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5章.Dies irae
決意の行方
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†††
教皇領。限られた人間しか入ることを許されない宮殿の高層階に、ウリエルはいた。紫の間の警護を、ハスディエルと交代するためである。
ハスディエルは、軍の牢獄で獄長をしていたウリエルが教皇付きの話を受けた折り、シャムシェルと共に連れてきた部下だ。任命されて仕方なく牢獄で働くことになった、という者が多い中、ハスディエルは自ら志願してやってきたという。
誠実で公平。
ハスディエルは決して冷徹なわけではないが、情に流されない、看守の鑑のような男だった。
「ご苦労。変わりないか」
「はい。変わりありません」
ここに来て、ハスディエルは少し変わったように思う。どうも紫の間の彼に、肩入れしている節がある。
牢獄での冷静さを知るウリエルは、それを意外に思っていた。
「ハスディエル。私情は禁物だ」
「……はい」
ハスディエルは睫毛を伏せて一礼し、静かに去った。
清廉な雰囲気に滲んだ意志の強さを、ウリエルは黙って感じていた。
ハスディエルは光に溢れた白い石造りの廊下を黙々と進む。
懸念を示すウリエルの顔が頭を掠めても、進む足を止めることはできなかった。
「ハス、おつかれ」
ふと、横からやって来たシャムシェルが軽く手を上げた。同い年ということもあり、彼らはそれなりに親しい。
「ああ、おつかれ」
「僕は、これから教皇とお出かけするんだよ」
シャムシェルは小さく苦笑した。ハスディエルは任務上がりだが、今は早朝である。
「そうなのか。気をつけてな」
シャドーブルーの澄んだ眼差しを受け、シャムシェルは落ち着かない様子で軍帽に手をやり位置を正した。
ハスディエルは監獄にいた頃からこうなのだ。
あの酷い環境にいて、まったくどうして純真さを失わないのか。摩訶不思議である。そういえば、彼の向かっていた先は、町へ出る扉がある方だ。
「出かけるのか?」
「ああ。たまにはな」
珍しい。町へ出ることもだが、かすかに強張った表情が、シャムシェルに違和感を抱かせた。
「ハス、」
遠ざかる背中に、思わず声を掛ける。
振り返ったシャドーブルーの瞳は、固い意志を宿して煌めいていた。
ああ、彼は、覚悟を決めたのだ。――そう思った。
「……気をつけて」
それは、シャムシェルにはできないことだろう。
シャムシェルは、"壁の内側" からようやく出ることができ、それだけで満足している。この今を揺るがすことなど、考えられない。
「ああ」
ハスディエルは軽やかに応え、行ってしまった。
†††
湖畔の村を出たところで、ハニエルが口を開いた。
「これから山越えする気か?」
「おう」
「僕たちはちょうどさっき越えてきたんだ。あの山にデビルはいない」
「へえ」
どうやら、彼らは逆の方向から村に来たらしい。ちなみに、服は少しずつ勝手に修復されたので、教皇領へ行って新たな物を調達する手間が省けた。
まだ湿っているが、歩いているうちに乾くだろう。
「いないとわかってるんだから、わざわざまた行かなくてもいいだろう?」
ハニエルはどうしても山越えを回避したいらしい。
ミカエルも山を越えることにこだわりはないが、道は一本で、選択肢は他になかった。
「……やっぱり行くのか」
ハニエルが肩を落としている。黙々と後を着いてくるもう一人に、ミカエルは目をやった。彼の視線は斜め下。身長は、ミカエルより少し低い。
「男だよな」
ミカエルは思わず聞いていた。
「……そうだよ」
彼は顔だけでなく、声まで中性的だ。不機嫌そうに返されたが、怒りは感じられない。もしかして、このやり取りに慣れているのかもしれない。
「おーい、もう少し、ゆっくり行かないか? どうせ、今日中に山を越えるなんて、無理なんだからさ」
登り始めて小一時間。
少し離れた場所で立ち止まり、こちらを見上げるハニエルは、すでに疲れた顔をしていた。
「コイツにでもおぶってもらえよ」
「彼に、そんな体力があると、思うかい」
「まず、俺がお断りですよ」
確かに、人を寄せつけない山だった。ちらほら見かける登山者は多くが商人だ。彼らの商売根性には、いっそ呆れる。
「君は、どこに行きたいんだ。なんなら、瞬間移動で連れてくよ。そこのサンゼルが」
その言葉に、ミカエルはピタリと足を止めた。それから、じっとサンゼルを見る。
「おまえ、瞬間移動できるのか」
「ああ」
感じる力は、それなりに強い。ラファエルといい勝負だろうか。
ようやく追いついたハニエルが腰を伸ばして息を吸い、一気に吐きだす。
「僕の力で、底上げできるし。目的地まで、パパッと行ってしまった方がいいだろ」
「早く言えよ」
「え、ああ…」
そんな二人を眺めていたサンゼルが、おもむろに口を開く。
「お前はどこへ向かってるんだ?」
ミカエルは、小さく息を吐き出した。
「当てなんてねえよ」
早くルシエルに会いたい。しかし、彼の居場所は不明だ。運よく遭遇するか、アズラエルを待つしかない。
「とりあえず、山向こうの町に行こう」
