泣かないで、悪魔の子

はなげ

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第一章 愛は食べられない

新生アルパズール帝国の始まり

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 驚いて振り返ると、意を決したマルクと視線がかち合う。

「俺もずっと考えてたんだ。どうにかして、みんなで生きられないかって。その方法をファーシルが可能にしてくれるんなら、迷わずに乗っかるよ」
「……マルク」

 流石は騎士を目指していた身なだけあるな、と思う。そのまっすぐな仁義は、この小屋に留まっているにはもったいない。
 ヤニスは舌打ちをすると、地を這うような声で「いいだろう」と返事をした。
 これまでヤニスが作り上げてきた負の巣窟に、少しでも良い風が吹けばいい。どのみち、この小屋に拘束された子供たちに行き場はないのだから、せめて、ほんの小さな救いがあればいい。ファーシルはそう思う。
 その場を後にするヤニスの背中を見送ると、ぼろ布の服を纏う子供たちがファーシルとマルクの元へとやってきた。

「あの、ありがとう……」

 おずおずと小さなくちからお礼が告げられる。マルクは「どうってことない」と言って微笑んでいたけれど、ファーシルは感謝されることに慣れてなくて、ただ胸の辺りがくすぐったかった。

「けち臭い人だけど、ボーナスとかはくれてたんだね」
「ああ。そうやってたまに飴をやって、ここにいる奴らが逃げ出さないようにするんだよ」
「ああ、なるほど」

 子供たちの格差は、戦績によるものなのだ。
 魔物討伐に貢献した者には最低限の待遇を用意し、そうでなかった者には一切の保障がない。そうやって差別しているうちに、どんどん体力の差が生まれ、おのずと囮役と狩猟役が分かれていったのだろう。
 その戦略もどうにかできないかな、とぼんやり思案していると、ふと頬の辺りに視線を感じた。ちらりと横目に見やると、複雑な顔をしたニコがこちらを見ていたが、目が合った瞬間、すぐに逸らされてしまう。
 調子でも悪いのかな、と思っていたが、それ以降、ニコはファーシルに笑いかけることも、話しかけることもなくなった。



 猛スピードで突進してくる魔物をぎりぎりで躱すと、ファーシルを攻撃するべく尖っていた角が樹木を攻撃した。その衝撃で木の幹がぐらぐらと揺れて、やがてバキッと折れる音がする。ファーシルは倒れかかる樹木に思いきり体重をかけて、魔物の胴体に落下させた。
 樹木の下敷きとなり、ぎいんっ、と苦しそうに叫ぶ魔物の頭部に短剣を突き刺すと、魔物は大量の血を流しながらぴくぴくと震えた後、すぐにぴくりとも動かなくなった。
 ヤニスに拾われ、アルパズール帝国にやってきてから、三年の歳月が過ぎた。
 ファーシルには殺しの才能があったらしく、魔物討伐に順応するまでに時間はかからなかった。今では下等の魔物ならば素手で討伐できてしまうし、最初のころのように理性を投げて死に物狂いで殺しにかかるようなことはない。
 ファーシルは外套の上から懐に触れて、紙の感触があることを確かめた。三年が経った今でも、アルヴァからの手紙はお守りのように、肌身離さず持ち歩いている。

「ファーシル、終わったか」

 瘴気をくぐり抜けて、マルクがファーシルの元へ近づいてくる。

「うん。そっちは大丈夫だった?」
「ああ。こっちは魔物が現れなかったよ」
「よかった。今仕留めた奴が討伐対象だから、もう帰ろう」

 話しながら、魔物の立派な角を剥ぎ取る。証拠部位の収集もすっかり慣れた。
 魔物討伐はファーシルとマルクを中心に二手に分けて行われるようになった。とは言えども、ファーシルは基本的に単独行動で、マルクは他の子を率いて集団行動している。マルクは人を統率する力が長けており、最初はマルクを司令塔にして集団で魔物を討伐していたのだが、一人でも淡々と魔物を薙ぎ払っていくファーシルは明らかに集団での討伐に向いていなかったのだ。
 みんなと合流して帰途につくと、

「お前、今朝の掲示板見たか?」

 と、マルクが話を振ってきた。

「見てない」
「アルパズールの内戦が終わったらしいぞ」

 ファーシルは思わぬ号外に目を瞠った。皇太子殿下が成人の十五歳を迎えて終戦した、ということは。

「本当に殿下が成人するまで内戦を引き延ばしたんだ」

 アルパズールの内戦は、皇太子殿下が成人を迎えていないうちに皇帝陛下が崩御したことで、後継者を巡り勃発したものだ。この三年の中で、皇太子が雲隠れしたという噂が立ったり、戦況が入り乱れしている様子がうかがえたが、どうやら一件落着したらしい。
 ファーシルが胸を撫で下ろしていると、マルクが「それがさ」と苦笑まじりに続けた。

「皇太子殿下は反皇帝派を制圧したみたいだぞ」
「ん? 皇太子殿下が成人を迎えるタイミングと、内戦の勝利が重なったってこと?」
「そうなんだけど……、偶然にしてはできすぎてるんだ。反皇帝派の制圧が完了したのは、皇太子殿下が成人を迎えた当日だって話だぞ」

 ファーシルは睫毛を瞬かせて、マルクを見つめた。

「それって、皇太子殿下が意図的にタイミングを合わせたってこと?」
「前皇帝が希代の天才だと称してたお方だ。それくらいしてもおかしくない」

 果たして、そんなことが可能だろうか。
 つまり、アルパズール帝国の皇太子殿下は、この内戦を貴族の派閥整理に利用したのだ。そして、自分が確実に皇帝に就ける資格を得る日に合わせて、終戦した。それは緻密な計算が必要だ。まるで、全て皇太子殿下の手のひらの上で踊らされているかのようだ。

「……それって、その気になれば、もっと早くに内戦を終わらせられてたってことだよね。なんかそれもそれで性格悪い気がする」
「まあな。でも、それで内戦が終わっても、結局、皇帝派の中で誰が皇帝の座に就くのか波乱があったろうよ。そこで仲間割れして新しい派閥ができたんじゃ元の子もないし、皇太子殿下が安心安全に皇帝の座に就くには、これが最善だったのかもな」

 反皇帝派は内戦にかかる費用確保のために、領民から徴収する税金を上げていたと聞く。ただでさえ内戦の影響で通行禁止区域が増えて稼ぎづらくなっていたところへの追い打ちに、生活難だった領民は多い。
 マルクの言い分はもっともだが、苦しい思いをしてきた人たちのことを考えると、もっと早く対処できたのではないかと考えてしまうのだ。
 もちろん、早く終戦しても皇帝の座が空席である以上、また新たな火種を生みかねないし、きちんと優先順位を立てて行動していくことは大切だと分かってはいるけれど。

「早く平和な世界になるといいな」

 ただヤニスの元で魔物を討伐しているだけの自分には、そんな願いくらいしか口にできない。
 ぽつり呟くファーシルに、ヤニスは「本当にな」と同調した。

「近々、皇太子殿下は皇帝になり、内戦に駆り出されていた辺境伯様もお戻りになる。皇帝陛下は領主を失った領地の整備を。辺境伯様も、内戦中に荒れたこの領地を整備するだろう。辺境伯様が俺たちの存在を知るのも時間の問題だ。そのとき、俺たちはどうなるか分からない」

 どこかの修道院に放り込まれるか、売り飛ばされるか、はたまた黙認されるか。
 いつもとは違う明日が来る不安を抱えるファーシルとは反対に、マルクはまっすぐ未来を見つめている。新しい未来への覚悟を決めている。なんだか置いてけぼりにされそうだ。
 ファーシルは、マルクがまとう服の裾をきゅっと握った。と、ずっと前を見据えていたマルクの視線がくるりファーシルを振り返り、ほっとする。

「……できれば、マルクと一緒のところがいいな。そう思うの、子供っぽい?」
「子供だろ、俺たち。子供っぽいのは許されない環境だけど」

 ふと、マルクが寂しげに笑い、ファーシルの頭をぽんと撫でた。

「新しいアルパズール帝国が始まったんだ」



 小屋で暮らす子供たちの洗濯ものを背負い、山の麓にある川に向かった。
 行きはいいのだが、帰りは洗濯ものが水を含んでいるため、とても重たくなる。もう一人くらい人手がほしいな、と思いながら洗濯をしていると、ふと背後から気配を感じた。息遣い、歩き方、速度、わざわざ振り返らなくても、そこに誰がいるのか分かる。魔物との戦いの日々で培われたものだ。

「ニコ、どうしたの」

 呼びかけると同時に振り返ると、樹木に隠れるようにして立っていたニコが、おずおずと近寄ってくる。
 三年前、ファーシルがヤニスに楯突いた日以来、ニコはファーシルに関わらなくなった。陽気な彼の性格は、ファーシルの心を和らげてくれていたので、避けられていると察したときは少しだけショックだった。少しだけ、だったのは、生家で邪魔者扱いされてきた耐性があったからだ。
 手を止めずに洗濯を続けるファーシルに、ニコは硬い声をぶつける。

「もし俺らが解体するってなったら、マルクから離れてくれる」
「え?」
「修道院に放り込まれることになったとしても、受け入れ人数に制限があるだろうから、数か所に分けられるだろ。マルクから離れて」

 思いもよらない頼みに、ファーシルは手を止めて、ニコを見つめ返した。

「えっと……、どうして?」
「……三年前、ファーシルがご主人に楯突いて、小屋のみんなにちゃんとごはんが行き届くようになっただろ。ずっと、マルクが懸念してることだった。マルクが必死に、どうすればいいか考えてたんだ」

 でも、とニコは続ける。

「新米のお前が、それをすぐに実現させた。マルクの努力を横取りされたと思った」
「横取りって」
「それだけじゃねえ。お前は小屋の中で誰よりも剣が立つし、魔物に対して容赦ない。それに、見た目が悪魔そっくりだ。マルクが悪魔の手先になったと揶揄う奴もいるんだ」

 そうだったのか。初めて知る事実に、マルクへの申し訳なさが胸に迫り上がってくる。
 マルクが悪魔に似たファーシルの容姿を気にせずに接してくれることが嬉しくて、周りからマルクがどう思われるのか考えていなかった。

「……教えてくれてありがとう。俺の配慮不足だった」

 無意識に、外套の上から懐にある手紙に触れていた。

「さっき、小屋にご主人が来たぞ。一週間後、また魔物討伐だって」
「最近、多いね」
「治世の良し悪しと瘴気の濃さは比例するみたいだぞ。アルパズール帝国は内戦があったし、ディアロス皇国も荒れてるんだろうな」
「ディアロス皇国が……」

 汚染した空気が魔の森に流れ込むと瘴気に変わり、新たな魔物が生まれることがある。
 ディアロス皇国は魔の森を結界で覆い、魔物が皇国の領地に入り込まないようにしているが、アルパズール帝国には神聖力がないので、逐一魔物を討伐していくしかない。つまり、ディアロス皇国の治世が乱れて魔物が増えたとき、被害を被るのはアルパズール帝国なのだ。
 魔物は瘴気の中で生きるので、あまり人里に下りてこないが、前例がないわけではない。ディアロス皇国よりも、アルパズール帝国のほうが危険度は高いだろう。
 なのに。
 ファーシルは心臓の辺りをぎゅうっと握った。
 手紙が入っている懐が熱く感じる。

――アルヴァ殿下は、どうしてるんだろう。

 大丈夫かな。危険な目に合ってないかな。無茶してないかな。
 ファーシルが心配したって何の意味もないのに、そんなことを考えてしまう。
 もう三年経つのに。きっとアルヴァはファーシルのことなんて忘れているのに。それなのに、ファーシルの小さな胸から、初恋の影はちっとも薄れていかない。
 馬鹿だな、と自嘲する。
 今はアルヴァのことより、来週の魔物討伐に集中しなくては。ファーシルは何かを守るための剣を振るえない。全て殺すための剣だ。殺すことで守れるものがあるならば、自分はひたすら魔物を殺さなくてはならない。

「ニコ、洗濯もの、半分持ってくれる」

 ファーシルがお願いすると、ニコはこくりと頷いた。



 魔物討伐の出発日、ファーシルは小屋の外から聞こえる悲鳴で目を覚ました。
 外の喧騒に、子供たちが次々と起床する。何事だ、と一同が目配せする中、突然、大きく床が振動した。
 寝ぼけ眼が完全に覚醒する。
 ファーシルは急いで外套を被り、短剣を忍ばせると、小屋を飛び出した。
 そして、そこに広がっていた光景に、目を疑った。
 人々がぞろぞろと何処かへ逃げていく中、ファーシルの紅い眸は、大量の赤い液体で覆われる。地面に転がったまま動かない躯を見て、それが血液だと気づくと、途端に、つん、と血生臭さが鼻孔をつつく。
 まるで嵐の後の水たまりのように、地面を血液が染めている。
 瞬間、またしても大きな地鳴りがした。
 ハッとして魔の森の方向を見やり、ファーシルの体は震え立った。
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