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7章.Rex tremendae
昼日中
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コーヒーを飲み干す頃には森で過ごしていた日々の感覚を取り戻し、二人の足は自然に畑へ向いた。
「げ、」
「うわぁ、懐かしい光景だ」
それはまるで聖学校から帰還したときのよう。
好き勝手に伸びた雑草たちに、育てていた野菜たちが呑みこまれている。
――すっかり忘れてた。
「そんなに長い間アクレプンにいたんだ?」
「……おまえがいなくなってから、あんま家に帰ってなかったんだ」
ムスッと言えばちらりと視線が寄越され、慰めるように肩に腕を回された。
そっと耳許で落とされる。
「さびしかった?」
「っうるせえ」
ミカエルは眉根を寄せて彼を押しのけ、さっさと雑草取りに向かった。
耳が熱い。
ルシエルがくつくつ笑っている。
「突っ立ってねえでおまえもやれよ」
「はいはい、ただいま」
どことなく、わがままなお姫様にお仕えしている従者感のある受け答えに、ミカエルの眉がピクリと動く。彼の靴目掛け、げしっと土を蹴り上げた。
「……ミカ、靴に入るだろ」
「へーへーわるかった、な」
おざなりに言葉を発したミカエルの顔面にかかった土。ルシエルが思い切り雑草を引き抜いた拍子に飛んだのだ。
「あ、ごめん」
ミカエルは思わず手に持っていた雑草の束をルシエルに投げつけた。
「っわざとじゃないって!」
「そいつはスゲェ偶然だ」
「おっと、うっかり」
再び飛んできた土は偶然ではないだろう。
「……いい度胸だな」
こうして雑草取りはいつしか土かけ合戦の様相となり、たびたび土に混じって飛んでくる虫たちを交え、ますますヒートアップしていった。
「ッギャ、」
「ッハ、どっから声出てん゛ブッ」
「油断したな。口を開けてるのが悪い」
「っのッ」
そうしてすっかり雑草がなくなった頃、肩で息をする二人は互いの汚れっぷりを見て動きを止める。
「っく、」
「っふふ、っは、」
笑い出したら止まらなかった。
「おまっ、ひでぇ顔…っ」
「っ君もだ、」
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
「はぁあ、全身土だらけ」
「川行こうぜ」
「寒くない時期でよかったよ」
二人は手で服についた土を払いつつ、小川の下流へ向かう。川幅は徐々に広がり、ちょっとした滝のようになっていた。
「……まさか?」
ルシエルがミカエルに顔を向けると、ミカエルはニッと笑み、えいやと滝壺にジャンプした。
ザバーンッ
水の轟きを掻き分け水面に顔を出す。
冷たい水が気持ちいい。少し泳いでルシエルのいる方を見上げた。手を上げてやれば、肩をすくめて彼も飛ぶ。
滝壺に呑まれた水しぶき。
少しして、ぷはっと水面から顔を出した。
「きもちぃだろ」
「水っ、冷たすぎ! っと、待って、靴脱げそう」
「おまえ、そこで足着くのかよ」
「ギリギリね」
ミカエルは脱いだ靴を両手に持ってやって来たルシエルを半目で迎え、靴を乾かすために川から上がることにした。
身体にべっちょりくっつくシャツも脱ぎ去り、手で絞る。ズボンに手を掛けたとき、ふとルシエルの方を向くと目を閉じて集中していた。
彼を中心に結界が広がる。
「ここに誰も来ないように」
にこりと笑みを浮かべた顔が有無を言わさぬ様子だったので、ミカエルは言葉を呑んでズボンを脱いだ。
すべすべした大きな岩肌に服を広げて干しておく。下履き一枚で川に戻って、清らかな水の心地良さに目を閉じた。
暑い時期には、よくここに来て飛び込んだりなんだり、一人で遊んでいたものだ。聖学校に行くまでは、そうやって自然の中で過ごすのが日常だった。
――なんか色々、考えるようになっちまったな。
ふと大きな岩の方へ目をやれば、同じく服を脱いだルシエルが片膝を立てて座っており、そよぐ風に心地よさそうに目を閉じていた。
そういえば、以前、海で水をかけようとしたとき、彼は闇を展開して防いでいた。
「なぁ、なんで防がなかったんだ?」
声を掛ければ、目蓋が開いて紫水色の瞳がミカエルを捉える。
「防ぐ?」
「土」
「……ああ、その方が楽しそうだったから」
たしかに、雑草取りもとい土かけ合戦は大いに白熱した。それは、彼が同じ土俵に乗ってくれたからだったのだ。
「それに、このままだと、前みたいに無尽蔵に力が使えなくてね」
「あ?」
そうだ、彼の底なしの力は、重い感情をエネルギァに換える能力によって得られていた。
「家で見してくれたみてぇに、前の姿になる必要があるってことか」
「そう。今の俺には、集中してあの状態を保つのは大変なんだ」
