57 / 174
3章.Graduale
飲んだくれ
しおりを挟む
ミカエルは踏みしめられた土の道を黙々とゆく。遠くに街を囲む壁が見えていた。バラキエルが今どこにいるかなどわからない。しかし、じっとしていられる気分ではなかった。
街に着いたのは黄昏時だった。
行き交う人々の顔は曖昧だ。ミカエルはハッと振り返る。そこにルシエルがいて、ホッとした。
「わりぃ。ちょっと休むか。……もう晩飯か」
「浮いてきたから平気だ。あの酒場に入ろう」
「浮いて、」
「風で」
まったく気づかなかったミカエルである。
ルシエルが示した酒屋は立ち飲み式で、賑わっている。奥に空いている丸テーブルを見つけた二人は人を掻き分けて進んだ。
「これを一つ」
「俺も」
ミカエルは酒を頼んだルシエルに続けて言う。ルシエルが片眉を上げたときには、ウエイターは去っていた。
「君、飲めないんだろう」
「すぐ酔うけど、飲めねえわけじゃねえ」
「へえ」
「……いいだろ。飲みてえ気分なんだよ」
注文した酒はすぐにやってきた。グラスに注がれている液体の色は鮮やかな赤だ。酒の匂いに、爽やかな果実の香りが混じっている。
ルシエルが悪戯にグラスを持った。
「それじゃ、乾杯」
「乾杯」
こんなふうに二人で酒を飲むのは初めてだ。しかしミカエルは感慨に浸る間もなく、赤い液体をぐいと煽った。そう、いまは飲みたい気分なのである。
グラスをテーブルに叩きつけるように置くと、顔も一緒に下を向く。グラスの中身は三分の一ほど減っていた。
視界が滲んで、テーブルにポタリと水滴が落ちる。
「……ミカ?」
顔を上げると、ルシエルが目を丸くした。ミカエルは溢れる思いのままに口を開く。
「おっ、俺はっ、まえみてぇにっ暮らしたいのに…っ」
「……君、酔ってる…?」
「なんでダメなんだよ…!」
かなしくてくるしくて涙がでる。
気づいたら、呆れたような顔のルシエルが隣にいて、頭を撫でられた。彼の肩に額を押しつける。
「ぅっ、ししょっ、どこにいる…だよっ」
「それはわからないけれど、君を思っているはずだ」
「ならっ、きてっくれてもっいいだろっ」
「そうだね」
「ししょーはっ、俺に会いたくねえんだ…っ。おれっ、俺はっずっと会いたくてっ」
こんなに会いたいと思うのに、師匠からもらった言葉は拒絶するようなものだった。
「おれのっじんせっ、ししょぉもいたららめかよっ」
身体中が熱くて喉が渇く。持ったままのグラスの中身をもっと飲もうとしたのに、手ごと抑えられて無理だった。うまく力が入らず、グラスを持つ手を押し上げようとしても上がらない。
ミカエルはルシエルの肩口に額をぐりぐり押しつけた。
「のーむー」
「馬鹿、いいかげんにしろ。お前、笑い上戸じゃねかったのかよ」
「こんなきぶんでっ、わらえるわけねー、だ ろ…」
――あれ? この声は――。
ミカエルは顔を上げ、ゆるりと振り返る。
「ガキみてえにダダ捏ねんじゃねえよ。お前はもう十七だろ」
そこにいたのは、ゆめにまで見た師匠の姿。厳つい顔が眉根を寄せて、さらに凶暴になっている。それでも鳶色の瞳は温かにミカエルを映すのだ。
「っししょお!」
ミカエルの顔がパッと輝く。
「ったく、しょうがねえ奴だな」
よろりと倒れながら抱き着いたミカエルを危なげなく受け止めるガッシリした身体。馴染み深いエネルギァ、温かな、大きな手。
「ししょっ、ししょおっ」
「三歳児にしっちゃあデカすぎだな」
バラキエルは引っつき虫の金髪頭をわしゃわしゃ撫でてルシエルに目をやった。
「迷惑かけたな。ルシ…なんて呼べばいいんだ? ルシエルでいいのか」
「……お好きに」
「ならルシエル、場所を移す。追って来てくれ」
テーブルにお代を置いて、バラキエルはミカエルと消えた。すかさずウエイターが回収していく。ルシエルは肩をすくめてミカエルの波長を追った。
そうして出没した場所は、宿の一室のようだった。
