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第Ⅳ章 天国へ至る迷宮
リリィ 7
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俺の手のひらの上で、粉末となって、室長たちの方に飛び散った花の名を〈過去見幻草〉という。
どこか柔らかな名とは裏腹に、その花から抽出された成分の効果は劇的だった。
毅然としていた6人の幹部の雰囲気が、がらりと変わった。
正気を失った目をした男たちは、口を半開きにし、だらんと腕を垂らした。
毛足の長い絨毯に、ほとんど音もなくナイフや小瓶などが落ちる。
俺は室長の落とした小瓶を拾った。
中には白い半透明の液体が入っている。
だが、何かわからなかった。
「これはなんだ?」
室長はただ、瓶だ、とだけ答えた。
大した精神力だ。
夢うつつのような状態でも、重要な情報を無意識に隠そうとしているのだろう。
「中身はなんだ?」
「それは……」
口ごもる室長を見て、思案した俺は、室長たちの背後にあるアイリーンの肖像画を利用することにした。
正直、ここまではしたくなかった。
だが、彼らを廃人にしてしまわないためにも、早々に情報を聞き出して、術を緩める必要がある。
「……何も問題はありません。彼女がここにいらっしゃるのですから……」
「誰が……?」
不思議そうな室長に、俺は彼らの背後にある肖像画を視線で示した。
室長が振り向き、続いて全員が後ろを見た。
瞬間、彼らは震え出した。
「あっ! あぁっ! あああっ……!」
押し出しのいい室長も、猫背の下男も、太った料理番も、大小様々な男たちが、歓喜の表情を浮かべて震えている。
「……ほら、見えるでしょ? アイリーン女王陛下はここにいらっしゃいます……女王陛下の前で隠し事など必要ないでしょう?」
室長は目玉が零れ落ちそうになるほど見開き、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
俺は無意識のうちに拳を握り、自分の拳に爪を立てた。
……自分がどれほど酷いことをしているか、理解していた。
それでも、〈過去見幻草〉を所有し、利用する知識も持つであろう組織を放置しておくことはできない。
室長たちは、アイリーン女王陛下の肖像画の前に跪き、俺がアイリーンの代わりに尋ねるという風を装った質問に、素直に答えていった。
室長が持っていた小瓶の中身は、〈過去見幻草〉から抽出したエキスだったらしい。
スキルではなく、物理的に抽出したそうだ。
シノビノサト村にすらない技術。おそらく大変な難事業だったろう。
「俺を攻撃しなかったのは〈過去見幻草〉を利用して、味方に引き入れるつもりだったからですか?」
室長は頷いた。
「なるほど」
俺はアイリーンの肖像画を見上げる。
この部屋に案内したのも術にかかりやすくするためだろう。
お互い似たようなことをしようとしていたのだ。
「最後の質問です。……どうしてアイリーン女王陛下に忠誠を誓ったのですか?」
室長は語った。
王国史情報室の大幹部たちは、表でも裏でも、王国の汚い部分に深く関わってしまった。
嘘で塗り固められた王国史を作る仕事。
真実や秘密を探る諜報組織の仕事。
「だが、この世界に真実などなかった、ただ1つを除いて――」
「それがアイリーンか……」
俺は小さく呟いた。
表でも裏でも、穢れきった玉座を拭くために酷使され、自らも穢れきってしまった彼ら。
そんな誰からも顧みられない汚れた台拭きのような彼らを、日陰者の地位ではなくすと約束し、〈過去見幻草〉と特別な知識を与えたのがアイリーンだという話だった。
話しているうちに感極まったらしく、6人全員が跪いたまま号泣し始めた。
「おお……! アイリーン様! よくぞお戻りになられました!」
そう叫ぶ室長の姿に、俺は羨望を覚えた。
〈過去見幻草〉の恐ろしさは、本人が望む限り解けないところだ。
辻褄の合わないことも、すべて無理やり自分で辻褄を合わせてしまう。
「アイリーン女王陛下はこうおっしゃっています。『優れた道具は、相手に利用される危険が大きい。だから〈過去見幻草〉はすべて処分すべきだ』と。『また、王国史情報室の裏の活動についても、徐々に縮小し、解体するように』と……」
少々無茶な命令かと思ったが、術の効果が切れた様子はない。
彼らはこのまま役割を演じつつ、王国史情報室の暗部を解体してくれることだろう。
そうすればやがて、リリィのような存在もいなくなる。
シノビノサト村の掟は「秘密を漏らさないこと」だ。
「秘密を知った者を殺すこと」ではない。
もしこの方法が駄目なら、最悪、殺す必要があっただろう。
だが結局、アイリーンの求心力が彼らの命を救ったのだ。もしくは、彼らの忠誠心が自らを救ったといれるかもしれない。
立ち去ろうとして、聞き忘れていたことを思い出した。
「そうだ。1つ忘れていた。……最難関ダンジョン『天涯』、その財宝『天国』の正体について何か知っているか?」
室長以下全員が首を横に振った。
王国史情報室は『天涯』や『天国』とは無関係らしい。
今度こそ歩み去る。
(……あれが彼にとっての天国なのかもな…………)
妄想に囚われた男たちを振り返ったついでに、最後にもう1度だけ、アイリーンの肖像画を見上げた。
感じたのは、アイリーンに対するせつなさではなく、男たちを騙した罪悪感。
