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4章.Tractus
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その夜ミカエルは、仕事が終わったら家に来てほしいと手帳に書きこんだ。
夕食を終え、風呂に入ってリビングでぼぅっとする。ルシエルは隣で足を組んで読書していた。
「おまえ、簡単に俺の身体治しちまったけど、あれって難しいことじゃねえの」
「治癒の応用だ。エネルギァを繊細に感じることができればできる」
「俺にも?」
彼は本を閉じるとミカエルの腕を取り、実演しながら説明を始める。
「っちょっと待て、よくわかんねえ」
「もう一度やろう。この感覚だ。意識を集中してごらん」
「……。俺、鈍いのか?」
「君は敏感だ」
ミカエルはムッと黙りこむ。なんだか異なることについて言われた気がしたのだ。ルシエルは真顔でいたが、ふっとかすかに笑った。
「君はそもそも、治癒をやり慣れていない。以前より使えるようになったが、まだまだ上達できるはずだ」
「たまにおまえに見てもらってるからな。俺には合わねーんだよ」
「それなら、なぜやろうとする?」
「できた方がいいだろ。せっかく強ぇ力があるんだし」
ふと、玄関ドアを叩く音がした。
「来たな」
ミカエルは玄関に行き、ドアを開いて出迎える。ゾフィエルは私服だった。目が合うと、つり目がかすかに緩む。
「遅くなってすまない」
「いや。上がれよ」
彼が忙しいことは知っている。
リビングに戻ったミカエルはハーブティを淹れることにした。
「おまえも飲む?」
「いただこう」
「おう」
注ぐ湯は三人分。ゾフィエルがソファに座り、ミカエルとルシエルに目をやる。
「今日はいったい…」
「おまえに話さないとならねえことがあるんだ」
ルシエルが立ち上がり、ティーカップを運んでくれる。
「さんきゅ」
「すまない、」
ゾフィエルも立ち上がろうとしたが、ミカエルが「座ってろよ」と言った。特にルシエルに気を使ってしまうらしいゾフィエルは、気が気でない様子で用意されるハーブティーを見ている。
「おまえの方が年上だろ」
ミカエルがおかしそうに言うと、ゾフィエルは目を瞬いて苦笑した。
「彼のエネルギァを前にすると年齢など忘れてしまう」
「魔王とでも思っちまうのか?」
「そうではない。どちらかというと、ルシエルという存在の大きさを感じさせられるんだ」
「……ああ、」
ゾフィエルにとって、"ルシエル" は特別な存在なのだった。そのように名に関する思いは、誰しも抱いているのかもしれない。
特に "ミカエル" は有名な名前だ。そこに向けられる人々の思いや教会の思惑。その名を得たときに、背負わされたもの。
望んだわけではない。それでも、応えなければならないのだろうか。
「アクレプンであったこと、まだ、話してねえことがあって」
一人掛けの椅子に腰を下ろしたミカエルは、睫毛を伏せて、身体に起こった変化を語った。
「……では、お腹に、子が…?」
ゾフィエルは大層困惑した様子で、ミカエルのお腹に意識を集中させる。
「たしかに、……」
「そんで、今日、会っちまったんだ。……ラファエルに」
「っラファエル!?」
「おう。すぐバレた」
ミカエルはなるべく知られたくないことや、下ろすことは考えていないこと、教会に呼ばれたことを話した。
「教皇に会ったら、たぶん勧誘されるだろ。俺はそれを断れねえ」
それはつまり、王権下で働くことを辞退することになる。
「モンテナー辺境伯領のこと、ラファエルから聞いた。教皇には、それを理由に会うことになる。王は、王にもそれで通用すると思うか?」
するとゾフィエルは左腕を広げた。
「君がなるべく話したくないのはわかる。しかし、それを理由にするということは、バラキエル殿のために教会の人間になるということになる」
「それは、」
「教会に属さなければならなくなった原因はバラキエル殿だと、思われてもいいのか」
バラキエルに妊娠したことを知られたくない。しかし、バラキエルのために教会に属すことにしたと思われたくもない。これはミカエルの問題なのだ。
「君が教会をどう思っているのか、一般の人々は知らない。教会に属すことになっても、特に何も思わないだろう。ミカエルは教会の人間であるのが通例だからな」
身近な人間だけが、疑問を抱く。
「君が一番気にしているのは、バラキエル殿だな」
「……ああ」
バラキエルに負い目を感じさせるくらいなら、身に起こったことを知られるほうがいい。どう思われても仕方がない。これは自身の招いたことなのだ。
「……そうだな。師匠には、本当のことを伝えるべきだ。王にも言ったほうがいいのか?」
バラキエルに知られると思ったら、他はもうどうでもいいような気がしてきた。気楽に聞いたミカエルに、ゾフィエルの頬がヒクリとする。
「……周囲にどう話すにせよ、陛下にはお伝えしたほうがいいだろう。きっと、力になってくださる」
「王に本当のことを話したら、師匠にもそれが伝わるか?」
「会いに行かないのか」
「合わせる顔がねえ」
ゾフィエルは何かを耐えるような顔をして、「陛下がお伝えくださるだろう」と言った。
「おまえにも、わるかったな。こんなふうに辞めることになっちまって」
「謝ることはない。それより、君の身体が心配だ。見た目にはなんの変化もないが…」
「おう。自分じゃねえエネルギァを感じるくらいだ」
ミカエルはお腹に手を当てる。身体的な変化は、自分でも感じられない。
「……遺憾ではあるが、教会の犬に知られたのは不幸中の幸いかもしれん」