窓際に見知った顔――ラムエルとジケルがいる。ここは二人が泊まっている部屋なのだろう。ミカエルはバラキエルの上着を掴んだまま、ベッドに寝かされていた。
すやすやと健やかに眠っている。その頬に涙の跡があり、バラキエルが無骨な手で拭った。
ラムエルが美少年の眠り顔を覗きこむ。
「別人のようですね」
「さっきは起きてたが、それでも別人みてえだったぜ」
「この年齢でヤケ酒なんて可哀想に」
視線を受けたバラキエルは太い首に手をやり、微妙な顔をした。
彼らを観察していたルシエルが口を開く。
「前に会った村のような場所に目を光らせているのは、王の命令?」
「……ああ」
ラムエルは目を瞬いて答えた。ルシエルは睫毛を伏せる。
人心の乱れがデビルを生みだす――人々がそう思っているのなら、王が行う戦にも批判的になるかもしれない。いまはミカエルを購いの供えものにすることに目が向いているが、王の行いに目を向けられたら厄介だ。そういう意味でも、ミカエルは生贄なのかもしれなかった。
街に着いたのは黄昏時だった。
行き交う人々の顔は曖昧だ。ミカエルはハッと振り返る。そこにルシエルがいて、ホッとした。
「わりぃ。ちょっと休むか。……もう晩飯か」
「浮いてきたから平気だ。あの酒場に入ろう」
「浮いて、」
「風で」
まったく気づかなかったミカエルである。
ルシエルが示した酒屋は立ち飲み式で、賑わっている。奥に空いている丸テーブルを見つけた二人は人を掻き分けて進んだ。
「これを一つ」
「俺も」
ミカエルは酒を頼んだルシエルに続けて言う。ルシエルが片眉を上げたときには、ウエイターは去っていた。
「君、飲めないんだろう」
「すぐ酔うけど、飲めねえわけじゃねえ」
「へえ」
「……いいだろ。飲みてえ気分なんだよ」
注文した酒はすぐにやってきた。グラスに注がれている液体の色は鮮やかな赤だ。酒の匂いに、爽やかな果実の香りが混じっている。
ルシエルが悪戯にグラスを持った。
「それじゃ、乾杯」
「乾杯」
こんなふうに二人で酒を飲むのは初めてだ。しかしミカエルは感慨に浸る間もなく、赤い液体をぐいと煽った。そう、いまは飲みたい気分なのである。
グラスをテーブルに叩きつけるように置くと、顔も一緒に下を向く。グラスの中身は三分の一ほど減っていた。
視界が滲んで、テーブルにポタリと水滴が落ちる。
「……ミカ?」
顔を上げると、ルシエルが目を丸くした。ミカエルは溢れる思いのままに口を開く。
「おっ、俺はっ、まえみてぇにっ暮らしたいのに…っ」
「……君、酔ってる…?」
「なんでダメなんだよ…!」
かなしくてくるしくて涙がでる。
気づいたら、呆れたような顔のルシエルが隣にいて、頭を撫でられた。彼の肩に額を押しつける。
「ぅっ、ししょっ、どこにいる…だよっ」
「それはわからないけれど、君を思っているはずだ」
「ならっ、きてっくれてもっいいだろっ」
「そうだね」
「ししょーはっ、俺に会いたくねえんだ…っ。おれっ、俺はっずっと会いたくてっ」
こんなに会いたいと思うのに、師匠からもらった言葉は拒絶するようなものだった。
「おれのっじんせっ、ししょぉもいたららめかよっ」
身体中が熱くて喉が渇く。持ったままのグラスの中身をもっと飲もうとしたのに、手ごと抑えられて無理だった。うまく力が入らず、グラスを持つ手を押し上げようとしても上がらない。
ミカエルはルシエルの肩口に額をぐりぐり押しつけた。
「のーむー」
「馬鹿、いいかげんにしろ。お前、笑い上戸じゃねかったのかよ」
「こんなきぶんでっ、わらえるわけねー、だ ろ…」
――あれ? この声は――。
ミカエルは顔を上げ、ゆるりと振り返る。
「ガキみてえにダダ捏ねんじゃねえよ。お前はもう十七だろ」
そこにいたのは、ゆめにまで見た師匠の姿。厳つい顔が眉根を寄せて、さらに凶暴になっている。それでも鳶色の瞳は温かにミカエルを映すのだ。
「っししょお!」
ミカエルの顔がパッと輝く。
「ったく、しょうがねえ奴だな」
よろりと倒れながら抱き着いたミカエルを危なげなく受け止めるガッシリした身体。馴染み深いエネルギァ、温かな、大きな手。
