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7章.Rex tremendae
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「ナピュラでの騒動、聞いてます?」
「ああ。ナンバラで助けた王子――今では王か。そいつが、軍を率いて戦ったんだろ」
「ええ。ブランリスの王には恩義があるとかで。自ら率先して、前線に立つことを希望したそうです」
「ブランリスの王のために、か」
「陛下は強力な同盟相手を見つけたものです。ガルセレス、でしたか」
バラキエルがぐいと酒を煽る。
「二十代後半だってな」
「はい。童顔なので、もっと若く見えるらしいです」
ラムエルもこくりと一口。
「今回の一件は、ナピュラの統治を任されていた者が、現地で横暴を働いたため起きたものです。民衆の怒りが溢れ、騒動になったのです。それを若きナンバラ王率いる軍が、見事に抑え込んだという」
「統治を任されていた者はどうなった」
「追放されました。その野蛮さには、陛下も辟易していたそうです」
バラキエルは鼻で笑う。
「その騒動自体、陛下が裏で糸を引いてるんじゃねえか?」
「その者を追放するためのきっかけを、陛下が作ったと?」
「陛下が即位したときには、その家の奴がすでに統治を任されていたんだろう。代々受け継がれてきた地位だ。追っ払うには、正当な理由がいる」
「それもあるかもしれません」と、ラムエルは肩をすくめた。
「私は、若きナンバラ王の活躍が気になります」
「ブランリスは強力な後ろ盾を得た。それをアピールしたかったんじゃないか?」
「……そうですね」
ミカエルの意識が再び沈みそうになったとき、そっと肩を揺すられた。
「ミカ、部屋で休もう」
こくりと頷くと、立ち上がるのを手伝い、支えてくれる。
バラキエルがこちらを向いて声をかけた。
「わるいな」
「いえ」
そういえば、テーブルの上が綺麗に片付いている。ルシエルがやってくれたのかもしれない。
――ルシ、ありがと。
ちゃんと言えたかわからないが、ルシエルがこちらを向いて笑みを浮かべる。
「どういたしまして」
そのまま、ふわふわと雲の上を歩いている感覚でベッドに着いた。布団を被せてくれた彼の腕を取る。
「……おやすみ、ミカ」
意識が遠退くなか、頭を撫でられ、何かが髪に触れたような気がした。
ミカエルを部屋に送り届けたルシエルは、そっと家の外に出た。
見上げてみれば、見事な満月が。ほぅっと息を吐く。
そのとき、玄関ドアが開く音がして、バラキエルがやってきた。
「よぅ、もう飲まねえのか?」
「けっこう飲んだと思いますけど」
「他人行儀だな。まえみてぇに、普通に話せよ」
ルシエルは肩をすくめてバラキエルに向き直る。そうして、頭を下げた。
「ラムエルさんが言っていた通りです。俺は、彼の命を奪っていたかもしれない」
「よせ。俺が勝手にお前さんに頼んだんだ。重荷になっちまうかもしれねえと思っても、言いたかった。親もどきのエゴだ」
肩に手を置かれ、ルシエルは首を振って顔を上げた。
「……俺も彼が大切です。こんな人間が、そばにいない方がいい。そう思ったけれど、彼が望んでくれたから」
まっすぐにルシエルを捉える目はミカエルのようだ。ルシエルはくしゃりと笑う。
「共にありたい」
バラキエルはかすかに目を見開いて、苦笑した。
「それは、俺に許可を求めてんのか? 俺がどう言おうと、お前さんはあいつのところにいる気だろ」
「親御さん公認のほうが、安らかな心地でいられると思って」
「好きにすりゃあいい。あいつにはお前さんが、お前さんにはあいつが、必要なんだろうさ」
微妙な顔でいるルシエルの頭を、無骨な手ががしがし撫でる。
「っ、」