あれでラファエルは治癒に優れている。それに関する知識も豊富なことだろう。
ゾフィエルは神妙な面持ちでティーカップを傾けた。
夕食を終え、風呂に入ってリビングでぼぅっとする。ルシエルは隣で足を組んで読書していた。
「おまえ、簡単に俺の身体治しちまったけど、あれって難しいことじゃねえの」
「治癒の応用だ。エネルギァを繊細に感じることができればできる」
「俺にも?」
彼は本を閉じるとミカエルの腕を取り、実演しながら説明を始める。
「っちょっと待て、よくわかんねえ」
「もう一度やろう。この感覚だ。意識を集中してごらん」
「……。俺、鈍いのか?」
「君は敏感だ」
ミカエルはムッと黙りこむ。なんだか異なることについて言われた気がしたのだ。ルシエルは真顔でいたが、ふっとかすかに笑った。
「君はそもそも、治癒をやり慣れていない。以前より使えるようになったが、まだまだ上達できるはずだ」
「たまにおまえに見てもらってるからな。俺には合わねーんだよ」
「それなら、なぜやろうとする?」
「できた方がいいだろ。せっかく強ぇ力があるんだし」
ふと、玄関ドアを叩く音がした。
「来たな」
ミカエルは玄関に行き、ドアを開いて出迎える。ゾフィエルは私服だった。目が合うと、つり目がかすかに緩む。
「遅くなってすまない」
「いや。上がれよ」
彼が忙しいことは知っている。
リビングに戻ったミカエルはハーブティを淹れることにした。
「おまえも飲む?」
「いただこう」
「おう」
注ぐ湯は三人分。ゾフィエルがソファに座り、ミカエルとルシエルに目をやる。
「今日はいったい…」
「おまえに話さないとならねえことがあるんだ」
ルシエルが立ち上がり、ティーカップを運んでくれる。
「さんきゅ」
「すまない、」
ゾフィエルも立ち上がろうとしたが、ミカエルが「座ってろよ」と言った。特にルシエルに気を使ってしまうらしいゾフィエルは、気が気でない様子で用意されるハーブティーを見ている。
「おまえの方が年上だろ」
ミカエルがおかしそうに言うと、ゾフィエルは目を瞬いて苦笑した。
「彼のエネルギァを前にすると年齢など忘れてしまう」
「魔王とでも思っちまうのか?」
「そうではない。どちらかというと、ルシエルという存在の大きさを感じさせられるんだ」
「……ああ、」
ゾフィエルにとって、"ルシエル" は特別な存在なのだった。そのように名に関する思いは、誰しも抱いているのかもしれない。
特に "ミカエル" は有名な名前だ。そこに向けられる人々の思いや教会の思惑。その名を得たときに、背負わされたもの。
望んだわけではない。それでも、応えなければならないのだろうか。
「アクレプンであったこと、まだ、話してねえことがあって」
一人掛けの椅子に腰を下ろしたミカエルは、睫毛を伏せて、身体に起こった変化を語った。
「……では、お腹に、子が…?」
ゾフィエルは大層困惑した様子で、ミカエルのお腹に意識を集中させる。
「たしかに、……」
「そんで、今日、会っちまったんだ。……ラファエルに」
「っラファエル!?」
「おう。すぐバレた」
ミカエルはなるべく知られたくないことや、下ろすことは考えていないこと、教会に呼ばれたことを話した。
「教皇に会ったら、たぶん勧誘されるだろ。俺はそれを断れねえ」
それはつまり、王権下で働くことを辞退することになる。
「モンテナー辺境伯領のこと、ラファエルから聞いた。教皇には、それを理由に会うことになる。王は、王にもそれで通用すると思うか?」
するとゾフィエルは左腕を広げた。
「君がなるべく話したくないのはわかる。しかし、それを理由にするということは、バラキエル殿のために教会の人間になるということになる」
「それは、」
「教会に属さなければならなくなった原因はバラキエル殿だと、思われてもいいのか」
バラキエルに妊娠したことを知られたくない。しかし、バラキエルのために教会に属すことにしたと思われたくもない。これはミカエルの問題なのだ。
「君が教会をどう思っているのか、一般の人々は知らない。教会に属すことになっても、特に何も思わないだろう。ミカエルは教会の人間であるのが通例だからな」
身近な人間だけが、疑問を抱く。
「君が一番気にしているのは、バラキエル殿だな」
「……ああ」
バラキエルに負い目を感じさせるくらいなら、身に起こったことを知られるほうがいい。どう思われても仕方がない。これは自身の招いたことなのだ。
「……そうだな。師匠には、本当のことを伝えるべきだ。王にも言ったほうがいいのか?」
バラキエルに知られると思ったら、他はもうどうでもいいような気がしてきた。気楽に聞いたミカエルに、ゾフィエルの頬がヒクリとする。
「……周囲にどう話すにせよ、陛下にはお伝えしたほうがいいだろう。きっと、力になってくださる」
「王に本当のことを話したら、師匠にもそれが伝わるか?」
「会いに行かないのか」
「合わせる顔がねえ」
ゾフィエルは何かを耐えるような顔をして、「陛下がお伝えくださるだろう」と言った。
「おまえにも、わるかったな。こんなふうに辞めることになっちまって」
「謝ることはない。それより、君の身体が心配だ。見た目にはなんの変化もないが…」
「おう。自分じゃねえエネルギァを感じるくらいだ」
ミカエルはお腹に手を当てる。身体的な変化は、自分でも感じられない。
「……遺憾ではあるが、教会の犬に知られたのは不幸中の幸いかもしれん」
あれでラファエルは治癒に優れている。それに関する知識も豊富なことだろう。
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