、獣人も、魔族も、エルフも、種族なんて関係なく仲良くできるんだって知りました。シノビノサト村にはいくつも掟があります。その一番のものは、おそらく出入りの制限でしょう。シノビのスキルや、薬草を調合する技などを秘匿するためだそうです。けど、俺はもっとシノビの掟に縛られない……もっともっと自由な村にしていきたいです!」
いっぱい言いたいことがあったけど、なにをどう言ったらいいのかわからなかった。だからもっとも伝えたいことだけを伝えた。
みんな仲良く。
シノビノサト村をもっと自由に。
……できれば、シノビの掟をもっと緩くしたいと思った。
壇上から下りた俺は、満足感を覚えていた。
そんな俺を迎えたのは、苦笑したアイリーンだ。
俺と同い年の幼馴染みの少女。
初めての友達であり、初恋の相手でもある。
彼女は、元からいた村人と新たな移住者たちとの調整役をしている。調整役は冷静であれ、というのが彼女の理論だった。
そんな彼女が、みんなのいる所で苦笑した顔を見せているというのは、なかなかレアなことだ。
アイリーンは、着物の袂で口元を隠して品良く笑った。
「怒って帰っちゃったわよ」
「え?」
「村長……いいえ、元村長は怒って自宅に帰っちゃったの」
アイリーンの言う元村長とは、ジッチャンのことだ。
俺の祖父。両親を亡くした俺を育ててくれた人で、シノビの技の師匠でもある。
「えっと……なかなかしゃべらなかったから?」
「違うわ。私は、フウマ君の演説、なかなか素敵だったと思うな」
「そう?」
褒められて、ついつい顔がにやけてしまう。
アイリーンは褒め上手だ。自然な感じで、よく褒めてくれる。
「それでね、たぶん元村長が自宅に帰っていったのは、たぶん『シノビの掟に縛られない自由な村にしたい』っていう抱負に引っかかったからじゃないかな」
俺はキョトンとした。
「え? どうして?」
「確かにフウマ君みたいに、こうしていろんな種族の人たちとあっという間に仲良くなれたのなら、そうしたいって思うのも当然かもね」
「うん」
「けどね、世の中には、いろいろと物騒なことを考える人もいるのよ。だから、心から信じられるのは、シノビノサト村の住人だけって考え方も、一理あるのかもね」
「心から信じられるのはシノビノサト村の住人だけ、か……」
つまり、アイリーンやジッチャンってことだ。
あとは、新たに加わった元奴隷たちも信じていいだろう。彼らはいい奴ばかりだし、なんだか俺のことを尊敬してくれている気がする。
正直に言えば、どうしてジッチャンがそこまで頑なにシノビの掟を重視するのかよくわからない。
「どうしてかわからない、って顔に書いてあるぞ?」
アイリーンがわざとらしく、頬をつんつんしてきた。
「あははは……バレたか」
「まあね。フウマ君のことなら、たいていのことはわかるよ」
「あれ? 以前は全部わかる、って言ってなかった?」
「うん。以前はね。でも、いきなり旅立ちたい、って言ったのには驚いたし、それから三百人も奴隷を連れ帰ったのにも驚いた。しかも〈天雷の塔〉を倒したなんて……」
改めてこうして他人の口から聞くと、自分がどれほど大それたことをしたのかわかる。
「あれもジッチャン的にはアウトだろうな……」
シノビの技をみだりに使ってはならぬ。
他人にシノビと悟られてはならぬ。
シノビの掟を守らねばならぬ。
ならぬ。ならぬ。ならぬ。……。
「……なんでなのかな」
「それだけシノビの掟が大事なんでしょうね」
アイリーンはそう笑って去って行った。
だが、俺の胸には「なぜそうしてはならぬのか」という疑問がずっと残ることになった。
第1章 シノビノサト村四代目村長就任
1
シノビノサト村四代目村長就任祝いの翌日。
俺は、昨日演説をした広場で、獣人の男と対峙していた。
「本気で戦うつもりなのか、エイユードノ」
エイユードノというのは、ヒメサマーのそばによくいる目の前の虎の獣人の名前だ。
みんなからよくそう呼ばれているので、俺もそれに倣うことにした。
たぶんエイユーが名前で、ドノが姓なんだろうな。
「それが我ら獣人の掟!」
なんでも獣人には、強い者が長になるという決まりがあるらしい。
まあ、確かにエイユードノは元奴隷の中では一番強い。
以前、手枷をじゃらじゃらつけている状態で、俺と戦ったことがあったが、その時も結構いい感じの回し蹴りを放っていた。ドラゴンなんちゃら……とか名付けていた蹴りだ。
「頑張れーエイユードノー!」
「怪我をしないようになあ!」
「羨ましいぞ、このー!」
なんだか声援だか野次だかわからないものが、見学の獣人の男たちから飛んでくる。
羨ましいってのは、獣人は本能的に、強い奴と戦いたいものだかららしい。
俺と戦えるのは大変名誉なことだそうだ。
「行くぞ! 解放神様――いいや、フウマ様!」
おお! 久しぶりに元奴隷組に名前で呼ばれた。
「いいよ。いつでもかかってき――」
俺の言葉を待たず、エイユードノはまっすぐ突進してきた。
虎でなく、猪の獣人にでもなったみたいに。
「おっと!」
以前見た鋭い回し蹴りだ。
「くっ……我が切り札をあっさり躱すか……だが!」
てやあぁっ!と気合いの入った掛け声とともに、回し蹴りをした足を今度は軸にして、二度、三度、四度と連続して蹴りを繰り出した。
おお! 凄いな……!
以前戦った時にはなかった技だ。おそらく血のにじむような努力をしたんだろうな……。
俺の中でむくむくと、対抗心のようなものが湧き上がってきた。
――よし。俺も技を披露するか。
「『〈影走り〉奈落』!」
「なにっ!」
聞き慣れないスキルの名とともに、俺が素早く一歩踏み込んだので、エイユードノは驚いた声を上げた。
エイユードノの腕を掴んだ状態で、俺は素早く拾った小石二つを空に向かって投げる。
空に、影はない。
だが、一方の小石が日の光を遮り、もう一方の小石に影を落とす。
その影に向かって〈影走り〉でエイユードノとともに転移する。
日差しの位置によって影のでき方は変わるし、小石の位置関係を調節して投げるのも難しい。
俺も昔は習得するのに苦労したものだ。
「う、うぉぉおおおおおおおおおお!」
樹海を遠くまで見渡せる高さに転移させられて、エイユードノは顔を引きつらせている。
もちろん足場がないので、俺たちは落下していく。
「どうする? 降参するか?」
「ま、まだ……」
声は完全に怯えているのに、なかなか強情だ。
「『〈影走り〉奈落』は敵を連れて上空に転移するだけじゃない。ここで相手を地面に叩きつけて、自分だけは安全に〈影走り〉で地上に戻って完成だ」
叩きつけられたいか?と無言の圧力をかけると、エイユードノは降参した。
「……負けだ。この高さから落ちたら、いくら俺でも助からん」
俺はエイユードノも連れて、元の場所の近くの影に〈影走り〉で転移した。
ぺたりと地面に膝と両手をついたエイユードノを見て、見学者たちは結果を悟ったらしい。
「うわああ! 勝負がついたようだぞ!」
「予想通りとはいえ、あっさりと!」
「いや。だが、あんな見たこともないようなスキルを使われたらさすがに……!」
口々に今の戦いについて興奮気味に話し合う獣人たち。
ほんとに戦い好きだな。その辺はまさに獣っぽい。
「それにしても……見たこともないスキルか」
俺は苦笑した。
先程使用したのは、正真正銘〈影走り〉だ。
〈影走り〉なら、この獣人たちを逃がす際にも使用したので、見たことも体験したこともあるはずなのだが。おそらく移動用のスキルを攻撃に使ったため、印象ががらりと変わって「初めて見た」と勘違いしたのだろう。
それに地上から地上と、地上から上空という動きの違いも大きいかもしれない。
「じゃあ、俺が次期村長で問題ないな?」
「ああ。無論だ。……もとより我らに不満などない。それに、はじめから俺が解放神様に勝てる可能性などないとわかっていた」
「わかっていたのに、勝負を挑んだのか? 一族を代表してまで」
「当然だ。それが一族の習わし。エルフや魔族は知らんが、男の長を決める際は、必ず選ばれし者と戦うのが我らの掟だ」
「大変な掟だな」
「そうだな。場合によっては、一族イチの戦士や次期族長候補が命を落とすこともある。だが、戦いの多い世界を生き抜くためには、はっきりとした強さの序列が必要なのだろう」
「ふぅん……」
納得がいくような、いかないような。
ちなみにシノビノサト村は、フウマという職に就けた者が村長になると決まっている。
そしてフウマとなったかどうかは、フウマにしか使用できないとされるスキルを使えるかどうかでわかる。
過去に同世代に複数のフウマが誕生したことはないので、決闘みたいにして決めたこともないらしい。
エイユードノは少し誇らしげにしながら、先程の技についてみんなに説明しながら去って行った。
「あれぞまさに奈落に落ちるような恐怖を味わわせる技……!」などと大袈裟なことを言っている。
「別に、あの技……奈落に落とすから、奈落、って名前がついてるわけじゃないんだけどな」
あの技――〈影走り〉の特別な使い方を考案したのが、ナラクというシノビだったというのが理由だ。
ま、確かにぴったりな名前だけどさ。
