172 / 174
7章.Rex tremendae
獄長と囚人
しおりを挟む
ミカエルらが離宮を去った頃、ウリエルも教皇のいる部屋から退室していた。
扉の外にいた警備兵の敬礼にちらと目をやり、廊下を曲がって彼の視界から外れたところで足を止める。壁に背中を預けて、息を吐きだした。
――怠い。
ここのところ、それが当たり前になっている。身体を動かすのは沼地にでもいるような感覚で、気を抜くと疲労で意識が飛びそうなときすらあった。
壁に手をついて、なんとか歩みを再開させようとしたときである。
「ご…、隊長、どういうことですか」
シャムシェルだ。もしかしたら、ウリエルを追って来たのかもしれない。振り返ると、苦々しい顔をしていた。
「何がだ?」
「とぼけないでください。力を使っていないのに、あなたが疲弊しているのには気づいてた。見慣れないネックレスにも」
シャムシェルはウリエルのバディなのだ。ウリエルの異変に気づかないわけがない。
「……さっき、取り乱した聖下の腕に、ブレスレットが見えました。あなたがしているネックレスと同じ石がついていた。あなたの力を聖下が容赦なく使うから、あなたはそんなに疲れてる。そうでしょう?」
「……ああ」
ウリエルは目蓋を下ろし、息を吐くように答えた。
シャムシェルは苛立たしげに歯を食いしばり、キッとウリエルを睨む。
「そうなった経緯に、僕は関係ありますか」
「なぜ?」
「だって、僕のせいでしょう。あなたが髪を切ったのも、そんな目に遭っているのも」
「ちがうな。おまえのおかげだ」
ウリエルが目をやると、シャムシェルはフイとそっぽを向いた。
「僕とバディになったこと、後悔してるんじゃないですか」
「そんなことはない。……おまえはどうだ?」
付け足された言葉は、ウリエルらしからぬものだった。――いや、近ごろの彼なら、おかしくはないのかもしれない。
シャムシェルが出会った頃の彼は、まるっきり選ばれし血筋の貴族といった風だったのだ。
勝手に決めて進めるのが当たり前。支配する側の人間として、庶民を管理してやらねばならない。そのくらいの意気だったのではないかと思う。
「……たくさん後悔しましたよ。バディにしろって言ったのは、僕ですが」
シャムシェルは肩をすくめて自嘲した。
――あの頃、僕は罪を着せられ、投獄されていた。
それは、征服した異民族の地へ、治安維持のため派遣されていたときのこと。そこには、聖正教の布教という任務を与えられた修道士たちもいた。
それ以外は必要なかったのに、彼らは現地民に農業や生活の知恵を教え、それどころか、異端者の現地民とよろしくやっていたという。シャムシェルら軍人も共に過ごすうち、それなりに現地民と打ち解けていたので、他人事ではないのだが。
そのことが新教皇の耳に入ると、彼は激怒し、首謀者を引っ捕えよと命を下した。
――アゼル、だったかな。
教会側で捕まったのは。たしか、そんな名前の少年だった。生贄のようなものだ。彼が首謀者なわけがない。しかし我が身可愛さで、誰も彼を庇ったりしなかった。
『その若さ故に持ち得た魅力で、異民族の彼らを誘惑し、挙句の果てには懐柔された』
それなら、その性質に相応しい役割を与えてやろう。というわけで、彼は地下牢獄にて、同胞にご奉仕する罰を与えられたのだとか。
同性愛は禁止されているが、そのような衝動は往々にして湧くわけで。問題を起こされるより、はけ口があった方がいいというのが理由の一つらしい。きっと、教会はそのような事で手を焼いていたのだろう。
それはさておき。
軍において、罪をなすりつけられたのはシャムシェルだった。
シャムシェルは積極的に現地民と関わろうとしたことはない。けれど、よく声をかけられていたのは事実だった。――モテたのだ。育ちの良さによる物腰の柔らかさや、見目の良さ。そんな彼を妬む者は、たくさんいた。
あれよと言う間に、軍律に違反したとして牢へ入れられ、暴力を振るわれて。
もともとそんなに仲のいい人はいなかったけれど、それでもシャムシェルにはショックだった。
――周りからしたら、すかした奴だったのかもな。
先輩に媚を売ったり持ち上げたりしないし、同僚と慣れ合おうともしない。きっと、いけ好かないと思われていたのだろう。貴族の出でエリートコースを順調に進んでいたのも、気に障ったのかもしれない。
『罪を認めるか』
あるとき、ウリエルが牢に来て、言った。