それでも、ミカエルよりキャパシティが大きいことには変わりないのだが。
「……不便になったんだな」
「これが普通なんだし、そんな風には思わないさ」
ルシエルは濡れ髪を掻き上げ、穏やかに微笑んだ。
「げ、」
「うわぁ、懐かしい光景だ」
それはまるで聖学校から帰還したときのよう。
好き勝手に伸びた雑草たちに、育てていた野菜たちが呑みこまれている。
――すっかり忘れてた。
「そんなに長い間アクレプンにいたんだ?」
「……おまえがいなくなってから、あんま家に帰ってなかったんだ」
ムスッと言えばちらりと視線が寄越され、慰めるように肩に腕を回された。
そっと耳許で落とされる。
「さびしかった?」
「っうるせえ」
ミカエルは眉根を寄せて彼を押しのけ、さっさと雑草取りに向かった。
耳が熱い。
ルシエルがくつくつ笑っている。
「突っ立ってねえでおまえもやれよ」
「はいはい、ただいま」
どことなく、わがままなお姫様にお仕えしている従者感のある受け答えに、ミカエルの眉がピクリと動く。彼の靴目掛け、げしっと土を蹴り上げた。
「……ミカ、靴に入るだろ」
「へーへーわるかった、な」
おざなりに言葉を発したミカエルの顔面にかかった土。ルシエルが思い切り雑草を引き抜いた拍子に飛んだのだ。
「あ、ごめん」
ミカエルは思わず手に持っていた雑草の束をルシエルに投げつけた。
「っわざとじゃないって!」
「そいつはスゲェ偶然だ」
「おっと、うっかり」
再び飛んできた土は偶然ではないだろう。
「……いい度胸だな」
こうして雑草取りはいつしか土かけ合戦の様相となり、たびたび土に混じって飛んでくる虫たちを交え、ますますヒートアップしていった。
「ッギャ、」
「ッハ、どっから声出てん゛ブッ」
「油断したな。口を開けてるのが悪い」
「っのッ」
そうしてすっかり雑草がなくなった頃、肩で息をする二人は互いの汚れっぷりを見て動きを止める。
「っく、」
「っふふ、っは、」
笑い出したら止まらなかった。
「おまっ、ひでぇ顔…っ」
「っ君もだ、」
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
「はぁあ、全身土だらけ」
「川行こうぜ」
「寒くない時期でよかったよ」
二人は手で服についた土を払いつつ、小川の下流へ向かう。川幅は徐々に広がり、ちょっとした滝のようになっていた。
「……まさか?」
ルシエルがミカエルに顔を向けると、ミカエルはニッと笑み、えいやと滝壺にジャンプした。
ザバーンッ
水の轟きを掻き分け水面に顔を出す。
冷たい水が気持ちいい。少し泳いでルシエルのいる方を見上げた。手を上げてやれば、肩をすくめて彼も飛ぶ。
滝壺に呑まれた水しぶき。
少しして、ぷはっと水面から顔を出した。
「きもちぃだろ」
「水っ、冷たすぎ! っと、待って、靴脱げそう」
「おまえ、そこで足着くのかよ」
「ギリギリね」
ミカエルは脱いだ靴を両手に持ってやって来たルシエルを半目で迎え、靴を乾かすために川から上がることにした。
身体にべっちょりくっつくシャツも脱ぎ去り、手で絞る。ズボンに手を掛けたとき、ふとルシエルの方を向くと目を閉じて集中していた。
彼を中心に結界が広がる。
「ここに誰も来ないように」
にこりと笑みを浮かべた顔が有無を言わさぬ様子だったので、ミカエルは言葉を呑んでズボンを脱いだ。
すべすべした大きな岩肌に服を広げて干しておく。下履き一枚で川に戻って、清らかな水の心地良さに目を閉じた。
暑い時期には、よくここに来て飛び込んだりなんだり、一人で遊んでいたものだ。聖学校に行くまでは、そうやって自然の中で過ごすのが日常だった。
――なんか色々、考えるようになっちまったな。
ふと大きな岩の方へ目をやれば、同じく服を脱いだルシエルが片膝を立てて座っており、そよぐ風に心地よさそうに目を閉じていた。
そういえば、以前、海で水をかけようとしたとき、彼は闇を展開して防いでいた。
「なぁ、なんで防がなかったんだ?」
声を掛ければ、目蓋が開いて紫水色の瞳がミカエルを捉える。
「防ぐ?」
「土」
「……ああ、その方が楽しそうだったから」
たしかに、雑草取りもとい土かけ合戦は大いに白熱した。それは、彼が同じ土俵に乗ってくれたからだったのだ。
「それに、このままだと、前みたいに無尽蔵に力が使えなくてね」
「あ?」
そうだ、彼の底なしの力は、重い感情をエネルギァに換える能力によって得られていた。
「家で見してくれたみてぇに、前の姿になる必要があるってことか」
「そう。今の俺には、集中してあの状態を保つのは大変なんだ」
それでも、ミカエルよりキャパシティが大きいことには変わりないのだが。
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