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1巻

1-3

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「――――っ! ぅ…………ぅっ……うぅ……」

 のどが渇いていたらしいリノは、動物の皮の苦味が混じった少し古くなった水をうめきつつも飲んでいく。
 ぷはっ、と可愛らしく口を離したリノに、今度は布につつまれた干し肉ジャーキーを手渡す。

「……ありがと……ご……ざぃます」

 なんかちょっとだけ流暢りゅうちょうになってきた気がする。

「べつに気にしなくていいよ。その干し肉、安売りしてたものなんだ。あまり美味おいしくないし、大人でも噛み切るのが大変だけど……食べられるかい?」
「…………」

 チャレンジャーなのかリノは躊躇ちゅうちょなく布を取り去り、薄く切られた茶色いかたまりにかぶりついた。

「……うー……うー……うぅーっ!」

 噛み切れないと直感したらしく、噛んだまま両手で引っ張る。
 だが、無駄なようだ。

「貸して」

 俺は干し肉を返してもらうと、金属製のコップを小鍋代わりにスープを作ることにした。
 スープの具は、まきを拾うついでに見つけた野草と干し肉だ。
 野宿には慣れているので、あっという間に温かいスープが一杯だけ完成した。
 残念ながら料理もスープを入れる器も一つしかない。

「どうぞ。あいにく具は少ないし、味も今一つだろうけど。もし機会があったら、シノビノサト村の特産の米で作った雑炊ぞうすいを食べさせてあげるよ」
「こめ?」
「あぁ、米だ。俺の知るかぎり宗教都市ロウでは売ってないし、他の都市にもないみたいだな。……さぁ、冷めないうちにお食べ」

 差し出されたスープを受け取ったリノは、たどたどしくお礼を言ってから口をつけた。

「――っ! ……あぅ」

 どうやら熱かったらしく、口を離して涙目になった。
 ふぅふぅと息をスープに吹きかけて冷まし始める。

「ふぅふぅ……ふぅふぅ……ふぅふぅ……ふぅふぅ……ふぅふぅ……フゥゥーッ!」

 よっぽど猫舌なのか、入念に冷ましてからまた口をつけた。
 パァッ、と表情がにこやかになる。

(ほんと……美味しそうに食べるな……)

 スープにした干し肉は柔らかくなって食べやすいし、投入した野草の中には、他の野草の苦味を消す効果があるものもある。
 それでも、具はいくつかの野草と安い干し肉だけ。
 料理ともいえないようなスープのはずだった。

(けど、やたら美味しそうに見えるな……)

 リノは無言でスープを食べ続けていたが、いきなり手が止まった。

「……ありがと、ございます」

 返されたコップを覗くと、まだスープは半分くらい残っていた。

「もういいのか? まだ残ってるが……」
「フウマさんの、ぶん! です」
「いや。俺は二、三日食べなくても全然平気なんだが……」

 どうするかと首を傾げたあと、「じゃあひと口だけ」と断ってから口をつけた。
 口内に少し冷めたスープの味が広がる。

「…………美味うまいな……」

 干し肉を水で柔らかくして食べるというのは、冒険者の食事としては一般的だ。俺も、何度も勇者たちと食べてきた料理のはずだった。

(けど、なんで……)
「――こんなに美味いのかな……?」
「ぜんぶ……たべて、いぃです」

 微笑ほほえみかけてきた幼い少女に、俺は自然と笑い返していた。子供の時みたいに無邪気に笑えたのは久しぶりのことだ。
 少なくとも、シノビノサト村を出てから一度も、こんなふうに笑ったりした記憶はなかった。

「どぅして、ここ、に……?」

 お腹がふくれ、リノは俺のことが知りたくなったらしい。

「まぁ、話せば長くなるんだがな……」

 久しぶりに満たされた食事のためか、すぐそばにいるリノのためか、俺はひどく幸福な気分を味わいながら、天を仰いだ。
 夜空にはいつの間にか星がまたたいていた。雲一つないわけじゃないけど、月に照らされる雲の陰影さえも美しいと思えた。

(「月が綺麗ですね」っていうのが告白の言葉だと、ジッチャンのトウチャンが生前言ってたらしいけど、……初めて理由がわかった気がするな)

