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4章.Tractus
夕映え
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†††
その日の午後、ゾフィエルは親衛隊の面々とイマリゴに到着した。
ミカエルたちは今頃、どの辺りにいるだろう。海路でツィヴィーネに向かっているだろうか。それとも陸路で、ゆっくり進んでいるだろうか。
港で一足先に上陸していた部下と合流した。
「隊長、謁見の許可が下りました」
「ご苦労。さっそく向かおう」
今すぐ目的の人物を探しに向かいたいところだが、良好な関係性を保つため、礼節を重んじる。
ヨハネス・カレンデウラ――カレンデウラ王国の先王と、側近のムゼール。船で乗り合わせたときには驚いた。
親切にしてもらったので心苦しいが、親衛隊の隊長として、見過ごすわけにはいかない。新たにカレンデウラの王となった人物は、王位を簒奪したという。しかしながら軍事や政治の手腕に長けており、そのような代替わりであったにも関わらず、国内の情勢は安定している。
正統なる後継者の血筋は、ヨハネスを残すのみ。代々その血に仕えていた者たちは、王権を取り戻すことを望んでいると聞く。彼らが立ちあがったら、カレンデウラは再び戦火に呑まれるだろう。
ブランリスの国王ヨハエルは、新王を選んだ。
ゾフィエルはそれに従うのみだ。
空が黄色に染まりゆく頃、ゾフィエルら親衛隊の一行は城に到着した。
衛兵の表情が硬い。
「ようこそおいでくださいました」
アプローチに足を踏み入れる。
どことなく物々しい雰囲気が漂っており、胸騒ぎがした。
「何かあったんですかね…」
「行ってみよう」
城の入り口に向かう階段を上がっているとき、ふと血の匂いが鼻腔を掠めた。扉付近に佇む衛兵は俯いている。付近に争いの痕跡はない。一体どこから…?
足を進めるごとに血の匂いが濃厚になっていく。
ゾフィエルは逸る心を抑え、落ち着いた様子で階段を上がりきった。開かれた扉の向こうに目をやり、思わず足を止める。
広いエントランスの真ん中に広がる血溜り。
そこに座り込んでいる藤色のドレスの女性は、女王イレーネルだろう。
彼女は真っ赤な手で胸に抱いた少年の頬を愛しげに撫でている。
少年――ヨハネスは動かない。
真っ赤に染まった腹部を見れば、状況は明らかだ。
少し離れた所に、倒れ伏したムゼールの姿がある。背中から刺されたのだろう。こちらも床が血に染まっていた。
「……何が、あったのですか」
ゾフィエルはようやく声をかける。
ヨハネスはイレーネルの弟だ。よもや、このような事になるとは。
いや、しかし。
カレンデウラにいた頃、弟のヨハネスとの仲は良くなかったらしい。会話しているのを見たことがないという話は聞いていた。
イレーネルがゆっくりと顔を上げる。凛と美しい顔が、ヨハネスに似ていた。
そこに浮かんだ柔らかな微笑。
「そなたらに突き出してやろうと思ってな。あんまり抵抗するので、殺してしまったわ」
「陛下が、……」
「そなたもわかっておろう。カレンデウラに連れ戻されれば、どうせ殺される。曝し首にでもされるやもしれぬ。であれば姉の手によって、こうして殺されたほうが幸いというものだ」
イレーネルは十八才という若さで夫たる王を亡くし、王位に就いた。勇ましく、聡明で、女王の務めをそつなくこなしているという。
「遺体はわたくしが責任をもって埋葬する。これでも血の繋がった姉弟だ。それくらい、してもよかろう。髪でも持っていけば、信用を得られるか?」
そなたらの手柄にして構わぬとイレーネルは言った。
たしかに、激しく抵抗されて殺してしまったと言えば、あちらも納得するだろう。遺体を渡せば話が早いが、その後遺体に冒涜的な行いをされる可能性もあり、自らの手で埋葬したいと言うイレーネルの気持ちも理解できた。
「……それでは、そのように」
イレーネルが血に染まった剣を持ち、動かないヨハネスの後ろで束ねられた髪を斬る。
血濡れの手からそれを受け取ったゾフィエルは、そのまま部下に渡した。その部下は、血に触れると誰の血か特定することができるのだ。彼が頷いたのを見て、イレーネルの手が間違いなくヨハネスの血で染まっていたことを確信した。
「我々はこれで」
頭を下げて身を翻す。
城を出るとき、近くにミカエルの気配を感じた。ゾフィエルの脳裏に直感にも似た考えが広がる。
――真相がどうであれ、これで事は収まるだろう。
もしも浮かんだ考えが真なら、イレーネルもヨハネスもゾフィエルもブランリスも、望ましい結果を得られたということだ。
「……噂以上におそろしい女王ですね」
「そうだな」