「お前も大変だったな、ルシエル」
温かな眼差しがルシエルに向けられていた。それはまるで、親のような――。
「そんなに驚くことか? わるかったな。ついうっかり手が出ちまって」
大切に育てた我が子のような存在の命を奪っていたかもしれない相手に、どうしてこのように接することができるのだろう。責める言葉の一つもなく。
「俺は、本気だった。本気で彼の命を奪おうと――」
「それでも、最後には自分を取り戻した。それが "お前" なんだと、俺は思うぜ」
ルシエルは手の平で顔を覆った。
バラキエルは最初からその部分を見てくれていて、このような事があっても、その信頼が揺らぐことはないというのか。
「……俺も師匠って呼んでいいですか」
「ああ?」
雷光のバラキエルと伝説的に語り継がれ、慕う者が多いのも頷ける。それから、ミカエルの育ての親であることも。
「いいけどよ…。今更だが、ずいぶん変わったな」
「自分でもそう思います」
「まぁなんだ、よかった。あいつも穏やかな顔になったしな。……お前のおかげなんだろう」
バラキエルは浸みったれた空気を払うように小さく息を吐く。そうして何とはなしに夜空を見上げ、クッと笑った。
「酒が飲みたくなる月だ」
まあるい月は、杯に満ち満ちた酒のようである。
正確にそのイメージを読み取ったルシエルは、目を瞬いて苦笑した。
「まだ飲むんですか」
「お前ももっと飲めるだろ」
「俺はそんなに…。こうなって、ちょっと耐性が落ちたようで」
アルコールを感じはするものの、酔うという感覚がいまいちわからなかったルシエル。しかし今では、ふわふわと浮ついた心地になるのが感じられる。
もともと、それなりにアルコールに強い体質だったのだろう。ミカエルのように明らかに平時と異なる様子にならなくてよかったと、こっそり胸を撫で下ろしたのは秘密だ。
「へえ。他にも変化があるのか?」
「他には――」
二人は話しながら家に戻る。それを見守るように、晴れた空に美しい月が輝いていた。
「ああ。ナンバラで助けた王子――今では王か。そいつが、軍を率いて戦ったんだろ」
「ええ。ブランリスの王には恩義があるとかで。自ら率先して、前線に立つことを希望したそうです」
「ブランリスの王のために、か」
「陛下は強力な同盟相手を見つけたものです。ガルセレス、でしたか」
バラキエルがぐいと酒を煽る。
「二十代後半だってな」
「はい。童顔なので、もっと若く見えるらしいです」
ラムエルもこくりと一口。
「今回の一件は、ナピュラの統治を任されていた者が、現地で横暴を働いたため起きたものです。民衆の怒りが溢れ、騒動になったのです。それを若きナンバラ王率いる軍が、見事に抑え込んだという」
「統治を任されていた者はどうなった」
「追放されました。その野蛮さには、陛下も辟易していたそうです」
バラキエルは鼻で笑う。
「その騒動自体、陛下が裏で糸を引いてるんじゃねえか?」
「その者を追放するためのきっかけを、陛下が作ったと?」
「陛下が即位したときには、その家の奴がすでに統治を任されていたんだろう。代々受け継がれてきた地位だ。追っ払うには、正当な理由がいる」
「それもあるかもしれません」と、ラムエルは肩をすくめた。
「私は、若きナンバラ王の活躍が気になります」
「ブランリスは強力な後ろ盾を得た。それをアピールしたかったんじゃないか?」
「……そうですね」
ミカエルの意識が再び沈みそうになったとき、そっと肩を揺すられた。
「ミカ、部屋で休もう」
こくりと頷くと、立ち上がるのを手伝い、支えてくれる。
バラキエルがこちらを向いて声をかけた。
「わるいな」
「いえ」
そういえば、テーブルの上が綺麗に片付いている。ルシエルがやってくれたのかもしれない。
――ルシ、ありがと。
