162 / 174
7章.Rex tremendae
失って得たもの
しおりを挟む
新しい朝はピカピカのお日さまのもとしばし微睡み、剣の稽古から始まった。一汗かいて、シャワーを浴びて、ゆっくりと朝食の準備に取りかかる。
花のような香りのコーヒー豆をガラガラ挽いて、ロフトから降りてきた彼に「おはよう」。
「甘い…」
「こんなコーヒーもあるんだな」
香りといい、味といい、未知なる体験である。こんなに日常的なところに、新たな発見が潜んでいるとは。
「世界は広ぇ」
「本当に」
朝食を終えた二人は、さっそく出かける準備を始めた。
私服姿で帽子を被り、玄関のカギをかけたら出発だ。
「で、どこに行くんだ?」
振り返ると、微笑を浮かべて手を差し伸べられる。ミカエルは肩をすくめて彼の手を取った。
そうして瞬間移動した先は、
「海…」
「俺の知っているかぎり、ブランリスで一番美しい海だ」
黄金色の砂浜の向こうに、青い海が広がっている。
――ブランリスにも海があったんだ。
ミカエルは驚きとともに足を進めた。
砂浜は緑に囲まれており、他に人はいない。美しいこの景色は今、ミカエルとルシエルのために存在しているようだった。
「おまえ、海に入ったことある?」
「入ったことはないな」
「色んな魚がいて、珊瑚とかあって、すっげぇ綺麗なんだぜ」
あのときと同じ感動を、ミカエルは感じていた。
振り返って視線が交わる。
ルシエルは眩しそうに目を細めた。
「入るの?」
「これから街に行くんだろ」
「海を楽しんでからでも遅くない」
その言葉を聞いた瞬間、ミカエルは帽子を投げ捨てていた。上着を脱いで、シャツもブーツも脱ぎ捨てる。
「アクレプンでも、下履き一枚で入ってたわけ?」
「いや、ヤグニエが濡れてもいいような薄手の短パン貸してくれたから」
「ふぅん」
「ここにいるのはおまえだけだし。いいだろ」
「お好きに」
ルシエルは肩をすくめて、自身も服を脱いでいる。どうやらリニューアルした彼は、積極的に体験する方針らしい。
「つめたっ」
「すぐ慣れる」
「うぇ、しょっぱぁ…」
「それも慣れるぜ」
ミカエルは押し寄せる波に逆らって少しずつ進む彼の腕を掴み、海の中へ引っ張りこんだ。
「ちょ、ミカっ」
「おまえ、泳げるか?」
「引っ張り込んでから、聞くっ?」
ミカエルは笑って海に潜った。そういえば、ゴーグルをしていない。目は痛いし、視界がぼんやりしている。
ルシエルは大丈夫だろうか。
振り返ってみると、ミカエルを倣いバタ足で着いてきた。プハッと海面から顔を出す。少しして、彼も顔を出した。
ミカエルは波に揺られながら海水を飲まないように口を開く。
「ゴーグルなかったな」
「目を護るやつ?」
「おう。よく見えねぇや」
するとルシエルは前髪を掻き上げ、ミカエルの腕を掴んだ。その腕から、彼のエネルギァに包まれるような感覚がする。
「潜るよ」
「おう?」
彼に合わせて顔をつけてみた。ーー海中がクリアに見えるではないか。
ミカエルは驚いて海面から顔を出した。
顔を上げたルシエルがクッと笑む。
「どう?」
「なんで見えんだ? そういや、目、痛くなかった…」
「風の力さ。それで顔の辺りを覆ってみたんだ」
ルシエルによると、それが膜のようになり、硝子越しに海中を見るような感じにできるという。
「思いつきでやってみただけだけど」
「……スゴすぎだろ」
ルシエルはくすりと笑って、ミカエルを海中散歩に誘った。風の膜の効果は視界をクリアにするに留まらず、海中で呼吸ができる作用まであったのだ。
二人は手を繋いで光差す水の中を泳ぐ。
この海もなだらかに深くなっており、様々な魚がいた。
光る魚に鮮やかな珊瑚たち。
幻想的な世界に心を奪われ、遠くまで行ってしまわないようにするのが大変だった。
「はぁ…、最高だった」
浜辺に戻ったミカエルは、ゆめのような体験に高揚したままルシエルを振り返る。
「ああ…、ほんと、綺麗で…」
