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3章.Graduale
ゆめか現か
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身体を揺すられ、ぼんやりと意識が浮上する。ズキリと頭が痛み、ミカエルは顔を顰めた。たしか、酒屋で酒を飲んで――。
「起きたか」
ミカエルはガバリと起き上がり、ベッドに腰掛けていた男の腕を捕まえた。
「師匠」
「おう。……元気にしてたか」
「元気なわけねえ。師匠がいねえのに」
バラキエルはため息を落とすように笑い、ミカエルの頭をぽんぽん撫でた。
「聖学校、逃げ出したんだってな」
「俺がいい子でいるわけねえだろ」
「国の軍服着てる奴が、よく言うぜ」
「……しかたねーよ」
ミカエルはいじけて視線をそらした。バラキエルは息を吐き、静かに言う。
「俺は教会から追われる身だ。あの家にも帰れねえ」
ミカエルは眉を寄せ、バラキエルを見上げた。
「ほかの場所でもいい。聖正教圏からでれば、」
「それでも奴らには居場所がわかる」
思わず顔をしかめる。
「もう、あの頃には戻れねえんだよ」
「それでも、俺は師匠といてえ」
「ミカ、」
「あのぉ、ちょっといいですか?」
声のほうを見ると、窓際にラムエルがいた。ジケルも一緒だ。ルシエルはと目をやると、壁に凭れてポケットに手を突っ込んでいた。
ラムエルが挙げていた手を下ろし、ベッドに近づく。
「隊長も王権下に入るのはいかがです?」
「……お前、陛下に言ったのか」
「彼と一緒にいたいだろうと思いまして。勝手ながら、話をつけておきました」
王は、了承しているという。
バラキエルは眉根を寄せてしばらく考えていたが、最後には頷いた。
「いきなり家を離れることになっちまったからな。仕方ねえ」
片眉を上げて目を寄こすので、ミカエルは笑顔で頷く。
そこでラムエルが両手をポンと合わせた。
「善は急げです。明日にでも城へ参りましょう」
「……ずいぶん嬉しそうだな」
「隊長だって嬉しいくせに。これで逃亡生活も終わりにできますよ」
ラムエルはウインクして言った。
ミカエルは信じられない気持ちでバラキエルを見詰める。ここに師匠がいて、また一緒に暮らせる。願いは叶ったのだ。
バラキエルが振り返る。
「明日、城へ行ったら家に戻る」
「、おうっ」
「おら、帰って寝ろ」
なかなかバラキエルの腕から手を放せないでいると、頭をガシガシ撫でられた。
「ちゃんと帰るからよ。さっさとねんねしやがれ」
「……ガキじゃねえっつの」
ミカエルは口を尖らせ、ようやく立ち上がった。
ルシエルと家に戻ったミカエルは、覚束ない感覚で風呂に入ってリビングに向かった。浮ついているのはバラキエルと再会できたからか、酒を飲んだからかわからない。
ソファのルシエルがミカエルに目をやり、眉を上げる。
「たしかに君は、酒を飲まないほうがいい」
「……うるせえ」
朧げな記憶だが、酒を飲むと感情的になり、子どものようになってしまう自覚がミカエルにはあった。ルシエルのもとへ行き、足許に座って彼の腿に頬をつける。
「再会できてよかったね」
「……おう」
タオルに視界を覆われ、目蓋を下ろした。タオルでもにょもにょされると相変わらず眉根が寄ってしまうが、安らかで満ちた気分だ。
ふっと口角が上がる。
「明日はお祝いだな」
「何か特別なことでもするつもり?」
特別なこと――。
「森で獣でもとってくるか」
「ワイルド」
そのまま眠りに就いてしまったミカエルは、翌朝ベッドで目覚めたのだった。
いつものように二人分のコーヒーを用意していると、ルシエルがロフトから降りてくる。黒髪に紅の瞳。数日置きに飲んでいる丸薬の効果が切れたようだ。
「おはよ。昨日、ベッドに運んでくれてさんきゅ」
「おはよう。どういたしまして」
「風の力か?」
「まぁね」
ルシエルは肩をすくめた。
「色、戻ってんな」
「今のところ外出の予定はないだろう。このままでいい」
「おう」
まったく気にならないミカエルは、なんの気なしに頷いた。
家で過ごすいつもの朝だ。ゆったりと時間が流れる。
「なぁ、森行こうぜ」
「……本気で獣を?」
「川で魚捕ろうと思ってよ。おまえは畑やってるか?」
「それなら手伝おう」
朝食後、二人は籠とタオルを持って家を出た。
豊かな森だ。季節もいい。爽やかな緑の香りに揺れる木漏れ日。生命のエネルギァを強く感じる。
生い茂る草の向こうに、きらきら輝く川の水面が見えてきた。
「あのラムエルとかも来んのかな」
「どうだろう」
「お、いるいる」
ミカエルはブーツをポイと脱ぎ、ズボンを上げると、素足で川に入った。
「クーーッ、冷てぇっ」
グッと耐えて腕まくり。澄んだ水の中に魚影を見つけて、素早く両手を突っ込み確保した。すかさずルシエルが籠を出す。
「まずは一匹!」
籠の中で魚が跳ねた。
そんな調子で、川に入る気のないルシエルが持っている籠につぎつぎ魚が投げ入れられる。
これくらいでいいだろう。ミカエルは息を吐き、ルシエルに目をやった。
「おまえも捕ってみろよ」
ルシエルは肩をすくめて川辺に近づく。しゃがんでじっと水中を見下ろした。
