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3章.Graduale
曇夜空のバルコニー
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呼ばれた先の夕食は、昨日とは打って変わって静かだった。
窓の向こうで風に揺れる梢の音すら耳まで届く。戦が迫っているのだ。メアリエルに不測の事態が起こらなくても、コルセのような宴会ムードにはなれなかっただろう。
メアリエルが結婚する予定だった相手は死んでしまった。しかし、結婚するのは変わらない。新たな相手は堅実だという。聞くところによると、二十六才だ。
――結婚相手が女好きのオッサンから堅実な二十代になってよかった。
それを言うにはあまりに不謹慎なことくらい、ミカエルにもわかっていた。メアリエルは睫毛を伏せて、黙々と料理を食べている。悲しむ様子もなければ、動揺も見せない。モンテナー辺境伯はかける言葉もなく、気遣うような眼差しをメアリエルに向けていた。
部屋に戻ったミカエルは、バルコニーに続くドアを開け外に出た。冷たい夜風が頬を撫でていく。上向けど、雲に覆われ星空は見えない。
しじまに小さくカチャリと音がして、隣のバルコニーにメアリエルが姿を現した。何かを探すように夜空を見上げ、かすかに肩を落とす。そのまま薄闇の向こうをぼんやり見ていたが、何気なくミカエルの方に顔を向けた。大きな瞳がかすかに見開かれる。
「……兄様、いらしたの」
「……おぅ」
ミカエルは目を彷徨わせた。メアリエルが眉尻を下げて微笑む。
「お声をかけてくださればよかったのに」
「いや、なんか…」
一人の世界にいるようで、声を掛けられなかったのだ。気配を消して部屋に戻ろうかとも思ったが、物憂げな横顔を見たら、思考も足も止まってしまった。
「兄様、何かあって? 浮かないお顔」
「……それはおまえだろ」
メアリエルはミカエルの方へ歩み寄り、バルコニーの手すりにそっと手を乗せた。明かりがないので、目の色はわからない。けれど、二人が同じような髪色をしていることは見て取れた。
メアリエルはかすかに眉根を寄せて、それでも微笑を浮かべた。
「わたしは王家の娘よ。お家のために生きる定めなの」
産まれたときから決まっていた。いつか政略結婚することも、わかっていた。
メアリエルは暗闇に目を落とす。
「亡くなった方ね、パーティーでお会いしたことがあるの。優しそうなおじさまだったわ」
まだ、結婚することになるなんて、夢にも思わなかった頃。
「婚姻の話を聞いても、自分のことには思えなかった。それでも、冷静に受け止められたの。だって、お姉様もそうじゃない? お父様と、いくつ離れていることか…」
結婚については、最初から何も望んでいなかった。望んでも叶わないことを知っていた。そういうものだと、思うようにした。
メアリエルはゆっくりと息を吐き、首を振る。
「こんどのお相手は、顔も知らない。そんなの、関係ないことくらい、知ってたわ。だけど、本当にそうなのね」
家同士の取り決めだ。メアリエルの意志はどこにもない。可憐な顔がくしゃりと歪んだ。
「アスト兄様が羨ましい。……兄様、結婚しないんですって。剣に生きるっておっしゃるの」
庶子のアストエル。軍人として生きると決めて、ネデ八州の総督にまでなった。
ミカエルは、パーティーで彼の傍らにいた人物を思い出す。
「ラジエル…殿下は、」
「ラジエル兄様は一度結婚されてるわ。妃殿下はお亡くなりになったけど、子どもが二人。かわいい双子よ」
それは王族の責務の一つなのだろう。メアリエルはアストエルのことを羨ましいと言うが、結婚したくないとは一言も言わなかった。
「ミカエル兄様も、剣に生きるの?」
ふと問われ、ミカエルは虚を突かれたような顔をした。
メアリエルは微笑を浮かべている。諦めきった顔だった。
「剣に生きたりはしねえよ。森でのんびり暮らすのが好きなんだ」
「意外だわ。兄様、まったくそんな雰囲気じゃないもの」
「どんな雰囲気だよ」
「そうねぇ…、馬を駆って戦場を駆け回っていそう」
ミカエルは心底嫌そうな顔をした。メアリエルがくつくつ笑う。
「冗談よ。兄様は、戦はお嫌いなんでしょう?」
「理解できねえだけだ」
国というのはとても広い。それなのに、もっと広くしたいという気持ちが、ミカエルにはわからないのだ。そのために、命を懸けて戦うなんて。
「俺は森の家で充分だからな」
まっすぐな眼差し。意志の強そうな瞳が星のように煌めいた。
そこに知らない世界があるようで、メアリエルは空然と眺めてしまった。
窓の向こうで風に揺れる梢の音すら耳まで届く。戦が迫っているのだ。メアリエルに不測の事態が起こらなくても、コルセのような宴会ムードにはなれなかっただろう。
メアリエルが結婚する予定だった相手は死んでしまった。しかし、結婚するのは変わらない。新たな相手は堅実だという。聞くところによると、二十六才だ。
――結婚相手が女好きのオッサンから堅実な二十代になってよかった。
それを言うにはあまりに不謹慎なことくらい、ミカエルにもわかっていた。メアリエルは睫毛を伏せて、黙々と料理を食べている。悲しむ様子もなければ、動揺も見せない。モンテナー辺境伯はかける言葉もなく、気遣うような眼差しをメアリエルに向けていた。
部屋に戻ったミカエルは、バルコニーに続くドアを開け外に出た。冷たい夜風が頬を撫でていく。上向けど、雲に覆われ星空は見えない。
しじまに小さくカチャリと音がして、隣のバルコニーにメアリエルが姿を現した。何かを探すように夜空を見上げ、かすかに肩を落とす。そのまま薄闇の向こうをぼんやり見ていたが、何気なくミカエルの方に顔を向けた。大きな瞳がかすかに見開かれる。
「……兄様、いらしたの」
「……おぅ」
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「お声をかけてくださればよかったのに」
「いや、なんか…」
一人の世界にいるようで、声を掛けられなかったのだ。気配を消して部屋に戻ろうかとも思ったが、物憂げな横顔を見たら、思考も足も止まってしまった。
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メアリエルはかすかに眉根を寄せて、それでも微笑を浮かべた。
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まだ、結婚することになるなんて、夢にも思わなかった頃。
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結婚については、最初から何も望んでいなかった。望んでも叶わないことを知っていた。そういうものだと、思うようにした。
メアリエルはゆっくりと息を吐き、首を振る。
「こんどのお相手は、顔も知らない。そんなの、関係ないことくらい、知ってたわ。だけど、本当にそうなのね」
家同士の取り決めだ。メアリエルの意志はどこにもない。可憐な顔がくしゃりと歪んだ。
「アスト兄様が羨ましい。……兄様、結婚しないんですって。剣に生きるっておっしゃるの」
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「ラジエル…殿下は、」
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「ミカエル兄様も、剣に生きるの?」
ふと問われ、ミカエルは虚を突かれたような顔をした。
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「剣に生きたりはしねえよ。森でのんびり暮らすのが好きなんだ」
「意外だわ。兄様、まったくそんな雰囲気じゃないもの」
「どんな雰囲気だよ」
「そうねぇ…、馬を駆って戦場を駆け回っていそう」
ミカエルは心底嫌そうな顔をした。メアリエルがくつくつ笑う。
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「理解できねえだけだ」
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「俺は森の家で充分だからな」
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