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4章.Tractus
出航前日
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†††
翌日、ゾフィエルとルシエルはまだアダルベルの邸宅にいた。この街は、不慣れなよそ者が情報を得ようとしても簡単にはいかない。アダルベルが家の者に例の人物を探させているというので、それに賭けることにした。
良い知らせを待つばかりの午前中、ルシエルは窓際の椅子に腰かけ、じっと窓の外を見ていた。ゾフィエルは落ち着かず、部下と手帳でやりとりをして気を紛らわせた。
「陛下はやはり、この件は私に任せると。なんとしても連れ戻さねばな」
アダルベルは早朝に仕事へ行って昼に戻った。三人で昼食を共にする。
「あのミカエル殿が女性絡みで…。そのような方ではないでしょう。災難ですね」
「ええ、たぶんその件だと思うのですが。本当に、ついてないと言いますか」
ゾフィエルは己を責める気持ちもあった。ミカエルが何も知らないことは知っていた。女性への接し方を、事前に話しておくべきだったのだ。
「そこまで大事にするほどのことでもないと思いますが、異教の国の感覚はわかりません」
「そうですね。もしかしたら、ミカエル殿が一方的に手を出したように伝わっているのかも」
「それは、あり得ます。……彼を連れ去って、こちらへ返す気はないのでしょうか」
「……さて。あちらで裁いて、刑に処するつもりとか?」
ゾフィエルは目を丸くした。
「なるほど。であれば、捕まっている場所は監獄になりますか…」
ヤグニエが連れ去ったからヤグニエの元にいると短絡的に考えていたが、もっと視野を広げる必要があるかもしれない。
「皇子の所にはいない可能性も考慮すべきですね」
「その男に聞けばわかる」
淡々と落とされたルシエルの言葉に、ゾフィエルは「……そうだな」と頷いた。
アダルベルが、真心の籠った眼差しをゾフィエルに向ける。
「……たったお二人で潜入されるのでしょう? ご自分の身も粗末になさいませぬよう」
「はい。必ずミカエルを連れ戻し、我々も無事に戻ります」
最強の力を持つルシエルが一緒だからか、それに関してゾフィエルに不安はなかった。
午後の昼下がり、ゾフィエルとルシエルの客室にアダルベルがやって来た。
「見つかりました。彼は牢の中です」
「は、はい? 探していた者が…?」
「はい。例の術でふざけ回っていたようで」
ゾフィエルは額に手をやった。まさか悪さをして捕えられていたとは。
「さっそく面会に行きましょう」
ハッと顔を上げる。
「っ会わせていただけるのですか」
アダルベルはふっと笑って頷いた。
罪人が収監されている建物は、都市の外れにあるという。三人は馬車で向かった。
建物の入口に立っていた警備員は、アダルベルの顔を見るとお辞儀して通してくれる。そんなに大きな建物ではない。壁に囲まれているが、物々しい雰囲気でも簡素でもなかった。知らなければ、どういった施設かわからないだろう。
「ここが監獄なのですか」
「景観を崩さないためです」
「ツィヴィーネは徹底してますね」
「どこもかしこも美しいでしょう。私も最初は、違和感を感じたものでした」
三人は待合室のような部屋に通され、しばし待つ。奥の扉が開き、手を拘束された男が施設の人間に連れられやってきた。
どこにでもいそうな雰囲気の男だ。
「何かあったらこのベルを鳴らしてください」
施設の人間が出て行くと、連れて来られた男はさっそく椅子に座って足を広げた。
「伯爵さんが、俺になんの用だい」
「頼みたい事がありまして」
「頼みィ?」
アクレプンに向かう船に同乗して例の術を行ってほしい旨をアダルベルが伝える。
男は眉を上げ、肩をすくめた。
「そこの兄ちゃんらをかい」
「ええ」
男はルシエルとゾフィエルの顔をジロジロ見た。
「っへへ、こりゃあいい。別嬪に違いねえ。いいぜ。女になったらちょいと胸でも揉ましてくれんなら、喜んでやってやる」
アダルベルが男の前に歩み寄り、顔を寄せる。
「あなたは投獄されている身です。外に出て他人様の役に立てることをありがたく思え」
「ヒッ。じょ、冗談ですよ冗談っ。伯爵様のおっしゃる通りでさァ。お役に立ててありがたい!」
ゾフィエルは目を丸くした。アダルベルは穏やかで優しい青年だと思っていたのだ。どのような顔をしているのか、後ろにいるゾフィエルからは見えないが、聞こえた声は低く威圧的だった。
――彼も様々な体験をしているのだろう。
結婚してツヴィーネで伯爵となって早三年。綺麗事だけではどうにもならない世界に、足を踏み入れたのかもしれない。――それはさておき。
「……彼をここから連れ出すことが、可能なのですか」
「はい。話はついてます」
金か、権力か。
振り返って答えたアダルベルは、感情の読めない目をしていた。
「ブルーノ卿、なんとお礼を申し上げたら良いのか…」
「困ったときはお互い様です。それに、彼に何かあったら、メアリエル殿下が悲しまれる」
男が支度を整えて戻ってきた。
施設の人間が、ゾフィエルにシンプルな白い腕輪を渡す。
「こちらを腕に嵌めてください。あなたに彼の監督を任せます」
見れば、男は赤いチョーカーをつけていた。先ほどはしていなかった。渡された腕輪と関係があるのだろう。
「彼が不審な動きをした場合、強く念じてください。この首輪が締まります。この者が殺人などを犯そうとした場合、殺害しても構いません。判断は腕輪を持つあなたに委ねます」
「おいおい、物騒なことを言うなよ。俺はそんな事しねえって」
「……承知しました」
ゾフィエルはゆっくりと頷いた。
――準備は整った。明朝、アズラエルと合流し、ゾフィエルとルシエルはアクレプンに向けて発つ。
あと三日。
どうか無事に――それが叶わずとも、なんとか持ちこたえてくれとゾフィエルは祈った。
翌日、ゾフィエルとルシエルはまだアダルベルの邸宅にいた。この街は、不慣れなよそ者が情報を得ようとしても簡単にはいかない。アダルベルが家の者に例の人物を探させているというので、それに賭けることにした。
良い知らせを待つばかりの午前中、ルシエルは窓際の椅子に腰かけ、じっと窓の外を見ていた。ゾフィエルは落ち着かず、部下と手帳でやりとりをして気を紛らわせた。
「陛下はやはり、この件は私に任せると。なんとしても連れ戻さねばな」
アダルベルは早朝に仕事へ行って昼に戻った。三人で昼食を共にする。
「あのミカエル殿が女性絡みで…。そのような方ではないでしょう。災難ですね」
「ええ、たぶんその件だと思うのですが。本当に、ついてないと言いますか」
ゾフィエルは己を責める気持ちもあった。ミカエルが何も知らないことは知っていた。女性への接し方を、事前に話しておくべきだったのだ。
「そこまで大事にするほどのことでもないと思いますが、異教の国の感覚はわかりません」
「そうですね。もしかしたら、ミカエル殿が一方的に手を出したように伝わっているのかも」
「それは、あり得ます。……彼を連れ去って、こちらへ返す気はないのでしょうか」
「……さて。あちらで裁いて、刑に処するつもりとか?」
ゾフィエルは目を丸くした。
「なるほど。であれば、捕まっている場所は監獄になりますか…」
ヤグニエが連れ去ったからヤグニエの元にいると短絡的に考えていたが、もっと視野を広げる必要があるかもしれない。
「皇子の所にはいない可能性も考慮すべきですね」
「その男に聞けばわかる」
淡々と落とされたルシエルの言葉に、ゾフィエルは「……そうだな」と頷いた。
アダルベルが、真心の籠った眼差しをゾフィエルに向ける。
「……たったお二人で潜入されるのでしょう? ご自分の身も粗末になさいませぬよう」
「はい。必ずミカエルを連れ戻し、我々も無事に戻ります」
最強の力を持つルシエルが一緒だからか、それに関してゾフィエルに不安はなかった。
午後の昼下がり、ゾフィエルとルシエルの客室にアダルベルがやって来た。
「見つかりました。彼は牢の中です」
「は、はい? 探していた者が…?」
「はい。例の術でふざけ回っていたようで」
ゾフィエルは額に手をやった。まさか悪さをして捕えられていたとは。
「さっそく面会に行きましょう」
ハッと顔を上げる。
「っ会わせていただけるのですか」
アダルベルはふっと笑って頷いた。
罪人が収監されている建物は、都市の外れにあるという。三人は馬車で向かった。
建物の入口に立っていた警備員は、アダルベルの顔を見るとお辞儀して通してくれる。そんなに大きな建物ではない。壁に囲まれているが、物々しい雰囲気でも簡素でもなかった。知らなければ、どういった施設かわからないだろう。
「ここが監獄なのですか」
「景観を崩さないためです」
「ツィヴィーネは徹底してますね」
「どこもかしこも美しいでしょう。私も最初は、違和感を感じたものでした」
三人は待合室のような部屋に通され、しばし待つ。奥の扉が開き、手を拘束された男が施設の人間に連れられやってきた。
どこにでもいそうな雰囲気の男だ。
「何かあったらこのベルを鳴らしてください」
施設の人間が出て行くと、連れて来られた男はさっそく椅子に座って足を広げた。
「伯爵さんが、俺になんの用だい」
「頼みたい事がありまして」
「頼みィ?」
アクレプンに向かう船に同乗して例の術を行ってほしい旨をアダルベルが伝える。
男は眉を上げ、肩をすくめた。
「そこの兄ちゃんらをかい」
「ええ」
男はルシエルとゾフィエルの顔をジロジロ見た。
「っへへ、こりゃあいい。別嬪に違いねえ。いいぜ。女になったらちょいと胸でも揉ましてくれんなら、喜んでやってやる」
アダルベルが男の前に歩み寄り、顔を寄せる。
「あなたは投獄されている身です。外に出て他人様の役に立てることをありがたく思え」
「ヒッ。じょ、冗談ですよ冗談っ。伯爵様のおっしゃる通りでさァ。お役に立ててありがたい!」
ゾフィエルは目を丸くした。アダルベルは穏やかで優しい青年だと思っていたのだ。どのような顔をしているのか、後ろにいるゾフィエルからは見えないが、聞こえた声は低く威圧的だった。
――彼も様々な体験をしているのだろう。
結婚してツヴィーネで伯爵となって早三年。綺麗事だけではどうにもならない世界に、足を踏み入れたのかもしれない。――それはさておき。
「……彼をここから連れ出すことが、可能なのですか」
「はい。話はついてます」
金か、権力か。
振り返って答えたアダルベルは、感情の読めない目をしていた。
「ブルーノ卿、なんとお礼を申し上げたら良いのか…」
「困ったときはお互い様です。それに、彼に何かあったら、メアリエル殿下が悲しまれる」
男が支度を整えて戻ってきた。
施設の人間が、ゾフィエルにシンプルな白い腕輪を渡す。
「こちらを腕に嵌めてください。あなたに彼の監督を任せます」
見れば、男は赤いチョーカーをつけていた。先ほどはしていなかった。渡された腕輪と関係があるのだろう。
「彼が不審な動きをした場合、強く念じてください。この首輪が締まります。この者が殺人などを犯そうとした場合、殺害しても構いません。判断は腕輪を持つあなたに委ねます」
「おいおい、物騒なことを言うなよ。俺はそんな事しねえって」
「……承知しました」
ゾフィエルはゆっくりと頷いた。
――準備は整った。明朝、アズラエルと合流し、ゾフィエルとルシエルはアクレプンに向けて発つ。
あと三日。
どうか無事に――それが叶わずとも、なんとか持ちこたえてくれとゾフィエルは祈った。
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