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4章.Tractus
温かな腕
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星空の下、船の甲板で身を寄せ合って眠る夜。海風は冷たく、傍にいるルシエルとゾフィエルの温かさが身に沁みる。
たった数日の出来事が長い悪夢のようだ。
強烈で最悪な体験をたくさんした。ミカエルは抱えた膝に額を押しつける。疲れが勝り、渦巻く思考に落ちるように眠りに就いた。
――身体中をまさぐる男の手、手、手。気持ち悪いはずなのに気持ちよく、揺れる腰は嫌がっているのか誘っているのかわからない。いつまでも続きそうな地獄に音を上げる。
「もっ…はやく――」
ハッと目覚めたのは、夜空の感じからして数時間後だった。夢の感覚がまだ残っている。
ミカエルはゆらりと立ち上がり、誰もいないところへ向かった。思い出し、ポケットに入れっぱなしだった乳首の装飾品を海に投げ捨てる。ついでに、腕輪なども外して捨てた。
火照った身体を冷たい風が落ち着かせてくれる。すべてを呑みこんでくれそうな暗い海を、ぼんやり眺めた。
「眠れない?」
どれだけ経ったか、女性の声に振り返るとルシエルが立っていた。
「……ちょっと、夢見が悪くてな」
「どんなゆめ?」
ミカエルは黒い海に視線を移す。
ルシエルには見られているのだ。今更だろう。
「……たくさんの男に、……」
「今日のように?」
「……ああ。今日だけじゃない。だいたい夜は、そんな感じだった」
近づいてきたルシエルに抱き締められて目を丸くする。豊かな胸が押しつけられていた。
「ルシ、」
「柔らかな女の肌は好きだろう?」
「そうだけど…」
「明日には男に戻る。今のうちに堪能するといい」
ギュッと抱きしめてくる腕はか細い。
「おまえは男なのに、イヤじゃねえのか?」
「べつに。それで君が少しでもラクになるなら」
ミカエルは彼――彼女の言葉に甘え、震える腕で柔らかな身体を抱きしめた。
姿が女性になっても、ルシエルの氣質は変わらない。馴染み深く、心が落ち着いていくのを感じる。
「素肌に触れてもいいけど?」
「……さすがに、それは…」
「肌が触れ合ったほうが落ち着くだろう」
「そうなのか?」
「悪魔崇拝の信者が言っていた」
ルシエルが平然と言うので、ミカエルはルシエルのシャツの中に手を入れる。そうして、直接背中に腕を回した。柔らかなラインは女性のものに他ならない。なんとも不思議だ。
「っ冷たい手だな」
「わりぃ、」
「構わない」
ルシエルも、ミカエルのシャツに手を入れ背中に直接腕を回す。
触られることに、不快感はまったくなかった。
「おまえの手も冷てえよ」
「そうだった」
自分より身長の低いルシエルが新鮮だ。なんだか愛しく思えて、形の良い後ろ頭をそっと撫でた。
静かな波の音に紛れて息を吐き、意を決して口を開く。
「……あのな、ホントかわかんねえけど。俺、ヤグニエに変な種みてえなの入れられて、」
感度が良くなったことや、性的エネルギァを変換できるようになったこと以外、ミカエルは変化を感じていない。
「男を孕ませるようにするなんて、できるのか?」
「……俺は知らないけれど。東方には、方法があるのかもしれない」
「……そうか」
しばらく身体の様子を見るしかなさそうだ。
ミカエルは肩の力を抜いて、ぽつりと溢す。
「どうせなら、おまえの子ならいいのにな」
「……は?」
腕の中でルシエルが顔を上げた。彼にしては珍しい反応だ。ミカエルは、ようやく彼――彼女の顔を見られるようになっていた。
「ヤだけど、もし孕んじまったとしてよ。おまえの子ならいいだろ?」
「……俺に聞かれても」
「一緒に育ててくんねえの」
「突っ込みどころがありすぎる。……もし産まれたら、できる範囲で協力しよう」
ルシエルはなんとも言えない顔をしている。美女に言うには妙な気がするが、ミカエルは言葉を続けた。
「だからよ、抱いてくれねえ?」
「……それは、ハグではなく?」
「おう。……イヤじゃ、ねえなら」
ミカエルは睫毛を伏せる。見られた通り、どんな相手にも感じてしまう卑しい身体になってしまった。ルシエルが嫌なら仕方がない。
ルシエルは、小さく息を吐きだした。
「嫌がる理由はないけれど。優しくできるかわからない」
「平気だ」
ミカエルが即答すると、ルシエルは珍しくイライラした様子で前髪を掻き上げる。
「なにイラついてんだよ」
「以前、俺に言ったことを覚えてる?」
「……どれ、」
「もっと自分を大事にしろよ」
強い眼差しに射抜かれる。ミカエルはハッとして視線を外した。
「……あの頃はわかってなかったんだ。苦しくても手ぇ放すなって、おまえの苦しみも知らねえで…」
「知らなくて当然だし、君が知る必要もない」
ミカエルは首を振る。
「俺、苦しくて堪らなくて、逃げてぇと思った。おまえにあんな事言っちまったから、俺だけ逃げるなんてダメだって、」
『何度も繰り返されると、自衛のためなんだろう。だんだん慣れて、何も感じなくなる』
――そうだ、毎日耐えがたく苦しかった。ヤグニエの相手も、たくさんの男たちに犯されるのも。自分からねだって、誘うように足を開いて。全部全部苦痛だったのに…。いつからか自分はそういう存在なのだと諦めて、受け入れて、何も感じずやるようになっていた――。
思い出すと、おそろしさに身体が震える。
「……おまえは、まだ、そこにいるのか…?」
「言ったろう。君が知る必要はない」
ルシエルは素っ気なく言い、労わるように抱きしめてくれる。
ミカエルは彼を抱きしめ、感じることをやめてしまった辛苦を受け入れた。
「っ…」
ルシエルも解放されるといい。これ以上苦しんでほしくない。けれど、ここにいてほしくて。
身勝手な自分をどうにもできず、ミカエルはぎゅっと目を閉じた。
たった数日の出来事が長い悪夢のようだ。
強烈で最悪な体験をたくさんした。ミカエルは抱えた膝に額を押しつける。疲れが勝り、渦巻く思考に落ちるように眠りに就いた。
――身体中をまさぐる男の手、手、手。気持ち悪いはずなのに気持ちよく、揺れる腰は嫌がっているのか誘っているのかわからない。いつまでも続きそうな地獄に音を上げる。
「もっ…はやく――」
ハッと目覚めたのは、夜空の感じからして数時間後だった。夢の感覚がまだ残っている。
ミカエルはゆらりと立ち上がり、誰もいないところへ向かった。思い出し、ポケットに入れっぱなしだった乳首の装飾品を海に投げ捨てる。ついでに、腕輪なども外して捨てた。
火照った身体を冷たい風が落ち着かせてくれる。すべてを呑みこんでくれそうな暗い海を、ぼんやり眺めた。
「眠れない?」
どれだけ経ったか、女性の声に振り返るとルシエルが立っていた。
「……ちょっと、夢見が悪くてな」
「どんなゆめ?」
ミカエルは黒い海に視線を移す。
ルシエルには見られているのだ。今更だろう。
「……たくさんの男に、……」
「今日のように?」
「……ああ。今日だけじゃない。だいたい夜は、そんな感じだった」
近づいてきたルシエルに抱き締められて目を丸くする。豊かな胸が押しつけられていた。
「ルシ、」
「柔らかな女の肌は好きだろう?」
「そうだけど…」
「明日には男に戻る。今のうちに堪能するといい」
ギュッと抱きしめてくる腕はか細い。
「おまえは男なのに、イヤじゃねえのか?」
「べつに。それで君が少しでもラクになるなら」
ミカエルは彼――彼女の言葉に甘え、震える腕で柔らかな身体を抱きしめた。
