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第Ⅳ章 天国へ至る迷宮

もう一つの旅立ち

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村長宅のリノの部屋まで走ったセーレアは、障子を開けた。

布団の上で上半身を起こし、両手を組み合わせて祈るように目を閉じている幼い少女の姿が目に飛び込んできた。

「……リノ……ちゃん?」

予想外の姿と雰囲気に面食らった。

月明かりに照らされる白い横顔。
なぜか侵すことのできないような気配がした。
組んだ手をほどき、青い瞳を向けてきたのはいつもの小さな友人の姿だった。

「セーレア、どうかしたの?」
「どうか……って……」

リノは起きていた。
ならオゥバァに呼ばれて、乱暴に扉を開けて走り出した隣人のことに気づいていたはずだ。当然その理由がフウマの旅立ちであることも。

混乱したセーレアの前に1歩出たオゥバァは、なにを考えているのかわかりづらい笑みを浮かべたまま短く言った。

「出掛けちゃったわよ、彼1人で」
「えぇ」

落ち着いたしっとりとした仕草で頷くリノ。
フウマは、こうしたリノの様子を見たらどう思うだろう。

女は、男の好むように演じる傾向が強いのかもしれない。
勇者パーティーのエリーゼなどもそうだった。周囲にいる男が望むような聖女を演じていたのだ。

リノの場合は、不特定多数ではなく、自分の利益のためでもない。
ただフウマのために、フウマの望む自分を演じているようだった。

「確かにフウマは強いですが、スキルも万能というわけではありません。私を守りながらでは、本来の力の百分の一も出せないでしょう」

確かに、フウマの力はデタラメといってもいいくらいのものだが、誰かを守るのに向いたスキルなどはないようだった。

むしろ万が一の際に、大怪我でも治癒できるセーレアの方が、守ることに関していえば優れているといえるかもしれない。

「彼の無事を思うのであれば、こうして置いていってもらった方がいいのかもしれません」
「本気?」

オゥバァは尋ねる。

「……えぇ」

わずかな間が、リノの薄い胸の内を語っていた。

「……うーん、これ、言おうか、どうしようか迷ってたんだけど、言うね」

オゥバァは、肩先まである銀髪を指先で弄りながら語り出した。

「昔、ダークエルフの里の住人が、水産都市エレフィンの近くにある滝の裏にある洞窟に行って、帰って来なかったことがあるのよ……」

水産都市エレフィンの近くにある滝の裏にある洞窟。
そんなものがいくつもあるとは思えない。

「あんた知らないって言ってたじゃない!」

思わず食ってかかると、悪びれた様子もなくダークエルフが肩をすくめる。

「『天涯』についても『天国』についても知らない……。長い年月を生きるダークエルフでさえ知らないし、そうした伝承もないんだから、きっと『天涯』も『天国』も最近できたものよ」
「ダークエルフのって……」
「まぁ、数十年から百年くらいの間かな」
「大雑把な……」

ため息をついたセーレアは、突然こんな話を始めたオゥバァに問いかける。

「で、それでなにが言いたいのよ?」
「単純な話、最難関ダンジョンだかに認定される前から、なにかあったんじゃないかって」
「なにかって?」
「なにかはなにかよ」
「なによそれ」
「少なくとも、最初にそこに行って帰って来れなくなったダークエルフはいるけど、2度目に調査に向かったダークエルフは帰って来たわ。ピンピンして長生きしてた」
「詳しそうね」
「私の育ての親だしね。族長にもなった人よ」

へぇ、とセーレアが頷いていると、リノが勢い込んで尋ねた。

「では、その『天涯』とまだ名付けられていなかった頃のそこに、いったい『なに』があってんですか?」

「それが――」

間を空けたダークエルフが、「全然わかんない」と肩をすくめてみせた。
セーレアは思わず頭を叩いてしまった。

「痛っ! 痛いじゃないセーレア! もうっ!」
「あなたがふざけるからでしょ!」
「ふざけてなんかないわよ。族長も話してくれなかったんだもん。話し好きで、いろいろな伝説や伝承を語ってくれたけど……その件については触れなかったの」

