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4章.Tractus
帰省
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翌朝、目が覚めたとき、ミカエルは新たな自分を感じた。身体が戻ったというより、新しくなった感じだ。
「気分はどう?」
「いい感じだ」
頭の上から降って来た声に答え、顔を上げる。
「さんきゅ」
「どういたしまして」
焦げ茶の髪に、鳶色の瞳。
「なに?」
「ゆめの中のおまえ、素の色だったな。髪長かったし」
「ああ…。あの自分のイメージが強くてね」
その点については何も考えていなかったらしい。
「奴らをビビらせるためにそうしたんだと思ったぜ」
「無意識にそれを考えていた可能性はある」
「だろ?」
一つ謎が解けたミカエルは、スッキリした気分で起き上がり、伸びをした。
その日、二人はさっそくルシエルの瞬間移動でツィヴィーネ共和国へ行った。話は通っていたらしく、すんなり入国。ミカエルはツィヴィーネ初入国なため、観光がてら、歩いてアダルベルの邸宅へ向かった。
街の雰囲気は明るく穏やかで、落ち着いている。
同じく商人の国であるレグリア共和国とは、まったく異なる雰囲気だった。
「綺麗な街だな」
「そうだね」
どこも人の手が行き届いている。木々や植物も見られるが、人工的な部分が多く、ミカエルは落ち着かなかった。
「あの建物だ」
「……伯爵だったな」
「ああ」
想像より大きな建物に、ミカエルは半目になってしまった。まず、門から建物までの距離が長い。
「ルシフェル様、おかえりなさいませ。ミカエル様、ようこそお越しくださいました」
門番はそう言って、突然訪れたミカエルたちを快く中へ通してくれた。
広がる芝生の緑をぼんやり眺めて歩いていると、玄関扉が開いてアダルベルが大型犬と一緒に出てきた。目が合って、微笑まれる。
「ミカエル殿、無事で何より。ルシフェル殿も、おかえりなさい」
「ブルーノ卿、ありがとうございました」
「私は大したことはしてないよ。全員無事に戻られて、本当に良かった」
アダルベルは、ちょうど犬を遊ばせる時間だったと言う。犬の名前はクオーレ。投げてもらったボールを追って、芝生を駆けていく。
クオーレは人懐こく、ミカエルのもとにも尻尾を振って挨拶に来てくれた。モフモフで柔らかな毛並みだ。少し戯れただけだが、大いに癒された。
「それじゃあ、俺たちはこれで」
「またツィヴィーネに来たら寄ってくれ」
アダルベルは、異教の地でミカエルがどのような体験をしたのか、何も尋ねてこなかった。そのことににわかにホッとして、ミカエルはコクリと頷き、邸宅を後にした。
「国境までは?」
「瞬間移動」
こうして二人はさっさとツィヴィーネを出国し、イファノエへ向かった。ルシエルの瞬間移動のおかげで、昼ごろにはイファノエに入国していた。
こちらもすんなり入ることができ、すぐにフェルナンデルが瞬間移動で現れた。
皇子というのは、意外と暇なのだろうか。ヤグニエも、多くの時間をミカエルと共に過ごしていた。
「ああ、ミカエル。まさかこの国でこのような事が起こってしまうとは。すまない…!」
言葉の勢いのままにハグされ、ミカエルは目を瞬く。
「あなたが謝ることなんてねえだろ」
「このような事態が起こるのを許してしまったのは、警備が甘かったからだ。我々にも落ち度はある」
それは、ミカエルの出方次第で大事にもなりうる問題なのだった。今回は関係者が誰もそのような事を望んでいないため、極秘裏に処理されたのだ。
ミカエルは小さく息を吐く。
「俺が迂闊だったから、こんな事が起こったんだ。こうして戻って来れたし。この件は、これまでにしようぜ」
フェルナンデルがゆっくりと抱擁を解く。ミカエルの目をじっと見て、ようやく頷いた。そこでルシエルが口を開く。
「アクレプンの関係者は、今回の件――ミカエルに関することを、すっかり忘れている」
フェルナンデルの顔が驚愕に染まった。
「忘れた? ミカエルを、拉致しておいて?」
「俺もそれがいいと思ったんだ。……全部、なかった方がいいことなんだ」
みんな忘れて、ミカエルの身体も一部以外は元に戻って。思い出したくもない体験の数々は、ゆめの中の出来事のようになった。
ミカエルにあれやこれやを行った者たちの中では、無かったことになっている。
そのおかげで、ミカエルの心はずいぶん救われた。それらの事は、もはやミカエルの記憶にしか存在しないからだ。
それは本当にあった事だけど、今ここにはない。
――過去になった。
あのゆめで、決着がついた。
「……そなたが言うのなら、そうなのだろう。こちらからその話題を振らぬよう、兄上にも伝えておく」
「頼む」
フェルナンデルはしかと頷き、ルシエルにふと目をやった。
「彼は、そなたにとって大きな存在なのだな」
ミカエルは振り返ってルシエルを見やり、「おう」と答える。するとフェルナンデルは小さく笑った。
「そなたが元気そうでよかった。よく休まれよ」
「ありがとな」
「うむ」
こうして順調に瞬間移動を繰り返し、ミカエルたちは早々と森の家に辿り着いた。
「……帰ってきたな」
馴染み深い森の香り。緑が濃い。
