God & Devil-Ⅱ.森でのどかに暮らしたいミカエルの巻き込まれ事変-

日灯

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6章.Tuba mirum

あいの風

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 ミカエルはテーブルに並べられた見慣れない料理を眺めながら窓辺を歩く。

「ミカエル、」

 女性の声に振り返ると、藤色のドレスに身を包んだイレーネルがいた。

「この間はろくに礼もできなかったのでな。会えてよかった。……一人か?」
「こういった場には来ません」

 もう一人の姿を探すように付近を見渡すので、ミカエルはなんでもない風に答えて肩をすくめた。

「彼はお元気ですか」
「じっとしているのは性に合わぬと、剣の稽古を始めたわ」
「治ったんですか」
「いや。薬草に詳しい者たちを城に招き、研究を始めたところだ。良い報告があると信じているわ」

 そこでイレーネルは小さな包みを取り出し、ミカエルに手渡した。開いてみると、黄色い石のついたネックレスが入っている。

「それは我が王家に伝わる守り石。守護聖人や亡き者と繋がれるとの言い伝えがある。持っているだけで、良いことがありそうであろう?」
「……ありがとうございます」

 見ていると心がスッとする石だ。せっかくもらったので、ミカエルは首にかけておくことにした。

「そなたにはマヤリエルを救われた恩もある。重ね重ね、礼を言う。助けが必要なときには遠慮なくわたくしを頼るが良い。力になろう」

 イレーネルは真摯な眼差しで言い、凛と微笑んだ。
 去りゆく後ろ姿を眺めているうちに、ミカエルはふと気づく。

 ――マヤリエルって、マヤばぁのことか。

 どうやら、彼女も元気にやっているようである。ミカエルはかすかに笑って外に出た。
 まだ陽が高い。
 暑いからか、庭園にいる人は少ないようだ。咲き誇る大輪の花の見事さよ。見る人がおらずとも、お構いなしに咲いている。
 緑の間をゆったり歩いていると、前方から人が来た。
 顔を上げたミカエルは思わず足を止める。

 ――ヤグニエ、

 しかしすぐに気を取り直した。彼も、何も覚えていないはずなのだ。そうして素知らぬフリで通り過ぎようとしたとき、声をかけられた。

「ミカエル」

 ミカエルはピタリと足を止める。

「俺はアクレプン帝国のヤグニエだ」

 もちろん、知っている。窺うように彼の顔を見た。
 目が合って、黄赤の瞳がかすかに揺れる。

「知っているかもしれないが、少し前、父上が錯乱し、王位を退くことになった。突然のことで、宮中はてんやわんやだ」
「……そうですか」

 ――なぜ、そんな話をする。

「その頃、俺の身にも不可解なことが起こっていた。幾日分いくにちぶんかの記憶が曖昧で、何か大切なことを忘れてしまったような気分になっていたんだ。そんなとき、妹のムニーラから手紙が届いた」

 心臓がドクリと脈打つ。
 ミカエルは視線を逸らし、なんとか冷静を保とうとした。

「その内容に、俺は困惑したよ。ミカエル、ミカエル、ミカエル。そなたのことばかり書かれてたんだ。俺はそなたと会ったことすらないはずだ。けれど胸がざわめいて、そなたに関することをムニーラから聞きだした」

 何も聞きたくない。けれどどうにも気になって、ミカエルの足は石になったかのように動かなかった。

「俺の知らないそなたのこと。父上の錯乱。周囲に聞き回るのははばかられたからな。トゥグリルという踊りの名手がそなたの話をしてくれて、俺は少しずつ理解した」

 ミカエルは固唾かたずを呑んで睫毛を伏せる。

「ムニーラが聞かせてくれたのは作り話じゃない。俺が…、関わった者たちが忘れているんだ」

 ヤグニエは確信のこもった声で言った。――何も覚えていないはずなのに…。

「ムニーラやトゥグリルには口止めしてある。事を大きくするつもりはない。俺はただ、真実が知りたい」

 彼からしてみれば、記憶を奪われ、父親を錯乱させられたのだ。
 ミカエルは唇を引き結ぶ。

「……そなたは、俺の子をみごもったのか?」

 ハッとして彼の方を向いてしまった。
 ヤグニエの顔がにわかに強張る。

「妙薬を使われたのは、事実のようだな。そのような目に遭わせられ、そなたが口を閉ざすのもわかる。……すまなかった」

 ミカエルは眉根を寄せて下を向く。

「……腹に宿ったやつは、俺を護って逝っちまったよ」
「っ、そうか…」

 痛々しい声にゆっくり顔を上げると、ヤグニエは眉尻を下げ、辛そうな表情をしていた。

「きっとその子は、親を助けることができて幸せだったことだろう」

 あの命は、ミカエルとルシエルとヤグニエの――。もしも無事に産まれたら、ミカエルやヤグニエはあの子の親になっていたのだ。
 なんだかウルッときてしまい、ミカエルはそっぽを向く。

「すまない。俺が言うことじゃないな」
「いや、……」

 ヤグニエの言葉には真心が感じられた。どうにも憎めない相手である。
 彼は細く息を吐き、言葉を続ける。

「戴冠式が終わってから、そなたに声をかけるタイミングを窺っていたんだ。それで、見てしまった」

 ミカエルは首を傾げる。
 ヤグニエは、ミカエルの目をじっと見た。

「そなたは首を絞められても抵抗しなかった。相手が本気でないと思ったからか?」
「あ、れは…」

 見られていたのか。
 視線が彷徨さまよう。
 ミカエルは、すぐに答えることができなかった。

「殺されても構わないとでも思ったか」
「っ、」

 とっさに開いた口は音を発せず、口を噤む。
 ヤグニエは深く息を吐き、囁くように言った。

「俺の国に来ないか」
「……は?」
「幾つか別荘を持っていてな。そこでなら、誰にも知られず過ごせるだろう。国や教会に振り回されることもない」

 ヤグニエはミカエルの状況を知っているような顔をしている。
 もしかしたら、調べたのかもしれない。以前は国に属していたこと。聖学校を脱出したこと。それなのに、今は衛兵をやっている。それとも――。

『教会の服を着ないためです。本当は、森で静かに暮らしたい』

 ムニーラから聞いたのか。

「そなたが嫌がることはもうしない。約束する」

 その声が、眼差しが、切に訴える。
 ミカエルはかすかに眉根を寄せて、首を傾げた。

「なんでそんなに…」
「今のそなたは放っておけない。本能のようなものだ。何かしたいと、ここが叫んでいる」

 ヤグニエは自身の胸をトンと指して、不恰好に眉を下げて笑った。過去に固執している様子はなく、目の前のミカエルを純粋に思っているのが感じられる。それでミカエルは、思ってしまったのだ。

 ――なにも考えず、聖正教圏から出てぼぅっとするのもいいかもしれない。

 "ミカエル" が特別なのは聖正教圏だけ。
 その中にいるかぎり、ミカエルに自由はない。

「……ちょっと休むのもいいかもな」

 ミカエルは小さく落とし、うすく笑った。


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