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7章.Rex tremendae
清新
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†††
麗らかな日差しを眼裏に感じ、ミカエルは目蓋を上げた。
ここはミカエルの自室だ。ベッドの上に横になっている。
――っルシ、ゾフィは?
命の危機にはないはず。
アズラエルが来て、誰も死なせないと言ってくれたのだ。
近くに人の気配を感じ、ミカエルは起き上がって眩しい窓辺へ顔を向けた。
振り返った彼は、光の中で静かに佇んでいる。ホワイトリリーの髪の色。逆光で、顔がよく見えない。
「よく寝たね」
――っつか、誰。
ミカエルは、一瞬本当に判らなかった。
声を聞いてようやく、ルシエルのものに違いないと頭が言った。
「気分はわるくない?」
ゆったりと歩み寄り、身を屈め、そっと頬を撫でてくる。
独特の禍々しい気配は鳴りを潜めて、日溜りのような穏やかな氣を纏っていた。
「ルシだよな」
「そうだよ」
思わず問い質してしまうのも無理はないだろう。気配に髪の色、それにああ、目の色まで変わっているようだ。
柔らかな声音で答える彼は、雰囲気すら別人のようである。
「色は丸薬か?」
するとルシエルは、緩く首を振った。
「君が、命の根源に近い部分まで光氣を流し込んでくれたから」
眉尻を下げた顔は辛そうで、ミカエルは首を傾げる。
「……あのとき、アズラエルが来なかったら、君も死んでいたかもしれない」
ゆっくりと、伸ばされた腕に抱きしめられた。震える腕が彼の心情を物語っている。
ミカエルは彼の背中に腕を回して目蓋を下ろした。
「でもま、生きてるし」
「寿命が縮まったかも」
「構うかよ。長生きすりゃ良いってもんじゃねえだろ」
鼻で笑ってやった。
抱擁を解いた彼が、悲しそうな瞳で口を開く。
「君がいない世界なんて考えられない」
ミカエルはかすかに目を見開いた。
濡れた瞳の美しさ。
揺らめく水色の虹彩に落ちる影は淡く紫水晶の輝きを放っている。夜明けの空のような、神秘的な色合いだ。
「……いきなりいなくなった奴が、よく言うぜ」
挙げ句の果てに、殺し合いまでした。ルシエルが正気に戻らなかったら、ミカエルは今、生きてはいないだろう。
「彼…、ベリアルが森の家に来たとき、この場所を壊されたくないと思った」
ルシエルは長い睫毛を伏せて語る。
――あの夜、デビルのような禍々しい氣を感じて外へ出てみると、一人の少年が佇んでいたのだ。
『会いたかったよ、ルシファー』
『……何者?』
『アンタと一緒。デビルとブレンドされた』
自分と同じような存在がいたことに、ルシエルは心底驚いた。
『聖剣持ってる人なんかと一緒にいて、デビル退治? 意味わかんない』
ベリアルは苛立った様子で、今にも夜のしじまをぶち壊しそうだった。だからルシエルは、場所を移す提案をしたのだ。
『大切なんだ、そいつのこと。知ってるよ。ミカエルっていうんでしょ。スゴく目障り』
ベリアルは顔を歪ませ、話し続ける。
『ボクらは奴らと違う。奴らより強くて優れてるんだ。なんでデビルを倒すの? アンタなら、従えることだってできるのに。奴らより有能なボクらが窮屈な思いをしてるなんて、おかしいよ』
――眩暈がする。
この力のせいで、彼も酷い目に遭ったのかもしれない。ルシエルは己の力を恨むことはあっても、周りの人間に怒りや憎しみを覚えたことはなかった。だからか彼の考え方は新鮮で、胸に刺さったのかもしれない。
頭の片隅では、ミカエルと彼が真剣に殺り合ったら、ミカエルもただでは済まないであろうことを思考していた。彼をミカエルに近づけたくない。近づけてはならない――。
『アンタがボクを選ぶなら、イイ所に案内してあげる』
ルシエルは肩をすくめて身を翻す。