「よし! 絶好の〈影走り〉の練習日和だ! もうちょっと練習していくか」
〈影走り〉か……。
上忍の証と呼ばれるシノビスキル。
「そういや、シノビノサト村で当たり前のように言っていた上忍とか中忍とかって、『職の位階』を示してたんだな」
ステータスを表示させて確認してみたところ、こんな感じだった。
〈最下位職〉盗賊
〈下位職〉シノビ(下忍)
〈中位職〉シノビ(中忍)
〈上位職〉シノビ(上忍)
〈最上位職〉フウマ
言うまでもなく、〈最上位職〉フウマはジッチャンと俺しかいない。
〈上位職〉シノビ(上忍)も非常に少ない。
一番多いのは〈下位職〉シノビ(下忍)だった。
それにしても、今日は空に雲がない。
雲があると、地面に落ちた雲の影にまで転移できるので、あまり練習にならないのだ。影をちょっと探さないといけないくらいの方が練習に向いている。
「『〈影走り〉奈落』……!」
練習がてら、技を使う。
小石を投げて、転移。今回は誰も掴んでいない。
遥か下に地面が見える。この程度の高さなら落ちても怪我をしたりしないが、それでもちょっと不安だった。
足元に地面がないと落ち着かないよな、なんとなく。
何気なくちょっと遠くを見ると、竜二匹が戯れるように飛んでいた。
あれは、〈天雷の塔〉に囚われていた竜の子供たちだ。
子供、といっても、めちゃくちゃ大きい。
それがまるで二匹の子猫がじゃれ合うように、互いの尻尾を追いかけ回している。
まさかドッグファイトの練習というわけじゃないだろう。
(……あれは)
翼の陰になっていて今まで見えていなかったが、背中に人影があった。
竜の翼の影に〈影走り〉で転移してもいいのだが、今は『〈影走り〉奈落』の練習の最中だ。
「『〈影走り〉奈落』!」
俺は小石を竜の少し上目掛けて投げる。うっかり竜の翼に当てると傷をつけてしまうので気をつけなければならない。
高速で飛ぶ二つの小石。
小石がもう一方の小石に作る影に、俺は転移した。
(これって光源の位置とか関係するから、地味に使いづらいんだよな……)
だが、『〈影走り〉奈落』の利点は大きい。
まず第一に、通常なら不可能な上空に転移できるという点。
シノビスキルの中には突進力のある技もあるので、それを活かして高く跳ぶ、ということはできる。
また、高い建物の壁面を上って、上空に向かって駆け上がるということも可能だ。
けど、一切足場もない、影もない場所に、かつてのシノビは移動できなかった。
制空権のなさは、シノビの唯一の弱点だと言われていた。
そう。「かつて」だ。
そう言われていたのは、ジッチャンが若かった頃まで。
当時、ジッチャンと覇を競い合っていたナラクというシノビがいた。
ジッチャンよりいくつか年上で、ジッチャンの兄貴みたいな存在だったらしい。
そのナラクは、ジッチャンとほぼ同時期に上忍になったそうだ。
上忍になったナラクは、自分が使えるようになったシノビスキルの〈影走り〉に大層感心したそうだ。
そして、ただ単にスキルを放つだけだった、それまでのシノビの思考に革命をもたらした。
スキル自体は一切変わらないが、合理的な戦術を取り入れたのだ。
それまでの〈影走り〉といえば、距離を取る、距離を詰める。この二択でしか使用していなかった。
それに対してナラクは、自身の代表作である『〈影走り〉奈落』を完成させて、制空権を得る手段としたのだ。
また、それを応用して、飛行能力のない相手や、飛行能力を奪った相手を自分ごと上空に転移させ、地面に叩き落とすという使い方まで編み出した。
このナラクの発明ともいうべき、新たなスキルの使い方は、のちのシノビに多大な影響を与えた。
けど――。
そんなナラクは、もういない。
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