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6章.Tuba mirum
逃避行
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ミカエルとヤグニエはこっそり庭園を抜け出し、見慣れた移動の陣の前で合流した。
「いつかの事があって、しっかり予防策が施されているな」
「予防策?」
「本人の意志がなければ、移動できない」
視線を寄越され、ミカエルは肩をすくめる。今さら、止めるなどと言う気はない。
「行こう」
彼の手を取り、あちら側へと共に足を踏みだした。
生温い風が頬を撫でる。やはり、こちらの方が気温が高い。
「次は俺の別荘に飛ぶぞ」
頷くと、ヤグニエは再び瞬間移動した。
出現した先は建物内で、ひんやりしている。
「ようこそ。まだ日が高いな。案内でもしよう」
そうして二人は部屋を出た。
思ったほど大きな建物ではないようだ。
石造りの壁は淡い黄色が基調で、繊細な文様が施された柱などはさすが東方の別荘と言った感じだが、派手さはなく、リラックスできる雰囲気だった。
「現皇帝は俺の兄でな。半分しか血の繋がりはなく、年齢も離れていて…、つまり、俺のことなど頭にない」
だから自由にできるのだとヤグニエは言った。
「ここは俺の別荘のなかでも田舎にあって小さいからな。兄上たちは、俺がこんな別荘を持っていることすら知らないだろう」
吹き抜けの廊下を歩きながら外へ目をやると、木々の向こうに白浜が広がっており、海が見える。
「いい眺めだろう」
「だからここに別荘を?」
「いや、母方に代々受け継がれてきた土地なんだ」
この建物は外と中の区切りが曖昧だ。壁がなく、そのまま外へ出られる部屋のような所もあった。
吊るされているウィンドチャイムの涼しげな音色。
美しい景色が見渡せるその部屋で、ミカエルは多くの時間を過ごすことになる。
ヤグニエはたびたび公務でいなくなった。いつ帰ってもいいが、自分がいないときに帰る場合は一筆残してくれととのこと。ミカエルが勝手に国から出られるように、こっそり移動の陣まで用意してくれたらしい。
豊かな自然に囲まれた静かな暮らしは心地良く、数日で帰る予定だったのが、一日、また一日と伸びていた。
最初のうちはぼぅっと外を眺める時間が長かったミカエル。
徐々に身体を動かしたくなり、海に入って魚たちと戯れたりもした。海には見たこともない生き物がいっぱいいて飽きない。海にもこんなに豊かな自然があることを、初めて知った。
「ただいま。今日も海に行ったのか」
「おう。今夜は魚料理にしようぜ。こないだ教えてもらったやつ、とってきた」
「ああ、いいな。そうしよう」
わりと自由な生活をさせてもらっていたらしいヤグニエは、魚に詳しいだけでなく、料理もできる。「俺は一人でのんびりするのが好きなんだ。シェフの料理もいいが、自分で適当にやるのもいいだろう」とのことである。
「そういや、あなたは結婚してねえの?」
「している」
「……家族のところに行かなくていいのかよ」
「たまに顔を出すくらいがちょうどいいのさ。向こうもそう思っているに違いない」
ミカエルは半目になってヤグニエが魚を捌くのを見ていた。
「そういえば、そなたは踊りの才があるとトゥグリルが言っていたな。一曲どうだ? 俺も少しなら弾ける」
「……いいけど」
「よしっ、楽器を取ってこよう」
「っ今かよ」
「思い立ったが吉日だ」
魚の下処理を終えたヤグニエは、さっさと楽器を取りに行ってしまった。
ミカエルは小さく息を吐く。
踊ること自体は好きだが、それに関する嫌な記憶もあるのだ。
――ここで楽しめたら、忘れられるか…。
ヤグニエはすぐに戻った。抱えているのは、切っ先が斜めのナイフのような板に、たくさんの弦がついている楽器だ。彼は椅子に腰かけると、楽器を腿の上に置き、爪に弦を弾くための何かを装着してタランと弾いた。
それから、おもむろに紐の両側にベルがついたものを取りだす。
ベルとベルを打ち鳴らすと、ジリィィィンと得も言われぬ音が鳴った。
「いい響きだな」
「踊りながら鳴らすか?」
受け取ったミカエルは何度か自分で音を鳴らして、すっかり気に入ってしまった。
「そなたにやるよ」
ヤグニエはふっと笑む。
「あ?」
「気に入ったんだろう? ここへ来てくれたお礼だ」
「礼をすべきは俺じゃね?」
「俺のほうさ。誰かと過ごす楽しさを、そなたは教えてくれた」
温かな眼差しで言われると気恥ずかしい。
「……どーも」
「こちらこそ」
それからヤグニエは楽器に目を落とし、奏で始めた。
異国情緒漂う音色は哀愁に満ちている。室内に射しこむ夕日がムードを高めているようだ。自然と踊り始めたミカエルは、今はなき遠い日々に思いを馳せていた。
「いつかの事があって、しっかり予防策が施されているな」
「予防策?」
「本人の意志がなければ、移動できない」
視線を寄越され、ミカエルは肩をすくめる。今さら、止めるなどと言う気はない。
「行こう」
彼の手を取り、あちら側へと共に足を踏みだした。
生温い風が頬を撫でる。やはり、こちらの方が気温が高い。
「次は俺の別荘に飛ぶぞ」
頷くと、ヤグニエは再び瞬間移動した。
出現した先は建物内で、ひんやりしている。
「ようこそ。まだ日が高いな。案内でもしよう」
そうして二人は部屋を出た。
思ったほど大きな建物ではないようだ。
石造りの壁は淡い黄色が基調で、繊細な文様が施された柱などはさすが東方の別荘と言った感じだが、派手さはなく、リラックスできる雰囲気だった。
「現皇帝は俺の兄でな。半分しか血の繋がりはなく、年齢も離れていて…、つまり、俺のことなど頭にない」
だから自由にできるのだとヤグニエは言った。
「ここは俺の別荘のなかでも田舎にあって小さいからな。兄上たちは、俺がこんな別荘を持っていることすら知らないだろう」
吹き抜けの廊下を歩きながら外へ目をやると、木々の向こうに白浜が広がっており、海が見える。
「いい眺めだろう」
「だからここに別荘を?」
「いや、母方に代々受け継がれてきた土地なんだ」
この建物は外と中の区切りが曖昧だ。壁がなく、そのまま外へ出られる部屋のような所もあった。
吊るされているウィンドチャイムの涼しげな音色。
美しい景色が見渡せるその部屋で、ミカエルは多くの時間を過ごすことになる。
ヤグニエはたびたび公務でいなくなった。いつ帰ってもいいが、自分がいないときに帰る場合は一筆残してくれととのこと。ミカエルが勝手に国から出られるように、こっそり移動の陣まで用意してくれたらしい。
豊かな自然に囲まれた静かな暮らしは心地良く、数日で帰る予定だったのが、一日、また一日と伸びていた。
最初のうちはぼぅっと外を眺める時間が長かったミカエル。
徐々に身体を動かしたくなり、海に入って魚たちと戯れたりもした。海には見たこともない生き物がいっぱいいて飽きない。海にもこんなに豊かな自然があることを、初めて知った。
「ただいま。今日も海に行ったのか」
「おう。今夜は魚料理にしようぜ。こないだ教えてもらったやつ、とってきた」
「ああ、いいな。そうしよう」
わりと自由な生活をさせてもらっていたらしいヤグニエは、魚に詳しいだけでなく、料理もできる。「俺は一人でのんびりするのが好きなんだ。シェフの料理もいいが、自分で適当にやるのもいいだろう」とのことである。
「そういや、あなたは結婚してねえの?」
「している」
「……家族のところに行かなくていいのかよ」
「たまに顔を出すくらいがちょうどいいのさ。向こうもそう思っているに違いない」
ミカエルは半目になってヤグニエが魚を捌くのを見ていた。
「そういえば、そなたは踊りの才があるとトゥグリルが言っていたな。一曲どうだ? 俺も少しなら弾ける」
「……いいけど」
「よしっ、楽器を取ってこよう」
「っ今かよ」
「思い立ったが吉日だ」
魚の下処理を終えたヤグニエは、さっさと楽器を取りに行ってしまった。
ミカエルは小さく息を吐く。
踊ること自体は好きだが、それに関する嫌な記憶もあるのだ。
――ここで楽しめたら、忘れられるか…。
ヤグニエはすぐに戻った。抱えているのは、切っ先が斜めのナイフのような板に、たくさんの弦がついている楽器だ。彼は椅子に腰かけると、楽器を腿の上に置き、爪に弦を弾くための何かを装着してタランと弾いた。
それから、おもむろに紐の両側にベルがついたものを取りだす。
ベルとベルを打ち鳴らすと、ジリィィィンと得も言われぬ音が鳴った。
「いい響きだな」
「踊りながら鳴らすか?」
受け取ったミカエルは何度か自分で音を鳴らして、すっかり気に入ってしまった。
「そなたにやるよ」
ヤグニエはふっと笑む。
「あ?」
「気に入ったんだろう? ここへ来てくれたお礼だ」
「礼をすべきは俺じゃね?」
「俺のほうさ。誰かと過ごす楽しさを、そなたは教えてくれた」
温かな眼差しで言われると気恥ずかしい。
「……どーも」
「こちらこそ」
それからヤグニエは楽器に目を落とし、奏で始めた。
異国情緒漂う音色は哀愁に満ちている。室内に射しこむ夕日がムードを高めているようだ。自然と踊り始めたミカエルは、今はなき遠い日々に思いを馳せていた。
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