『……ええ。現地民とヨロシくやっていたのは事実です。そんなの、僕だけじゃありませんでしたけどね』
『懐柔されるような弱い心は叩き直さねばならない』
ガッと腹を蹴られる。
『ガハッ、ッ、ゲホッ、っ、』
ウリエルの暴力はたしかに容赦がない。しかしそこに、侮辱や強い感情は感じられなかった。彼はただ、己の正義に則り、行動しているに過ぎないのだ。
『サンドバックとグローブ。どちらがいい』
おもむろに問われ、かすかに目を見開く。
暴行を与えられ続けることと、与える側になること。どちらも気分のいいものではない。
『ここから出るには、地獄の看守様の下僕になる他、ないってことですか』
『ここから出られたとして、おまえのような意思の弱い者を受け入れる隊があると思うか?』
隊に戻ったところで、監獄上がりの人間など下っ端でこき使われるか、前線に送られて終わりだ。
『私の下で働け。"二度目" はない』
獄長には、個人の判断で囚人を牢から出す権限がある。そうして釈放された者は、焼印を入れられ、再び罪を犯すようなことがあれば内容を問わず死罪になった。
いつ牢から出られるかもわからない日々をこのまま過ごすか、無実でありながら焼印を押される屈辱を受け入れ、牢から出るか。――貴族の家柄で平穏に育ち、まるで打たれ慣れていないシャムシェルは、
『……仰せのままに』
そうして、この日々を終わらせることを選んだのだった。
扉の外にいた警備兵の敬礼にちらと目をやり、廊下を曲がって彼の視界から外れたところで足を止める。壁に背中を預けて、息を吐きだした。
――怠い。
ここのところ、それが当たり前になっている。身体を動かすのは沼地にでもいるような感覚で、気を抜くと疲労で意識が飛びそうなときすらあった。
壁に手をついて、なんとか歩みを再開させようとしたときである。
「ご…、隊長、どういうことですか」
シャムシェルだ。もしかしたら、ウリエルを追って来たのかもしれない。振り返ると、苦々しい顔をしていた。
「何がだ?」
「とぼけないでください。力を使っていないのに、あなたが疲弊しているのには気づいてた。見慣れないネックレスにも」
シャムシェルはウリエルのバディなのだ。ウリエルの異変に気づかないわけがない。
「……さっき、取り乱した聖下の腕に、ブレスレットが見えました。あなたがしているネックレスと同じ石がついていた。あなたの力を聖下が容赦なく使うから、あなたはそんなに疲れてる。そうでしょう?」
「……ああ」
ウリエルは目蓋を下ろし、息を吐くように答えた。
シャムシェルは苛立たしげに歯を食いしばり、キッとウリエルを睨む。
「そうなった経緯に、僕は関係ありますか」
「なぜ?」
「だって、僕のせいでしょう。あなたが髪を切ったのも、そんな目に遭っているのも」
「ちがうな。おまえのおかげだ」
ウリエルが目をやると、シャムシェルはフイとそっぽを向いた。
「僕とバディになったこと、後悔してるんじゃないですか」
「そんなことはない。……おまえはどうだ?」
付け足された言葉は、ウリエルらしからぬものだった。――いや、近ごろの彼なら、おかしくはないのかもしれない。
シャムシェルが出会った頃の彼は、まるっきり選ばれし血筋の貴族といった風だったのだ。
勝手に決めて進めるのが当たり前。支配する側の人間として、庶民を管理してやらねばならない。そのくらいの意気だったのではないかと思う。
「……たくさん後悔しましたよ。バディにしろって言ったのは、僕ですが」
シャムシェルは肩をすくめて自嘲した。
――あの頃、僕は罪を着せられ、投獄されていた。
それは、征服した異民族の地へ、治安維持のため派遣されていたときのこと。そこには、聖正教の布教という任務を与えられた修道士たちもいた。
それ以外は必要なかったのに、彼らは現地民に農業や生活の知恵を教え、それどころか、異端者の現地民とよろしくやっていたという。シャムシェルら軍人も共に過ごすうち、それなりに現地民と打ち解けていたので、他人事ではないのだが。
そのことが新教皇の耳に入ると、彼は激怒し、首謀者を引っ捕えよと命を下した。
――アゼル、だったかな。
教会側で捕まったのは。たしか、そんな名前の少年だった。生贄のようなものだ。彼が首謀者なわけがない。しかし我が身可愛さで、誰も彼を庇ったりしなかった。
『その若さ故に持ち得た魅力で、異民族の彼らを誘惑し、挙句の果てには懐柔された』
それなら、その性質に相応しい役割を与えてやろう。というわけで、彼は地下牢獄にて、同胞にご奉仕する罰を与えられたのだとか。