ちゃんと言えたかわからないが、ルシエルがこちらを向いて笑みを浮かべる。
「どういたしまして」
そのまま、ふわふわと雲の上を歩いている感覚でベッドに着いた。布団を被せてくれた彼の腕を取る。
「……おやすみ、ミカ」
意識が遠退くなか、頭を撫でられ、何かが髪に触れたような気がした。
ミカエルを部屋に送り届けたルシエルは、そっと家の外に出た。
見上げてみれば、見事な満月が。ほぅっと息を吐く。
そのとき、玄関ドアが開く音がして、バラキエルがやってきた。
「よぅ、もう飲まねえのか?」
「けっこう飲んだと思いますけど」
「他人行儀だな。まえみてぇに、普通に話せよ」
ルシエルは肩をすくめてバラキエルに向き直る。そうして、頭を下げた。
「ラムエルさんが言っていた通りです。俺は、彼の命を奪っていたかもしれない」
「よせ。俺が勝手にお前さんに頼んだんだ。重荷になっちまうかもしれねえと思っても、言いたかった。親もどきのエゴだ」
肩に手を置かれ、ルシエルは首を振って顔を上げた。
「……俺も彼が大切です。こんな人間が、そばにいない方がいい。そう思ったけれど、彼が望んでくれたから」
まっすぐにルシエルを捉える目はミカエルのようだ。ルシエルはくしゃりと笑う。
「共にありたい」
バラキエルはかすかに目を見開いて、苦笑した。
「それは、俺に許可を求めてんのか? 俺がどう言おうと、お前さんはあいつのところにいる気だろ」
「親御さん公認のほうが、安らかな心地でいられると思って」
「好きにすりゃあいい。あいつにはお前さんが、お前さんにはあいつが、必要なんだろうさ」
微妙な顔でいるルシエルの頭を、無骨な手ががしがし撫でる。
「っ、」
「お前も大変だったな、ルシエル」
温かな眼差しがルシエルに向けられていた。それはまるで、親のような――。
「そんなに驚くことか? わるかったな。ついうっかり手が出ちまって」
大切に育てた我が子のような存在の命を奪っていたかもしれない相手に、どうしてこのように接することができるのだろう。責める言葉の一つもなく。
「俺は、本気だった。本気で彼の命を奪おうと――」
「それでも、最後には自分を取り戻した。それが "お前" なんだと、俺は思うぜ」
ルシエルは手の平で顔を覆った。
バラキエルは最初からその部分を見てくれていて、このような事があっても、その信頼が揺らぐことはないというのか。
「……俺も師匠って呼んでいいですか」
「ああ?」
雷光のバラキエルと伝説的に語り継がれ、慕う者が多いのも頷ける。それから、ミカエルの育ての親であることも。
「いいけどよ…。今更だが、ずいぶん変わったな」
「自分でもそう思います」
「まぁなんだ、よかった。あいつも穏やかな顔になったしな。……お前のおかげなんだろう」
バラキエルは浸みったれた空気を払うように小さく息を吐く。そうして何とはなしに夜空を見上げ、クッと笑った。
「酒が飲みたくなる月だ」
まあるい月は、杯に満ち満ちた酒のようである。
正確にそのイメージを読み取ったルシエルは、目を瞬いて苦笑した。
「まだ飲むんですか」
「お前ももっと飲めるだろ」
「俺はそんなに…。こうなって、ちょっと耐性が落ちたようで」
アルコールを感じはするものの、酔うという感覚がいまいちわからなかったルシエル。しかし今では、ふわふわと浮ついた心地になるのが感じられる。
もともと、それなりにアルコールに強い体質だったのだろう。ミカエルのように明らかに平時と異なる様子にならなくてよかったと、こっそり胸を撫で下ろしたのは秘密だ。
「へえ。他にも変化があるのか?」
「他には――」
二人は話しながら家に戻る。それを見守るように、晴れた空に美しい月が輝いていた。
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