紅の瞳が煌めく姿を捉える。
彼は素晴らしい速さで川に片手を突っ込み、むんずと魚を捕まえた。
その手の中で、魚がビチビチ暴れている。
無言で籠を差し出したミカエルだった。
「起きたか」
ミカエルはガバリと起き上がり、ベッドに腰掛けていた男の腕を捕まえた。
「師匠」
「おう。……元気にしてたか」
「元気なわけねえ。師匠がいねえのに」
バラキエルはため息を落とすように笑い、ミカエルの頭をぽんぽん撫でた。
「聖学校、逃げ出したんだってな」
「俺がいい子でいるわけねえだろ」
「国の軍服着てる奴が、よく言うぜ」
「……しかたねーよ」
ミカエルはいじけて視線をそらした。バラキエルは息を吐き、静かに言う。
「俺は教会から追われる身だ。あの家にも帰れねえ」
ミカエルは眉を寄せ、バラキエルを見上げた。
「ほかの場所でもいい。聖正教圏からでれば、」
「それでも奴らには居場所がわかる」
思わず顔をしかめる。
「もう、あの頃には戻れねえんだよ」
「それでも、俺は師匠といてえ」
「ミカ、」
「あのぉ、ちょっといいですか?」
声のほうを見ると、窓際にラムエルがいた。ジケルも一緒だ。ルシエルはと目をやると、壁に凭れてポケットに手を突っ込んでいた。
ラムエルが挙げていた手を下ろし、ベッドに近づく。
「隊長も王権下に入るのはいかがです?」
「……お前、陛下に言ったのか」
「彼と一緒にいたいだろうと思いまして。勝手ながら、話をつけておきました」
王は、了承しているという。
バラキエルは眉根を寄せてしばらく考えていたが、最後には頷いた。
「いきなり家を離れることになっちまったからな。仕方ねえ」
片眉を上げて目を寄こすので、ミカエルは笑顔で頷く。
そこでラムエルが両手をポンと合わせた。
「善は急げです。明日にでも城へ参りましょう」
「……ずいぶん嬉しそうだな」
「隊長だって嬉しいくせに。これで逃亡生活も終わりにできますよ」
ラムエルはウインクして言った。
ミカエルは信じられない気持ちでバラキエルを見詰める。ここに師匠がいて、また一緒に暮らせる。願いは叶ったのだ。
バラキエルが振り返る。
「明日、城へ行ったら家に戻る」
「、おうっ」
「おら、帰って寝ろ」
なかなかバラキエルの腕から手を放せないでいると、頭をガシガシ撫でられた。
「ちゃんと帰るからよ。さっさとねんねしやがれ」
「……ガキじゃねえっつの」
ミカエルは口を尖らせ、ようやく立ち上がった。
ルシエルと家に戻ったミカエルは、覚束ない感覚で風呂に入ってリビングに向かった。浮ついているのはバラキエルと再会できたからか、酒を飲んだからかわからない。
ソファのルシエルがミカエルに目をやり、眉を上げる。
「たしかに君は、酒を飲まないほうがいい」
「……うるせえ」
朧げな記憶だが、酒を飲むと感情的になり、子どものようになってしまう自覚がミカエルにはあった。ルシエルのもとへ行き、足許に座って彼の腿に頬をつける。
「再会できてよかったね」
「……おう」
タオルに視界を覆われ、目蓋を下ろした。タオルでもにょもにょされると相変わらず眉根が寄ってしまうが、安らかで満ちた気分だ。
ふっと口角が上がる。
「明日はお祝いだな」
「何か特別なことでもするつもり?」
特別なこと――。
「森で獣でもとってくるか」
「ワイルド」
そのまま眠りに就いてしまったミカエルは、翌朝ベッドで目覚めたのだった。
いつものように二人分のコーヒーを用意していると、ルシエルがロフトから降りてくる。黒髪に紅の瞳。数日置きに飲んでいる丸薬の効果が切れたようだ。
「おはよ。昨日、ベッドに運んでくれてさんきゅ」
「おはよう。どういたしまして」
「風の力か?」
「まぁね」
ルシエルは肩をすくめた。
「色、戻ってんな」
「今のところ外出の予定はないだろう。このままでいい」
「おう」
まったく気にならないミカエルは、なんの気なしに頷いた。
家で過ごすいつもの朝だ。ゆったりと時間が流れる。
「なぁ、森行こうぜ」
「……本気で獣を?」
「川で魚捕ろうと思ってよ。おまえは畑やってるか?」
「それなら手伝おう」
朝食後、二人は籠とタオルを持って家を出た。
豊かな森だ。季節もいい。爽やかな緑の香りに揺れる木漏れ日。生命のエネルギァを強く感じる。
生い茂る草の向こうに、きらきら輝く川の水面が見えてきた。
「あのラムエルとかも来んのかな」
「どうだろう」
「お、いるいる」
ミカエルはブーツをポイと脱ぎ、ズボンを上げると、素足で川に入った。
「クーーッ、冷てぇっ」
グッと耐えて腕まくり。澄んだ水の中に魚影を見つけて、素早く両手を突っ込み確保した。すかさずルシエルが籠を出す。
「まずは一匹!」
籠の中で魚が跳ねた。
そんな調子で、川に入る気のないルシエルが持っている籠につぎつぎ魚が投げ入れられる。
これくらいでいいだろう。ミカエルは息を吐き、ルシエルに目をやった。
「おまえも捕ってみろよ」
ルシエルは肩をすくめて川辺に近づく。しゃがんでじっと水中を見下ろした。
紅の瞳が煌めく姿を捉える。
彼は素晴らしい速さで川に片手を突っ込み、むんずと魚を捕まえた。
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