『っここで暴れていいの?』
『身支度を整える。寝間着で出かけるわけにはいかないだろう』
そうして支度を整えたルシエルは、差し伸べられた手を取ったのだ。
「どんな手段を使っても、すぐに帰ってくるつもりだった」
それ故、眠るミカエルをわざわざ起こす必要もないと思った。
「それが、瞬間移動で出た先が邪石の豊富な洞窟で。一気に意識が呑まれてしまったんだ」
ルシエルはそこで息を吐き、己の手の平へ目をやる。
「そうなったら俺は、おぞましい事に愉悦を覚えてしまう。ベリアルに誘われるがまま邪石を売って…」
黙って聞いていたミカエルは、彼の手の平に自身の手を重ねた。
「おまえが望んだことじゃねえ」
「君が想像もつかないような残忍なことも、自分の意思でやったんだ」
「今のおまえは、それをやりたいと思うか?」
「思わない」
顔を歪めて忌々しげに即答するので、ミカエルは息を溢すように笑ってしまった。
「もういいじゃねえか。俺も望まねえ事をしたけど、おまえは受け入れて、ゆめみてえにしてくれただろ」
「してしまった内容がちがう」
「本当の自分の意志じゃなかったのは同じだ」
ミカエルは息を吐き、色味が変わった彼の顔を改めて目に映す。
「おまえも、新しくなった。氣質だって、これまでが本当のおまえじゃなかったんだ。……これで取り戻せたって、思っていいのか」
「……ああ」
「これが本来のおまえ?」
「そうだよ」
あのとき、沈んだ意識のなかで、暗闇に一人佇んでいたルシエルは、下の方から溢れでた光に包まれて黄金色に染まった。
――温かい。
驚いて目を瞬くと、どこまでも広がる青空の中、小さな少年が浮かんで立っていた。
淡黄色の髪を靡かせ、少年が振り返る。彼は空色の瞳を細め、親しげに微笑みかけてきた。いつの間にか目の前にいた彼の小さな手が胸元に触れ、熱を帯びる。
――ずっとここにいたよ――
声は聞こえなかったがそう言われたような気がして、抑えきれない想いがこみ上げた。
――君は、――俺は――。
麗らかな日差しを眼裏に感じ、ミカエルは目蓋を上げた。
ここはミカエルの自室だ。ベッドの上に横になっている。
――っルシ、ゾフィは?
命の危機にはないはず。
アズラエルが来て、誰も死なせないと言ってくれたのだ。
近くに人の気配を感じ、ミカエルは起き上がって眩しい窓辺へ顔を向けた。
振り返った彼は、光の中で静かに佇んでいる。ホワイトリリーの髪の色。逆光で、顔がよく見えない。
「よく寝たね」
――っつか、誰。
ミカエルは、一瞬本当に判らなかった。
声を聞いてようやく、ルシエルのものに違いないと頭が言った。
「気分はわるくない?」
ゆったりと歩み寄り、身を屈め、そっと頬を撫でてくる。
独特の禍々しい気配は鳴りを潜めて、日溜りのような穏やかな氣を纏っていた。
「ルシだよな」
「そうだよ」
思わず問い質してしまうのも無理はないだろう。気配に髪の色、それにああ、目の色まで変わっているようだ。
柔らかな声音で答える彼は、雰囲気すら別人のようである。
「色は丸薬か?」
するとルシエルは、緩く首を振った。
「君が、命の根源に近い部分まで光氣を流し込んでくれたから」
眉尻を下げた顔は辛そうで、ミカエルは首を傾げる。
「……あのとき、アズラエルが来なかったら、君も死んでいたかもしれない」
ゆっくりと、伸ばされた腕に抱きしめられた。震える腕が彼の心情を物語っている。
ミカエルは彼の背中に腕を回して目蓋を下ろした。
「でもま、生きてるし」
「寿命が縮まったかも」
「構うかよ。長生きすりゃ良いってもんじゃねえだろ」
鼻で笑ってやった。
抱擁を解いた彼が、悲しそうな瞳で口を開く。
「君がいない世界なんて考えられない」
ミカエルはかすかに目を見開いた。
濡れた瞳の美しさ。
揺らめく水色の虹彩に落ちる影は淡く紫水晶の輝きを放っている。夜明けの空のような、神秘的な色合いだ。
