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4章.Tractus
密偵
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用事を終えたミカエルは、さてどうしようと真っ青な空を見上げる。
「ここって、まだツィヴィーネから遠いのか?」
「近くはない。航路で帰るなら、あと二日はかかるだろう」
「そうか…」
そのとき、脇道から男が二人出てきて、ミカエルたちの前に立ち塞がった。
隙のない佇まいだ。
「ミカエル様でしょうか」
「……何者だ」
「ようこそ、イマリゴ王国へ。私どもは女王陛下にお仕えしております。陛下が、ぜひミカエル様を城にお招きしたいと」
ミカエルはルシエルに目をやった。肩をすくめられ、小さく息を吐く。
「こっちは相棒のルシフェル。一緒でいいなら、行ってもいい」
「構いません。それでは、お手を拝借」
男の手に手を乗せると、城の前にいた。
暖色系の壁。丸い塔が特徴的である。そんなに大きな城ではない。ここが女王の住まいなら、この国はそれほど大きな国ではないのかもしれない。
続いて、ルシエルともう一人の男がやってくる。
「参りましょう」
そうして通されたのは、玉座の間ではなかった。プライベートな雰囲気の、小さな部屋だ。アクレプンの宮殿でやたらと広い部屋を見たから、そう感じるのかもしれない。調度品や壁に目をやれば繊細な彫刻が施されていたりするので、雑に扱われているわけではなさそうだ。
さっそくソファに腰掛けたルシエルに倣う。
しばらくして、藤色のドレスに身を包んだ女性がゆったりやって来た。二十歳前後だろうか。
「イレーネル女王です」
瞬間移動で連れて来てくれた男が囁いた。
ブランリスでよく見るドレスと、どことなく違っているように感じる。彼女は外側が銀で内側が榛色という、変わった髪色だ。そういえば、船で一緒だった少年も内側が濃い色で、ちょうどこのような感じだった。気の強そうな瞳はあの少年と同じ黄橙――。
お付きの男性に目と素振りで促され、ミカエルは立ち上がる。ちなみに、ルシエルは足を組んで座ったままだ。
イレーネルはチラとルシエルを見て、ミカエルに視線を戻した。
「そなたがミカエルか」
「はい」
「何用で我が国に?」
済んだことだから構わないだろう。そう思い、ミカエルは口を開く。
「アクレプンから逃げてきました。ブランリスに帰る途中です」
「……なぜアクレプンに?」
「力術円で連れていかれました」
イレーネルは小首を傾げ、ソファに座るよう促した。
「経緯を聞いてもよろしいかしら」
「俺の不注意が原因です」
ミカエルはきっかけになった出来事を語り、この国にも追っ手がいるようだと告げた。
「アクレプンの者が、港町で不審な動きを見せていることは聞いている。そなたが原因だったとは…」
イレーネルはソファに深く沈んで息を吐く。それから、じっとミカエルを見詰めた。
「そなたは、ブランリスのスパイではないのだな」
「……は?」
聞き覚えのない言葉にミカエルは首を傾げた。助けを求めるようにルシエルのほうを向く。彼はすっとミカエルに目を寄越し、端的に答えた。
「密偵のことだ。密かに内情を探りにきた者をいう」
「へえ。違います」
彼女に向き直って言えば、イレーネルは目を丸くしてくつくつ笑った。
「そなたはわかりやすくて良い」
「どうもデス?」
ミカエルは片眉を上げる。
笑いを収めたイレーネルは、幾らか温かみのある眼差しでミカエルを捉えた。
「そなたが無事に我が国を出られるよう手配しよう。そのかわり、そなたもわたくしに協力せよ」
「協力って、」
「探し人がいるのだ。そなたの国ブランリスも、その者を探している。外交の手段として用いるためにな」
だからスパイと疑われたのか。ミカエルは納得し、微妙な気分になった。デビル退治しかしないと公言しても、王権下にいれば、そのように捉えられるということだ。
「その者は、カレンデウラ王国の王だった。側近に王位を簒奪されてな。国外逃亡中と聞く。カレンデウラは小国だが歴史があり、東西に親交がある。どの国も友好を深めたいのであろう」
新たな王に取り入る絶好のチャンスということか。
「陛下もそれが目的ですか」
「……彼は、わたくしの弟だ」
ミカエルはかすかに目を丸くする。
「名をヨハネスという。齢十二の少年だ。命を助けたいと思うのは、当然であろう?」
真摯な眼差しを見て、ミカエルはイレーネルに付くことを決めた。
「そのヨハネスという人は、陛下と同じ目の色ですか」
「ああ、」
「目が見えない?」
「っそなた、ヨハネスに会ったのか」
イレーネルが身を乗り出す。
その顔が弟を心配する姉の顔だったので、ミカエルはイマリゴへ向かう船で一緒だったことを迷いなく話した。
「目を治す方法を探しているようでした」
「……そうか。この国にいるのか…」
硬い表情で胸を撫で下ろす彼女にミカエルは告げる。
「そのことを、ブランリスも知っていると思います」
「そなたはやはり、」
「船で一緒だった一人に、ブランリスの親衛隊隊長がいました」
きっとゾフィエルは、王に報告することだろう。それが彼の仕事だ。
「……わたくしに、知らせてよかったのか」
イレーネルは困惑していた。
「俺は政治に関わりません。ヨハネスの事も、知りませんでした。親衛隊の隊長は、俺がその件に関わっているとは思わない」
「そなたは、ブランリスの味方をしない…?」
「あなたの言葉を聞いて、俺も捕まってほしくないと思いました」
船でほんの少しだけ、ヨハネスと会話をした。彼はそのように大変な立場でありながら、凛とした態度でミカエルたちを気遣ってくれたのだ。イレーネルは姉として、弟を助けたいという。外交の切り札にするため捕らえようとするブランリスより、よっぽど共感できた。
「……ブランリスが知れば、この国に来るだろう。それまでにヨハネスを見つけ出し、匿わねばならない」
イレーネルはそう言うと、さっそく付き人に指示を出す。それを見ていたミカエルが口を開いた。
「匿う? いつまでですか。ブランリスや、他の国が諦めるまで?」
「それしかあるまい」
「もっと手っ取り早い方法があります」
ミカエルは思いついた案を話す。
イレーネルは驚愕し、次には爛々と目を輝かせて艶麗に微笑んだ。
「ここって、まだツィヴィーネから遠いのか?」
「近くはない。航路で帰るなら、あと二日はかかるだろう」
「そうか…」
そのとき、脇道から男が二人出てきて、ミカエルたちの前に立ち塞がった。
隙のない佇まいだ。
「ミカエル様でしょうか」
「……何者だ」
「ようこそ、イマリゴ王国へ。私どもは女王陛下にお仕えしております。陛下が、ぜひミカエル様を城にお招きしたいと」
ミカエルはルシエルに目をやった。肩をすくめられ、小さく息を吐く。
「こっちは相棒のルシフェル。一緒でいいなら、行ってもいい」
「構いません。それでは、お手を拝借」
男の手に手を乗せると、城の前にいた。
暖色系の壁。丸い塔が特徴的である。そんなに大きな城ではない。ここが女王の住まいなら、この国はそれほど大きな国ではないのかもしれない。
続いて、ルシエルともう一人の男がやってくる。
「参りましょう」
そうして通されたのは、玉座の間ではなかった。プライベートな雰囲気の、小さな部屋だ。アクレプンの宮殿でやたらと広い部屋を見たから、そう感じるのかもしれない。調度品や壁に目をやれば繊細な彫刻が施されていたりするので、雑に扱われているわけではなさそうだ。
さっそくソファに腰掛けたルシエルに倣う。
しばらくして、藤色のドレスに身を包んだ女性がゆったりやって来た。二十歳前後だろうか。
「イレーネル女王です」
瞬間移動で連れて来てくれた男が囁いた。
ブランリスでよく見るドレスと、どことなく違っているように感じる。彼女は外側が銀で内側が榛色という、変わった髪色だ。そういえば、船で一緒だった少年も内側が濃い色で、ちょうどこのような感じだった。気の強そうな瞳はあの少年と同じ黄橙――。
お付きの男性に目と素振りで促され、ミカエルは立ち上がる。ちなみに、ルシエルは足を組んで座ったままだ。