 心から幸福を感じた時、金銀財宝よりも遥かに、世界は美しく感じられるのだ。俺が狭い村を出て冒険者になりたかった理由も、そこにあるのかもしれない。だとすれば、最大の宝は、最難関ダンジョンの最奥ではなく、出会いの中にこそあったということなんだろう。
 月を見上げたまましばらく物思いにふけり、どう説明しようか考える。
 リノをあまり待たせるのも悪いと思い、心に浮かんだ台詞をそのまま口にした。

「『最難関ダンジョンをクリアした成功報酬は勇者パーティーの裏切りでした』ってところかな」



      6



 翌朝、捕らえたS級冒険者チーム〈治癒神の慈悲と赤魔道士組合の誇り〉を引きずるようにして、俺とリノは移動する。
 スキルで気絶させてある三人もの人間を楽々と引きずる俺を見て、幼い魔族の少女の頬は引きつった。
 勇者たちと探索したS級ダンジョンに最も近い街は、〈治癒神の御手教会〉の総本部が存在する宗教都市ロウだ。
 しばらく歩いて森を抜けると、丘の上から宗教都市ロウの偉容が見えた。
 街を囲む二重城壁は、まるで人が心の中で思い描く真円をそのまま現実の世界に描いたかのように、一切のゆがみがない。

「きれぃ……」

 リノが評したように、遠くに見える宗教都市ロウは美しい。
 特に――。

「あの……たかぃ、とー、きれい……です」
「あぁ。あの尖塔は〈治癒神の御手教会〉の総本部の中央にある〈天雷てんらいの塔〉だ」
「てぇ……らい?」

 聞きなれない言葉に首を傾げるリノに、俺は説明した。

「……俺のジッチャンが、宗教都市ロウで唯一絶対に隙を見せるな、注意しろ、ってくどいほど言ってきたモンだ」

 薄曇りの空の下、宗教都市ロウのほぼすべてが陰鬱いんうつな色に染まっている。
 だが、あの都市の中央にある青白く輝く〈天雷の塔〉だけは別だ。魔法の力によって、夜間でも雨天でも青白く輝き続けていて、高い城壁を楽々と超え、遠い丘の上に立つ俺たちにもはっきりと見えている。
〈天雷の塔〉は時計塔の役割も果たし、市民に親しまれている。だが同時に、あれが神代マジックアイテムを核として建造された、恐るべきマジックアイテムであることを知らない者は、この都市にはいないだろう。

「最悪だな。……この曇り空なら〈天雷〉を発動できる」

 珍しく顔をしかめる俺を見て、リノは不思議そうな顔になった。

「〈天雷〉は、〈天雷の塔〉から放つ儀式魔法だ。たくさんの魔道士を必要とするし、高価な消耗品も大量に使用する。一発撃つだけで、平均的な市民の一日の労働賃金が千人分吹っ飛ぶ」

 ゴ……ゴゴ……ゴロゴロ……。
 と、不穏な音が宗教都市ロウと俺たちの間で起こる。
 より濃い黒雲が生まれた。

「……今回の目標を見つけたらしいな……」

〈天雷〉の発動費用はバカにならないのに、〈治癒神の御手教会〉は月に一度はあの強大な儀式魔法を放つ。
 名目は、宗教都市の外にいる巨大で凶悪なモンスターを倒すため、と広報している。
 だが、実際は違う、と俺は感じている。おそらくまともな人間なら誰でも同様だろう。
 なぜなら〈天雷の塔〉を使用してモンスターを討伐するより、冒険者を雇って討伐させた方が遥かに安上がりなのだから。

「……始まった」

 ゴロゴロと鳴る前方の雨雲が、稲光いなびかりを発し始める。
〈雷の大神〉の加護を必要とするらしく、発動までに時間がかかることがこの儀式魔法の弱点だ。それ以外に弱点らしい弱点はほとんどない。
 雨雲から落ちた雷は、宗教都市の周囲を飛んでいたワイバーンを直撃し、一撃で黒い炭へと変えた。
 極太の雷は、三メートルはあるワイバーンを丸々呑み込んで、その硬い鱗を物ともせず貫通して、地面に大穴を開けた。

「……ん? なんだ?」

 ワイバーンの数倍はありそうな飛行型モンスターを見つけて、俺は思わず目を疑った。

ドラゴン? あのサイズは上位竜クラスだぞ……?」

 上位竜は、俗世から隔離されたように思われているシノビノサト村の周囲にさえもういなくなった、二千年以上生きてきたドラゴンのことだ。
 世界に残り数匹とも、もう絶滅したとも言われる存在だった。

「マジか……?」

 目の前の光景が信じられない。
 各国の首都と同等か、それ以上に堅牢とされる宗教都市ロウ。そこに、非常に希少な存在である最古のドラゴンが戦いを挑んでいるのだ。
 とんでもない現場に出くわしたものだ。

「――リノ。悪いが、俺だけ少し先に行っていいか?」

 幼い魔族の少女一人を置いて行くことに、ちょっとだけ不安を感じた。冒険者どもはスキルで気絶させてあるし、リノはしっかりしている。モンスターがこの周囲にはいないことも俺の〈敵感知〉でわかっていた。それでも逡巡しゅんじゅんする俺に、リノは真剣な顔をして言った。

「……いって」

 魔族とドラゴンは同じく、人間に目のかたきにされている存在だ。だからこそ、世界でただ一匹かもしれない上位竜が討滅される瞬間に、なにかを感じたのだろう。
 涙を浮かべた瞳でまっすぐ見つめてきたリノは、早く行ってあげてと言うように深く頷いた。

「ありがと」

 俺は駆け出す。
 全速力で。
 が――。
 カッ――ドッドドドォォォォドドッ!
 上位竜を貫き、地面に着弾した極太の雷が、土をまるで高波のように巻き上げた。
 俺は、その水平に流れるような土砂崩れを物ともせずに踏破する。
 すり鉢状になった地面の中央には、両方の翼をボロボロにされ、赤い血を吐いて横たわるドラゴンがいるだけだった。
 かすかに浅い呼吸を繰り返す白銀の上位竜は、俺の百倍くらいの大きさがあるはずなのに、ひどくちっぽけに見えた。

「……少年……。なぜ、ここに来た」

 チカチカと空がまたたく。
 通常の儀式魔法でも、多人数の魔道士の精神集中を必要とし、発動までに時間がかかる。〈雷の大神〉の加護を必要とするといわれる儀式魔法ならなおさらだ。今〈天雷の塔〉で、多くの魔道士たちが〈天雷〉をまたここに放とうとしているのだろう。

「来た理由は……、正直わからない」

 死にかけだからだろうか。
 薄目を開けてこちらを見つめるドラゴンの瞳は、ひどく優しげに見えた。

「……ふ。……同情か。……二千年以上生きた我だが、人間から同情を受けたのは初めてだな」
「なんでこんな真似を?」

 上位竜は、俺とは比較にならないほど老成した思慮深い目で、天に向かってひと筋の青い魔法の輝きを飛ばしている〈天雷の塔〉を見つめた。

「〈天雷の塔〉……。数多の信者たちの血と汗と涙と寄付金を食らい建造された神代マジックアイテムの発動装置。あんなものを造るとは、人間とは立派なものだ」

 まったく感心した様子もなく、死にかけの上位竜は語る。

「なぜ、と問うたが……それは復讐のためだ。人間よ。……我が孫は、あの〈天雷〉によって討たれた」

〈天雷〉は、〈治癒神の御手教会〉がおのが威信を示すために定期的に放っている。対象は大型モンスターや神代に造られて暴走した大型ゴーレムなどだ。当然、大型モンスターであるドラゴンも対象だった。

「……ところで、少年よ。『〈治癒神の御手教会〉の秘密』を知りたくないか?」
「『秘密』?」
「そうだ。世界中の都市に存在する〈治癒神の御手教会〉の存在を、根底からくつがえすような秘密だ。もしかしたら革命が起こるやもしれん。〈御手教会〉だけでなく、魔道士組合系最大勢力である赤魔道士組合を含む各魔道士組合も、大混乱に陥るだろう――『世界の謎に迫る秘密』だ」
「……それを知ったらどうなる?」

 興味を引かれたものの、別の疑問を投げかけた。

「少なくとも、遠くに隠れているあの小さなモノを引き連れる以上に、〈治癒神の御手教会〉につけ狙われるだろうな。奴らは余裕がない。あのような尖塔を建て、定期的に神代の魔法を放たねば気が済まないほどにな」

 ドラゴンの視線が一瞬、遥か後方にいるリノに動いた。

「だったら聞かない」
「それを聞き、世界に広く知らしめることで、大きななにかを成せるとしても――、か?」
「そうだ。……俺はシノビだ。シノビというものは耐え忍ぶ者、陰で動く者だと教わっている――それがシノビの在り方なんだ」

 上位竜はため息を一つついた。
 リノなら吹き飛ばされかねないほどの風が生まれる。

「……理解できぬ。それほどの力を持ちながらなにを耐える」
「最強とうたわれる二千年も生きる上位竜には理解できないかもな。けど」
「うむ?」
「――孫のために単騎で死地に赴くのも、一般的には理解できない感情だと思うけどな」
「……然様さようかもな――」
「遺言があるなら、聞こう」
「遺言か……」

 死にかけの上位竜は、しばらく目を閉じた。
 二千年生きた竜の遺言。
 どんな言葉か予想もつかない。

「ふぁっふぁっふぁっ」

 突如、ひどく柔らかく上位竜は笑った。
 そしてそれが彼の遺言さいごのことばとなった。
 数多あまたの知識を持ち、たぐいまれな叡智えいちを誇る、長い時を経たドラゴンの遺言が――ただの笑い声だなんて、しゃれてる。
 上位竜を真似て、「ふぁっふぁっ」と笑った後、俺は落ちてきた〈天雷〉に向かって、はっきりとジッチャンとの約束――シノビの掟を破る覚悟で、シノビスキルを使用した。それも最上位スキルのうちの一つを。
 視界が雷の強烈な光に包まれる。

「〈いちの秘剣・雷切らいきり〉ッ!」

 正真正銘、全力で放った一撃。
 初動こそ〈手刀〉に似ているが、雷を全身に纏って突進して放つ〈雷切〉の威力は、〈手刀〉とは比較にならない。


 シノビスキル最上位である雷遁らいとんの術〈雷切〉は、雷を切り裂き、消滅させる効果もある。シノビにとって数少ない攻撃手段にも使えるスキルだ。
 高く高く、空を流れる雲にさえも届かせるつもりで、〈雷切〉発動の勢いを利用して跳躍し、雷を斬り裂いて、昇る。
 極太の雷は消滅しない。
 並みの魔法なら、〈雷切〉によって、斬り裂かれ、完全消滅するはずだった。
 だがこちらの〈雷切〉が打ち消されないだけで、〈天雷〉も消滅しない。

(さすが、神代マジックアイテムをさらに気の遠くなるほどの年月と金をかけて強化しただけのことはある)

 地と雲。その中間ほどまで昇ったところで、俺の〈雷切〉の効果が消滅した。
〈天雷〉も消滅。
 ただし〈天雷〉は発動時間が過ぎただけで、〈雷切〉で消滅させたわけではなさそうだった。
 着地した俺が見たのは、すり鉢状の大地がさらに陥没し、上位竜の亡骸が無残にもバラバラになった光景だった。

「……『〈治癒神の御手教会〉の秘密』、か……」

 各国に深く根を下ろしている〈教会〉を揺るがす秘密、と言われても、まったくイメージが湧かない。それほど〈教会〉の支配の歴史は長く、盤石に見えた。
 本当にそんなものがあるのか、という疑問は、あのドラゴンのまっすぐで純粋な瞳を思い出すと、消えた。
 おそらく嘘ではない。
〈治癒神の御手教会〉にはそれほどの秘密があるのだろう。
 上位竜の鱗の一枚を形見代わりに拾うと、黙祷もくとうを捧げ、急いでリノのもとに戻ることにした。ここから宗教都市ロウまではまだかなり距離があるが、万が一こんな所にいるところを誰かに見つかったらやっかいなことになりかねない。