小さく落とされた部下の言葉にサラリと答えたゾフィエルは、うっすらと微笑を浮かべ、鮮やかに色づく空の下、軽やかに馬に跨った。
その日の午後、ゾフィエルは親衛隊の面々とイマリゴに到着した。
ミカエルたちは今頃、どの辺りにいるだろう。海路でツィヴィーネに向かっているだろうか。それとも陸路で、ゆっくり進んでいるだろうか。
港で一足先に上陸していた部下と合流した。
「隊長、謁見の許可が下りました」
「ご苦労。さっそく向かおう」
今すぐ目的の人物を探しに向かいたいところだが、良好な関係性を保つため、礼節を重んじる。
ヨハネス・カレンデウラ――カレンデウラ王国の先王と、側近のムゼール。船で乗り合わせたときには驚いた。
親切にしてもらったので心苦しいが、親衛隊の隊長として、見過ごすわけにはいかない。新たにカレンデウラの王となった人物は、王位を簒奪したという。しかしながら軍事や政治の手腕に長けており、そのような代替わりであったにも関わらず、国内の情勢は安定している。
正統なる後継者の血筋は、ヨハネスを残すのみ。代々その血に仕えていた者たちは、王権を取り戻すことを望んでいると聞く。彼らが立ちあがったら、カレンデウラは再び戦火に呑まれるだろう。
ブランリスの国王ヨハエルは、新王を選んだ。
ゾフィエルはそれに従うのみだ。
空が黄色に染まりゆく頃、ゾフィエルら親衛隊の一行は城に到着した。
衛兵の表情が硬い。
「ようこそおいでくださいました」
アプローチに足を踏み入れる。
どことなく物々しい雰囲気が漂っており、胸騒ぎがした。
「何かあったんですかね…」
「行ってみよう」
城の入り口に向かう階段を上がっているとき、ふと血の匂いが鼻腔を掠めた。扉付近に佇む衛兵は俯いている。付近に争いの痕跡はない。一体どこから…?
足を進めるごとに血の匂いが濃厚になっていく。
ゾフィエルは逸る心を抑え、落ち着いた様子で階段を上がりきった。開かれた扉の向こうに目をやり、思わず足を止める。
広いエントランスの真ん中に広がる血溜り。
そこに座り込んでいる藤色のドレスの女性は、女王イレーネルだろう。
彼女は真っ赤な手で胸に抱いた少年の頬を愛しげに撫でている。
少年――ヨハネスは動かない。
真っ赤に染まった腹部を見れば、状況は明らかだ。
少し離れた所に、倒れ伏したムゼールの姿がある。背中から刺されたのだろう。こちらも床が血に染まっていた。
「……何が、あったのですか」
ゾフィエルはようやく声をかける。
ヨハネスはイレーネルの弟だ。よもや、このような事になるとは。
いや、しかし。
カレンデウラにいた頃、弟のヨハネスとの仲は良くなかったらしい。会話しているのを見たことがないという話は聞いていた。
イレーネルがゆっくりと顔を上げる。凛と美しい顔が、ヨハネスに似ていた。
そこに浮かんだ柔らかな微笑。
「そなたらに突き出してやろうと思ってな。あんまり抵抗するので、殺してしまったわ」
「陛下が、……」
「そなたもわかっておろう。カレンデウラに連れ戻されれば、どうせ殺される。曝し首にでもされるやもしれぬ。であれば姉の手によって、こうして殺されたほうが幸いというものだ」
イレーネルは十八才という若さで夫たる王を亡くし、王位に就いた。勇ましく、聡明で、女王の務めをそつなくこなしているという。
「遺体はわたくしが責任をもって埋葬する。これでも血の繋がった姉弟だ。それくらい、してもよかろう。髪でも持っていけば、信用を得られるか?」
そなたらの手柄にして構わぬとイレーネルは言った。
たしかに、激しく抵抗されて殺してしまったと言えば、あちらも納得するだろう。遺体を渡せば話が早いが、その後遺体に冒涜的な行いをされる可能性もあり、自らの手で埋葬したいと言うイレーネルの気持ちも理解できた。
「……それでは、そのように」
イレーネルが血に染まった剣を持ち、動かないヨハネスの後ろで束ねられた髪を斬る。
血濡れの手からそれを受け取ったゾフィエルは、そのまま部下に渡した。その部下は、血に触れると誰の血か特定することができるのだ。彼が頷いたのを見て、イレーネルの手が間違いなくヨハネスの血で染まっていたことを確信した。
「我々はこれで」
頭を下げて身を翻す。
城を出るとき、近くにミカエルの気配を感じた。ゾフィエルの脳裏に直感にも似た考えが広がる。
――真相がどうであれ、これで事は収まるだろう。
もしも浮かんだ考えが真なら、イレーネルもヨハネスもゾフィエルもブランリスも、望ましい結果を得られたということだ。
「……噂以上におそろしい女王ですね」
「そうだな」
小さく落とされた部下の言葉にサラリと答えたゾフィエルは、うっすらと微笑を浮かべ、鮮やかに色づく空の下、軽やかに馬に跨った。
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