自分がアイリーンの呪縛を逃れつつあることを知った。
「これでもう、さよならかもな……アイリーン」
どこか柔らかな名とは裏腹に、その花から抽出された成分の効果は劇的だった。
毅然としていた6人の幹部の雰囲気が、がらりと変わった。
正気を失った目をした男たちは、口を半開きにし、だらんと腕を垂らした。
毛足の長い絨毯に、ほとんど音もなくナイフや小瓶などが落ちる。
俺は室長の落とした小瓶を拾った。
中には白い半透明の液体が入っている。
だが、何かわからなかった。
「これはなんだ?」
室長はただ、瓶だ、とだけ答えた。
大した精神力だ。
夢うつつのような状態でも、重要な情報を無意識に隠そうとしているのだろう。
「中身はなんだ?」
「それは……」
口ごもる室長を見て、思案した俺は、室長たちの背後にあるアイリーンの肖像画を利用することにした。
正直、ここまではしたくなかった。
だが、彼らを廃人にしてしまわないためにも、早々に情報を聞き出して、術を緩める必要がある。
「……何も問題はありません。彼女がここにいらっしゃるのですから……」
「誰が……?」
不思議そうな室長に、俺は彼らの背後にある肖像画を視線で示した。
室長が振り向き、続いて全員が後ろを見た。
瞬間、彼らは震え出した。
「あっ! あぁっ! あああっ……!」
押し出しのいい室長も、猫背の下男も、太った料理番も、大小様々な男たちが、歓喜の表情を浮かべて震えている。
「……ほら、見えるでしょ? アイリーン女王陛下はここにいらっしゃいます……女王陛下の前で隠し事など必要ないでしょう?」
室長は目玉が零れ落ちそうになるほど見開き、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
俺は無意識のうちに拳を握り、自分の拳に爪を立てた。
……自分がどれほど酷いことをしているか、理解していた。
それでも、〈過去見幻草〉を所有し、利用する知識も持つであろう組織を放置しておくことはできない。
室長たちは、アイリーン女王陛下の肖像画の前に跪き、俺がアイリーンの代わりに尋ねるという風を装った質問に、素直に答えていった。
室長が持っていた小瓶の中身は、〈過去見幻草〉から抽出したエキスだったらしい。
スキルではなく、物理的に抽出したそうだ。
シノビノサト村にすらない技術。おそらく大変な難事業だったろう。
「俺を攻撃しなかったのは〈過去見幻草〉を利用して、味方に引き入れるつもりだったからですか?」
室長は頷いた。
「なるほど」
俺はアイリーンの肖像画を見上げる。
この部屋に案内したのも術にかかりやすくするためだろう。
お互い似たようなことをしようとしていたのだ。
「最後の質問です。……どうしてアイリーン女王陛下に忠誠を誓ったのですか?」
室長は語った。
王国史情報室の大幹部たちは、表でも裏でも、王国の汚い部分に深く関わってしまった。
嘘で塗り固められた王国史を作る仕事。
真実や秘密を探る諜報組織の仕事。
「だが、この世界に真実などなかった、ただ1つを除いて――」
「それがアイリーンか……」
俺は小さく呟いた。
表でも裏でも、穢れきった玉座を拭くために酷使され、自らも穢れきってしまった彼ら。
そんな誰からも顧みられない汚れた台拭きのような彼らを、日陰者の地位ではなくすと約束し、〈過去見幻草〉と特別な知識を与えたのがアイリーンだという話だった。
話しているうちに感極まったらしく、6人全員が跪いたまま号泣し始めた。
「おお……! アイリーン様! よくぞお戻りになられました!」
そう叫ぶ室長の姿に、俺は羨望を覚えた。
〈過去見幻草〉の恐ろしさは、本人が望む限り解けないところだ。
辻褄の合わないことも、すべて無理やり自分で辻褄を合わせてしまう。
「アイリーン女王陛下はこうおっしゃっています。『優れた道具は、相手に利用される危険が大きい。だから〈過去見幻草〉はすべて処分すべきだ』と。『また、王国史情報室の裏の活動についても、徐々に縮小し、解体するように』と……」
少々無茶な命令かと思ったが、術の効果が切れた様子はない。
彼らはこのまま役割を演じつつ、王国史情報室の暗部を解体してくれることだろう。
そうすればやがて、リリィのような存在もいなくなる。
シノビノサト村の掟は「秘密を漏らさないこと」だ。
「秘密を知った者を殺すこと」ではない。
もしこの方法が駄目なら、最悪、殺す必要があっただろう。
だが結局、アイリーンの求心力が彼らの命を救ったのだ。もしくは、彼らの忠誠心が自らを救ったといれるかもしれない。
立ち去ろうとして、聞き忘れていたことを思い出した。
「そうだ。1つ忘れていた。……最難関ダンジョン『天涯』、その財宝『天国』の正体について何か知っているか?」
室長以下全員が首を横に振った。
王国史情報室は『天涯』や『天国』とは無関係らしい。
今度こそ歩み去る。
(……あれが彼にとっての天国なのかもな…………)
妄想に囚われた男たちを振り返ったついでに、最後にもう1度だけ、アイリーンの肖像画を見上げた。
感じたのは、アイリーンに対するせつなさではなく、男たちを騙した罪悪感。
自分がアイリーンの呪縛を逃れつつあることを知った。
「これでもう、さよならかもな……アイリーン」
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