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5章.Dies irae
一人の家
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翌朝、目覚めたとき、ベッドにルシエルはいなかった。
「ルシ…?」
手作りの小さなテーブルに、いつかルシエルに渡した十字架…。それから、丸薬の入った巾着袋が置かれていた。
ハッとして気配を探る。
辺りにそれらしき人はいない。ミカエルは残された十字架をポケットに入れ、ロフトを飛び出した。
――いない。いない、いない。
ルシエルがいない。
辺りの森まで探してみたが、彼の姿を捉えることはできなかった。
「……ンで急に」
何かあったのだろうか。それとも、一緒にいるのがイヤになった?
『見事な金髪もいいけれど、その目が一番気に入っている』
聖学校を出てから色々あって、ミカエルはどう生きればいいのかわからなくなってしまった。ルシエルを元に戻したい。そう思ってはいたが、自分自身のこととなると、襲いかかる現実をやっとでこなして、流されて。
――ルシはいなくならないと思ってた。
いや、そう思いたかっただけかもしれない。
ミカエルは唖然と立ち尽くす。
無意識の内に、ポケットの十字架に触れていた。昨日の夜、それはルシエルの首にかけられていた――。
「ミカ?」
耳に届いた涼しげな声に顔を上げる。
「何があった」
ゾフィエルだ。
「……ルシがいなくなった」
数秒ののち、群青色のつり目が今度こそ見開かれた。
「なぜ?」
ミカエルは緩く首を振る。
「もう、戻る気ねえのかも」
「居場所を特定できるか?」
「そりゃ、判るかもしれねぇけど…」
果たして、瞬間移動で追いかけていいものか。
平穏な日々は、ルシエルをより苦しめる。ここにいない方が、ルシエルにはいいのかもしれない。
「会いたくないのか」
「……そうじゃねえよ」
聖学校から脱出した頃は、ルシエルもきっとここを気に入るだろうと思った。彼もミカエルといることを前向きに捉えていたし、ミカエルもそうだった。けれどもう――。
「あいつにこれ以上苦しんでほしくねえ」
ミカエルの身勝手な思いで、彼をこれ以上苦しませることはできない。ルシエルはいつもミカエルを助けてくれた。救ってくれた。支えてくれた。受け入れてくれた。
「……俺も力になりたかったんだけどな」
肩を落とす。
その肩に、ゾフィエルがぽんと手を置いた。
「まだ戻らないと決まったわけじゃない。何か理由があって、どこかへ行かなければならなかった可能性もある」
「……おう」
任務中だったらしいゾフィエルが消え、静かな森に一人。家に帰っても、誰もいない。一人分のコーヒーを用意していると、寂しさがこみ上げる。
――ルシ…。
すぐに帰ってくる。
その願いは数日で絶たれ、家で待つばかりの日々に遣る瀬なさがこみ上げた頃、ミカエルは一人でデビル退治に出るようになっていた。
当てもなく、目の前に続いている道を歩き続ける。
そうして山道を登っていたときである。
「こんにちは。お一人ですか」
アズラエル。こんな所でも、貴公子のような佇まいは健在だ。怪しげな眼帯も相変わらずである。
「……おう」
ミカエルはすっと目をそらす。
最後に彼と会ったとき、ミカエルはあられもない姿を彼に晒していたのだ。
「あのときは、すぐに助けを呼ばず、申し訳ない」
「……いや。協力してくれたんだってな。どうも」
蔑むような顔。苦しげな顔。あのときアズラエルが見せた表情は、今も覚えている。
「あれから、アクレプンは代替わりがありました。表沙汰になっていないが、皇帝が錯乱したとか」
ミカエルはハッと顔を上げる。
「貴方と何か関係が?」
「……まぁ、おう」
皇帝はゆめの中で、精神が破壊されると言っていた。その彼を、躊躇なく闇に呑みこんだルシエル。何も考えないようにしてきたが、現実にそのような事を聞くと少々動揺してしまう。
「宴に出席した商人が、誰も貴方の話をしないのも奇妙なことです」
「ああ、だろうな」
彼らは忘れているのだから当然だ。
アズラエルが嗅ぎ回って何か不都合なことが起きては不味い。ミカエルはゆめにあった事を、彼に話すことにした。
「……貴方はゆめにまで…」
「そういう事だから、蒸し返すなよ」
「承知しました」
アズラエルは憐れむような声で頷いた。
「それで、ルシフェル殿はいずこに?」
彼には話しても平気だろう。
ミカエルは肩をすくめる。
「いなくなっちまった」
「何かありましたか」
「ねえ、と思う。……俺にはわかんねえ」
「探さないのですか」
息を吐いて頷く。
「きっと、ルシにはその方がいいんだ」
アズラエルはうむと唸って、口を開いた。
「貴方はどうなのです」
「……あ?」
「このままで良いのですか」
「俺は…」
ミカエルの心は沈んだままだ。彼のために、その方がいいんだと自分を納得させて、諦めて、なんとか現状を受け入れようとしている。
――どうしてルシが家を出ていったのか、理由すらわからない。
本当はぜんぜん納得していないのに。
「ルシ…?」
手作りの小さなテーブルに、いつかルシエルに渡した十字架…。それから、丸薬の入った巾着袋が置かれていた。
ハッとして気配を探る。
辺りにそれらしき人はいない。ミカエルは残された十字架をポケットに入れ、ロフトを飛び出した。
――いない。いない、いない。
ルシエルがいない。
辺りの森まで探してみたが、彼の姿を捉えることはできなかった。
「……ンで急に」
何かあったのだろうか。それとも、一緒にいるのがイヤになった?