ルシエルはへにゃりと笑って浜辺に座りこんだ。興奮冷めやらずエネルギァに満ち満ちているミカエルとは対照的に、ずいぶん消耗している。
「あ。力、平気か?」
そうだ、今の彼は楽々と無限に力が使えるのではなかった。
「ちょっと休めば…、回復する…」
ルシエルはそのまま後ろに倒れ込み、大の字になって目を閉じた。
「おい、本当に平気かよ」
「へーきへーき…」
そのまま眠ってしまったので、どれほど消耗していたのかと思う。
ミカエルは傍らに寝転んで、彼を見詰める。もとの彼に戻れたのは喜ばしいことなのに、弱った姿を見るのがつらい。
「ルシ、ありがとな。……気づかなくてごめん」
楽しくて、楽しくて。
彼ががんばって力を使ってくれていることをすっかり忘れていた。
「……いいって。俺も…、楽しかったんだ…」
夢現に答える彼は小さく笑う。
「自分でも…、まだ…、把握してなかった…。こんな感覚、初めてだ…。ぜんぜん、身体が…、動かない…」
そんな状態なのに、ルシエルは楽しそうなのだ。
ミカエルは力の抜けた彼の手を握る。
「うちの森に、エネルギァを補給できる果実がある」
「へぇ…。もう少し……休んだら…、一度戻ろう…」
数時間後、彼が目を覚ますまで、ミカエルはじっと美しい眠り顔を見詰めていた。
花のような香りのコーヒー豆をガラガラ挽いて、ロフトから降りてきた彼に「おはよう」。
「甘い…」
「こんなコーヒーもあるんだな」
香りといい、味といい、未知なる体験である。こんなに日常的なところに、新たな発見が潜んでいるとは。
「世界は広ぇ」
「本当に」
朝食を終えた二人は、さっそく出かける準備を始めた。
私服姿で帽子を被り、玄関のカギをかけたら出発だ。
「で、どこに行くんだ?」
振り返ると、微笑を浮かべて手を差し伸べられる。ミカエルは肩をすくめて彼の手を取った。
そうして瞬間移動した先は、
「海…」
「俺の知っているかぎり、ブランリスで一番美しい海だ」
黄金色の砂浜の向こうに、青い海が広がっている。
――ブランリスにも海があったんだ。
ミカエルは驚きとともに足を進めた。
砂浜は緑に囲まれており、他に人はいない。美しいこの景色は今、ミカエルとルシエルのために存在しているようだった。
「おまえ、海に入ったことある?」
「入ったことはないな」
「色んな魚がいて、珊瑚とかあって、すっげぇ綺麗なんだぜ」
あのときと同じ感動を、ミカエルは感じていた。
振り返って視線が交わる。
ルシエルは眩しそうに目を細めた。
「入るの?」
「これから街に行くんだろ」
「海を楽しんでからでも遅くない」
その言葉を聞いた瞬間、ミカエルは帽子を投げ捨てていた。上着を脱いで、シャツもブーツも脱ぎ捨てる。
「アクレプンでも、下履き一枚で入ってたわけ?」
「いや、ヤグニエが濡れてもいいような薄手の短パン貸してくれたから」
「ふぅん」
「ここにいるのはおまえだけだし。いいだろ」
「お好きに」
ルシエルは肩をすくめて、自身も服を脱いでいる。どうやらリニューアルした彼は、積極的に体験する方針らしい。
「つめたっ」
「すぐ慣れる」
「うぇ、しょっぱぁ…」
「それも慣れるぜ」
ミカエルは押し寄せる波に逆らって少しずつ進む彼の腕を掴み、海の中へ引っ張りこんだ。
「ちょ、ミカっ」
「おまえ、泳げるか?」
「引っ張り込んでから、聞くっ?」
ミカエルは笑って海に潜った。そういえば、ゴーグルをしていない。目は痛いし、視界がぼんやりしている。
ルシエルは大丈夫だろうか。
振り返ってみると、ミカエルを倣いバタ足で着いてきた。プハッと海面から顔を出す。少しして、彼も顔を出した。
ミカエルは波に揺られながら海水を飲まないように口を開く。
「ゴーグルなかったな」
「目を護るやつ?」
「おう。よく見えねぇや」
するとルシエルは前髪を掻き上げ、ミカエルの腕を掴んだ。その腕から、彼のエネルギァに包まれるような感覚がする。
「潜るよ」
「おう?」
彼に合わせて顔をつけてみた。ーー海中がクリアに見えるではないか。
ミカエルは驚いて海面から顔を出した。
顔を上げたルシエルがクッと笑む。
「どう?」
「なんで見えんだ? そういや、目、痛くなかった…」
「風の力さ。それで顔の辺りを覆ってみたんだ」
ルシエルによると、それが膜のようになり、硝子越しに海中を見るような感じにできるという。
「思いつきでやってみただけだけど」
「……スゴすぎだろ」
ルシエルはくすりと笑って、ミカエルを海中散歩に誘った。風の膜の効果は視界をクリアにするに留まらず、海中で呼吸ができる作用まであったのだ。
二人は手を繋いで光差す水の中を泳ぐ。
この海もなだらかに深くなっており、様々な魚がいた。
光る魚に鮮やかな珊瑚たち。
幻想的な世界に心を奪われ、遠くまで行ってしまわないようにするのが大変だった。
「はぁ…、最高だった」
浜辺に戻ったミカエルは、ゆめのような体験に高揚したままルシエルを振り返る。
「ああ…、ほんと、綺麗で…」
ルシエルはへにゃりと笑って浜辺に座りこんだ。興奮冷めやらずエネルギァに満ち満ちているミカエルとは対照的に、ずいぶん消耗している。
「あ。力、平気か?」
そうだ、今の彼は楽々と無限に力が使えるのではなかった。
「ちょっと休めば…、回復する…」
ルシエルはそのまま後ろに倒れ込み、大の字になって目を閉じた。
「おい、本当に平気かよ」
「へーきへーき…」
そのまま眠ってしまったので、どれほど消耗していたのかと思う。
ミカエルは傍らに寝転んで、彼を見詰める。もとの彼に戻れたのは喜ばしいことなのに、弱った姿を見るのがつらい。
「ルシ、ありがとな。……気づかなくてごめん」
楽しくて、楽しくて。
彼ががんばって力を使ってくれていることをすっかり忘れていた。
「……いいって。俺も…、楽しかったんだ…」
夢現に答える彼は小さく笑う。
「自分でも…、まだ…、把握してなかった…。こんな感覚、初めてだ…。ぜんぜん、身体が…、動かない…」
そんな状態なのに、ルシエルは楽しそうなのだ。
ミカエルは力の抜けた彼の手を握る。
「うちの森に、エネルギァを補給できる果実がある」
「へぇ…。もう少し……休んだら…、一度戻ろう…」
数時間後、彼が目を覚ますまで、ミカエルはじっと美しい眠り顔を見詰めていた。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
転生先のぽっちゃり王子はただいま謹慎中につき各位ご配慮ねがいます!
梅村香子
BL
バカ王子の名をほしいままにしていたロベルティア王国のぽっちゃり王子テオドール。
あまりのわがままぶりに父王にとうとう激怒され、城の裏手にある館で謹慎していたある日。
突然、全く違う世界の日本人の記憶が自身の中に現れてしまった。
何が何だか分からないけど、どうやらそれは前世の自分の記憶のようで……?
人格も二人分が混ざり合い、不思議な現象に戸惑うも、一つだけ確かなことがある。
僕って最低最悪な王子じゃん!?
このままだと、破滅的未来しか残ってないし!
心を入れ替えてダイエットに勉強にと忙しい王子に、何やらきな臭い陰謀の影が見えはじめ――!?
これはもう、謹慎前にののしりまくって拒絶した専属護衛騎士に守ってもらうしかないじゃない!?
前世の記憶がよみがえった横暴王子の危機一髪な人生やりなおしストーリー!
騎士×王子の王道カップリングでお送りします。
第9回BL小説大賞の奨励賞をいただきました。
本当にありがとうございます!!
※本作に20歳未満の飲酒シーンが含まれます。作中の世界では飲酒可能年齢であるという設定で描写しております。実際の20歳未満による飲酒を推奨・容認する意図は全くありません。

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる