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第Ⅲ章 王国の争い

元勇者パーティーの後日談その8――フェルノの思い

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「ねぇ、アレク、どうすんのさ?」

一応、ボロ屋から出る瞬間、振り向いたフェルノは、暴動に怯えて隅で小さくなっている男に尋ねた。

フェルノの目には、呆れと憐憫がある。

少なくとも同じ家で暮らし、情を交わし合った仲である。

フェルノ自身、「エリーゼなら過去の男は過去の男で即割り切るんだろうな」などと思い、自分の未練のようなものを不甲斐なく思っていた。

(……ここで、アレクがあたしの手を取るようなことがあれば、……多少何か変わるかもしれない)

だがそれがフェルノにとっていいことなのかどうかさえ判断がつかない。ましてアレクサンダーにとっても。

だからこそ、フェルノは強く言い出さない。

ただに一言声をかけたのだ。

――これで、終わりだ。

もしここで何も起きないのなら……。

フェルノはしばらく突っ立っていた。

本人は5秒くらいのつもりだったろうが、実際は30秒は立ち続けていた。

周囲の大混乱の騒音が凄まじく、かえってこの周囲の空間だけポツン、と切り取られたかのようだった。

この30秒が、ある意味、勇者パーティーにとって2番目に重要な時間だったかもしれない。
最も重要な30秒は、フウマを追放するという会議に使用した30秒だ。勇者パーティーの会議といってもその場にいたのは、アレクサンダーとフェルノ、エリーゼの3人だけ。当の本人であるフウマを除き、彼の処遇について議論したのだ。

30秒の内容をあえて語るまでもない。
いつも通りの30秒だった。

そしてどのように重要な30秒であっても、一日を流れる他の時間と同様に、当たり前に過ぎていく。

「じゃ……ね」

未練を断ち切るように、フェルノは長いツインテールの赤髪を揺らして納屋を出た。

彼女がツインテールを念入りに井戸水で洗っていたことや数少ない装飾品を髪につけていたことにアレクサンダーは気づいていただろうか。

フェルノは人混みの中を歩く。非常に歩きにくかった。

火の手はいたるところで上がり、悲鳴もあちこちで上がっている。

――どこが安全かわからない。

そうフェルノにぶつかりながらも、どこかに逃げようとする貧民窟の住人たちの顔に書いてあった。

きっと自分も同じ顔をしてるだろうな。フェルノはそう思うが、その歩みは止まらない。

彼女にはとりあえず行くべきところがあった。

エリーゼの元――ではない。

始めはフェルノもエリーゼを頼ろうかと思った。〈天雷〉などで酷い傷を負った彼女だが、アレクサンダーに比べれば頼りになりそうだったからだ。

(けど…………)

遠くから盗み見たエリーゼを思い出す。

彼女は何か信用ならなかった。

だが無視することもできない。

そう考えたフェルノの取った方法は――。

「ヤッホー! グゼ! 元気だった?」

十年来の親友に話しかけるかのように満面の笑みを浮かべ、昔アレクサンダーに何度もしていたように抱きついて胸を押し当て、自然な動きで長い足を絡める。

一族から変態と揶揄される獣人はフェルノに抱きつかれ、その灰色の虎のような顔に満更でもない笑みを浮かべる。

一般的な獣人にとってフェルノの美貌はそれほど役に立たない。種族によって好みが異なるからだ。

だが今のフェルノでは、人間の男を篭絡するのは、少々難しかった。髪はストレスと栄養失調でぱさつき、抜け毛も酷い有り様だったからだ。自分の頭に小さくハゲができていた時のショックをフェルノは生涯忘れることができないだろう。

そんな自分でも、獣人のグゼロスは喜んで迎えた。

その毛深いというよりも、完全に毛で覆われた灰色をした爪のある手で、フェルノの赤毛を撫でる。

「おう。そっちこそ、元気か?」

グゼロスは、元奴隷だ。
エリーゼ率いる獣人や魔族、エルフ達の襲撃によって、奴隷の身から解放されたのだ。

「うん。元気元気!」

かつては自然体でできたハイテンションな口調も、今は、つらい。

同じ言葉を繰り返すだけで、のどがかすれたような変な違和感さえ覚える。

それでも、――フェルノの顔には笑みがはりついている。

今の彼女にとって頼れる男は、目の前にいる獣人しかいないのだ。

獣人でありながら、人間の女やエルフの女を好むという変態。

変質的な性癖のため同族から忌み嫌われている。

だからこそ今の落ち目のフェルノでも、その心の隙に付け込み、取り入ることができたのだ。

(……エリーゼはさすがだよね……)

自分は一年前も、二年前も、それよりずっと前も、常に同じ手段しか思い浮かばないし、使えなかった。

それに比べてエリーゼは状況に合わせて最善手を選び取っているのだ。

「ねぇ……グゼ」

「ん? なんだ」

ちくちくするヒゲが不快だ。

興奮して引っ込めていたはずの爪が伸び、せっかくの脚線美に赤い筋がつくことが嫌だ。

ニコリと笑ってフェルノは問いかける。

「この騒ぎも、エリーゼの仕業なの?」

「あぁ、俺は一仕事終えたぜ」

自慢げに彼は、酒瓶を持ち上げた。
貧民窟でもよく見かける安酒の詰まった酒瓶だ。使い古されているのは、延々と使い回されているためだ。

だが――

ぷん、と香るのは酒の臭いではなかった。

「……これって……」

「へへ……」

自慢げに鼻の下を指でこする獣人。

「俺を馬鹿にする獣人にも、エルフの女にも、人間の女にも、一泡吹かせてやったってわけだ」

グゼロスの視線の先には、すぐそばで燃え上がる火の手がある。

彼が放火したのだ。

(なるほど……エリーゼの手下たちが放火して回ってるのか……)

しかもエリーゼのことだ。
この日のために、貧民窟の地図と、効果的な放火場所くらいは調べているはずだ。

彼女は不得手なことは本当に不得手だが、策略の類は非常に得意なのだ。

(人工的に作られた騒ぎ、そして意図的に放たれた火……)

フェルノはやっと「どこに逃げていいかわからない」という顔の貧民窟の住人しかいない理由がよくわかった。

まだエリーゼが部下を率いて貧民窟の住人を殺し回ったり、このまま暴徒を引き連れて宗教都市の一般市民たちを虐殺して回ったりしないのは、十分に恐怖を心に染み込ませるためだろう。

(まぁ、もっとも……この時点でも死んだ女子供は千を軽く超えてそうだけど……)

「おぉい! 担げ担げ!」
「へいっ兄貴!」

獣人の男達数人が、どこかの貧民窟の酒場から盗んだのか、安酒をかっぱらってきていた。
まだマシな方だろう。
中には日頃の恨みを晴らすために、襲い掛かっているような奴までいるのだ。

「グゼ…………?」

フェルノが自分からいつの間にか離れたグゼロスに気づき問いかける。

彼は、ゴミ山の陰に隠れて身を縮めていた。

小さく丸まる獣人を見下ろし、フェルノは蔑んだ。

(……コイツも、か)

アレクサンダーを思い出す。

納屋の隅でうずくまっていた男を。

自分の男運のなさをフェルノは呪いたくなった。

(獣人に一泡吹かせたとかぬかしてたのに、獣人の男達を数人見かけただけで逃げ隠れするなんてね……)
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