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4章.Tractus
上司になる人
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退室したミカエルは、声をかけられそちらを向く。
「……ウリエル」
いつかの自分でない自分のとき、彼には一度会っていた。あのときも疲れた様子だったが、今はより草臥れて見える。
「大丈夫か? ぼぅっとしていたぞ」
「あなたこそ、調子が良くなさそうだけど」
「否定はできん。……行くぞ。教皇領の外まで案内する」
そういえばラファエルが、用事があるので衛兵に後を任せると言っていた気がする。
螺旋階段を降りながら、ウリエルは肩をすくめた。
「君が同僚になるとはな」
「俺も、予想外です」
「ラファエルに弱みでも握られているのか」
言われてみれば、そうかもしれない。
「君が正式に衛兵となれば、私の部下になる。力になれることがあれば言ってくれ」
意外な言葉にミカエルは目を瞬いた。
「味方になってくれるんですか」
「少なくとも、ラファエルよりは頼り甲斐があるだろう」
「それなら、ルシフェルのことなんだけど、」
「ルシフェル?」
「ルシエル。ルシファー」
その名を出した瞬間、ウリエルは首を振った。
「彼に関することは力になれない」
「でも、あなたの兄が管理を任されてたって」
「兄弟だからと、融通を利かせるような方ではない」
仲が良くないのだろうか。頑なな物言いだ。
もう儀式に行かなくていいようにしてほしいと言おうと思っていたミカエルは、小さく肩を落とした。
「自分のことは良いのか」
「え?」
「望んで来たのではないのだろう」
ミカエルは睫毛を伏せた。
望んではいないが、自分で選んだことだ。
「……こうするしかなかった」
ウリエルはチラとミカエルを振り返り、前に向き直った。
宮殿から外に出て大通りを抜け、大きな門の前に着く。
「準備が整ったら、ここに来たまえ。もたもたしないほうがいい。聖下は気が短い」
ミカエルは頷いて瞬間移動しようとして、寸でで思い出す。
「ここって、ブランリスじゃないですね」
「ああ。……ああ、瞬間移動の話か。教皇庁が許可した人物は、どこからでも一瞬でここへ来られる」
「国外からでも?」
驚いて目を丸くした。
「可能だ。それから、衛兵や修道士はだいたいの国に許可なく入国できる」
「そうだったのかデス」
「……ああ。聖正教圏での話だが。信仰の証とでも言うべきか」
「教会の人間には、聖正教圏であれば国境はないも同然?」
「そうだな」
信仰という面から見れば、聖正教圏は一つなのである。
「それができるなら、国なんてなくていいんじゃないですか」
ミカエルはポツリと言った。
ウリエルは目を丸くする。
「……君は柔軟だな」
「はい?」
「いや、国というものは、あって当然と思っていた」
ミカエルは片眉を上げる。
「俺は森で育ったけど、自分がどこの国の人間かなんて知りもしなかったです」
そもそも国という括りがあることを知らなかったミカエルである。それでも、なんの問題もなく生きてこられた。
「そんなのなければ、戦だって大事にならねえだろうし」
個人同士の争いより、集団同士の争いのほうが大事になる。集団が大きくなればなるほど、大きな争いになる。
だいたいミカエルには、違う国の人間と争う感覚がわからなかった。どこで産まれようと人間は人間だ。もしかしたら、例えば国のような団体に所属している自分というアイデンティティがあるために、仲間か敵という区別が出てくるのかもしれない。
「そもそも、争いなんてそう起こることじゃねえ」
単なる個人と個人の間には、敵も味方も存在しない。考え方の違いはあるだろうが、異なっていても問題ない。"こうでなければならない" という基準がないからだ。だから対等に話し合える。合わなければ離れていればいい。関わらなければいい。対立する必要などない。
「君は、しがらみのない世界で育ったのだな。この世の中は大層生きにくいことだろう」
「はい」
見れば、ウリエルこそ苦しそうな顔をしている。
「あなたも生きにくいですか」
「……ああ。ずいぶん生きにくくなってしまった」
苦々しい声だ。
ウリエルは自嘲するようにかすかに笑い、ミカエルを見送った。
「……ウリエル」
いつかの自分でない自分のとき、彼には一度会っていた。あのときも疲れた様子だったが、今はより草臥れて見える。
「大丈夫か? ぼぅっとしていたぞ」
「あなたこそ、調子が良くなさそうだけど」
「否定はできん。……行くぞ。教皇領の外まで案内する」
そういえばラファエルが、用事があるので衛兵に後を任せると言っていた気がする。
螺旋階段を降りながら、ウリエルは肩をすくめた。
「君が同僚になるとはな」
「俺も、予想外です」
「ラファエルに弱みでも握られているのか」
言われてみれば、そうかもしれない。
「君が正式に衛兵となれば、私の部下になる。力になれることがあれば言ってくれ」
意外な言葉にミカエルは目を瞬いた。
「味方になってくれるんですか」
「少なくとも、ラファエルよりは頼り甲斐があるだろう」
「それなら、ルシフェルのことなんだけど、」
「ルシフェル?」
「ルシエル。ルシファー」
その名を出した瞬間、ウリエルは首を振った。
「彼に関することは力になれない」
「でも、あなたの兄が管理を任されてたって」
「兄弟だからと、融通を利かせるような方ではない」
仲が良くないのだろうか。頑なな物言いだ。
もう儀式に行かなくていいようにしてほしいと言おうと思っていたミカエルは、小さく肩を落とした。
「自分のことは良いのか」
「え?」
「望んで来たのではないのだろう」
ミカエルは睫毛を伏せた。
望んではいないが、自分で選んだことだ。
「……こうするしかなかった」
ウリエルはチラとミカエルを振り返り、前に向き直った。
宮殿から外に出て大通りを抜け、大きな門の前に着く。
「準備が整ったら、ここに来たまえ。もたもたしないほうがいい。聖下は気が短い」
ミカエルは頷いて瞬間移動しようとして、寸でで思い出す。
「ここって、ブランリスじゃないですね」
「ああ。……ああ、瞬間移動の話か。教皇庁が許可した人物は、どこからでも一瞬でここへ来られる」
「国外からでも?」
驚いて目を丸くした。
「可能だ。それから、衛兵や修道士はだいたいの国に許可なく入国できる」
「そうだったのかデス」
「……ああ。聖正教圏での話だが。信仰の証とでも言うべきか」
「教会の人間には、聖正教圏であれば国境はないも同然?」
「そうだな」
信仰という面から見れば、聖正教圏は一つなのである。
「それができるなら、国なんてなくていいんじゃないですか」
ミカエルはポツリと言った。
ウリエルは目を丸くする。
「……君は柔軟だな」
「はい?」
「いや、国というものは、あって当然と思っていた」
ミカエルは片眉を上げる。
「俺は森で育ったけど、自分がどこの国の人間かなんて知りもしなかったです」
そもそも国という括りがあることを知らなかったミカエルである。それでも、なんの問題もなく生きてこられた。
「そんなのなければ、戦だって大事にならねえだろうし」
個人同士の争いより、集団同士の争いのほうが大事になる。集団が大きくなればなるほど、大きな争いになる。
だいたいミカエルには、違う国の人間と争う感覚がわからなかった。どこで産まれようと人間は人間だ。もしかしたら、例えば国のような団体に所属している自分というアイデンティティがあるために、仲間か敵という区別が出てくるのかもしれない。
「そもそも、争いなんてそう起こることじゃねえ」
単なる個人と個人の間には、敵も味方も存在しない。考え方の違いはあるだろうが、異なっていても問題ない。"こうでなければならない" という基準がないからだ。だから対等に話し合える。合わなければ離れていればいい。関わらなければいい。対立する必要などない。
「君は、しがらみのない世界で育ったのだな。この世の中は大層生きにくいことだろう」
「はい」
見れば、ウリエルこそ苦しそうな顔をしている。
「あなたも生きにくいですか」
「……ああ。ずいぶん生きにくくなってしまった」
苦々しい声だ。
ウリエルは自嘲するようにかすかに笑い、ミカエルを見送った。
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