イレーネルはチラとルシエルを見て、ミカエルに視線を戻した。
「そなたがミカエルか」
「はい」
「何用で我が国に?」
済んだことだから構わないだろう。そう思い、ミカエルは口を開く。
「アクレプンから逃げてきました。ブランリスに帰る途中です」
「……なぜアクレプンに?」
「力術円で連れていかれました」
イレーネルは小首を傾げ、ソファに座るよう促した。
「経緯を聞いてもよろしいかしら」
「俺の不注意が原因です」
ミカエルはきっかけになった出来事を語り、この国にも追っ手がいるようだと告げた。
「アクレプンの者が、港町で不審な動きを見せていることは聞いている。そなたが原因だったとは…」
イレーネルはソファに深く沈んで息を吐く。それから、じっとミカエルを見詰めた。
「そなたは、ブランリスのスパイではないのだな」
「……は?」
聞き覚えのない言葉にミカエルは首を傾げた。助けを求めるようにルシエルのほうを向く。彼はすっとミカエルに目を寄越し、端的に答えた。
「密偵のことだ。密かに内情を探りにきた者をいう」
「へえ。違います」
彼女に向き直って言えば、イレーネルは目を丸くしてくつくつ笑った。
「そなたはわかりやすくて良い」
「どうもデス?」
ミカエルは片眉を上げる。
笑いを収めたイレーネルは、幾らか温かみのある眼差しでミカエルを捉えた。
「そなたが無事に我が国を出られるよう手配しよう。そのかわり、そなたもわたくしに協力せよ」
「協力って、」
「探し人がいるのだ。そなたの国ブランリスも、その者を探している。外交の手段として用いるためにな」
だからスパイと疑われたのか。ミカエルは納得し、微妙な気分になった。デビル退治しかしないと公言しても、王権下にいれば、そのように捉えられるということだ。
「その者は、カレンデウラ王国の王だった。側近に王位を簒奪されてな。国外逃亡中と聞く。カレンデウラは小国だが歴史があり、東西に親交がある。どの国も友好を深めたいのであろう」
新たな王に取り入る絶好のチャンスということか。
「陛下もそれが目的ですか」
「……彼は、わたくしの弟だ」
ミカエルはかすかに目を丸くする。
「名をヨハネスという。齢十二の少年だ。命を助けたいと思うのは、当然であろう?」
真摯な眼差しを見て、ミカエルはイレーネルに付くことを決めた。
「そのヨハネスという人は、陛下と同じ目の色ですか」
「ああ、」
「目が見えない?」
「っそなた、ヨハネスに会ったのか」
イレーネルが身を乗り出す。
その顔が弟を心配する姉の顔だったので、ミカエルはイマリゴへ向かう船で一緒だったことを迷いなく話した。
「目を治す方法を探しているようでした」
「……そうか。この国にいるのか…」
硬い表情で胸を撫で下ろす彼女にミカエルは告げる。
「そのことを、ブランリスも知っていると思います」
「そなたはやはり、」
「船で一緒だった一人に、ブランリスの親衛隊隊長がいました」
きっとゾフィエルは、王に報告することだろう。それが彼の仕事だ。
「……わたくしに、知らせてよかったのか」
イレーネルは困惑していた。
「俺は政治に関わりません。ヨハネスの事も、知りませんでした。親衛隊の隊長は、俺がその件に関わっているとは思わない」
「そなたは、ブランリスの味方をしない…?」
「あなたの言葉を聞いて、俺も捕まってほしくないと思いました」
船でほんの少しだけ、ヨハネスと会話をした。彼はそのように大変な立場でありながら、凛とした態度でミカエルたちを気遣ってくれたのだ。イレーネルは姉として、弟を助けたいという。外交の切り札にするため捕らえようとするブランリスより、よっぽど共感できた。
「……ブランリスが知れば、この国に来るだろう。それまでにヨハネスを見つけ出し、匿わねばならない」
イレーネルはそう言うと、さっそく付き人に指示を出す。それを見ていたミカエルが口を開いた。
「匿う? いつまでですか。ブランリスや、他の国が諦めるまで?」
「それしかあるまい」
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