      7



「ちっ! また毒ガストラップかッ!?」
「うざい! キモい! キモい! あの黒髪野郎チョーウザイんだけどー!」

 同じパーティーに属する勇者アレクサンダーと赤魔道士フェルノに、後方で支援に徹していたエリーゼは指示を飛ばした。

「さがってください」

 後衛である癒し手の彼女は、最難関ダンジョンの隠し部屋で手に入れた巻物スクロールのうちの一つを使用する。

「〈緑風陣ウィンド・フィールド〉!」

 巻物スクロールは緑色の光を放つとすぐさま、洞窟内ではあり得ないような突風を巻き起こした。
 燃え上がる巻物スクロールを投げ捨てたエリーゼは、オイルスライムと一メートルほどの巨大なカエルのモンスター、ジャイアントトードの群れに踏み込んだ。
 モンスターたちはすでにフェルノの魔法で燃え上がっている。火系統の魔法とオイルスライムの相性は抜群で、もともと大して強くない動きの鈍いジャイアントトードも巻き込んでいた。
 呼吸が苦しく、吐き気と頭痛にさいなまれながらも、何度も経験すれば三人も即座に対処できるようになっている。

「やはり毒ガスか! 風で吹き飛ばしたら一気に楽になったぞ! さすがに六度目ともなれば対応にも慣れてくるな!」
「うん!」

 アレクサンダーとフェルノの二人も、燃え盛るモンスターたちを相手にせず通路を駆け抜ける。
 戦闘後の小休止。背負い袋などの荷物を地面に下ろし、それぞれ岩に腰掛けた。
 ひと息ついたアレクサンダーは立ち上がると、リーダーらしくエリーゼにねぎらいをかける。

「さすがだな、エリー! これほど頼りになる参謀を俺は知らない!」
「いいえ」

 豊かな青い髪を揺らし、彼女は首を横に振る。

「せっかくダンジョン最奥で手に入れた〈緑風陣ウィンド・フィールド〉の巻物スクロールを、これで使い切ってしまいました」
「だがエリーが機転を利かせ、毒ガスを風の魔法で吹き払うという戦法を思いつかなければ、きっともっと困難になっていたことだろう」

 すすけた顔のアレクサンダーは、にこやかに笑みを浮かべる。
 もともと美形のアレクサンダーだからこそ、煤による汚れも火傷の跡も、むしろ男らしさの発露はつろのようにエリーゼには感じられた。

「ふん! 毒ガスなど、次からは俺の剣の素振りで散らしてくれる」

 ぶぉん――!
 と、伝説の英雄の剣を振るうアレクサンダー。
 分類的には大剣と言ってもいいくらいのサイズだが、彼はそれを片手で振ることができた。
 その姿は、まさに威風堂々。
 英雄の中の英雄というちだった。

「さすがは勇者様」
「凄い! 凄い!」
「褒めるな。……この程度当たり前だ」

 凄い凄いと誉めそやすフェルノと違い、深い笑みを浮かべたエリーゼはそれ以上なにも言わない。
〈治癒神の御手教会〉の上位聖職者の娘である彼女は、王家から期限付きで貸し出された伝説の英雄の剣の性能を知っているのだ。
 あれは装備するだけで、身体能力を跳ね上げる神代の奇跡を授かっている。
 また、勇者という職業にはどれほど破格な能力補正が存在するかも知っていた。
 伊達だてに参謀をしているわけではない。
 少なくともこのパーティーで、彼女ほど頭が回る人間は他にいないだろう。

「ねぇエリーゼ。治癒を使ってよ」
「……ダメですよ、フェルノ。まだ先は長いのですから。……わたくしたちの実力をもってしても帰り着くには少なくともあと二日はかかるでしょう」

 冒険者最高ランクのS級でも、それより早く脱出することは不可能だ。

「ふン!」

 鼻息荒く、アレクサンダーはまたも素振りする。
 疲労困憊ながらも小休止の間まで剣を振るう姿は、まさに困難に立ち向かう英雄の姿だとエリーゼは感じた。
 粗野ともとれる振る舞いも、若く美形であり、勇者という肩書きがあれば、一転して雄々しさや男らしさといった好意的な印象に変わる。
 このダンジョンの帰途についてから、まだ一日しか経っていない。
 その間に、彼らはかなり消耗していた。火傷の跡をすべて治癒しきれないほどに。
 無論、 〈治癒神の御手教会〉屈指の治癒の使い手であるエリーゼなら、ここにいる全員を完全に癒やすことも可能だ。
 とはいえ、六度も毒ガストラップを仕掛けられていたとなると、これ以降もトラップが存在する可能性がある。余力は必要だった。

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