「……いきなりいなくなった奴が、よく言うぜ」
挙げ句の果てに、殺し合いまでした。ルシエルが正気に戻らなかったら、ミカエルは今、生きてはいないだろう。
「彼…、ベリアルが森の家に来たとき、この場所を壊されたくないと思った」
ルシエルは長い睫毛を伏せて語る。
――あの夜、デビルのような禍々しい氣を感じて外へ出てみると、一人の少年が佇んでいたのだ。
『会いたかったよ、ルシファー』
『……何者?』
『アンタと一緒。デビルとブレンドされた』
自分と同じような存在がいたことに、ルシエルは心底驚いた。
『聖剣持ってる人なんかと一緒にいて、デビル退治? 意味わかんない』
ベリアルは苛立った様子で、今にも夜のしじまをぶち壊しそうだった。だからルシエルは、場所を移す提案をしたのだ。
『大切なんだ、そいつのこと。知ってるよ。ミカエルっていうんでしょ。スゴく目障り』
ベリアルは顔を歪ませ、話し続ける。
『ボクらは奴らと違う。奴らより強くて優れてるんだ。なんでデビルを倒すの? アンタなら、従えることだってできるのに。奴らより有能なボクらが窮屈な思いをしてるなんて、おかしいよ』
――眩暈がする。
この力のせいで、彼も酷い目に遭ったのかもしれない。ルシエルは己の力を恨むことはあっても、周りの人間に怒りや憎しみを覚えたことはなかった。だからか彼の考え方は新鮮で、胸に刺さったのかもしれない。
頭の片隅では、ミカエルと彼が真剣に殺り合ったら、ミカエルもただでは済まないであろうことを思考していた。彼をミカエルに近づけたくない。近づけてはならない――。
『アンタがボクを選ぶなら、イイ所に案内してあげる』
ルシエルは肩をすくめて身を翻す。
『っここで暴れていいの?』
『身支度を整える。寝間着で出かけるわけにはいかないだろう』
そうして支度を整えたルシエルは、差し伸べられた手を取ったのだ。
「どんな手段を使っても、すぐに帰ってくるつもりだった」
それ故、眠るミカエルをわざわざ起こす必要もないと思った。
「それが、瞬間移動で出た先が邪石の豊富な洞窟で。一気に意識が呑まれてしまったんだ」
ルシエルはそこで息を吐き、己の手の平へ目をやる。
「そうなったら俺は、おぞましい事に愉悦を覚えてしまう。ベリアルに誘われるがまま邪石を売って…」
黙って聞いていたミカエルは、彼の手の平に自身の手を重ねた。
「おまえが望んだことじゃねえ」
「君が想像もつかないような残忍なことも、自分の意思でやったんだ」
「今のおまえは、それをやりたいと思うか?」
「思わない」
顔を歪めて忌々しげに即答するので、ミカエルは息を溢すように笑ってしまった。
「もういいじゃねえか。俺も望まねえ事をしたけど、おまえは受け入れて、ゆめみてえにしてくれただろ」
「してしまった内容がちがう」
「本当の自分の意志じゃなかったのは同じだ」
ミカエルは息を吐き、色味が変わった彼の顔を改めて目に映す。
「おまえも、新しくなった。氣質だって、これまでが本当のおまえじゃなかったんだ。……これで取り戻せたって、思っていいのか」
「……ああ」
「これが本来のおまえ?」
「そうだよ」
あのとき、沈んだ意識のなかで、暗闇に一人佇んでいたルシエルは、下の方から溢れでた光に包まれて黄金色に染まった。
――温かい。
驚いて目を瞬くと、どこまでも広がる青空の中、小さな少年が浮かんで立っていた。
淡黄色の髪を靡かせ、少年が振り返る。彼は空色の瞳を細め、親しげに微笑みかけてきた。いつの間にか目の前にいた彼の小さな手が胸元に触れ、熱を帯びる。
――ずっとここにいたよ――
声は聞こえなかったがそう言われたような気がして、抑えきれない想いがこみ上げた。
――君は、――俺は――。
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