『見事な金髪もいいけれど、その目が一番気に入っている』
聖学校を出てから色々あって、ミカエルはどう生きればいいのかわからなくなってしまった。ルシエルを元に戻したい。そう思ってはいたが、自分自身のこととなると、襲いかかる現実をやっとでこなして、流されて。
――ルシはいなくならないと思ってた。
いや、そう思いたかっただけかもしれない。
ミカエルは唖然と立ち尽くす。
無意識の内に、ポケットの十字架に触れていた。昨日の夜、それはルシエルの首にかけられていた――。
「ミカ?」
耳に届いた涼しげな声に顔を上げる。
「何があった」
ゾフィエルだ。
「……ルシがいなくなった」
数秒ののち、群青色のつり目が今度こそ見開かれた。
「なぜ?」
ミカエルは緩く首を振る。
「もう、戻る気ねえのかも」
「居場所を特定できるか?」
「そりゃ、判るかもしれねぇけど…」
果たして、瞬間移動で追いかけていいものか。
平穏な日々は、ルシエルをより苦しめる。ここにいない方が、ルシエルにはいいのかもしれない。
「会いたくないのか」
「……そうじゃねえよ」
聖学校から脱出した頃は、ルシエルもきっとここを気に入るだろうと思った。彼もミカエルといることを前向きに捉えていたし、ミカエルもそうだった。けれどもう――。
「あいつにこれ以上苦しんでほしくねえ」
ミカエルの身勝手な思いで、彼をこれ以上苦しませることはできない。ルシエルはいつもミカエルを助けてくれた。救ってくれた。支えてくれた。受け入れてくれた。
「……俺も力になりたかったんだけどな」
肩を落とす。
その肩に、ゾフィエルがぽんと手を置いた。
「まだ戻らないと決まったわけじゃない。何か理由があって、どこかへ行かなければならなかった可能性もある」
「……おう」
任務中だったらしいゾフィエルが消え、静かな森に一人。家に帰っても、誰もいない。一人分のコーヒーを用意していると、寂しさがこみ上げる。
――ルシ…。
すぐに帰ってくる。
その願いは数日で絶たれ、家で待つばかりの日々に遣る瀬なさがこみ上げた頃、ミカエルは一人でデビル退治に出るようになっていた。
当てもなく、目の前に続いている道を歩き続ける。
そうして山道を登っていたときである。
「こんにちは。お一人ですか」
アズラエル。こんな所でも、貴公子のような佇まいは健在だ。怪しげな眼帯も相変わらずである。
「……おう」
ミカエルはすっと目をそらす。
最後に彼と会ったとき、ミカエルはあられもない姿を彼に晒していたのだ。
「あのときは、すぐに助けを呼ばず、申し訳ない」
「……いや。協力してくれたんだってな。どうも」
蔑むような顔。苦しげな顔。あのときアズラエルが見せた表情は、今も覚えている。
「あれから、アクレプンは代替わりがありました。表沙汰になっていないが、皇帝が錯乱したとか」
ミカエルはハッと顔を上げる。
「貴方と何か関係が?」
「……まぁ、おう」
皇帝はゆめの中で、精神が破壊されると言っていた。その彼を、躊躇なく闇に呑みこんだルシエル。何も考えないようにしてきたが、現実にそのような事を聞くと少々動揺してしまう。
「宴に出席した商人が、誰も貴方の話をしないのも奇妙なことです」
「ああ、だろうな」
彼らは忘れているのだから当然だ。
アズラエルが嗅ぎ回って何か不都合なことが起きては不味い。ミカエルはゆめにあった事を、彼に話すことにした。
「……貴方はゆめにまで…」
「そういう事だから、蒸し返すなよ」
「承知しました」
アズラエルは憐れむような声で頷いた。
「それで、ルシフェル殿はいずこに?」
彼には話しても平気だろう。
ミカエルは肩をすくめる。
「いなくなっちまった」
「何かありましたか」
「ねえ、と思う。……俺にはわかんねえ」
「探さないのですか」
息を吐いて頷く。
「きっと、ルシにはその方がいいんだ」
アズラエルはうむと唸って、口を開いた。
「貴方はどうなのです」
「……あ?」
「このままで良いのですか」
「俺は…」
ミカエルの心は沈んだままだ。彼のために、その方がいいんだと自分を納得させて、諦めて、なんとか現状を受け入れようとしている。
――どうしてルシが家を出ていったのか、理由すらわからない。
本当はぜんぜん納得していないのに。
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