リノの部屋の中に沈黙が降りた。
特にリノからは重たい気配を感じる。
小さな拳を口元に当てて、必死に考え込んでいる仕草は、どれほどフウマのことを案じているのか痛いほど感じさせた。
大丈夫よリノちゃん、と気休めを言う前に、リノはオゥバァに尋ねた。

「つまり、絶対に帰還できないという状況ではなかったわけですね?」
「少なくとも以前はね。……フウマやリノちゃんに聞いた話だと、どうやら『天涯』と名が付いただけでなく、物騒さも一段と凄いことになったみたいだけど」
「他にはなにか?」
「とりあえず近づくな、って言われた。けど、本当に危険なら、その事情とかも説明したと思う。……だから当時はまだそこまで危険じゃなかったんじゃないかな……?」

ちなみに私は近づいたことさえないよ、という返事を聞き、リノはまた考え込んだ。
やがて1つの結論に至ったのか、おもむろに掛け布団をはねのけ、寝衣を脱ぎ捨てて着替えだした。
横顔には決死の覚悟が見え隠れしている。

導く灯火の合成獣リーディング・ライトっていう怖いキメラのモンスターが夜間は活発に動き回るから危険だよ?」

オゥバァのちゃかすような台詞に、「それでも……!」と言い募ろうとしたリノの口元に、オゥバァは人差し指を突きつける。
驚いたリノは台詞を止めた。

「ごめん。ちょっと悪ふざけが過ぎた。……――にしても、リノちゃんといい、フウマといい、本当に頼るのが苦手ね」
「たよ……る?」

不思議そうな表情は、年相応に幼く見えた。

「そう。頼ること。……というか、フウマの心配も、リノちゃんの心配も、私とセーレアがついていけば、かなり軽減するでしょ?」
「それは…………」

その考えに至らなかったのか、初めて検討する様子のリノ。
セーレアは、一応友人といってもいいダークエルフに視線だけを向ける。

同じく横目でこちらを見た銀髪の美少女の姿をした存在は、ウインクしてみせた。

リノがいきなり身を乗り出して見上げてきた。

「一緒に行って下さいますか!?」

半裸の少女に迫られるという体験は、数奇な運命を辿っているセーレアでさえ初めての経験だ。
セーレアはちょっと動揺しつつも答えた。

「オーケー」
「こっちもオッケーだよっ」

 ――軽っ。
 とでも思ったのか、びっくりした表情のままリノは固まってしまった。

「……いいん……ですか? 危険ですよ」
「行くなって言われると行きたくなるのがダークエルフってもんよ」
「それあんたの習性でしょ」
「バレた?」

可愛らしく舌を出すオゥバァに、セーレアはため息をついた。

「私も当然行くわよ。……リノちゃんとオゥバァだけだと心配だし……」

それに3人が合流すれば、フウマの生存確率も上がるだろう。
あんな桁外れの存在を心配するのもどうかと思うが、精神的な弱さを突かれたら、怪我の1つや2つするかもしれない。
それでも自分がいれば、傷を癒やすことで、死なない限りなんとか生還させる自信があった。

「ありがとうございます!」

勢いよく頭を下げるリノに、着替えの続きをするように促すと、リノは自分がみっともない格好だったことに気づき、真っ赤になって服を着始めた。
そんなリノの部屋を出たセーレアは、一緒に退出したオゥバァに話しかけた。

「どうして理由言わなかったの?」
「理由?」
「あなた、フウマが気落ちして一切笑わなくなったの、心配してたでしょ? 村の外れにある墓に行った辺りから。……彼の曽祖父と昔なにかあったの?」
「…………そうだったかな?」

はぐらかす友人に、セーレアはため息をついて肩をすくめる。

「……はぁ。はぐらかすならいいけど、あいつがリノちゃんのことを話す時に笑ったことくらい教えてあげればよかったのに」
「……じゃあ、どうしてあなたは教えなかったの?」
「そりゃ、実際に見てもらった方が、面白いからに決まってるじゃない」

セーレアがそう答えると、「リノちゃんの驚く顔が見たいしね」とオゥバァも答えた。

案外似た者同士だ。

忍び笑いを漏らしていると、後ろの障子が開き、旅に相応しい厚手の服装に着替えたリノが立っていた。

「どうしたんですか?」

不思議そうに小首を傾げる少女に返事した。

「なーんにも」

セーレアとオゥバァの声が揃った。
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