同性愛は禁止されているが、そのような衝動は往々にして湧くわけで。問題を起こされるより、はけ口があった方がいいというのが理由の一つらしい。きっと、教会はそのような事で手を焼いていたのだろう。
それはさておき。
軍において、罪をなすりつけられたのはシャムシェルだった。
シャムシェルは積極的に現地民と関わろうとしたことはない。けれど、よく声をかけられていたのは事実だった。――モテたのだ。育ちの良さによる物腰の柔らかさや、見目の良さ。そんな彼を妬む者は、たくさんいた。
あれよと言う間に、軍律に違反したとして牢へ入れられ、暴力を振るわれて。
もともとそんなに仲のいい人はいなかったけれど、それでもシャムシェルにはショックだった。
――周りからしたら、すかした奴だったのかもな。
先輩に媚を売ったり持ち上げたりしないし、同僚と慣れ合おうともしない。きっと、いけ好かないと思われていたのだろう。貴族の出でエリートコースを順調に進んでいたのも、気に障ったのかもしれない。
『罪を認めるか』
あるとき、ウリエルが牢に来て、言った。
『……ええ。現地民とヨロシくやっていたのは事実です。そんなの、僕だけじゃありませんでしたけどね』
『懐柔されるような弱い心は叩き直さねばならない』
ガッと腹を蹴られる。
『ガハッ、ッ、ゲホッ、っ、』
ウリエルの暴力はたしかに容赦がない。しかしそこに、侮辱や強い感情は感じられなかった。彼はただ、己の正義に則り、行動しているに過ぎないのだ。
『サンドバックとグローブ。どちらがいい』
おもむろに問われ、かすかに目を見開く。
暴行を与えられ続けることと、与える側になること。どちらも気分のいいものではない。
『ここから出るには、地獄の看守様の下僕になる他、ないってことですか』
『ここから出られたとして、おまえのような意思の弱い者を受け入れる隊があると思うか?』
隊に戻ったところで、監獄上がりの人間など下っ端でこき使われるか、前線に送られて終わりだ。
『私の下で働け。"二度目" はない』
獄長には、個人の判断で囚人を牢から出す権限がある。そうして釈放された者は、焼印を入れられ、再び罪を犯すようなことがあれば内容を問わず死罪になった。
いつ牢から出られるかもわからない日々をこのまま過ごすか、無実でありながら焼印を押される屈辱を受け入れ、牢から出るか。――貴族の家柄で平穏に育ち、まるで打たれ慣れていないシャムシェルは、
『……仰せのままに』
そうして、この日々を終わらせることを選んだのだった。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
転生先のぽっちゃり王子はただいま謹慎中につき各位ご配慮ねがいます!
梅村香子
BL
バカ王子の名をほしいままにしていたロベルティア王国のぽっちゃり王子テオドール。
あまりのわがままぶりに父王にとうとう激怒され、城の裏手にある館で謹慎していたある日。
突然、全く違う世界の日本人の記憶が自身の中に現れてしまった。
何が何だか分からないけど、どうやらそれは前世の自分の記憶のようで……?
人格も二人分が混ざり合い、不思議な現象に戸惑うも、一つだけ確かなことがある。
僕って最低最悪な王子じゃん!?
このままだと、破滅的未来しか残ってないし!
心を入れ替えてダイエットに勉強にと忙しい王子に、何やらきな臭い陰謀の影が見えはじめ――!?
これはもう、謹慎前にののしりまくって拒絶した専属護衛騎士に守ってもらうしかないじゃない!?
前世の記憶がよみがえった横暴王子の危機一髪な人生やりなおしストーリー!
騎士×王子の王道カップリングでお送りします。
第9回BL小説大賞の奨励賞をいただきました。
本当にありがとうございます!!
※本作に20歳未満の飲酒シーンが含まれます。作中の世界では飲酒可能年齢であるという設定で描写しております。実際の20歳未満による飲酒を推奨・容認する意図は全くありません。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

狂わせたのは君なのに
白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。
完結保証
番外編あり
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる