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4章.Tractus
闇の現
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ミカエルとルシエルが旅を再開してほどなく、バラキエルが森の家を出て行くときがきた。
「達者でな」
「……また、会えるよな」
縋るような眼差しに、バラキエルは苦笑する。
「生きてりゃ、また会えるだろう」
黄金色の猫っ毛をわしゃわしゃ撫でて、温かな鳶色の瞳にミカエルを映した。
「命を粗末にするな。生きてェように生きろ。何があっても、俺はお前の味方だ」
「……わかんねえよ。俺、ここで師匠と暮らすのがよかったんだ」
「ミカ…」
バラキエルはミカエルを抱きしめ、頭をぽんぽん撫でる。
「これからもお前は色んな体験をするだろう。未来に目を向けろ」
「ひとのために生きて死ねって?」
「馬鹿。お前もお前のために生きればいい」
青みがかった緑の目。濡れた瞳は迷子のようだ。
「お前はずっと、そうしてきただろ」
バラキエルは親指の腹でミカエルの目許を拭う。
「じゃあな。ルシエル、お前も達者でな」
「あなたも」
「師匠、」
意志を固めた鳶色の瞳。引き止めるように呼びかけたミカエルは言葉を呑んだ。かろうじて声を出す。
「……元気でいろよ」
「おう」
バラキエルは、クッと笑って行ってしまった。
ミカエルは両手の平で目許を覆う。
ここでバラキエルと二人暮らしだったときは、未来を望む必要などなかった。聖学校へ入れられて、元の生活に戻りたいと望んだ。望んだものに似た生活ができるようになったのに、望みは絶たれた。これから、どのように生きればいい――。
「……バラキエル殿は行ったのか」
涼やかな耳通りの良い声。ゾフィエルだ。ミカエルはゆるりと顔を向ける。
切れ長のつり目がかすかに見開かれ、短い眉が寄せられた。
「デビルの目撃情報があってな。行けるか?」
ミカエルはコクリと頷く。未来に目を向けろとバラキエルは言った。そこに何も見えずとも、進まないわけにはいかない。のそのそと部屋に戻って、軍服に着替えた。
「では、参ろう」
白手袋の手を取り、瞬間移動。すぐにルシエルも現れる。
「あの山で目撃情報があった」
「……ああ」
「ミカ、力の融合をするか? そうすれば、少しはマシな気分になれる」
ミカエルは緩く首を振り、立ちはだかる山に向け足を進ませた。
ぼんやりと山を登っているうちに、すっかり暗くなっている。後ろを向くと、ルシエルがそこにいた。じっとミカエルを見上げて、何も言わない。彼は夜目が利く。ミカエルも月明りで充分だ。そのままデビル退治を続行した。
ぽっかりと現れた木々の合間に、月明かりが降り注ぐ。
足を止め、ぼぅっと見上げたその時、異質な気配が猛スピードで近づいてくるのを感じた。
ハッと目をやる。
暗黒――空間にぽっかりと穴が空いたよう。
視界が覆い尽くされそうになったとき、それは闇に呑まれて消えた。
心臓がバクバクいっている。
デビルは素早い。そんな事は知っていた。――これほどのスピードで迫られたのは、初めてだった。
「デビルを引き寄せる主な感情は恐怖。絶望などの暗い感情も好物だ」
「俺、」
乾いた喉で何を言おうとしたのか、ミカエルにもわからない。
「いまの君は、格好の餌らしい」
振り返ると、ルシエルは艶やかに目を細めていた。鳶色の瞳に内包された紅の感情にギクリとする。
「今日はもう戻ろう」
「……ああ」
瞬間移動で森の家に戻ったミカエルは、思い出して手帳に報告を書きこんだ。文字はすぐに消え、"おつかれさま。よく休んでくれ" と文字が浮かんだ。
翌日、デビルを退治した山道にやって来たミカエルたちは、山を越えて向こう側に行ってみることにした。
様々な場所に行けば、瞬間移動できる場所が増える。そう思えば、なんの収穫もなくても無意味ではない。ミカエルは湿った地面に目を落とし、ひたすら足を動かした。山道を下って次の山。また登る。
――俺はなんのために王権下でデビル退治を…。
教会勢力に追われることなく旅をして、バラキエルと再会するためだった。けれどもう、その必要はない。
『教会は君を諦めたわけではありません』
国に属すことを止めたら、無理やり教会に連れ込もうとしてくるだろうか。――聖学校に、連れ込んだように。あの時は、ラファエルを危険人物と思っていなかった。あのように強制的に通わされることになるとは思わなかったのだ。知っていれば、安易に彼に近づいたりしなかった。なんとしても逃げようとしたはずだ。
王権下から脱したら、教会に追われる人生が待っているかもしれない。
逃げて逃げて、どこへ行けばいい。
『お前もお前のために生きればいい』