「ししょっ、ししょおっ」
「三歳児にしっちゃあデカすぎだな」
バラキエルは引っつき虫の金髪頭をわしゃわしゃ撫でてルシエルに目をやった。
「迷惑かけたな。ルシ…なんて呼べばいいんだ? ルシエルでいいのか」
「……お好きに」
「ならルシエル、場所を移す。追って来てくれ」
テーブルにお代を置いて、バラキエルはミカエルと消えた。すかさずウエイターが回収していく。ルシエルは肩をすくめてミカエルの波長を追った。
そうして出没した場所は、宿の一室のようだった。
窓際に見知った顔――ラムエルとジケルがいる。ここは二人が泊まっている部屋なのだろう。ミカエルはバラキエルの上着を掴んだまま、ベッドに寝かされていた。
すやすやと健やかに眠っている。その頬に涙の跡があり、バラキエルが無骨な手で拭った。
ラムエルが美少年の眠り顔を覗きこむ。
「別人のようですね」
「さっきは起きてたが、それでも別人みてえだったぜ」
「この年齢でヤケ酒なんて可哀想に」
視線を受けたバラキエルは太い首に手をやり、微妙な顔をした。
彼らを観察していたルシエルが口を開く。
「前に会った村のような場所に目を光らせているのは、王の命令?」
「……ああ」
ラムエルは目を瞬いて答えた。ルシエルは睫毛を伏せる。
人心の乱れがデビルを生みだす――人々がそう思っているのなら、王が行う戦にも批判的になるかもしれない。いまはミカエルを購いの供えものにすることに目が向いているが、王の行いに目を向けられたら厄介だ。そういう意味でも、ミカエルは生贄なのかもしれなかった。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
転生先のぽっちゃり王子はただいま謹慎中につき各位ご配慮ねがいます!
梅村香子
BL
バカ王子の名をほしいままにしていたロベルティア王国のぽっちゃり王子テオドール。
あまりのわがままぶりに父王にとうとう激怒され、城の裏手にある館で謹慎していたある日。
突然、全く違う世界の日本人の記憶が自身の中に現れてしまった。
何が何だか分からないけど、どうやらそれは前世の自分の記憶のようで……?
人格も二人分が混ざり合い、不思議な現象に戸惑うも、一つだけ確かなことがある。
僕って最低最悪な王子じゃん!?
このままだと、破滅的未来しか残ってないし!
心を入れ替えてダイエットに勉強にと忙しい王子に、何やらきな臭い陰謀の影が見えはじめ――!?
これはもう、謹慎前にののしりまくって拒絶した専属護衛騎士に守ってもらうしかないじゃない!?
前世の記憶がよみがえった横暴王子の危機一髪な人生やりなおしストーリー!
騎士×王子の王道カップリングでお送りします。
第9回BL小説大賞の奨励賞をいただきました。
本当にありがとうございます!!
※本作に20歳未満の飲酒シーンが含まれます。作中の世界では飲酒可能年齢であるという設定で描写しております。実際の20歳未満による飲酒を推奨・容認する意図は全くありません。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

モブらしいので目立たないよう逃げ続けます
餅粉
BL
ある日目覚めると見慣れた天井に違和感を覚えた。そしてどうやら僕ばモブという存存在らしい。多分僕には前世の記憶らしきものがあると思う。
まぁ、モブはモブらしく目立たないようにしよう。
モブというものはあまりわからないがでも目立っていい存在ではないということだけはわかる。そう、目立たぬよう……目立たぬよう………。
「アルウィン、君が好きだ」
「え、お断りします」
「……王子命令だ、私と付き合えアルウィン」
目立たぬように過ごすつもりが何故か第二王子に執着されています。
ざまぁ要素あるかも………しれませんね

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる