泣かないで、悪魔の子

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第一章 愛は食べられない

犯人の供述

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 命令された兵士が一気に動き出す。
 会場に残った兵士に、ファーシルもネネッタと同じように背中に腕を回されて拘束された。少し痛い。
 と、ネネッタが顔を真っ青にして叫んだ。

「ど、どうして私の部屋も!? 私は無実よ! そいつに脅迫されたって言ったじゃない! 怖かったの! 悪魔の子が怖かったの! 自己防衛よ!」
「貴女の言葉が真実なら堂々としていろ。喚くと嘘臭いぞ」

 アルヴァに冷たく一蹴されると、ネネッタはがくりをうなだれた。
 そんな彼女から少し距離を置いたところで、マリッサはさめざめと泣いている。実の母親が自分を殺そうとしたのだ。ショックだろうな、と思うのに、アレンツァの面々に慰められているところ見ると、素直に同情できなかった。
 たいがい自分は性格が悪いな、と辟易していると、ふと違和感に気づいた。
 マリッサは、ネネッタには一切目もくれずに、ぶどう色に染まったドレスの裾をタオルでごしごし擦っているのだ。
 聖女の母と、聖女が世話になっている公爵家の次男が拘束された、新たな聖女のお披露目パーティー。殺伐とした雰囲気が会場を包み、きっかり一時間後。調査に出ていた兵士たちが会場に戻ってきた。

「陛下、ご報告致します。ファーシル・アレンツァ殿の証言通り、彼の部屋のクローゼットから毒物が発見されました。――それから、ネネッタ・メルキース殿の部屋からも大量の毒物と、こんなものが」

 その報告と共に皇帝陛下に差し出されたのは、アンシア毒の注文書だった。注文者の欄には、ネネッタ・メルキースと名前が記されている。
 皇帝陛下は「ほお」と目元に皴を寄せた。

「幼子ひとり殺すだけなら、アンシアの毒は五グラムもあれば充分のはずだ。それを三十グラムも取り寄せたのか」

 皇帝陛下が温度のない視線を滑らせた先で、ネネッタが青白い顔をそのままに弁明する。

「あ、悪魔の子から、命令されたのです。確実に殺すために、多めに注文するようにと」
「そなたの意思ではないと?」
「もちろんです! 我が子を自ら殺したいはずがありませんわ!」
「では、なぜ元凶であるファーシル・アレンツァを毒殺しなかった?」
「……え?」

 つまらなそうな問いに、ネネッタの表情がぴたりと固まった。

「ファーシル・アレンツァが命令していたのが事実だとしても、現物を購入したのはそなただ。購入する毒物の量を調整するのも、いつ受け取るかも、公爵家で孤立していたというファーシル・アレンツァに毒を盛ることも容易いだろう。聖女の毒殺を企むよりも遥かにな」

 確かに、と騒動を見物していた一人が同調した。
 実の娘を殺したくないと言うのであれば、殺すよう脅迫してきた張本人を殺してしまえばいいのだ。アンシアの毒を購入する権利を担った上に、公爵家の待女として働いている身なのだから、専属の待女も執事もいないファーシルの食事に毒を混入して差し出すくらい容易なはずだ。しかしネネッタはそうしなかった。何故か。その毒は彼女の意思で、マリッサを毒殺する為に購入したものだからだ。
 ネネッタの言い分から浮かび上がってきた矛盾が、会場一同の中で彼女主体の殺人容疑へと変わっていく。嫌悪や非難の目を浴びせられたネネッタは、突然、喉が潰れる勢いで雄叫びを上げた。

「私は悪くない! 悪いのは全部あの小娘だ!」

 瞬間、会場がしんと静まり返った。

「そうよ。ぜえんぶ悪魔の子の言うとおりよ。私がマリッサを殺したかったの。悪魔の子を使おうとしたのは、ただの思いつき。どうせ悪魔の子がどうなったって誰も構いやしないでしょ。だから私の代わりに殺人犯になってもらおうとしたの。毒を多く買ったのは、悪魔の子が誰かに告げ口しようとしたら、面倒だし殺しちゃおうと思ってね」

 ネネッタは開き直ったように、くすくすと笑いながら白状する。

「どうして聖女を殺そうとしたのだ?」

 皇帝陛下からの問いに、ネネッタは理性を失った肉食獣のように鋭くマリッサを凄んだ。

「マリッサが悪いのよ! ずっと親子二人三脚で支え合って生きてきたのに! どんどんアレンツァ公爵家に居場所を見つけて、許されて! あなたの口からアレンツァの名前が出るたびに、私がどんな気持ちでいたか分かるっ? 私との思い出を公爵家の派手なイベントで塗り潰されてるみたいで、私がどれだけ惨めだったか! 私では到底買えないような高級品をプレゼントをもらって喜んでるあなたを見たとき、私がどんなに……!」

 一切瞬きもしない眸から大粒の涙を散らしながら、ネネッタが悲しみを訴える。
 最初はほんの一歩だけだったかもしれない。しかし、ネネッタとマリッサの距離は二歩、三歩と広がっていき、追いかけて、追いかけて、やがて姿さえ見えなくなってしまったのではないだろうか。マリッサが完全に自分の手が届かないところへ行ってしまい、娘のマリッサだけが生きがいだったネネッタには、それがとてつもなくショックだったのだろう。
 ネネッタの殺人動機を本当の意味で理解することはできないけれど、必要とされたい人に必要とされない寂しさなら、ファーシルにも理解できる。
 と、いつの間にか泣き止んでいたマリッサが、とことことネネッタの前まで歩いてきた。そして、きょとんとした顔で小首を傾げて、

「お母さま、わたしが羨ましかったのですか?」

 と、的外れな解釈の問いをした。

「……は?」

 ネネッタの青白い顔に絶望が滲む。

「ですから、お母さまには買えないようなものを持っているわたしが羨ましくて、憎かったのでしょう? 言ってくだされば、わたしから公爵さまにお願いしましたのに」
「なにそれ……、マリッサ、私のことを馬鹿にしているの……?」
「ちがうんですか? では、どうして?」

 愛されるための存在であるマリッサには、取り残された人の気持ちが分からない。
 孤独がどれだけ寂しくて、惨めなものか。想像することさえできないのだ。
 どんどん先を行く娘と、追いかけることを諦めた母親の会話は、ボタンを一つも二つも掛けちがえたかのように噛み合わない。ネネッタが年月をかけて煮詰め、憎しみと化してしまった寂しさは、一向にマリッサに伝わる気配などなく、見開かれた眸にじわじわと涙が溜まっていく。

「……愛しているから」

 ぽつりと、ネネッタが懇願するようにこぼした。

「愛しているの。貴女は私の全てなの。誰にも獲られたくないの。貴女が聖女になんてなったら、もっと私から遠ざかっていくでしょう。だったらいっそ私たちの時間を止められたらと思ったの。そしたら、一緒にいられるから……」

 怪我をした子供のようにぼろぼろ泣くネネッタを見ていて、ファーシルは気づいた。
 三十グラムのアンシアの毒。それは、マリッサと、ファーシルと、そしてネネッタ自身の分も含まれていたのだ。ネネッタはマリッサを自分の全てだと言った。マリッサを殺した後、彼女のいない世界で、ネネッタは自らを殺めるつもりだったのだ。
 分かっていた。愛は口約束で得られるものじゃない。きっとファーシルがネネッタを殺めたところで、ネネッタがファーシルを愛するとは限らない。
 そもそも、ネネッタは最初からファーシルに愛情を注ぐつもりなどなかったのだ。

「マリッサ……マリッサ……、お願いよ、私を一人にしないで……」

 ネネッタの泣き言に、マリッサは聖女に相応しいきれいな微笑みを浮かべた。

「お母さま、マリッサは勉強が苦手なのです。難しいことは分かりません。わたしに分かるのは、わたしを殺そうとしたお母さまとは、もう一緒にはいられないということだけです」

 無慈悲にもネネッタを切り捨てる発言に、一縷の望みに縋りついていた女の顔が絶望に塗り替えられた。

「牢獄へ収監しろ」

 親子の最後のやりとりを黙って注視していた皇帝が命令を下す。
 娘に見放され、がくりと項垂れたネネッタを、兵士が引きずるようにして連れていく。と、静まり返った会場に、ネネッタの怒号が轟いた。その視線はファーシルを向いている。

「お前のせいだ! お前がマリッサを殺さないから! どうせいらない命だろ! お前が死んだって悲しむ奴なんかいない、お前がいなくなったって探す奴なんかいない、その程度の存在なんだから、せめて人の……私の役にくらい立てよ! 全部、全部っ、お前に押しつける予定だったのにっ!」
「おとなしくしろ!」

 ぎゃあぎゃあ喚くネネッタと、彼女を戒める兵士の声が、どんどん遠ざかっていく。ぱたん、と会場のドアが閉まると、一同はやっと大きく息を吐き出した。
 しかし、まだ問題は残っている。
 ネネッタがいなくなると、今度はファーシルに沢山の視線が注がれた。
 きっと自分も牢獄行きだろう。聖女を殺害する目的で毒薬を所持していたのだ。無罪放免になるわけがない。そう思っていたのに。沙汰を待っていたファーシルの耳に届いたのは、意外な言葉で、とっさに顔を上げると、何かを企むように皇帝の口角がにい、と持ち上がっていた。

「ファーシル・アレンツァの処罰については、追って言い渡す。それまで公爵家で謹慎するように」

 皇帝の発言に、会場内がざわついた。
 首謀ではないとはいえ、ネネッタの口車に乗せられて、聖女を殺すための毒薬を受け取ったのだ。聖女を殺すという選択肢があった時点で、重たい処罰は避けられないだろう。それくらい、ディアロス皇国にとって神聖力を持つ者は必要不可欠な存在なのだ。なのに、それを誰よりも理解しているであろう皇帝が、牢獄ではなく謹慎を言い渡した。
 処罰について協議するにしても、沙汰を待つ場所は牢獄が妥当だろう。
 一同の心の声が、ありありとファーシルに伝わってくる。誤った判断を下す皇帝を、皇太子のアルヴァが諫めてくれるのではないか。誰もがそう願ったが、当の本人は皇帝には何も言わず、くるりとファーシルを振り向いた。

「謹慎だってさ。馬車まで送るよ」

 いつも通り笑顔の鉄仮面を被っているアルヴァを、ファーシルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして見つめた。そんなファーシルを他所に、アルヴァはファーシルを拘束する兵士たちに「君たちはもう下がってくれるかい」などと言っている。
 牢獄行きならぬるいほうで、もしかしたら死刑になるかもしれないと覚悟して真実を打ち明けたのに、まさか公爵家に帰れるなんて想像だにしていなかった。
 それどころか、アルヴァがエスコートしてくれるらしく手を差し出される。本当にいいのだろうか、と疑問に思いつつ、ファーシルはおずおずとそこに手を重ねた。
 敵意剥き出しの視線たちに見送られながら、ファーシルはアルヴァとその場を後にする。会場を出ると、ファーシルはアルヴァに話しかけた。

「あの……、殿下が聖女のお披露目パーティを留守にしていいんですか」
「こんな事件があった後じゃ、それどころじゃないだろう。パーティは延期さ」

 それもそうか、とファーシルは次の質問を口にしようとする。
 どうして皇帝は自分に謹慎を言い渡したのか。どうしてアルヴァはそれに反対しなかったのか。マリッサを殺すために毒薬を受け取ったファーシルを、アルヴァはどう思ったのか。
 聞きたいことは沢山あるのに、どれから聞くべきか分からない。何より、聞くのが怖くて、思うようにくちびるが動かなかった。
 怖気づいていると、公爵家の馬車に到着してしまい、質問はできずじまいだった。そのことにほっとしていると、背後から少女の愛らしい声が「アルヴァ殿下!」とアルヴァを呼んだ。
 振り向くと、そこにはマリッサがいた。彼女を追いかけるアレンツァの面々や、兵士たちも小さく見える。

「……聖女殿、どうしたんだい」
「ど、どうして、ファーシルさまを庇うんですか!」

 マリッサは顔を不満げに歪める。アルヴァは「庇う?」と聞き返した。

「だって、ファーシルさまは酷いお人じゃないですか! わたしのこと、こ、殺そうとしたんですよ!」
「殺そうとしたのは君の母君だろう」
「ファーシルさまも共犯のはずです! だ、だって、わたし、ファーシルさまに嫌がらせをされているんです!  公爵さまから頂いた帽子を隠されたり、公爵夫人さまから頂いたドレスにはジュースをこぼされて、エルファンさまから頂いた髪飾りは金具を壊されましたし!」
「だから、毒薬を君に使うつもりだったはずだって?」
「そうです! そうに決まってます!」

 マリッサの主張に、アルヴァは小さく溜息を吐いた。
 思わず、ファーシルの肩がびくりと跳ねた。きっと、なんて浅ましいことをしたんだ、とファーシルに呆れているのだろう。自業自得だ。完全に自分が悪いのに、この期に及んでアルヴァに嫌われたくないと思ってしまう。汚い奴だな、と心の中で自分を罵った。
 マリッサに追いついたアレンツァの面々が、口々にアルヴァを取り込もうとする。

「そのとおりです、殿下。その悪魔の子はマリッサを殺そうと企んでいたに違いありません」
「ええ、そうですとも。マリッサを傷つけて楽しむような奴なんですから」
「どうか皇帝陛下に考え直すようにお伝え頂けませんか」

 重たい処罰を望む声を家族から聞くのは、心がずきずきと痛んだ。
 自分が悪い。愛されてみたくて、欲に負けてしまった自分の弱さが、全部悪い。傷つく資格なんてない。逃げ出したいなんて思う資格なんてない。そう言い聞かせる。

「沙汰は追って下す。確かに彼は毒薬を受け取ったようだが、毒殺される寸前だった聖女殿を救ったのもまた彼だということを忘れるな」

 アルヴァは氷のように冷たくアレンツァ一同を凄んだ。
 まさか庇ってくれるとは思っておらず、ファーシルは無性に泣きたくなった。否、アルヴァはファーシルを庇ったつもりなどないのだろう。
 アルヴァは子供とは思えないくらい理性的で、物事を客観視することに長けている。しかしアルヴァは事実だけを見るのではなく、そこに行きつくまでの感情、起爆となった事象も含めて判断するような人なのである。
 ようはアルヴァは優しいのだ。いつも笑顔の鉄仮面を被っているのも、国民を導く立場にある皇太子として、主観を混ぜないようにするためだと、ファーシルは気づいていた。なのに、その鉄仮面を外してほしいとこっそり願っていた自分は、やはり悪い子なのだ。
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