「コーヒー淹れるか」
「ちょうど飲みたいと思ったところだ」
ミカエルはくっと口角を上げ、玄関のドアを開いた。
「気分はどう?」
「いい感じだ」
頭の上から降って来た声に答え、顔を上げる。
「さんきゅ」
「どういたしまして」
焦げ茶の髪に、鳶色の瞳。
「なに?」
「ゆめの中のおまえ、素の色だったな。髪長かったし」
「ああ…。あの自分のイメージが強くてね」
その点については何も考えていなかったらしい。
「奴らをビビらせるためにそうしたんだと思ったぜ」
「無意識にそれを考えていた可能性はある」
「だろ?」
一つ謎が解けたミカエルは、スッキリした気分で起き上がり、伸びをした。
その日、二人はさっそくルシエルの瞬間移動でツィヴィーネ共和国へ行った。話は通っていたらしく、すんなり入国。ミカエルはツィヴィーネ初入国なため、観光がてら、歩いてアダルベルの邸宅へ向かった。
街の雰囲気は明るく穏やかで、落ち着いている。
同じく商人の国であるレグリア共和国とは、まったく異なる雰囲気だった。
「綺麗な街だな」
「そうだね」
どこも人の手が行き届いている。木々や植物も見られるが、人工的な部分が多く、ミカエルは落ち着かなかった。
「あの建物だ」
「……伯爵だったな」
「ああ」
想像より大きな建物に、ミカエルは半目になってしまった。まず、門から建物までの距離が長い。
「ルシフェル様、おかえりなさいませ。ミカエル様、ようこそお越しくださいました」
門番はそう言って、突然訪れたミカエルたちを快く中へ通してくれた。
広がる芝生の緑をぼんやり眺めて歩いていると、玄関扉が開いてアダルベルが大型犬と一緒に出てきた。目が合って、微笑まれる。
「ミカエル殿、無事で何より。ルシフェル殿も、おかえりなさい」
「ブルーノ卿、ありがとうございました」
「私は大したことはしてないよ。全員無事に戻られて、本当に良かった」
アダルベルは、ちょうど犬を遊ばせる時間だったと言う。犬の名前はクオーレ。投げてもらったボールを追って、芝生を駆けていく。
クオーレは人懐こく、ミカエルのもとにも尻尾を振って挨拶に来てくれた。モフモフで柔らかな毛並みだ。少し戯れただけだが、大いに癒された。
「それじゃあ、俺たちはこれで」
「またツィヴィーネに来たら寄ってくれ」
アダルベルは、異教の地でミカエルがどのような体験をしたのか、何も尋ねてこなかった。そのことににわかにホッとして、ミカエルはコクリと頷き、邸宅を後にした。
「国境までは?」
「瞬間移動」
こうして二人はさっさとツィヴィーネを出国し、イファノエへ向かった。ルシエルの瞬間移動のおかげで、昼ごろにはイファノエに入国していた。
こちらもすんなり入ることができ、すぐにフェルナンデルが瞬間移動で現れた。
皇子というのは、意外と暇なのだろうか。ヤグニエも、多くの時間をミカエルと共に過ごしていた。
「ああ、ミカエル。まさかこの国でこのような事が起こってしまうとは。すまない…!」
言葉の勢いのままにハグされ、ミカエルは目を瞬く。
「あなたが謝ることなんてねえだろ」
「このような事態が起こるのを許してしまったのは、警備が甘かったからだ。我々にも落ち度はある」
それは、ミカエルの出方次第で大事にもなりうる問題なのだった。今回は関係者が誰もそのような事を望んでいないため、極秘裏に処理されたのだ。
ミカエルは小さく息を吐く。
「俺が迂闊だったから、こんな事が起こったんだ。こうして戻って来れたし。この件は、これまでにしようぜ」
フェルナンデルがゆっくりと抱擁を解く。ミカエルの目をじっと見て、ようやく頷いた。そこでルシエルが口を開く。
「アクレプンの関係者は、今回の件――ミカエルに関することを、すっかり忘れている」
フェルナンデルの顔が驚愕に染まった。
「忘れた? ミカエルを、拉致しておいて?」
「俺もそれがいいと思ったんだ。……全部、なかった方がいいことなんだ」
みんな忘れて、ミカエルの身体も一部以外は元に戻って。思い出したくもない体験の数々は、ゆめの中の出来事のようになった。
ミカエルにあれやこれやを行った者たちの中では、無かったことになっている。
そのおかげで、ミカエルの心はずいぶん救われた。それらの事は、もはやミカエルの記憶にしか存在しないからだ。
それは本当にあった事だけど、今ここにはない。
――過去になった。
あのゆめで、決着がついた。
「……そなたが言うのなら、そうなのだろう。こちらからその話題を振らぬよう、兄上にも伝えておく」
「頼む」
フェルナンデルはしかと頷き、ルシエルにふと目をやった。
「彼は、そなたにとって大きな存在なのだな」
ミカエルは振り返ってルシエルを見やり、「おう」と答える。するとフェルナンデルは小さく笑った。
「そなたが元気そうでよかった。よく休まれよ」
「ありがとな」
「うむ」
こうして順調に瞬間移動を繰り返し、ミカエルたちは早々と森の家に辿り着いた。
「……帰ってきたな」
馴染み深い森の香り。緑が濃い。
「コーヒー淹れるか」
「ちょうど飲みたいと思ったところだ」
ミカエルはくっと口角を上げ、玄関のドアを開いた。
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