そうして三人は山越えを中断し、ハニエルの案で、幾つかの方面へ向かう道がある町へ瞬間移動した。
教皇領。限られた人間しか入ることを許されない宮殿の高層階に、ウリエルはいた。紫の間の警護を、ハスディエルと交代するためである。
ハスディエルは、軍の牢獄で獄長をしていたウリエルが教皇付きの話を受けた折り、シャムシェルと共に連れてきた部下だ。任命されて仕方なく牢獄で働くことになった、という者が多い中、ハスディエルは自ら志願してやってきたという。
誠実で公平。
ハスディエルは決して冷徹なわけではないが、情に流されない、看守の鑑のような男だった。
「ご苦労。変わりないか」
「はい。変わりありません」
ここに来て、ハスディエルは少し変わったように思う。どうも紫の間の彼に、肩入れしている節がある。
牢獄での冷静さを知るウリエルは、それを意外に思っていた。
「ハスディエル。私情は禁物だ」
「……はい」
ハスディエルは睫毛を伏せて一礼し、静かに去った。
清廉な雰囲気に滲んだ意志の強さを、ウリエルは黙って感じていた。
ハスディエルは光に溢れた白い石造りの廊下を黙々と進む。
懸念を示すウリエルの顔が頭を掠めても、進む足を止めることはできなかった。
「ハス、おつかれ」
ふと、横からやって来たシャムシェルが軽く手を上げた。同い年ということもあり、彼らはそれなりに親しい。
「ああ、おつかれ」
「僕は、これから教皇とお出かけするんだよ」
シャムシェルは小さく苦笑した。ハスディエルは任務上がりだが、今は早朝である。
「そうなのか。気をつけてな」
シャドーブルーの澄んだ眼差しを受け、シャムシェルは落ち着かない様子で軍帽に手をやり位置を正した。
ハスディエルは監獄にいた頃からこうなのだ。
あの酷い環境にいて、まったくどうして純真さを失わないのか。摩訶不思議である。そういえば、彼の向かっていた先は、町へ出る扉がある方だ。
「出かけるのか?」
「ああ。たまにはな」
珍しい。町へ出ることもだが、かすかに強張った表情が、シャムシェルに違和感を抱かせた。
「ハス、」
遠ざかる背中に、思わず声を掛ける。
振り返ったシャドーブルーの瞳は、固い意志を宿して煌めいていた。
ああ、彼は、覚悟を決めたのだ。――そう思った。
「……気をつけて」
それは、シャムシェルにはできないことだろう。
シャムシェルは、"壁の内側" からようやく出ることができ、それだけで満足している。この今を揺るがすことなど、考えられない。
「ああ」
ハスディエルは軽やかに応え、行ってしまった。
†††
湖畔の村を出たところで、ハニエルが口を開いた。
「これから山越えする気か?」
「おう」
「僕たちはちょうどさっき越えてきたんだ。あの山にデビルはいない」
「へえ」
どうやら、彼らは逆の方向から村に来たらしい。ちなみに、服は少しずつ勝手に修復されたので、教皇領へ行って新たな物を調達する手間が省けた。
まだ湿っているが、歩いているうちに乾くだろう。
「いないとわかってるんだから、わざわざまた行かなくてもいいだろう?」
ハニエルはどうしても山越えを回避したいらしい。
ミカエルも山を越えることにこだわりはないが、道は一本で、選択肢は他になかった。
「……やっぱり行くのか」
ハニエルが肩を落としている。黙々と後を着いてくるもう一人に、ミカエルは目をやった。彼の視線は斜め下。身長は、ミカエルより少し低い。
「男だよな」
ミカエルは思わず聞いていた。
「……そうだよ」
彼は顔だけでなく、声まで中性的だ。不機嫌そうに返されたが、怒りは感じられない。もしかして、このやり取りに慣れているのかもしれない。
「おーい、もう少し、ゆっくり行かないか? どうせ、今日中に山を越えるなんて、無理なんだからさ」
登り始めて小一時間。
少し離れた場所で立ち止まり、こちらを見上げるハニエルは、すでに疲れた顔をしていた。
「コイツにでもおぶってもらえよ」
「彼に、そんな体力があると、思うかい」
「まず、俺がお断りですよ」
確かに、人を寄せつけない山だった。ちらほら見かける登山者は多くが商人だ。彼らの商売根性には、いっそ呆れる。
「君は、どこに行きたいんだ。なんなら、瞬間移動で連れてくよ。そこのサンゼルが」
その言葉に、ミカエルはピタリと足を止めた。それから、じっとサンゼルを見る。
「おまえ、瞬間移動できるのか」
「ああ」
感じる力は、それなりに強い。ラファエルといい勝負だろうか。
ようやく追いついたハニエルが腰を伸ばして息を吸い、一気に吐きだす。
「僕の力で、底上げできるし。目的地まで、パパッと行ってしまった方がいいだろ」
「早く言えよ」
「え、ああ…」
そんな二人を眺めていたサンゼルが、おもむろに口を開く。
「お前はどこへ向かってるんだ?」
ミカエルは、小さく息を吐き出した。
「当てなんてねえよ」
早くルシエルに会いたい。しかし、彼の居場所は不明だ。運よく遭遇するか、アズラエルを待つしかない。
「とりあえず、山向こうの町に行こう」
そうして三人は山越えを中断し、ハニエルの案で、幾つかの方面へ向かう道がある町へ瞬間移動した。
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