姿が女性になっても、ルシエルの氣質は変わらない。馴染み深く、心が落ち着いていくのを感じる。
「素肌に触れてもいいけど?」
「……さすがに、それは…」
「肌が触れ合ったほうが落ち着くだろう」
「そうなのか?」
「悪魔崇拝の信者が言っていた」
ルシエルが平然と言うので、ミカエルはルシエルのシャツの中に手を入れる。そうして、直接背中に腕を回した。柔らかなラインは女性のものに他ならない。なんとも不思議だ。
「っ冷たい手だな」
「わりぃ、」
「構わない」
ルシエルも、ミカエルのシャツに手を入れ背中に直接腕を回す。
触られることに、不快感はまったくなかった。
「おまえの手も冷てえよ」
「そうだった」
自分より身長の低いルシエルが新鮮だ。なんだか愛しく思えて、形の良い後ろ頭をそっと撫でた。
静かな波の音に紛れて息を吐き、意を決して口を開く。
「……あのな、ホントかわかんねえけど。俺、ヤグニエに変な種みてえなの入れられて、」
感度が良くなったことや、性的エネルギァを変換できるようになったこと以外、ミカエルは変化を感じていない。
「男を孕ませるようにするなんて、できるのか?」
「……俺は知らないけれど。東方には、方法があるのかもしれない」
「……そうか」
しばらく身体の様子を見るしかなさそうだ。
ミカエルは肩の力を抜いて、ぽつりと溢す。
「どうせなら、おまえの子ならいいのにな」
「……は?」
腕の中でルシエルが顔を上げた。彼にしては珍しい反応だ。ミカエルは、ようやく彼――彼女の顔を見られるようになっていた。
「ヤだけど、もし孕んじまったとしてよ。おまえの子ならいいだろ?」
「……俺に聞かれても」
「一緒に育ててくんねえの」
「突っ込みどころがありすぎる。……もし産まれたら、できる範囲で協力しよう」
ルシエルはなんとも言えない顔をしている。美女に言うには妙な気がするが、ミカエルは言葉を続けた。
「だからよ、抱いてくれねえ?」
「……それは、ハグではなく?」
「おう。……イヤじゃ、ねえなら」
ミカエルは睫毛を伏せる。見られた通り、どんな相手にも感じてしまう卑しい身体になってしまった。ルシエルが嫌なら仕方がない。
ルシエルは、小さく息を吐きだした。
「嫌がる理由はないけれど。優しくできるかわからない」
「平気だ」
ミカエルが即答すると、ルシエルは珍しくイライラした様子で前髪を掻き上げる。
「なにイラついてんだよ」
「以前、俺に言ったことを覚えてる?」
「……どれ、」
「もっと自分を大事にしろよ」
強い眼差しに射抜かれる。ミカエルはハッとして視線を外した。
「……あの頃はわかってなかったんだ。苦しくても手ぇ放すなって、おまえの苦しみも知らねえで…」
「知らなくて当然だし、君が知る必要もない」
ミカエルは首を振る。
「俺、苦しくて堪らなくて、逃げてぇと思った。おまえにあんな事言っちまったから、俺だけ逃げるなんてダメだって、」
『何度も繰り返されると、自衛のためなんだろう。だんだん慣れて、何も感じなくなる』
――そうだ、毎日耐えがたく苦しかった。ヤグニエの相手も、たくさんの男たちに犯されるのも。自分からねだって、誘うように足を開いて。全部全部苦痛だったのに…。いつからか自分はそういう存在なのだと諦めて、受け入れて、何も感じずやるようになっていた――。
思い出すと、おそろしさに身体が震える。
「……おまえは、まだ、そこにいるのか…?」
「言ったろう。君が知る必要はない」
ルシエルは素っ気なく言い、労わるように抱きしめてくれる。
ミカエルは彼を抱きしめ、感じることをやめてしまった辛苦を受け入れた。
「っ…」
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