デビルは人々にとって脅威だ。それを倒すことに疑問はない。だからデビルを倒す。それが自分の人生なのか。デビル退治のために生きるのが――。
「達者でな」
「……また、会えるよな」
縋るような眼差しに、バラキエルは苦笑する。
「生きてりゃ、また会えるだろう」
黄金色の猫っ毛をわしゃわしゃ撫でて、温かな鳶色の瞳にミカエルを映した。
「命を粗末にするな。生きてェように生きろ。何があっても、俺はお前の味方だ」
「……わかんねえよ。俺、ここで師匠と暮らすのがよかったんだ」
「ミカ…」
バラキエルはミカエルを抱きしめ、頭をぽんぽん撫でる。
「これからもお前は色んな体験をするだろう。未来に目を向けろ」
「ひとのために生きて死ねって?」
「馬鹿。お前もお前のために生きればいい」
青みがかった緑の目。濡れた瞳は迷子のようだ。
「お前はずっと、そうしてきただろ」
バラキエルは親指の腹でミカエルの目許を拭う。
「じゃあな。ルシエル、お前も達者でな」
「あなたも」
「師匠、」
意志を固めた鳶色の瞳。引き止めるように呼びかけたミカエルは言葉を呑んだ。かろうじて声を出す。
「……元気でいろよ」
「おう」
バラキエルは、クッと笑って行ってしまった。
ミカエルは両手の平で目許を覆う。
ここでバラキエルと二人暮らしだったときは、未来を望む必要などなかった。聖学校へ入れられて、元の生活に戻りたいと望んだ。望んだものに似た生活ができるようになったのに、望みは絶たれた。これから、どのように生きればいい――。
「……バラキエル殿は行ったのか」
涼やかな耳通りの良い声。ゾフィエルだ。ミカエルはゆるりと顔を向ける。
切れ長のつり目がかすかに見開かれ、短い眉が寄せられた。
「デビルの目撃情報があってな。行けるか?」
ミカエルはコクリと頷く。未来に目を向けろとバラキエルは言った。そこに何も見えずとも、進まないわけにはいかない。のそのそと部屋に戻って、軍服に着替えた。
「では、参ろう」
白手袋の手を取り、瞬間移動。すぐにルシエルも現れる。
「あの山で目撃情報があった」
「……ああ」
「ミカ、力の融合をするか? そうすれば、少しはマシな気分になれる」
ミカエルは緩く首を振り、立ちはだかる山に向け足を進ませた。
ぼんやりと山を登っているうちに、すっかり暗くなっている。後ろを向くと、ルシエルがそこにいた。じっとミカエルを見上げて、何も言わない。彼は夜目が利く。ミカエルも月明りで充分だ。そのままデビル退治を続行した。
ぽっかりと現れた木々の合間に、月明かりが降り注ぐ。
足を止め、ぼぅっと見上げたその時、異質な気配が猛スピードで近づいてくるのを感じた。
ハッと目をやる。
暗黒――空間にぽっかりと穴が空いたよう。
視界が覆い尽くされそうになったとき、それは闇に呑まれて消えた。
心臓がバクバクいっている。
デビルは素早い。そんな事は知っていた。――これほどのスピードで迫られたのは、初めてだった。
「デビルを引き寄せる主な感情は恐怖。絶望などの暗い感情も好物だ」
「俺、」
乾いた喉で何を言おうとしたのか、ミカエルにもわからない。
「いまの君は、格好の餌らしい」
振り返ると、ルシエルは艶やかに目を細めていた。鳶色の瞳に内包された紅の感情にギクリとする。
「今日はもう戻ろう」
「……ああ」
瞬間移動で森の家に戻ったミカエルは、思い出して手帳に報告を書きこんだ。文字はすぐに消え、"おつかれさま。よく休んでくれ" と文字が浮かんだ。
翌日、デビルを退治した山道にやって来たミカエルたちは、山を越えて向こう側に行ってみることにした。
様々な場所に行けば、瞬間移動できる場所が増える。そう思えば、なんの収穫もなくても無意味ではない。ミカエルは湿った地面に目を落とし、ひたすら足を動かした。山道を下って次の山。また登る。
――俺はなんのために王権下でデビル退治を…。
教会勢力に追われることなく旅をして、バラキエルと再会するためだった。けれどもう、その必要はない。
『教会は君を諦めたわけではありません』
国に属すことを止めたら、無理やり教会に連れ込もうとしてくるだろうか。――聖学校に、連れ込んだように。あの時は、ラファエルを危険人物と思っていなかった。あのように強制的に通わされることになるとは思わなかったのだ。知っていれば、安易に彼に近づいたりしなかった。なんとしても逃げようとしたはずだ。
王権下から脱したら、教会に追われる人生が待っているかもしれない。
逃げて逃げて、どこへ行けばいい。
『お前もお前のために生きればいい』
デビルは人々にとって脅威だ。それを倒すことに疑問はない。だからデビルを倒す。それが自分の人生なのか。デビル退治のために生きるのが――。
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